旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page9

世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。

広告

17、ガソリンの高騰とグダグダな夏(2006年8月)

ガソリンの値上げのイメージ(*イラスト:楠 (kusunoki)さん)

(*イラスト:楠 (kusunoki)さん 【イラストAC】

今年に入ってからガソリン価格の値上がりが止まらない。春を過ぎると、1リットルあたり120円代が当たり前となり、「高いな・・・。そろそろ下がってくれないかな・・・」と思っているところに、更なる値上げ。7月になると、130円台の表示も見かけるようになってしまった。

サッカーワールドカップも終わり、いよいよ夏だ。旅行シーズンだ。どこへ行こう。と、気分が盛り上がっていくこの時期に、更なるガソリンの値上がりは旅行意欲がそがれてしまう。実際、マイカーを使った行楽客の出控えが起きているとかなんとか。みんな考えることは一緒のようだ。

ガソリン給油のイメージ(*イラスト:acworksさん)

(*イラスト:acworksさん 【イラストAC】

私が原付に乗り始めたのが、1994年のこと。そして翌年からバイクに乗るようになった。親の車に乗っているときには、ガソリン代がいくらとか気にすることはなかったが、自分でガソリン入れるようになってからは、今年はガソリンが安いとか、急に高くなったとか、価格を気にするようになった。

ガソリンの価格は、タバコと一緒で多くの税金がかかっている。ガソリンが120円として、その半分が税金となる。ガソリン価格が変動するのは、今年はキャベツが不作で高い、あるいは豊作で安いというのと同じ原理で、国際原油相場に影響を受けているから。とはいっても、原油の場合は豊作不作はなく、国際情勢を反映することが多い。

油田のイメージ(*イラスト:白萩さん)

(*イラスト:白萩さん 【イラストAC】

乗り始めた1994年は、湾岸戦争の影響でまだ少し高かったが、1995年になると国際情勢が落ち着き、ガソリン価格はぐっと安くなった。それ以降、昨年辺りまでは高くても110円というのが相場で、安い時は100円を切っていた。

3年前の2003年に離島の佐渡島をバイクで旅をしたのだが、ガソリンを入れようとスタンドを訪れたら、東京よりも20円以上高く、130円台だった。見たことのない金額に衝撃を受け、入れるのを躊躇してしまった。

それがここのところ東京でも120円を突破し、130円という表示を見かけるようになった。バイクに乗り始めてから10年経つが、ガソリンは高くても110円という金額に頭が慣れ、この130円という金額になかなか頭が追いついてこない。しかも、ちっとも下がる気配がない。

ガソリンの値上げのイメージ(*イラスト:ユウジさん)

(*イラスト:ユウジさん 【イラストAC】

このガソリン高の原因は、原油相場の高騰となるのだが、その理由はお決まりの中東の政情不安によるもの。イスラエルとレバノン、厳密に言うならレバノンを拠点にしているヒズボラとの小競り合いが続いていたのが、今年になって激化してしまった。

ヒズボラはイスラム教シーア派の政治・武装組織で、1982年に起こったイスラエルによるレバノン侵攻に抵抗するため結成された。アラビア語で「神の党」を意味している。

レバノン南部 バリケードが設置されている地区の写真
レバノン南部 バリケードが設置されている地区

イスラエルとヒズボラが小競り合いをしているのは、言っちゃ悪いがいつものこと。それが5月にヒズボラがイスラエル北部にロケット弾が撃ち込み、それに対してイスラエル軍が空爆やミサイルで報復するといったことが続き、情勢が緊迫化してしまった。

7月になると更に過激になり、12日にはヒズボラの兵士がイスラエル北部に越境して、兵士を殺害。そして兵士2人を拉致した。この国境侵犯を機にイスラエル軍によるレバノン南部への侵攻が始まることになる。

レバノン 住宅地に設置された銃の写真
住宅地に設置された銃

イスラエル軍は首都ベイルートや南部のヒズボラ拠点などを空爆し、ヒズボラはイスラエル北部に大量のロケット弾を無差別に撃ち込んで応戦。多くの死者や負傷者がでて、家を失い避難民になる人も増えている。

このイスラエル軍のレバノン侵攻により、中東情勢が極度に緊迫化している。他の国が参戦するのではないか。かつてのオイルショックが再び起きるのではないかという懸念から、原油の供給不安が一段と強まり、先日1バレル=78.40ドルという史上最高値も付けている。卸価格に反映されるまで時間差があるので、ガソリン価格もまだまだ高騰していきそうだ。

レバノン ベイルート 銃撃後の残る建物が残る町並みの写真
銃撃後の残る建物が残る町並み(ベイルート)

レバノンの首都ベイルートは、かつては中東のパリと称えられるほど美しい町だった。第一次世界大戦の後、フランスの統治下に置かれ、パリを思わせる街並みが築かれ、その後中東の主要商業都市として繫栄したからだ。

しかし1975年から15年間続いたレバノン内戦で、町は壊滅的に破壊された。私が2001年に訪れたときには、まだ内戦で銃撃を受けた建物が多く残っていた。そういった内戦からの復興がかなり進んだ場所で、再び戦争が起きるというのは悲しい。

こういう戦争が起きて苦しむのは、巻き込まれる住民たち。家族を失い、家財を失いと散々な思いをしなければならない。ほんと、この愚かな戦争は早く終結してほしい。ガソリン高を収めるためにも・・・。

和平のイメージ(*イラスト:K-factoryさん)

(*イラスト:K-factoryさん 【イラストAC】

とまあ、あまりのガソリンの高さに旅の意欲がそがれてしまい、この夏はほとんど旅らしい旅をしていない。移動を信条とする旅において、ガソリンが高いな・・・というように値段を気にしながらの移動は気分的に盛り上がらない。

と、もっともらしくのたまいながら、懐具合が少し寂しいのが実際のところ。ガソリン高というのを言い訳に、この夏はほとんどバイクで出かけることはなく、6月~7月前半はワールドカップのサッカーをテレビで見て、8月は高校野球を見て休日が終わっていた。

テレビ観戦のイメージ(*イラスト:よしのたまきちさん)

(*イラスト:よしのたまきちさん 【イラストAC】

こういう時は春のようにあまりお金がかからない山登りという手もあるが、夏は暑すぎるので山に登る気にならない。海とか川でダラダラと過ごすというのもありだが、一緒に過ごしてくれるようなパートナーもいない。といったわけで、いつになくグダグダとした夏を過ごすこととなってしまった。

テレビを見ながら選手のプレーに「何やってるんだ!」「そんな簡単なミスするな」とえらそうに文句を垂れても、ガソリンが高いと言い訳し、冷房の効いた部屋でグダグダと過ごしている人間に、選手もヤジを飛ばされたくないだろう。

テレビに向かって「何やってんの。しっかりしろ!」と言うより、鏡に映る自分に向かって言うほうがよさそうだ。

旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page10
2006年Page11につづく Next Page
広告
広告
広告