旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page15

世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。

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23、東北ツーリング、津軽半島(2006年10月18日)

地理院の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

東北バイクツーリング3日目が始まった。現在地は青森。しかも北側に飛び出ている津軽半島。随分と北上してきただけあって朝の冷え込みが厳しくなった。

寝袋から出るのが億劫だが、野宿のようなテント泊だとそうも言ってはいられない。外が明るくなり、人が活動する時間には撤収していないとカッコ悪いし、トラブルにもなりかねない。

さむ~と背中を丸めながらテントの外に出てみると、きれいな朝焼けが広がっていた。雲は少ないし、空気は澄んでいるし、今日は天気の心配はしなくても済みそうだ。

芦野湖での朝日 東北ツーリングの写真
芦野湖での朝日

現在いるのは津軽半島の金木町。小さな田舎町だ。ここはかつては物流の中継地として栄えたそうだが、今はその面影はあまりない。

この町を有名にしているのは、作家・太宰治の出身地ということ。彼はこの町で生まれ育った。現在、彼の生家、津島家の旧宅が斜陽館という名で、所縁の品、作品資料などとともに公開されている。

太宰治のイメージ(*イラスト:カートマンさん)

(*イラスト:カートマンさん 【イラストAC】

訪れてみると、その大きさと立派さに驚く。まるで老舗旅館といった感じ。かつての津島家はもっと広大な敷地を擁し、多くの使用人がいたということなので、とんでもなく裕福な家庭で育ったということになる。

もちろんそれはいいことばかりではなく、俗に言う名家ならではの苦労もあったことだろう。この一般の人とは違った家庭環境が、作品、いや、彼の壮絶な生き方に大きく影響を及ぼしたことは容易に想像がつく。

太宰治の生家、斜陽館 東北ツーリングの写真
太宰治の生家、斜陽館

今回の旅では縄文時代の遺跡、津軽半島の先端、竜飛岬の次に訪問したかったのが、実はここになる。太宰治の熱心なファンというわけではないが、今回無計画に仕事を辞め、色々と思うところがあった。

彼の代表作に「人間失格」がある。とてもインパクトのあるタイトルなので、読んだことはないけど作品は知っているという人も多いと思う。

高校時代の話になるが、夏休みの宿題、読書感想文を「人間失格」でやったらカッコいいぞ。友人に対して自慢できるし、成績の評価にもつながるかも・・・。と、ちょっといきって読んだことがある。しかし、途中で理解不能となり、こりゃよくわからん・・・と読むのをやめてしまった。

読書感想文のイメージ(*イラスト:巻さん)

(*イラスト:巻さん 【イラストAC】

この度、その代表作と同じ言葉が頭の中に浮かび、何か参考になるかも・・・と、本棚のオブジェと化していた本を手に取り、再び読んでみることにした。

当時、意味不明だった大人の事情や都合も、今ではちゃんと理解できるのだが・・・、私と似ているようで、そうでもない。共感できる部分もあるが、全体的にはあまり共感できなかった。

なんていうか、主人公と私とでは失格の種類が違うのだろう。私の場合は好きなことで人生を崩すタイプ。まあ簡単に言えばギャンブルなどで身を落とすタイプに近いだろうか。

ただ、世間の常識とかけ離れていても、幸せの形が一通りでないと思うこと。そして、それに突き進むこと。それとともに規模は違うが、差し迫ってお金に困らない環境にあるという点では同じかもしれない。

感慨深く感じるイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

とまあ、無職になってこの太宰治所縁の斜陽館の前に立ってみると、太宰先生あなたの境地に少し近づけました・・・といった親近感が湧いてくるというもので、感慨深いものがあった。

しかしながら、現在の時刻は朝6時半。当然ながら施設は開いていない。開館までまだ2時間半もあるので、先に竜飛岬を訪れ、気が向いたらまた戻ってくることにした。

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津軽半島を北上し、先端の竜飛岬を目指した。竜飛岬の少し手前、海岸沿いに三厩という小さな漁村があり、そこには厩石と義経寺がある。

義経とは源義経のことで、よく知られているとは思うが、源頼朝の異母弟になる。平家との戦いで最大の功労者となるものの、兄頼朝の反感をかったことで討伐の命が下され、平泉の衣川館で自刃したというのが、歴史の通説となっている。

源義経のイメージ(*イラスト:レオンさん)

(*イラスト:レオンさん 【イラストAC】

でも勇猛果敢で、容姿端麗であった源義経は、巷では人気者。生き延びていて欲しいという願望や、判官びいきもあって、落ち延びたという伝説がいくつも後世に伝わっていたりする。中には北海道へ渡り、その後はモンゴルでジンギスカンになったという話まであったりするから驚く。

そういった伝説の発端となったのが、ここ三厩。義経がこの地から北海道へ渡ったという伝説が伝わっている。

なんでも落ち延びた義経一行は北海道を目指し、三厩にやってきた。しかし、目の前の津軽海峡が荒れ狂っていてどうにもならない。義経は奇岩の上に登り、三日三晩観世音に祈願した。すると白髪の翁が現れ「三頭の龍馬を与える。これに乗って海を渡りなさい」と言われ、翌朝三頭の龍馬が岩に繋がれていて、海も静まり返っていたそうだ。この出来事があり、この義経が祈願した岩を厩石、この地を三馬屋(三厩)と呼ぶようになったと言われている。

厩石(奥の岩山)と義経渡道之地碑など 東北ツーリングの写真
厩石(奥の岩山)と義経渡道之地碑など

厩石がある場所は、現在「厩石公園」として整備されていて、「松前街道終点之碑」、「義経渡道之地碑」、「源義経竜神塔」、「静御前竜神塔」などが建立されている。

実際に義経が祈願した厩石を目の当たりにして、伝説を信じる人、ロマンを感じる人、鼻で笑う人、色々といると思う。何を思うかは人それぞれ。私もしょうもない伝説・・・と言うと失礼だが、そう思いながらやって来た。

しかし遥々東京から津軽半島の先端付近までやって来たことと、旅の高揚感や津軽半島の空気が脳を刺激するのか、厩石の前に立つと色々と感慨深く感じてしまい、義経はここから津軽海峡を渡っていったというもロマンがあっていいかも・・・。といった気分になっていた。

階段国道(国道339号)の標識の前で 東北ツーリングの写真
階段国道(国道339号)の標識の前で

海岸沿いを北上していくと、竜飛漁港に到着した。質素な感じの漁村といった感じで、あまり見るべきものはない。ただ、ここには日本唯一というとても面白いものがある。

それは階段国道。その名の通り、国道なのに車が通れない階段になっている。これは話のネタとして面白い。旅人としてぜひ見ておかなければ!と、早速訪れてみた。

といっても、漁村と崖上を結ぶ普通の階段道。もともと生活道路として階段があったのを、道路整備の都合上、国道に指定しただけなので、国道と名が付いていても漁村によくある階段道でしかない。見ることよりも、日本唯一の階段国道に来たぞってな自慢話ができることに意義がありそうだ。

竜飛の碑の前で 東北ツーリングの写真
竜飛の碑の前で

竜飛漁港の広場には木製の竜飛の碑が設置されていた。「竜飛」の文字が薄くなっているのが微妙だが・・・、本州の北端という過酷な自然環境の中で耐えてきた証なのだろう。そういう風に考えると、なかなか味があっていい。

その碑の前でバイクの写真を撮ると、今回の旅の第一目標を達成。青森の津軽半島の先端まで、東京からかなり距離があるのは分かっていたが、実際に走り切ってみると、やっぱり遠かった・・・。でもその分、達成感も大きい。満足感一杯の記念撮影となった。

龍飛埼灯台 東北ツーリングの写真
龍飛埼灯台

竜飛漁村の背後にある高台に竜飛埼灯台などがある。階段国道を使えば直ぐ行ける距離なのだが、バイクでは通れないので、ぐるっと大回りしてやってきた。

ここのハイライトは白く美しい竜飛埼灯台・・・ではなく、風の岬 龍飛の碑・・・でもなく、その横に設置されている津軽海峡冬景色歌謡碑。

風の岬龍飛の碑と津軽海峡冬景色歌謡碑 東北ツーリングの写真
風の岬龍飛の碑と津軽海峡冬景色歌謡碑

歌謡曲「津軽海峡冬景色」は昭和を長く生きた人は必ず知っているほど大ヒットした曲で、青函トンネルが開通する前、青函連絡船時代の情緒を歌った曲になる。

歌碑に設置されているボタンを押すと、石川さゆりさんの津軽海峡冬景色が流れるようになっているのだが・・・、ちゃんと竜飛岬が登場する2番が流れるようになっていたりする。

ここで聞く津軽海峡冬景色は格別だ。と、訪れた誰もが言う。私もそう思う。旅とは気分でするもの。そう思える場所だ。そして、私同様に北海道に行くことがあれば、襟裳岬に行ってみよう・・・などと思ってしまう人も多いと思う。

竜泊ラインの展望台から 東北ツーリングの写真
竜泊ラインの展望台から

竜飛岬には青函トンネル記念館など、この地の地下を通っている青函トンネルに関することも有名だが、あまり興味がないので今回はパス。国道339号、通称「竜泊ライン」を走って半島を南下することにした。

途中に眺望のいい展望台があったので、立ち寄ってみた。竜飛岬は風の岬を謳うだけあって風力発電の風車がずらっと並んでいて壮観だ。そして岬の先には津軽海峡、そしてその先に北海道の南端を見ることができる。

こうやって北海道を望むと、次は北海道に行くぞ!と夢が広がる。いつ行けるかはわからないが、いつかは北海道の最北端を目指して旅をしてみたい。

と、気分良く竜泊ラインを走るのだが、この道が凄かった。まるでサーキットのような爽快な道なのだ。今まで色んな道を通ってきたが、「一番爽快だった道」とか、「バイクで走って楽しかったワイディング」と聞かれると、この道の名を挙げているほど。

途中、調子に乗ってラグナ・セカのコークスクリューばりのコーナーでオーバーランしかかったのは今ではいい思い出だが、こんな辺境の地で事故をしたらシャレにならないので、くれぐれも安全運転を心がけて欲しい。

地理院の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

小泊、十三湖とちょこっと寄り、その後は遮光器土偶が発見された亀ヶ岡石器時代遺跡と思ったが、昨日木造駅の巨大な土偶駅舎を見たので、まあいいかという気分。

朝訪れた時は、まだ開館前だった太宰治の斜陽館を再訪問しようかと思ったが、もう建物の外観は見たので、改めて訪れるのが面倒・・・。とまあ、旅も復路になると、モチベーションが下がり、いい加減になってくる。

竜飛岬を訪れたという満足感で、もう半分、このまま東京に戻って旅を終えてもいいといった気分だが、今回の旅の一番の目的地にしていた「三内丸山遺跡」を忘れてはいけない。ここモチベーションを下げないためにも、一番行きたかった三内丸山遺跡に真っすぐ向かうことにした。

三内丸山遺跡の大規模な復元建物 東北ツーリングの写真
三内丸山遺跡の大規模な復元建物

三内丸山遺跡は、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年)の大規模な集落跡になる。現在からだと4~6千年前の遺跡となる。

実際に訪れてみると、広大な遺跡に驚く。そして復元された建物の大きさに驚く。便利な重機や工作機器がなかった縄文時代に、これほど大きな建物を造った縄文人の技術の高さに感嘆する。

三内丸山遺跡の様子 東北ツーリングの写真
三内丸山遺跡の様子

とはいえ、すごく感動的・・・。青森まで来たかいがあった・・・とはならなかった。このあたりは木造建築の限界となるだろうか。エジプトのピラミッドは別格としても、海外の石文化の遺跡を訪れると、それなりに時間が経っていても何かしら形あるものが残っていて、太古のロマンを感じたりする。

縄文遺跡の場合だと建物の柱があった穴とか、土器や土偶、矢じりなどの出土品ばかりで、古代へのトキメキという点で少々物足りない。木造建築なので石造りよりも復元が簡単というメリットはあるものの、復元された建物は日本各地で見慣れたもの。それが少し多いといった感じ。縄文遺跡は日本どこで見ても一緒かも・・・といった思いが強くなってしまった。

弘前城のお堀 東北ツーリングの写真
弘前城のお堀

三内丸山遺跡を後にすると、弘前に向かった。弘前といえば弘前城の桜と、ねぶたが有名だが、残念ながらどちらもシーズン違い。

とりあえず弘前のシンボル弘前城を訪れてみると、広々とした城内は紅葉が真っ盛り。とてもいい雰囲気だった。桜の時期はさぞ美しいこととは思うが、この時期も決して悪くない。

弘前城から見る岩木山 東北ツーリングの写真
弘前城から見る岩木山

弘前城の天守閣に登ってみると、岩木山がよく見える。岩木山は、津軽富士とも呼ばれ、古くから山岳信仰の対象とされてきた。

江戸時代には弘前藩の鎮守の山とし、歴代藩主が岩木山の麓にある岩木山神社に寄進を行ったので、その社殿は荘厳なもので、「奥の日光」と呼ばれるほどだとか。

最初の計画では岩木山へも足を延ばそうと思っていた。この付近には縄文時代の遺跡も多く、縄文人の信仰の対象になっていたはず。その形から日本のピラミッドだという人もいるし、実際に訪れ、そういったことを肌で確かめたかった。

しかしながら、もう夕暮れ。今からでは到着するころには暗くなっている。この付近に野宿し、明日の朝一で訪れるというのも考えたが、今日中にもっと南下しておきたいし・・・。ってことで、またの機会にしよう。

弘前の武家屋敷 東北ツーリングの写真
弘前の武家屋敷

弘前城を後にすると、日が沈むまで弘前の観光を行うことにした。ここは意外と見る場所が多い。まずは武家屋敷街へ。江戸時代にタイムスリップしたようなというと大げさだが、武骨な感じの門と垣根付きの武家屋敷が並んでいる。

とはいえ、武家屋敷というのは質素な造りをしているので、商人や町人の町並みと違って北も南も、西も東もどこの藩でもそう変わりがないように感じる。

長勝寺の楼門 東北ツーリングの写真
長勝寺の楼門

この後は弘前を代表する洋風建築の青森銀行記念館、重要文化財に指定されている長勝寺の楼門、最勝院の五重塔などを見学すると、辺りが暗くなり、本日の観光を終えた。

弘前を後にすると、更に南へバイクを走らせ、宿泊地の道の駅へ。付属の温泉に入り、夕食を食べた後、テントを芝生に張るのだが、今晩は強烈に寒い。もちろん今までも寒かったのだが、どうやら強い寒気が南下してしまったようで、今までの比ではないほど冷え込む。

壁がペラペラのビニール一枚のテントは、夏は蒸れて暑いし、冬の寒さにもめっぽう弱い。強い雨が降れば浸水するし、強い風が吹けば飛ばされる。とても脆弱な宿泊場所だ。

外界と壁で遮断されているのと、風を通さないことはありがたいが、冷気は容赦なく侵入してくる。今までのように寝ていたら凍えてしまうかも・・・。身にまとえるものを全て着て寝袋にくるまって寝ることにした。

凍えるイメージ(*イラスト:レオンさん)

(*イラスト:レオンさん 【イラストAC】

寒いと気持ちも弱くなってくる。宿に泊まれば、暖房が効いているし、暖かい布団で寝れるのにな・・・。なんでこんな貧乏くさい旅をしているのだろう。と思ってしまうと、ちょっと惨め。

もちろんこれは自分が選択した旅。なので、他人からどう思われようが、特に気にならない。でも、自分でそう思ってしまうと、こういった旅をしていることが辛くなってくる。寒い時期の貧乏旅行は身も心も辛いものだ・・・。寒いテントの中でしみじみと思うのだった。

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