極寒のモスクワ散策記1997 ~風の旅人旅行記集~
極寒のモスクワ散策記97'

#5 帽子売りの大学生

1997年12月、飛行機の乗り継ぎを利用して、極寒のモスクワ市内を半日ほど散策した時の旅行記です。(*全12ページ)

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13、モスクワのマック

凍えるイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

地下鉄の駅から地上に出てみると、また凍えるような寒さが待ち構えていた。今回は地下鉄という温かい場所に長くいたので、結構きつい。顔の血色が一気に失われ、体の体温がどんどん抜けていくのが分かる。

自ら望んで12月のモスクワを訪れたので、文句を言うのは筋違いというものだが、声を大にして叫びたい。ほんと、この寒さは何とかならないものか。寒すぎるだろ。これ。

あまりの寒さに泣き言を言いたくもなってくるが、泣き言を言っていても寒いだけ。それよりも体を動かしているほうがましというか、体を動かさないと真面目に凍えてしまう。

さっさとクレムリンに行こう。と、歩き出そうとするのだが、「あれ、クレムリンはどこだ・・・。」辺りを見渡すものの、目の前にあるはずのクレムリン宮殿が見当たらない。

おかしい・・・。あんなでかくて目立つものが、見当たらないわけがない。影も形もないということは・・・、地下鉄の地上への出口を間違えたのではなく、降りる駅を間違えてしまったのではないのか。

迷子のイメージ(*イラスト:たたろうさんさん)

(*イラスト:たたろうさんさん 【イラストAC】

迷子になるのは旅の余興の一つ。効率を求めても旅は面白くない。厳密さにこだわっても旅は楽しくない。だからこの程度のことは気にするほどのことではない。

気にはしないが、言い訳はしたい。外の様子が見えない地下鉄に、全くアルファベット表記がないというのは、どう考えても外国人には不親切すぎる。

いくら旅慣れていても、今回は間違えてもしょうがないんだ。あの悪名高き赤の帝国が相手では、分が悪すぎたんだ。と、自分が悪くないことを正当化してから、現在いる場所の分析にかかった。

モスクワのマック
モスクワのマック

辺りを見渡たすと、どことなく町の中心っぽい感じがする。そんなに見当違いの場所ではなさそうだ。それに目の前にはマックがあるし・・・。ん、マック!?これが有名なモスクワのマックか。

モスクワにマックが出来た事は、以前、日本でもトップニュースになっていた。東西冷戦を経て、モスクワにアメリカを象徴するマクドナルドが営業する日が到来!冷戦から友好関係へ!冷戦の完全終結!ってな感じの報道だった。

あれはいつの事だったかな・・・。結構前・・・、いや、そんなに前ではないな。4、5年ぐらい前か。その時の映像では、もの凄い行列が出来ていたのが、強烈に印象に残っている。

でも、今日はそうでもないようだ。もうロシア人はこれは不味いと飽きてしまったのだろうか?それとも対米感情の悪化?冷戦の再勃発?などと想像を働かせつつ、モスクワに来て最初の写真を撮った。

雪が積もる並木道
雪が積もる並木道

持ってきた観光地図でマックを探すと、降りたかった駅の一つ手前の駅近くにマックがある。そばに並木道の遊歩道があることからも、ここに間違いない。

一駅の間違いなら誤差の範囲だ。クレムリンからそんなに離れていないし、このまま歩いて行こう。

でもその前に・・・・、雪が積もっている並木道がとてもいい感じ。私の中でイメージするモスクワにピッタリだ。と、モスクワに来て二枚目の写真を撮った。

14、クレムリン宮殿へ

町の中心、クレムリンに向かって、雪が残る歩道を歩いた。ガイドブックには、モスクワは冬でもあまり雪が降らないと書いてあったし、ロシア関係の本でも、雪が積もることは珍しいと書いてあった記憶があるので、雪が積もっていることは想定外だった。

私の着ている服は、セーターなどの上に薄着のモロッコの民族衣装をまとっているといった、モスクワの冬をなめくさったような格好。でも、足元はちゃんとトレッキングシューズを履いていたりする。雪は深くないし、カチコチに凍ってスケートリンク状態にもなっていないので、まあ何とか歩けそうだ。

ロシア女性のイメージ(*イラスト:里恵人さん)

(*イラスト:里恵人さん 【イラストAC】

歩きながら、町を行く人を観察すると、男の人は頭にコサック帽というか、ロシア帽というのかわからないが、毛がふさふさした大きな帽子をかぶり、女の人はスカーフ、子供達はジャンパーのフードを頭に被ったり、女の子はお洒落な耳当てをしている子もいる。映画とか、アニメとかに出てくるような、まさに絵に描いたロシアの情景が目の前で繰り広げられている。

これぞロシアの情景だ・・・。モスクワの町を本当に歩いているんだ・・・。雪景色だし、凄いぞ。雪が積もっている日に訪れることができるとは、なんて幸運なんだろう。と、感激しまくっていたのだが、気持ち的に余裕があったのは、最初の10分ほどだった。

歩いているので、体の芯から凍えるような寒さは感じないのだが、むき出しの顔が冷たくてたまらない。特に耳が痛く、ズキンズキンと脈打つ感じがしてきた。

なるほど、あの帽子やスカーフは耳を凍えさせない為なんだ。モスクワ流のファッションでもあるけど、生活の知恵でもあるんだな。身をもって理解できた。

ロシア帽をかぶる少年のイメージ(*イラスト:いろいろイラスト.tamさん)

(*イラスト:いろいろイラスト.tamさん 【イラストAC】

耳の痛さをしのぐ為にも、あのロシアを象徴するような帽子が欲しい。いや、あの帽子をかぶってモスクワの町を歩きたい。モロッコの時と同じように、民俗衣装へのこだわりがメラメラと燃えてくる。

形や毛並みが整っているものは、軽く万単位の値段がしそうだ。そんな高い帽子を買ったとしても、まず日本で被ることはないだろう。民芸品のように部屋に飾っておくのも微妙。今日一日限りで、タンスの肥やしになるか、廃棄処分になる可能性が高いのなら、なんちゃってロシア帽みたいな、安いやつで十分。もしなければ、最悪、耳当てでもいい。このままだと、真面目に耳がちぎれてしまいそうだ。

で、安いロシア帽子はどこで買えるのだろう。帽子屋で売ってるのは確かだが、帽子屋があちこちにあるとは思えない。とりあえず、歩きながら帽子屋があれば覗いてみることにして、手袋で耳を押さえながら、クレムリンへ向かって歩くことにした。

ユーリ・ドルゴルキーの記念碑
首都の創設者の像
ユーリ・ドルゴルキーの記念碑

石造りの重厚な建物が並ぶ大通りを、クレムリンに向かって歩いた。日本でいうなら皇居周辺の繁華街とか、官庁街といったところだろうか。

こういった石造りの建物が建ち並ぶ通りを歩いていると、ヨーロッパの都市に来たぞ!といった異国情緒を感じられ、心が弾んでくる。

重厚な建物に囲まれた広場には、偉人らしき人物の大きな像があり、目を引く。こういった大きな人物像が、町中の広場や交差点に自然な感じである様子を見ると、日本とは根本的な文化が違うなと、いつも感じてしまう。

遠くから見たクレムリン宮殿
遠くから見たクレムリン宮殿

しばらく歩くと、やっと目的地のクレムリンが見えてきた。あれがクレムリンか・・・。強いポップ調の色彩で色付けがされているので、よく目立つ。

テレビで見たのと一緒といえば一緒なのだが、なんだかおもちゃの宮殿っぽい・・・。雪が積もっているせいなのか、それが第一印象だった。

宮殿前の大きな交差点を渡ると、クレムリン宮殿のすぐ横にある赤の広場への入り口になっていた。

先に赤の広場を見るほうが効率がよさそうな気がするが、今はクレムリンと気持ちが盛り上がっているところ。最初の計画通りクレムリン宮殿を先に見て、その後で戻ってこよう。

15、帽子売りの大学生

クレムリン宮殿前の広場
クレムリン宮殿前の広場

クレムリン宮殿前は、きれいに整備された広場になっていた。その広場をクレムリンの入り口に向かって歩いていると、2人組みのロシア人らしき青年が声をかけてきた。

しかしロシア語なので、何を言っているのかわからない。「わからない」といったジェスチャーをすると、「ハロー」と声をかけ直してきた。

英語が通じるようだ。しかもよく見ると、彼らは手にコサック帽を何個も持っている。もしかしたら物売りか。いや、もしかしないでも、こんな場所で帽子を沢山手にしていたら、物売りだよな。それにこんな変な格好をした観光客に声をかけてくる時点で、物売りでしかありえない。

予想通りの展開となり、「どこから来たの?この帽子はどお?」と言ってきた。これは幸運な展開・・・と、言ってよさそうだ。少なくとも帽子屋を探さないで済むし、英語も通じる。あとは値段次第だ。

会話のイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

さっきからズッキンズッキンと痛む耳の為にも、彼らが手にしているロシア帽子が、喉から手が出るほど欲しい。この後、モスクワの町を楽しく歩くためにも、是が非でも必要だ。

しかし、あまり欲しそうな顔をすると、足元を見られる。いきなり値段を聞くというのも「欲しい」と言っているようなものだ。お土産に買ってもいいかな・・・といった、余裕のスタンスで交渉に挑もう。

ということで、ちょっと話を別の方向へ逸らしてみる事にした。「私は日本人の学生です。あなた方は?」と聞いてみると、「私達はモスクワ大学の学生です。この帽子は品質のいいものだ。30ドルでどお?」と、具体的に向こうから値段を言ってきた。

悪そうには見えないが、怪しい。どこの国でも自称大学生だと言って声をかけてくる輩は多い。

ではこういう質問はどうだろう。「何を専行しているのですか?今日は学校は?」と、鋭い質問をしてみた。

鋭い質問のイメージ(*イラスト:yokkoさん)

(*イラスト:yokkoさん 【イラストAC】

すると、「経済を専攻しています。今日の授業は午後からなので、今はアルバイトをしています。少しでも外貨を得て、学費の足しにしたいから帽子を売っているのです。」と、言ってきた。

う~ん、文句のつけようのない素晴らしい返答。これでは突っ込んでいく余地がない。予め考えていたとも思えないし、きっと本当なのだろう。それに彼らから悪そうな雰囲気はしてこない。

まあ、それよりも問題は帽子の値段の方だ。彼らがいいやつか、悪いやつかよりも、この値段は高いのか、妥当なのか、そっちの方が重要だ。

コサック帽
コサック帽

相場が分からないけど、とりあえず値切ってみよう。値切りの交渉は嫌いではない。

「20ドルだったら買うよ」と言ってみたが、「それは出来ない。30ドルだ」と、彼らは一歩も引かない。

向こうから物を売ってきて、全く値引きに応じないとは、なかなか手ごわい。地下鉄に乗る前に手袋を購入したが、そのときも取り付く島がなかった。ロシアではそういうものなのか。

でも、今回はこちらの主導権がある。もの凄く欲しいのは事実だが、値段が折り合わなければ断るだけだ。「ちょっと高いな。」と引くふりをして交渉してみたが、それでも28ドルにしかならなかった。

いまいち値段の妥当性がわからない。けど、この値引きの渋さから考えると、値段相応なのかな。フカフカしていてそんなに安い物ではなさそうだし・・・。いや、でもやっぱりちょっと高いような気もする。もうひと踏ん張りしてみるか。

あっ、そういえば両替したロシアルーブルが大量にあったな。あれを使ってもいいか。手袋を買ったり、バスと地下鉄に乗った感じでは、けっこう余ってしまいそう。ここで使っておけば、後で使い方に悩まなくて済む。

米ドルのイメージ(*イラスト:yoshikunさん)

(*イラスト:yoshikunさん 【イラストAC】

ということで、「ルーブルだったらいくら?」と聞いてみたのだが、「ロシアルーブルは駄目だ。ドルがいいんだ。」と、彼の急に顔が真剣になった。

突然の慌てぶりに「なんで?」と聞くと、「ロシアはインフレが激しく、ルーブルは持っていても価値が下がるんだ。だからドルが欲しいんだ。君はドルを持っているだろ?」と逆に聞いてきた。

私がちゃんと持っていると答えると、ルーブルとロシア経済が駄目なことを力説し始めた。経済学科だけあって、話が具体的かつ、長い。おまけに私が日本の大学生だと自己紹介してしまったものだから、理解できて当たり前といった感じで、容赦なく難しい経済単語を浴びせてくる。経済は苦手なんだ。勘弁してくれ・・・。

このままでは観光ではなく、経済の勉強会のためにロシアに入国したことになってしまう。切りのいいところで、「分かった。ドルで払うから安くしてよ。」と言うと、渋々といった表情で「25ドル。これ以上は負けられない。」と言い、結局、真ん中の25ドルで交渉成立となった。

交渉成立のイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

私的には20ドルぐらいが妥当な気がしていたので、少々値段に不満が残るが、まあ楽しい交渉だったし、色々と話も聞けた。何よりこの耳の痛さから今すぐに開放される。それを考えれば、まあ満足のいく買い物となるだろうか。

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帽子は折り返している部分を下に降ろせば耳全体が覆われるようになっていた。

大学生たちは私に帽子をかぶせ、頭頂部で結ばれている耳当ての紐をほどき、「俺たちも冬の寒い時期はこうやって被っているんだ。風が強い時は顎で結ぶといいぞ。」と教えてくれた。

コサック帽
コサック帽(耳の部分を下ろした時)

町中で見かけるビシッと型が整った毛皮の帽子と比べると、妙に光沢があって、人工のアクリルっぽさが気になる。恰幅のいいおっさんが必要以上に分厚い帽子を被っているのも見かけるが、それと比べると小さくて貧相に感じる。

でも、それは値段を考えたらしょうがない。値の張るものを買ったとしても日本で被ることはほぼないから、これで十分だ。そもそも似合うような貫録もないし・・・。

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実際に被ってみると、安物ながらなかなか温かい。ズキンズキンと痛かった耳が冷気から守られ、寒さで凍りかけていた耳の血流が、スムーズに流れ始めた感触がする。

これはいい買い物をした。被ったことで防御力がかなりアップしたのは間違いない。そうニンマリしたところで、どこからとなく、「旅人は普通のコサック帽を手に入れて、防御力と見た目のレベルがアップした。」というナレーションと、元気の出るような効果音が聞こえてきた、・・・気がした。

レベルアップのイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

帽子売りの学生達はクレムリンの入り口の場所と、切符の買い方を丁寧に教えてくれた。最後に「良い旅行をしてね」と言ってくれたから、やっぱりいい奴だったに違いない。

帽子を被ってからは耳が温かくなったので、今まで耳を押さえていた両手が解放され、歩く足取りも軽くなった。楽しみにしていたクレムリン宮殿はもう目の前。いざゆかん、コサック帽を被った若者よ。

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