#7 ロシアのイメージ
1997年12月、飛行機の乗り継ぎを利用して、極寒のモスクワ市内を半日ほど散策した時の旅行記です。(*全12ページ)
19、鳩と女学生
クレムリンから外に出ると、来た道を戻るように赤の広場へ向かった。途中、帽子売りの大学生と出会った場所を通ったが、そこには彼らの姿はなかった。
また会えるかな・・・。もし彼らがいたなら、この寒さの対処法についてアドバイスをもらおうと思っていたので、残念。
話していた通りに授業に向かったのだろうか。それとも儲かったぞと食事に出かけたのだろうか。どちらの可能性もあるが、きっと授業に向かったのだろう。いい奴っぽかったからな。そのほうが私もうれしい。
それよりも今は鼻が痛い。クレムリン見学中からあまりの寒さに鼻が痛くて涙目になっていたのだが、そろそろ痛さも限界だ。このままでは凍傷になってしまいかねない。
クレムリンのすぐ隣が赤の広場なので、このまま赤の広場を観光・・・と思っていたのだが、赤の広場は後回しにして、ひとまずどこか建物に入ろう。
お腹もすいたし、トイレにも行きたい。地図でそういった場所を探すと、ショッピングセンターが赤の広場近くにあった。ちょうどいい。ここに目的地を変更だ。
ショッピングセンターに向けて歩き出すと、この寒さの中、子供達が鳩と遊んでいた。ベンチの背もたれにとまっている鳩たちは、子供たちが手を伸ばすと、その手に乗りそうなぐらい人懐っこい。
他の国だと気にならない光景だが、ロシアだと少し違和感を感じる。ロシアといえば冷酷、冷血、悪逆非道の国。ソビエト時代からそういった事がニュースなどで報道されたり、映画やアニメなどでもそういった象徴として描かれていた。だからそういったイメージをすぐに頭に思い浮かべてしまう。
しかし、この鳩の様子からすると、普段から人間に脅かされている感じがしない。ということは、ロシアに暮らす人達はそんなに冷酷な人達ではないのではないか。朝、おばちゃんにスカーフをもらってからというもの、行動するたびに日本から持ってきたイメージが、どんどんと崩れていく。
それよりも鳩って寒いのは大丈夫なのだろうか。見た目は日本にいる鳩と変わらない。そういえばモロッコにも同じような鳩がいたな。世界中にいるというのは人間も一緒だと考えると、あまり気温は関係ないのかもしれない。
でもまあ、所変わればなんとやらというやつで、極寒の地モスクワに来てみると、ありふれた存在の鳩でも、色々と興味深く感じてしまうものだ。
更に歩くと、馬が4頭きれいに並んだ像があった。像には雪が積もり、馬も寒々しい様子。像の周りには円形の丸い枠があることから、普段は噴水になっているのだろう。
その馬の像を眺めながら歩いていると、制服を着た高校生ぐらいの女の子の集団が、ぎこちない英語で「こんにちは、何人ですか?(Hello Where are you from?)」と、話しかけてきた。
突然、制服姿の女の子たちに話しかけられてビックリするのだが、ロシアの制服女子は防寒対策がお洒落に決まっていて、とても可愛い。
なにやら幸運が舞い込んできた予感。案外、私ってロシアではもてたりするのかも?ちょっと勘違い気味に立ち止まり、少し緊張しながら「私は日本人です。あなた方は高校生?」と、答えるだけではなく、尋ね返してみたのだが、「きゃー」と言いながら小走りに逃げていってしまった。
なんだ・・・。何か変なことを言ったかな・・・。唖然としつつも、寒い中をポカンと立ち止まっていてもしょうがない。鼻が痛いので、早いところ建物に入りたいし、ちょっと緊張したせいか、急激にトイレに行きたくなってきた。
釈然としないままショッピングセンターに向けて歩き出すのだが、再び彼女たちは恐る恐る寄って来て、今度は「いくつ?」「名前は?」と聞いてきた。
なんだかよくわからないけど、日本人と名乗ってしまったので、不愛想な応対は日本の評判を下げてしまうことになる。いや、せっかく可愛らしいロシア女子が話しかけてきたのだから、不愛想なのはよくない。
丁寧に名前を名乗り、「何才に見える?」と、めげずに問いかけてみたのだが、やっぱり「ワァ~」と言いながら逃げていってしまった。
な、な、なんなんだ。会話にならない・・・。仕方なく歩き出すと、再び数人が寄って来て、同じ事が繰り返された。これってからかわれているのか・・・。なんだか珍獣扱いって感じがするのだけど・・・。
いや、ここはロシア。もしかして、ロシア流のスパイ発見術ってやつかもしれない。女子高生という存在で油断させ、さりげない会話から怪しいやつをいぶりだしていく。赤の帝国秘伝、KGBの伝統的なスパイ術・・・。っなわけはないか。
嫌がらせをしている感じではないけど、せめて返答を返してくれるとか、或いはロシアらしく、クラシックバレーのようなステップで逃げてくれれば、愛嬌を感じたり、感動もするのだが、こんな一方的なやり取りが続くと、相手をするのがうっとおしく感じてくる。
それよりも、もっか早くトイレに行きたくてしょうがない。今回は「どこへ行くの?」と聞いてきたので、「トイレに行くんだ。」と言ってみたら、「きゃー」と言って、今度は誰もついてこなかった。
どうやら話している内容はちゃんと理解しているようだ。単に覚えたての英語を試してみたかっただけなのかな・・・。もしそうだとしたら、意外に日本人みたいにシャイな一面があるのかもしれない。
20、ショッピングセンターの中で
近くのショッピングセンターに入った。12月ともあって、店内はクリスマスの飾り付けがしてあり、華やかな感じだった。
室内は暖房が効いているので暖かく、しばらくぶらぶらしていると、鼻の痛さが収まり、顔に血色が戻ってきた。
ショッピングセンター内の雰囲気は、多分世界中どこ国でもそんなに変わらないと思うが、ここでは大きなロシア帽をかぶっている人が多い。
二階のテラスから階下を眺めると、帽子を被った人の頭が大きく見える。いわゆるアニメチックというか、少しデフォルメされているようで、ちょっと面白く感じた。
トイレを済ませ、落ち着いてみると、お腹の空き具合が気になってきた。何か食べよう。せっかくならロシア料理でも・・・。ん、あれ、ロシア料理ってなんだ?
せっかくロシアに来たのだからと考えるものの、さっぱり思い付かない。日本の日常生活にロシア料理ってほとんどないような気がする。
フードコートを訪れてみると、相変わらずロシア語だらけで読めない。現物で探すか・・・。お店を物色していると、ショーウインドウにある揚げパンが目についた。そうだピロシキはロシア料理のはず。ピザ屋でピザとそのピロシキを指でさして頼んだ。
立ち食いのテーブルでロシア人に交じながら食べてみると、ピロシキはカレー味がしないカレーパンというか、味の薄い豚まんというか、いまいち何かが足らない感じ。これは旨い。もう一個とはならなかった。
ビザの方は普通というか、おいしい。日本よりもチーズがよく伸びる。伸びすぎてちょっと食べにくいな・・・と食べていると、なんとなく視線が気になる。
食べ方が変なのか・・・。いや。そうだ。モロッコの民族衣装を着ていたんだった。ずっとこの格好で歩いていたので、すっかり忘れていた。さっきの高校生達もそれで声をかけてきたのかもしれない。
理由が分かると、視線も気にならなくなるというもの。近くで見ていたおじさんたちと目があったので、美味しいよ!といった感じのジェスチャーを笑顔でしてみたのだが、ちょこっと笑っただけでいまいち反応がよくない。
ボクシング映画のロッキーの気持ちが少しわかる(ロッキー4)と言えば大袈裟だが、このへんの愛嬌とか、人懐っこさがモロッコから来ると、少し物足りなく感じてしまう。ちょうど今食べたピロシキのように。
食事を終えると、体力回復。顔が痛かったのも気にならなくなった。よしっ、赤の広場に戻るか。と、いきたいところだが、その前にマフラーが欲しくなった。
最初にもらったスカーフだけでは首がまだ寒いし、マフラーならマスク代わりに口や鼻の辺りに巻く事もでき、外を歩いていても今までのように鼻が痛くならないはず。実際に町を歩くロシア人がそうしている。
ということで、ショッピングセンターの中をウロウロとしつつマフラーを探し始めた。
何軒か店を回って、どうせロシアルーブルも余っているし・・・と、日本でも使えそうなおしゃれな店でマフラーを買った。これでまた一段と防御力がアップ。旅人はどんどんと強くなっていく・・・、気がする。
それにしても・・・、私の知るロシアは物がなく、物を求める長い人の列ができているのが当たり前。そういう世界だ。
しかしここでは物が溢れかえっている。とまでは言い切れないけど、普通に物がある。日本とそう変わらない感じだ。それに人の列もできていない。
物がないといった世界観を持って実際に来てみると、拍子抜けすると同時に、色々なことに違和感を感じてしまう。
もちろん報道されていたのは、数年前といった過去の話だ。でも一気に色々なことが改善されたとは思えない。人々も穏やかだし、日本で植え付けられたロシアのイメージは何だったんだろう。
それとも、このショッピングセンター内は一部の特権階級の人間によって作られた世界なのだろうか。出会った人たちはロシアのイメージをよくするために雇われている諜報部員とか・・・。
ここはロシアだ。そういうSFのようなことも考えられる。でも・・・、やっぱり実際に自分自身の足で歩き、自分の目で観察した範囲内では、報道されていたようなロシアのイメージが見つからない。
というよりも、ロシアは全然普通の国ではないか。報道では大袈裟な部分だけ強調され過ぎているのではないだろうか。
それにニュースなどでは、何かが起きて混乱が発生しても、その時の報道はするが、その後のことは報じないことが多い。なので、大袈裟な事象だけが、ずっと記憶に残り続けてしまう。
実際に自分で見て歩くということは、「やっぱりそうだったんだ」と、きちんと事実を確かめられることもあれば、今回のように「あれ、違うぞ」と、ニュースなどで作られてしまった固定概念や思い込みを払拭する機会にもなる。
「百聞は一見に如かず」まさにその通り。やっぱり自分の目で見ることは、他には代えがたいものだ。
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