#11 旅の締めくくり
1997年12月、飛行機の乗り継ぎを利用して、極寒のモスクワ市内を半日ほど散策した時の旅行記です。(*全12ページ)
29、免税店
出国審査を終えると、空港内にある免税店に入り、バイト先や友人達のお土産を物色した。
長い休みをもらっているバイト先へは、お菓子の詰め合わせを買っておこう。シフト調整のために入ってくれた人も多いので、数が多いのがいい。
どれがいいかな・・・。せっかくロシアで買うのだから、あのロシアへ行って来たんだ・・・と、旅の土産話が弾むようなインパクトのあるものがいい。
あっ、このマトリョーシカ人形が描かれているウォッカ入りのチョコレート菓子がいい。アルコール度数が心配だが、これはなかなかインパクトがあって、きっと渡した時に話が弾むはず。
大学の講義の代返を頼んでいる友人は、九州男児らしくお酒が大好き。本場のウォッカにして、友人宅で旅の話をしながら飲み明かそう。
と、お酒売り場に行き、ウォッカのアルコール度数を見てビックリ。60%とか、70%とか普通にある。まるで消毒液ではないか・・・。これって、本当に人間が飲んでも大丈夫なのだろうか。
後は自分用、そして友人などに配るのにタバコを買っておこう。せっかく海外に来ているのだから外国産のタバコがいいとなるのだが、ここには聖ワシリイ大聖堂の写真がプリントされている日本のマイルドセブンが売られている。
この観光地の写真が入ったマイルドセブンは、日本人観光客が多く訪れる国の免税店で売られていて、中身や味が変わるわけではないけど、旅情緒が感じられ、コレクションしたくなってくる。
せっかくなのでこれにしよう。きっとみんな「テトリスタバコだ!」って喜ぶに違いない。
来年からは社会人。次に海外へ行くのは随分先のことになるだろう。この機会に自分の香水でも買っておこうかな・・・と香水が売られているブースを訪れた。
ショーウインドウを眺めていると、綺麗なロシア人のお姉さんが、「何かお探しですか?お手伝いは必要ですか?」と、お決まりの言葉を掛けてきた。
「香水を探しています。」と言うと、「奥さんにですか」と聞いてきた。
「違う」と答えると、今度は「婚約者にですか?」と聞いてきた。
展開から考えると、次は「ガールフレンドですか?」とか、姉や妹、母親って続きそう。そしてまた「婚約者」に戻り、エンドレスな展開になったりして・・・。
この販売員のお姉さんはきれいなんだけど、対応が面倒なのか、会話が形式的というか、表情に変化がない。言い方が悪いけど、まるで機械化人間、アンドロイドのよう。なので、会話もテープを流すようにエンドレスな感じで続いていくのでは・・・と思えるのだった。
そんな恐怖の展開になることはないと思うが、自分から「自分が使うもの探している。」と言うと、間髪入れずに「これなんかどうですか。今小ビンが付いていてお徳ですよ。」と言って商品を取り出した。
はっきり言って香水の事はよく分からない。この香水がどういう品なのか。どれくらいの立ち位置なのか、全くわからない。香りは悪くない感じがするが、ピッタリ自分の好みというわけではなかった。
愛用しているわけではないが、普段時々使っているカルバン・クラインの方がいいかな。ということで、「カルバン・クラインはありますか?」と聞くと、商品をすぐに出してくれた。
しかし、商品を手に取る間もなく、先に出した商品の説明が始まった。値段はカルバン・クラインよりも安い事を考えると、どうしてもこれを買って欲しい事情があるようだ。
そして10分後、どっちつかずの私は、まあいいか。こっちの方が安いし・・・。小瓶のおまけがついているし・・・と、その香水を買っていた。どうもロシアの綺麗なお姉さんの売り子は苦手だ・・・。
30、モスクワの日本食店
買い物はこれで十分だな。免税店を出て、自分の乗る便の搭乗ゲート前に行くと、さっき見かけた師範らしき人が一人で椅子に座っていた。同じ便で日本に向かうようだ。
それにしても・・・、目立つ。そして、やっぱりミヤギさんっぽく見える。一体何をやっている人だろう?体全体から発するオーラが半端ないから、やっぱり空手の有名な師範というのが一番しっくりくる。
いや、もしかしたらもっと凄い人だったりして・・・。確かめてみたい・・・。う~ん。ムラムラと好奇心がうずいてきた。
クレムリン宮殿では酋長らしき人に興味を持ったが、話しかけることとができなかった。その後悔の念がもたげてくる。しばらく日本語をしゃべっていないし、今回は日本語だ。頑張って声をかけてみるか。
近くの席に座り、思い切って話し掛けてみた。日常では怪しい人になってしまうが、異国の地では、特にこのような日本人が少ない場所では、日本語の通じる日本人に話しかけやすい。登山の時に挨拶をするような感覚だ。
「こんにちは。観光ですか?」と聞くと、「あ、どうも、こんにちは。日本人の方でしたか」と返ってきた。
今回の旅行では何度もこの言葉を聞いた。モロッコの民族衣装を着ているので、日本人から見ると東洋人までは分かるけど、日本人には見えないようだ。きっと日本人は日本人とはこういうものという固定観念が強いので、型にはまっていないと、他の国の人に見えてしまうのだろう。
それはさておき、話を聞くと、このおじさん、いっそのことミヤギさんと名付けよう。ミヤギさんは日本料理を教えにモスクワに来ていた。
なんだ。料理人なんだ・・・。というのは失礼な言い方だが、もっととんでもないことをやっているような雰囲気を感じていたので、ちょっとガッカリしてしまった。
でも、料理人と言われてみればそういう雰囲気を感じる・・・。というのはズルい言い方になるだろう。
でも体格がいいし、長髪というのは料理人らしくない。冗談で「最初見かけたとき空手の師範かと思いました。」と言うと、ミヤギさんは笑いながら「空手もやっていました。有段者です。」と言い、続けて「面白いことに、こっちの人は日本人はみんな空手をやっているように思っているんですよ。ロシアのマフィアも日本人の空手に一目置いているんですよ。」と教えてくれた。
やっぱり空手をやっていたんだ。我が目に狂いなし。旅行を通じて私も人を見る目ができてきたのかな。
疑問は晴れたものの、どうもロシアと日本料理ってイメージが重ならない。「ロシアで日本食は人気があるのですか?ロシア人の口に合うのですか?」と聞いてみた。
ミヤギさんが言うには、今はまだ日本食が高級料理だから、一部の上流階級の人しか来ないそうだ。でも日本食の料理店が少ないし、日本人の外交官や駐在員が接待などで連れて来てくれたりするので、けっこう繁盛しているとか。
ロシア人の口に合うかの問いには、日本食といえば寿司とか、刺身が知名度があって、人気になっているのかと思いきや、ロシア人は日常的によく加熱したものしか食べないので、生魚なんてもってのほか。興味本位で頼んだりはするけど、積極的に食べないそうだ。なので、頼んでみたものの口に合わなく、残す人も多いとか。
というより、ロシア人にとって生魚を食べる行為は結構衝撃的な事のようで、そんな非衛生的なものを食べたらお腹を壊すとか、なんて野蛮な・・・といった印象を持っているようだ。
で、どうやらロシアでは日本食は国民に認知されていなく、忍者とか、侍といった偏見に満ちたもので、日本人は魚を生で食べてしまえるような野蛮な民族と思っていたり、日本食はゲテモノ食いの類に思っている人も少なくないとか。なるほど・・・。今までにない見方で面白い。
私が赤の帝国とか、冷徹の国とロシアを恐れるのと同じような感じで、勝手な思い込みは偏見を生みやすい。普段当たり前のことが当たり前でないというのはこういうことを言うのだろう。
では、ロシア人は何を好むのですか?と聞くと、意外なことに煮魚だそうだ。特に味噌煮は評判がいいとか。
なんと、味噌煮がロシアで人気になっているのか・・・。予想外の答えにビックリした。しかし、ロシア人がサバの味噌煮を食べている様子は・・・、あまり想像できない。地味というか、あまりに普通過ぎて違和感の方が大きい。
でもこれは日本人が地中海などへ行き、魚のトマト煮などを興味をもって食べるのと一緒なのだろう。日本独自の味付けといった感じで、異国情緒とか、プチ海外旅行気分を浸るにはサバの味噌煮はもってこいなのかもしれない。そう考えると、サバの味噌煮が人気となっているのも納得できる。
なるほどな。とても貴重な話を聞けた。話しかけてよかった。それにしても、料理を教えにロシアにまで派遣されるとは、ミヤギさんは腕がよく、名のある料理人なんだろう。ただモノではないオーラをしているし。
そんな感じで言ってみると、今回は料理する人が足りなく、日本から日本食の調理指導ができる専門のコックを送ってくれ!と頼まれて、たまたまミヤギさんが派遣されたとか。照れながらそんなに偉い立場ではありませんと笑っていた。
なるほど。そういった事情だったんだ。ということは、さっき見かけた連れの人はレストランの人なんだな。聞くと、見ていたのですかと照れながら、「そうだ」との返事。
モスクワでロシア人が日本料理を作っている様子も、味噌煮を食べているのと同じようにあまり想像ができないが、これも日本人が日本でピザとか、フレンチを作っているのと同じことなのだろう。
好きで見ていたグルメアニメの「美味しんぼ」では、外国人のシェフが日本料理にあこがれて修行するものの、仕事が細かすぎて、途中で仕事を投げ出すような場面が多く出てくる。
何かそういった印象が頭にあり、冗談半分で、「ロシア人の仕事ぶりはどうですか?」と聞いてみると、「ぜんぜん彼らにはやる気が見られない。サボることしか考えていないから大変です。」と少し憤然として言っていた。
ははは。あまりにも予想通りの答えが返ってくると、返答に困ってしまう。まあ、きっとこの店だけの話だろう。まだロシアでは日本料理がよく知られていないわけで、求人に恵まれなかっただけかもしれないし・・・。
「私も中華料理屋で4年、パン屋でもバイトしていたことがあるので料理は得意だ。」などと言うと、「もし興味があったら電話して下さい。」と、すかさず名刺を取り出し、渡してきた。
どうやら繁盛しすぎて人手が足りないらしい。旅好きなので海外での勤務には抵抗はないけど、正直なところ、モスクワは寒すぎる。こんな寒いとこでは働きたくないな・・・。南国ならちょっと考えてもいいけど。
一応名刺を受け取ったものの、ミヤギさんの店は名古屋だったし、いい返事はできそうになさそうだ。
31、日本人団体客
その後、ミヤギさんはちょっと失礼と言って、免税店の方に向かった。何か買い忘れがあったみたいだ。
ミヤギさんが去った後、日記でも書こうかなと思いノートを取り出すと、今度は日本人のツアーの団体がやってきて、すぐ横の椅子にドドッと座った。
客層は年配の人ばかり。おじさん、おばさんと呼ぶべきか、おじいちゃん、おばあちゃんと呼ぶべきか、人によって判断が分かれる年代の集団だった。
てっきり同じ飛行機に乗って帰国するものだと思っていたのだが、聞こえてくる会話などの雰囲気から察するに、ちょっと前にモスクワに到着し、これからモスクワ経由でどこかへ行くようだ。
どこへ行くのだろう。年寄りの集団なので、冥土の土産に・・・って言ちゃ悪いけど、イギリスとかフランスにでも記念に行くのかな。
最近のヨーロッパ行きの格安ツアーは飛行機代の安いロシア経由が多い。私もモロッコ行きの一番安い航空券を選んでここにいるわけで、手間がかかるけど時間が許すなら、この安さは魅力だ。
でもどこに行くのだろう。なんか今日は話しかけると気分がいい。そういう巡り合わせの日なのかもしれない。よし、聞いてみるか。
すぐ隣に座ったおばあちゃんに、「こんにちは、これからどこへ行くのですか?」と尋ねてみると、思いもよらない返事が返ってきた。
「あっ、こんにちは、日本人なんですね。今からトルコに行くのですよ。」
え~~~、トルコ。想像していなかった返事にビックリした。な、なんて元気な老人たちだ。話す顔も生き生きとしている。
「トルコとは珍しいですね。てっきりヨーロッパの国に行くのだと思いました。」と私が言うと、「いや~この年になると色々見て歩きたくてね。思い切って異国情緒のある国にしたんですよ。それにシーズンオフみたいで、意外と安かったのですよ。」との返事。
いくらシーズンオフで安かったとしても、この年になってトルコに行こうとすること自体が凄い。普通はヨーロッパの町並みとか、世界遺産のなんちゃら城を見たいとかになるはず。
私がトルコには昨年行った事があり、それなりに詳しいと話すと、「トルコは治安はまずまずいいみたいだけど、バスが怖いらしいですね。そんなに頻繁に事故があるのですか?」と尋ねてきた。
感心な事によく調べているようだ。「トルコのバスはよく飛ばすので時々事故があって、ひどい時にはバス同士でぶつかって大惨事になっています。」と正直に言った。
実際に私が訪れていた昨年の夏も、バス同士がぶつかるといった大きな事故があり、40人も死亡するといった大惨事となり、オリンピック期間中だというのに、連日、新聞やテレビでそのニュースが大きく報じられていた。その悲惨なバス事故の映像や写真ばかり目にするものだから、バスに乗るのが怖くなったほどだ。
この事故以外にも何度か新聞やテレビで、バスに関わる事故が報じられているのも目にした。本当にバスの事故が多い国といった印象だし、トルコでも社会問題となっている。
「でもそれは一般のバスのことで、ツアーの専用バスは比較的安全なはずです。」とも付け加えた。ツアーのバスは時間に追われていないので、事故が少ない。それもよく知られていることだ。
その後、簡単なトルコ語をレクチャーしてあげていたら添乗員の人の「皆さん行きますよ。」との声がかかった。「良い旅行を」「色々と教えてくれてありがとう。」と言い、おばあさんと別れた。
それにしても見た目は老人の集団といった感じだが、潜在するパワーは高校生の修学旅行に匹敵しているように感じる。
「旅は若返る泉だ。」とアンデルセンが言っていたが、まさにそんな感じがする人達だった。
32、さらばモスクワ
おばさんたちの集団が去ってからしばらくすると、ミヤギさんが戻ってきた。顔は満面の笑みを浮かべている。なにやらうれしそうだ。
私が話しかける前に、「上質のキャビアが安く手に入りました。」と言ってきた。よほどうれしかったようだ。価値が分かるところはさすがは料理人ってやつだな。
「そんなにいいものなんですか」と聞くと、「これが日本だったらいくらするのですが、こっちだといくらでした。」と説明してくれたが、キャビアのことなどさっぱりわからない。そもそも食べたことがない。
でも「それは良い買い物ができましたね。さすがは料理人ですね。」と相槌を打つと、また一段とうれしそうな顔になった。
その顔を見ると、私も買おうかなと一瞬思ってしまったが、さっき香水を買ってしまったし、もう無駄遣いはよそう・・・。
というより、聞いたら結構いい値段がしていて、ちょっとお試しにという金額ではなかった。きっと卵の持ち腐れ。いや、宝の持ち腐れになってしまうだろう。
その後ミヤギさんと少し話をしていたら、搭乗ゲートが開けられ、機内へ案内が始まった。
ミヤギさんはビジネスクラスなので、ここでお別れ。「お話ができて楽しかったです。気が変わってロシアで働きたくなったら連絡します。」と言い、エコノミークラスの搭乗口に向かった。
今回の旅行もこれで終わりだ。座席に付いて一息つくと、モロッコの旅、そしてモスクワでの散策と色々な思い出が頭をよぎった。
感慨にふけっていると、飛行機は動き出し、滑走路に向けてゆっくりと移動し始めた。窓の外は滑走路の誘導灯が光っているだけで真っ暗。窓には自分の顔がはっきりと映っていた。
色々うまくいかなくて衝動的に日本を飛び出てしまったが、少しはましになっただろうか?
もう一度窓に映った自分の顔を見ると、そこには出発前よりも引き締まった自分の顔があった。
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