第1章 はじまりの虫歯
#1-1 プロローグ
1996年12月頃
歯をあまり磨かない生活を送っていた私に、ひたひたと虫歯の影が忍び寄ってきました。(*第1章は全13ページ)
1、プロローグ

(*イラスト:みこさん 【イラストAC】)
時は西暦1996年。私が大学の三年生に在学している時から、壮大な歯医者日記が始まる。
季節は冷たい北風が吹く12月。彼女がいないので、北風が身に沁みて堪らないのだが、それは本筋と関係ないことだ。
ここのところ冷たい北風が色々と刺激するのか、どうも奥歯に違和感を感じる。頻繁に、というわけではないが、奥歯の辺りにジーンするような感触があり、時としてむず痒さや、ちょっとした痛みを伴うこともあった。
生活に支障をきたすほどのことではないけど、もしかしてこの不快感は・・・・・、虫歯ってやつなのか。

(*イラスト:ランブリングマンさん 【イラストAC】)
心配になって指で確かめてみると、右上の一番奥の歯が違和感の原因となっているように感じる。
洗面所の鏡の前に行き、指で大きく口を広げ、その奥歯を確認しようと試みるものの、上の一番奥の歯なのでよく見えない。
まあいいか。きっと大したことではないだろう・・・。いやいや、気になる。ちゃんと確かめておこう。
少し頭を使い、合わせ鏡の術。小さな手鏡を持ってきて、ちょっと汚いけど口に突っ込んで奥歯を見てみるものの、特に異常を見つけられなかった。
虫歯じゃないのかな・・・。単に歯茎が炎症しているだけだとか・・・。それとも見えない歯と歯の間が虫歯になっていたりするのだろうか・・・。
鏡の前で考え込むものの、ちゃんとした歯の知識を持ち合わせていないので、いくら考えても結論が出なかった。

(*イラスト:ばにぼんさん 【イラストAC】)
思い当たる節ならある。実は、自分は虫歯になりにくい体質だ。虫歯になるはずがない。そう信じ、あまり熱心に歯を磨いていなかった。
しかも、大学に入ってからは虫歯とは無縁の生活をしていたので、虫歯なんて怖くない・・・といった大学生特有の怖いものなしの境地から、ここ一年ぐらいは今まで以上に歯を磨いていなかったように思う。
ちゃんと歯を磨いていても、虫歯になってしまう人もいるぐらいだ。今までの歯磨き習慣を考えると、虫歯になっていてもおかしくない。
なんせ相手は人類が誕生して以来、ずっと人々を悩まし続けている厄介な病原菌。言うなればゴキブリのようなやつだ。気が付かないうちに、ホイホイと侵入してきたのかもしれない。

(*イラスト:K-factoryさん 【イラストAC】)
もし虫歯ということなら、歯医者へ行かなければならないけど・・・、行くのは嫌だな。歯医者という言葉からは、歯を削ったり、治療が激痛とか、嫌なイメージしか頭に浮かんでこない。
更には、歯を磨かなかったという後ろめたさが心にブレーキをかけ、強烈な拒絶反応を起こしてくる。なんとか行かなくても済む方法はないものだろうか。
今まで歯磨きをサボっていたので、今までの分を挽回するように時間をかけてゴシゴシと磨くとか、薬局に行って虫歯薬を買ってきて飲むとか、或いは風邪の時のように安静にして寝て治すとか、色々と自分で治す方法を考えてみたが、どうも虫歯というものは自然に治癒しないようだ。
乳歯の時のように、抜けても次が生えてくるのなら、思い切って抜いてしまうというのも手だが、大人の歯は抜けてしまうと生え変わってこないようなので、これも駄目だ。って、自分で痛い思いをして歯を抜くのなら、歯医者に行って麻酔をして治療してもらったほうがいいな・・・。
とまあ、あれこれと歯医者に行かない方法を考えるものの、どうにも歯医者へ行くしか選択肢がなさそうだ。

(*イラスト:こみみさん 【イラストAC】)
歯医者か・・・。やっぱり行きたくないな・・・。ささやかなことでもいいから、歯医者へ行きたくなるような楽しさとか、ワクワクする要素はないだろうか。
旅を計画する時のような感じで、歯医者への旅路を頭の中でイメージしてみるものの、ワクワクすることが一つも浮かんでこない。
でも何か一つぐらい楽しみがあるはず。更に一生懸命考えてみるのだが、やっぱり思い浮かんでこない。というより、考えれば考えるほど行きたくなくなってくる。まるで説教されるために職員室に向かう時のような心境だ。
やっぱり歯医者へ行きたくないな・・・。とりあえず歯磨きをおろそかにし過ぎていた。それは確かだ。これからは毎日しっかりと歯を磨こう。虫歯じゃないかもしれないし、この違和感も改善されるかもしれない。
と、先送りとか、棚上げという言葉が大好きな性格をしているので、歯医者に行かない選択を選んでしまった。

人生を後で振り返った時に、「あの時に・・・」と思うことが度々ある。あの時朝寝坊しなければ、事故に遭わなかったに・・・。あの時風邪をひかなければ、違う高校へ行っていたかも・・・。とまあ色々ある。
この時もまさに「あの時に」に当たるのだが、まだまだ若く、人生経験や歯に関する知識がなかった私は、そんなことを知る由もなかった。

(*イラスト:johanさん 【イラストAC】)
もし、「歯医者へ行った方がいいよ」と言ってくれる気の利いた彼女がいれば、北風が身に沁みることがなければ、この大河ドラマのような長い歯医者日記をつづることもなかっただろう。
後から振り返ると、しみじみとそう思ってしまうのだが、いなかったものはしょうがない。仮にいたとしても、私のことだからのぼせあがって何も変わらなかったかもしれない。まあ人生の巡り合わせとはそういうものだ。
第1章 はじまりの虫歯
#1-1 プロローグ #1-2 奥歯に穴が開いた! につづく