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旅人の歯医者日記

第2章 折れてしまった前歯
#2-10 念入りな型取り

1999年5~6月

差し歯をつくるための型取りは、苦痛に感じるほど念入りなものでした。(*第2章は全19ページ)

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27、念入りな型取り

震えるイメージ(*イラスト:サウナ猫さん)

(*イラスト:サウナ猫さん 【イラストAC】

差し歯の素材の説明を受けた次の診察で、「セラミックにします・・・」と、金額が金額だけに少し震えるような声で先生に伝えると、「そうですか。そのほうがいいですよ。」と、笑顔で言われ、治療が始まった。

差し歯を刺す土台はもう完成しているので、早速、セラミックの差し歯を作るための型取りを・・・。とはならない。土台を削ったのは、かれこれ3か月も前。その後は削った部分に被せ物をせずに過ごしているので、歯の表面に食べ物や唾液などの汚れが付いてしまっている。

この状態で差し歯を取り付けると、差し歯内部で虫歯になったり、炎症が起きたりと、問題が生じてしまう可能性が高い。まずは土台部分の表面を研磨して、きれいな状態に仕上げていくとのことだ。

歯科治療のイメージ(*イラスト:ACworksさん)

(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】

診察椅子のリクライニングが倒れると、先生は前歯の状態を確認してから、前歯の生え際に麻酔を打った。相変わらず前歯への麻酔は痛いが、我慢我慢。きっとこれが最後の麻酔になるだろう。

麻酔が効いたら、土台部分をドリルで少し削って整え、最後に表面の研磨を行い、土台の最終仕上げが終わった。

歯の型取りのイメージ(*イラスト:浅水シマさん)

(*イラスト:浅水シマさん 【イラストAC】

続いて型取り。型取りは歯科衛生士の担当になる。ピンク色の粘土みたいなものをこねくり、つきたてのお餅ぐらいプニプニになったらU字の金型にべったりと塗りつける。その塗りつけた金型を口の中に入れ、噛んだ状態で型が固まるまで待つといった流れになる。

歯を削った部分に金属の詰め物をする場合、必ずこの型取りを行う。出来上がった型から石膏の歯型を作り、それを利用して金属の詰め物を歯科技工士の人が製作していく。今まで何度となく型取りをしてきたので、いつものやつね・・・となるのだが、今回はちょっと様子が違った。

型取りを始める前に先生が、「前歯は一番前にあり、物をかみ切ったりするのに、とても重要な役割をしています。それだけではなく、一番目立つ場所にあるので、見た目も大事です。だから歯型やかみ合わせにきちんと合う前歯を作らなければなりません。しかも今回は前歯を二本同時に製作するので、通常よりも精巧さが求められます。少ししんどいかもしれませんが、万全を期すために前歯の部分の型だけではなく、口全体の型取りも入念に行います。」と、言ってきた。

歯並びのイメージ(*イラスト:えーしーさん)

(*イラスト:えーしーさん 【イラストAC】

それは、もっともなことだ。かみ合わせの悪い前歯が出来上がってしまい、使っているうちに差し歯が欠けてしまったり、取れてしまったりしたら、シャレにならない。高いお金を払って、見た目の印象が悪くなってしまうと、泣けてくる。ぜひ入念にやって、いい差し歯を作ってもらいたい。

それに、以前、出来上がった銀歯がうまくはまらなかったことがあった。その時は、再び型取りをして、一週間後にまた歯医者にやって来てと、二度手間になってしまった。それを考えると、少々手間がかかっても、少々しんどくても、一回で終わった方が断然いい。

長い経過観察を経て、ようやく差し歯を刺す段階まで治療が進んだのだ。ここでつまづき、治療期間が延びてしまうと、気持ちが萎えてしまう。願わくば、型取りを一回で済ませ、一気に差し歯の取り付けまで進みたいものだ。

28、型取り地獄

歯の型取りのイメージ(*イラスト:改築工房さん)

(*イラスト:改築工房さん 歯科素材.COM

担当する女性の歯科衛生士の準備が整い、一回目の型取りが始まった。型取り自体は、口の中に型を入れて、型がしっかりと固まるまでの間、動かずにじっとしているだけ。気合を入れたり、痛さを我慢する場面はない。

傍から見ると、美容室で髪を染めたり、カールさせる時の待ち時間と同じで、気楽な治療だと感じるかもしれないが、決して楽な治療ではない。

美容室で待つイメージ(*イラスト:いちずさん)

(*イラスト:いちずさん 【イラストAC】

喉の奥の方まで金型を突っ込まれるので、圧迫感があってむせかえりそうになるし、口の中に大きなものが入った状態で待機するのは、かなり息苦しさを感じる。

それに、そこまで香りは強くないが、口の中に不快なゴムのような風味が漂うので、あまり気持ちのいいものではない。と、口の中が不快感満点な状態で時間を過ごさなければならない。

でもまあ、気絶するような麻酔を打ったり、口を大きく開けて歯をガリガリと削ったりすることに比べれば、このぐらいは何てことはない。楽しいことでも想像して過ごせばいい。

前歯が折れてからというもの、冷たいビールなどで前歯の神経を刺激するとよくないので、お酒を飲むのを極力控えている。前歯が復活してからの楽しみは、友人などと居酒屋で祝杯を上げること。その場面でも想像しながら、型が固まるのを待つとしよう。

乾杯するイメージ(*イラスト:amiyaoさん)

(*イラスト:amiyaoさん 【イラストAC】

ってことで、最近増えてきたタイ料理店で飲み会をするのもいいな・・・。タイ料理をつまみにシンハービールを飲むと、会話も弾むだろうな・・・。などと、頭の中で飲み会のことを思い描きながら、二回目の型取りまでは耐えた。

だが、三回目になると、もう勘弁して・・・と、泣き言を言いたくなってきた。たかが型取りで・・・。情けない。と思うかもしれないが、今回の型取りは、自分が想定していた以上に過酷だったのだ。

その理由は、型取りの回数が多いこと。時間をかけて悠長に型取りを行っていては、次の時間帯の患者に影響が出るし、用意した他の型も固まってしまう。歯医者側としては、てきぱきと早く済ませてしまいたいというのが、本音になる。

それに担当する歯科衛生士だって、型が固まるまでずっと私の傍に待機しているほど暇ではない。先生の補助をしたり、他にも色々と仕事がある。

タイマーはなるイメージ(*イラスト:T.Hさん)

(*イラスト:T.Hさん 【イラストAC】

なので、タイマーのアラームが鳴ると、すぐに歯科衛生士が駆けつけてきて、固まった型を口から出す。そして入れ替わりに「次はこれです」と、次の型を否応なく口に突っ込まれるのだ。一呼吸置く時間がないので、むせかえりそうになる。

学生時代は飲食店でアルバイトをしていたので、タイマーの時間を計って、別の料理を作ったりと、てきぱきと作業することには慣れている。だから作業をする側の事情もよくわかるのだが、電子レンジやオーブンで温められる料理と違って、私は感情のある生き物。こっちにも呼吸の間合いというものがある。

着せ替え人形じゃないので、無理やりのようにやられると、呼吸が苦しくなったり、気分が悪くなったりするのだ。

気分が悪くなるイメージ(*イラスト:ぺいははさん)

(*イラスト:ぺいははさん 【イラストAC】

3回目が終わり、4回目が始まると、さすがに気分が悪くなってきた。型を咥えている間に、何度も「うっ」とむせ返りそうになるし、口の中はゴムっぽい香りが充満して、吐き気もしてくる。

口全体のもの、上顎だけのものを二度ずつ取っている。さすがにこれで終わりだろう。4回目のタイマーが鳴ると、これで終わったのでは・・・と期待したのだが、無情にも、歯科衛生士は新たな型を手にしてやってきた。

まだあるのかよ・・・。げんなりしながら4回目の型を口から取り出してもらうと、女性は申し訳なさそうに「これが最後です。」と、青ざめた顔の私に5回目の型を突っ込んだ。

拒絶反応のイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

もう嫌だ~。吐きそう~。と、強い拒否反応が起きるが、幸いなことに、最後の型は前歯だけの部分的なものだった。これなら小さいので、呼吸が楽だし、何とか我慢できそうだ。

涙目になりながら最後の型取りを耐えていると、タイマーの音が鳴った。やった~。やっと終わった・・・。と、安堵。型取りも5回も連続してやると、拷問のような治療に感じる・・・。しばらくはタイマーの音が聞こえると、身体が硬直してしまいそう・・・。

29、型取りが終わった後

女性の歯科衛生士のイメージ(*イラスト:猫島商会さん)

(*イラスト:猫島商会さん 【イラストAC】

最後の型が口から取り出されると、全5回にも渡った型取りが終了。担当した女性の歯科衛生士は、「お疲れさまでした。これで終了です。うがいをしてください。」と告げ、取り出した型を持ってバックルームへ入っていった。

ようやく口直しができる。すぐに水場でうがいをした。気持ち悪かった口の中のゴム臭は、何度かうがいをすると、緩和した。ただ、新たな問題が起きていた。

口の中にぺたぺたと大量の型取りのカスが引っ付いているようで、もの凄く口の中に違和感を感じる。まるで全部の歯の間にキャラメルが付いているような不快感で、気になってしょうがない。

取れろ!と、更に何度も強めにうがいをするのだが、全く取れる気配がない。完全に歯や歯茎に引っ付いてしまっているようだ。

うがいするイメージ(*イラスト:ACworksさん)

(*イラスト:ACworksさん 【イラストAC】

顔の口の周りにも引っ付いているようで、口を動かすと口の周りに違和感を感じる。手で触ってみると、ぶちぶちとたくさんついているようだ。

大量のご飯粒が付いているような感じで、きっとみっともない状態なのだろうな・・・。仕方ないな。手で拭うように取ろうとするものの、ほとんど取れない。医療用の型取りに使われるだけあって、粘着力がもの凄く強いようだ。

こりゃまいったな。シールを剥がすように一つ一つ取っていくしかないか・・・。と、口回りの引っ付いているカスを引きはがしていくのだが、鏡のない状態では、正確にどこについているのかわからないので、苦労する。ほんと、今回の型取りは苦労が多い。

女性の歯科衛生士のイメージ(*イラスト:猫島商会さん)

(*イラスト:猫島商会さん 【イラストAC】

なかなか取れない・・・。イライラする・・・。悪戦苦闘していると、歯科衛生士の人が戻ってきて、口の周りにご飯粒のように引っ付いているのを、一つ一つ取ってくれた。

「あ、あ、ありがとうございます・・・」これは何気に照れ臭い・・・。というか、とても照れ臭い。治療とはいえ、普通に生きていて、恋人でもない若い女性に顔の周りに付いている物を取ってもらうような場面ってまずない。

思いがけず訪れたどっきりな展開に照れまくって歯科衛生士の女性を直視できない・・・。きっと私の目は太平洋を横断するぐらい泳ぎっぱなしだったことだろう・・・。

口の周りが終わると、口の中。歯の間に入りこんだものとかは、歯石を取るときに使う針のような器具でカリカリと取ってもらうのだが、診察椅子を起こした状態でやるものだから、顔が近く、これまた照れ臭い。

照れて赤面する様子のイメージ(*イラスト:ウィスパさん)

(*イラスト:ウィスパさん 【イラストAC】

やばい。頭に血が上りそうだ・・・。5回分だから付着物も多いよな・・・。5回も耐えたご褒美ってことになるのか・・・。頑張ってよかった・・・。

口の中の粘土カスを取ってもらった後は、改めてうがいをした。ちょっと頭がのぼせていたのもあるが、何も考えず捨て場にペッと吐き出すと、ピンク色のゼリー状のものが沢山混じっていて、「うげっ、なんじゃこれ~~」と、血の気が引いた。

強烈に驚くイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

これがすごく気持ち悪いのだ。何か得体のしれない病気になって、得体のしれないアメーバ菌が身体から出てきたような感じ。おかげで、のぼせあがっていた頭が一気に覚めてしまった・・・。

それにしても、今回は随分と念入りな型取りだったな・・・。ここまで念入りにやる必要はあるのかな。過剰過ぎるんじゃないの。さすがにしんど過ぎる。

値段が高いだけに、失敗すると歯医者が大損を被る事になるからかな・・・。いや、まてよ・・・。そういえば、昔、奥歯の差し歯を作った時、途中で型がずれてしまったのか、出来上がった型が合わなかったっけな。

で、結局、もう一回型取りをやり直す羽目になってしまった。あの時は私が診察椅子で不用意に寝てしまったのが、原因だったな・・・。もしかしてそれを覚えているのだろうか。

回想するイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

実はカルテに、「型取り要注意人物!」なんて書かれていたりして・・・。で、普通の人よりも一回分余計にやらされたとか・・・。あまりの回数の多さに疑念がもたげてくるが、きっとこういうものに違いない・・・ということにしておこう。回数が多い分、いい思いでもあったことだし・・・。

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型取りが終わると、差し歯を取り付ける日まで土台部分が汚れてはいけないということで、前歯の部分を覆うようにパテで簡単な前歯を作ってもらった。ちょっといびつな感じの前歯だったが、久しぶりに前歯が復活。前唇に歯が当たる感触がうれしい。

仮の前歯が復活したイメージ(*イラスト:acworksさん)

(*イラスト:acworksさん 【イラストAC】

これで前歯が使える。きっと食事もおいしく感じるのだろうな・・・。真っ先にそう頭に浮かんだのだが、頭の中を見透かされたように、「これは仮のものです。取れたり、変な力が加わって神経を傷めるといけませんので、食事の時にはなるべく使わないでください。差し歯を取り付けるまでの辛抱です。」と、先生が一言付け加えた。

なんだ・・・。残念。でも、前歯があるべき場所にあることがうれしくてしょうがない。歯医者からの帰り道も、前歯がある感触がうれしく、何もしないでもニタニタと笑みがこぼれてくる。

やっぱり前歯があるっていいな・・・。気分爽快だな・・・。あまりのうれしさに、歩みが自然とスキップになっていた。

スキップするイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

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