旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 Page3

ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。

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4、突然訪れた旅人引退危機・前編(2003年3月上旬)

冒険のイメージ(*イラスト:Utaasakoさん)

(*イラスト:Utaasakoさん 【イラストAC】

私は小学生のころから、旅や冒険、探検、そして海外などということに凄く憧れていた。一番好きだったのは映画のドラえもん。毎年公開される新作をワクワクしながら見ていたものだ。

その他にも、毎週日曜日の夜8時に放映されていたアニメ世界名作劇場のトム・ソーヤーの冒険や、NHKのニルスのふしぎな旅を夢中になって見ていたし、世界を股に掛ける大泥棒、ルパン三世(2nd)も好きなアニメだった。

旅番組も好きで、海外を扱う番組は「いつか行ってみたい」と思いながら画面を食い入るように見ていた。特に毎週日曜日の朝に放映されていた「兼高かおる世界の旅」はお気に入りの番組となっていた。

秘密基地のイメージ(*イラスト:たかはすさん)

(*イラスト:たかはすさん 【イラストAC】

旅や冒険が好きな小学生ではあったが、行動範囲の狭い小学生に実践出来ることはあまりない。だからといって、指をくわえてテレビを見ているだけ・・・とはならないのが、好奇心旺盛な性格をしている私。

そこそこ田舎に暮らしていたので、周囲には探検できる場所は比較的あった。気分はトムソーヤ!といった感じで、近所を探検したり、秘密基地を作ったりもしたのだが、田畑はもちろんだが、入っても問題なさそうに思える空き地にしても、林にしてもちゃんと所有者がいたりする。

その区別が小学生の私に分かるはずもなく、勝手に侵入しては怒られることの繰り返し。アニメのようなカッコよく、ワクワクするような冒険は、身近にそうそうあるものではなかった。

松江駅での特急おきを撮影する写真
松江駅にて

小学校高学年のクラス替えで、つよし君と同じクラスになった。つよし君は鉄道が好きな少年だった。そして私も鉄道に興味があった。田舎に暮らしていると、旅を感じられる数少ない存在だったからだ。特に県をまたいで長距離を走る特急列車や、異世界とも感じられる大都会東京と繋がっている寝台列車に強く憧れていた。

つよし君は鉄道の写真を撮るのが好きだった。その影響で、時々一緒に自転車で松江駅などに行き、一緒に写真を撮ったりするようになった。

ちょうどこの頃は国鉄末期。まだまだ鉄道輸送の需要も多く、田舎の駅でも活気があった。鉄道も好きだったが、長距離列車が到着する度に様々な思いを抱え人々が乗り降りする駅の様子、いわゆる旅情も好きな少年だったように思う。

松江駅の寝台列車出雲号の写真
東京行きの寝台列車出雲号

ちなみに、この頃はまだフィルムを使って写真を撮っていた時代になる。しかも安いクリーニング屋の現像といったものもなく、フィルム代や現像代はそこそこいい値段がしていた。なので、小学生が手軽にできる趣味ではなく、旅行後の余ったコマに便乗したり、親に頼み込まないとダメだった。

カメラに関しても、我が家にあったのは手動式のマニュアルカメラだった。今のカメラは全部カメラが自動で行ってくれるので、誰でもシャッターを押すだけでそれなりの写真を撮ることができ、普通の写真を撮る分には特に難しい技術や知識は必要としない。

フィルムの装填の写真
フィルムの装填

しかし、マニュアルカメラだと、そうはいかない。まずカメラにフィルムを入れることから始まる。これがちゃんとできていないと、全ての写真が撮れていないといった大惨事になってしまう。

写真を撮る際も、撮影前にフィルムを巻いてコマを送り、ファインダーを見ながら露出を決め、写したいものへレンズを回してピントを合わせる。そして手ぶれしないようにシャッターを押す。どの作業も重要で、適当に撮ってもピントが合っていなかったり、露出が合っていないと、真っ白、或いは真っ黒な写真になってしまう。

小学生が使うには操作が難しいし、カメラ自体も重いしと、写真を撮るのにはなかなか苦労した。でも、ちゃんとした写真、といっても小学生にとっては傾いていようが、構図とかはどうでもいいこと。ちゃんとピントがあって、お目当ての電車が写った写真が撮れたときの喜びはなかなかのもので、現像から上がってきた写真を見て一喜一憂していたものだ。

家族旅行の写真 足摺岬海底館
足摺岬海底館

我が家の両親は比較的旅行が好きだったので、家族旅行に出かけることが多かった。また、祖父母の家も他県や県内の遠方にあったので、夏冬の長い休みには長距離を移動することも多かった。

学校が休みに入ると、「親なんかほっといて早く来なさい」と、祖母が言うので、妹を連れて子供だけで県境をまたいで移動することもあり、同年代の子供の中でも旅をしている子供ではあったと思う。

でも、それは本当の意味での旅とは言えない。家族に連れられての旅は旅行だし、祖父母の家に長距離バスに乗って移動するというのも、単なる長距離移動。学校や町内会の団体旅行と同じで、自分の自由な意思で行う旅とはちょっと趣旨が違う。

米子駅で停車中の国鉄車両の写真
米子駅で停車中のおさかな列車の写真
米子駅にて

自分の人生を振り返り、私の旅の原点は・・・と自問すると、つよし君と二人で鉄道に乗り、山陰地方の鉄道の中枢、米子駅まで写真を撮りに出かけたことが、真っ先に思い浮かぶ。

弁当持参で朝出かけ、夕方に帰ってくるといった小さな日帰りの旅ではあったが、自分たちで計画し、自分たちだけ鉄道に乗って生活圏外へ移動し、旅の目的を完遂する。一片のよどみもなく、自由な意思で旅をしたのは、この時が初めてだったと記憶している。

岡山車両基地で展示車両の写真
岡山車両基地にて

中学生になると、国鉄は民営化されJRとなった。社会的に大きな出来事になるのだが、私には列車に大きくJRのマークが入ったぐらいしか違いを感じなかった。

それよりも運賃が子供料金から大人料金になった影響の方が大きかった。たいして外観も、中身も変わっていないのに、中学生になったとたん今までの倍払わなければならない。お小遣いで入場券などを買っていたので、これが結構痛く、不満に感じることが多かった。

大人料金を払うのだから、もう大人の仲間入り。だったら一人で遠出しても、何ら問題はないだろう・・・というのは、子供の屁理屈。でも、ちゃんと時刻表を読めたし、冒険が好きな少年だったので、一人で鉄道に乗って移動することに怖さとか、抵抗はなかった。

ちょうど瀬戸大橋が開通したので、広島の祖母に小遣いをもらい、岡山まで一人で遠征するなど、親の心配をよそに、中学生になってから行動範囲が中国地方全般に広がっていった。

階段を登るイメージ(*イラスト:うぐいすさん)

(*イラスト:うぐいすさん 【イラストAC】

中学を卒業すると、当たり前のように自転車で通える県立高校へ行って、大学は地元の島根大学・・・、いや、祖母の家がある中国地方で一番大きな広島の大学っていう方がいいな。一人暮らしもしてみたいし・・・。

或いは、もっと勉強を頑張って東京の名が知れた大学とか、逆に自然豊かな沖縄とか、北海道の大学というのも面白いかもしれない。そんな感じで、ブレ幅の少ない一本道を、階段を登るかのように人生を歩んでいくものと思っていたのだが、急に状況が変わってしまった。

なんと高校からは会社勤めの父親の転勤に伴い、今まで憧れとか、恐怖とか、様々な印象を持っていた大都会、東京で暮らすことになってしまった。ほんと、人生って突然何が起こるかわからないものである。

東京のイメージ(*イラスト:さっきさん)

(*イラスト:さっきさん 【イラストAC】

実際に東京で暮らしてみると、まず人間の大さにビックリ。そして家や車の多さにもビックリ。空気の悪さにもビックリ・・・、いや、辟易。あまりの環境の違いに戸惑うことばかりだった。

何より驚いたのが、田舎と違って色んな考え方をする人がいること。生き方も色々。価値観も色々。周囲から角が立たないようにと、世間体ばかり気にしなくてもいいんだ。自由に生きていいんだ・・・と、今までの価値観がベルリンの壁のごとく崩れ、目の前が開けたような感覚になる。(*昨年の秋に壊され、当時はこういう言い方が流行っていた)

もし、ずっと同じ田舎で暮らしていたら、今まで通りに部活して、普通の学校生活を送っていただろう。その後も堅実に生き、こんなに旅をする人間になっていなかったのでは・・・。

今振り返ってみると、この東京への転勤が自分らしく生きること、すなわち周りを気にせずに自由に旅をすることに気づかせてくれ、自分の旅の可能性を大きく広げる大きなキッカケになったように思う。

青春18きっぷの写真
青春18きっぷ

(*写真:ジョーナカさん)

その高校に入った最初の夏休み。行動するにしてもお金がいる。ということで、お中元の配達のバイトし、そのお金で青春18きっぷを購入した。そして一人で大垣行き夜行列車に乗り、広島に向けて各駅停車の旅を行った。自分で稼いで行った最初の旅になる。

行動範囲が西日本から東日本と広がり、旅のスケールも大きくなった。旅は日常圏からの脱出。すなわち脱日常。遠くへ行けば行くほど非日常度が増し、旅の実感や満足度も上がるというもの。素直な高校生の感覚だと、殊更そう感じる。

鉄道の旅のイメージ(*イラスト:mikenopop-designさん)

(*イラスト:mikenopop-designさん 【イラストAC】

この各駅停車の旅で自信が付いた私は、線路でつながっている場所ならどこでも行くことができる。このままステップアップして、高校在学中に日本を制覇だ!と、日本地図と時刻表を見ながら夢はどんどんと膨らんでいくのだが、高校生が一人で宿泊することは、金銭的、社会的に敷居が高い。親戚や友人の家を拠点にするのが、現実的な選択肢となってしまう。

頭の中では無限に夢は広がるものの、実際の旅はまだまだレースの上を走る列車のような旅でしかなかった。

ちなみに好きだった鉄道写真の方は、東京のあまりの鉄道の多さに希少性を感じなくなり、また切りがないというか、お小遣いを叩いて写真を撮るのがバカバカしくなり、写真を撮ることはやめてしまった。

大学生のイメージ(*イラスト:うみの丘デザインさん)

(*イラスト:うみの丘デザインさん 【イラストAC】

大学生になってみると、劇的に環境が変わった。未成年ではなくなったし、大学生というきちんとした社会的立場が手に入ったので、社会的信用が格段に上がった。

何をするにしても、お金さえあれば自分の意見が通るし、とがめられることもない。高校生までは旅をするにしても、色々と制約が多かったので、この自由な状況には、ただただ感動。

また、時間的にも、金銭的にも余裕ができたので、旅の自由度も上がった。早速、夏休みには「脱本州だ!」と、青春18きっぷを利用して北海道へ向かった。

スクーターとビアデッドコリーの写真
原付とワンコ

大学生になり、私自身の旅も大きく変わった。変わった理由は、通学用に原付バイクを手に入れたこと。足となる移動手段があると、好きな時にどこにでも行ける。その効率のよさとか、気まぐれに移動する楽しさを知ってしまうと、もう時間に縛られた鉄道旅には戻れない。

例えば、とんでもなく朝早くに起きてしまったとする。早起きは三文の得。本当に得になるかは別として、早く起きると気分がいいものだ。せっかくなら何かしたい。そう思い始めると、いてもたってもいられなくなるのが旅人の性。

そうだ。もう少ししたら日の出だ。せっかくだから海岸へ朝日を見に行こう。と、思い付いたとしても、電車は動いていないし、自転車だと行動範囲外というか、前日から用意していないと日の出に間に合わない。もし自分の足となるバイクがあれば、すぐに支度して、海の方へ行くことができてしまう。

「思いつた時が買い時」と同じように、思いつたら直ぐに行動に移せる。その柔軟性と機動力は、旅において正義だ。

バルカン400の写真
カワサキ バルカン400

しかし、原付では色々と制約が大きい。有料道路には入れないし、何より速度制限の30キロでは、トラックが爆走する大きな国道を走るのが怖い。だったらと、二年生の時、頑張って中型自動二輪の免許を取り、400㏄のバイクを購入した。

バイクを手に入れてからは、鉄道での旅は完全に卒業し、バイクでの旅が中心になる。気ままにバイクで旅をしていると、今まで行きたいけど、キッカケがなかったというか、踏ん切りがつかなかった海外一人旅への欲求がどんどん膨れ上がってきた。

イスタンブールの町での写真
イスタンブールの町で

海外一人旅デビューは、大学三年生の夏になる。トルコを中心に、エジプト、ヨルダンを周った。なぜトルコなのか。実は、高校の時に友人と海外旅行をしようと計画を立てたことがあり、その時に候補に上がったのが、トルコだった。

世界史の勉強にもなるし、イスラムの異国情緒があって楽しそう。とまあ、高校生なりに計画を煮詰めていくのだが、残念ながら途中でおじゃんになってしまった。でも、その時に色々とトルコについて調べたので、それ以降は行きたい国リストの最上位にずっと入ったままだった。

そのトルコへの一人旅の成功から、冬には世界一周を行った。といっても、その名から想像できるような仰々しいものではなく、飛行機でお手軽に地球を一周するといった、40日間世界一周旅行になる。

返還前の香港名物・飛行機の着陸の写真
返還前の香港名物・飛行機の着陸

この年は香港が返還される年だった。返還前の香港を訪れておきたい。それと、前回の旅で知り合った旅人が、口々に「インドを旅しなければ旅人とは言えない」などとのたまうものだから、旅人として箔を付けるためにもインドへも行っておきたい。

日本から見たら同じ西の国。一緒に訪れてしまおう。と、計画を立て始めるのだが、この二つの国を結ぶルートでの格安航空券の扱いはなかった。

どちらかを諦めるか・・・と思っているところで、代理店の人がちょうどユナイテッド航空のキャンペーンで、地球一周というのをやっていることを教えてくれた。

驚くことに、その世界一周と名が付いた航空券は12万円ほど。インドを往復するのと、あまり変わらない値段だった。しかも地球を一周するとマイルが貯まるので、アジア往復の正規航空チケットがおまけとして付いてくることになる。

これは破格の安さだし、話のネタにもなる。何より世界一周は子供の時からの夢。やらない理由はない。と、地球を一周してしまったというのが、この世界一周の真相になる。

カルカッタ(現コルカタ)の町での写真
カルカッタ(現コルカタ)の町で

行程としては、香港、インド、ロンドン、アメリカと西回りに地球を回って日本に帰ったので、地球を一周したことには間違いない。とはいえ、地球一周したと胸を張って言えるかというと、ちょっと疑問。でも、多感な時期に短時間で文化や物価の違う国を一気に見て回るというのは、色々と刺激になったように思う。

大学4年生の秋には、もう卒業は決まったし、好きな子には振られるし・・・、と、感傷旅行のような感じでモロッコやスペインを巡る旅を行い、大学時代の海外一人旅を締めくくった。

ちなみに、卒業旅行は友人と八丈島、三宅島の離島めぐりを行った。これが学生時代最後の旅になる。

長くなってしまったので後編へ続く・・・

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世田谷編 2003年Page3
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