旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 Page8

ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。

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11、旅の方針転換と教習所通い(2003年4月下旬)

悩むイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

父親がガンの告知を受けてからというもの、もう旅と呼べるような長い旅をすることが出来ないかもしれない・・・。旅人は引退かな・・・。これからどう生きよう・・・。などと悩み続けた。

何を大袈裟な。たかだか旅ごときで・・・。と思う人がほとんどだろう。他の人にとっては旅は娯楽の一部。そんなに真剣に考える存在ではない。

でも、私にとってはアイデンティティ。一番核となる部分が揺らいでしまうと、自分の存在意義が失われるように感じてしまうのだ。

思いっきり悩むイメージ(*イラスト:poosanさん)

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】

頭の中がぐちゃぐちゃの状態で迎えた手術当日。病院の待合室で、家族とともに待機することにした。

不安しか感じない状況の中、この父親の手術の後、俺はどうなるんだろう・・・。手術の成功、失敗に関わらず、もう当分は旅ができなくなりそうだ。そう考えると絶望的だな・・・。或いはすべてがうまくいって・・・。などと様々なことが頭の中を巡り続けた。

とはいえ、待合室であれこれと考えても、気が滅入ってくるだけ。何かが変わるわけではない。全ては手術の結果次第なのだから・・・。

手術のイメージ(*イラスト:K-factoryさん)

(*イラスト:K-factoryさん 【イラストAC】

待つこと、考えることに疲れ果て、家族間の会話もなくなり、早く終わらないかな・・・と、ウトウトとして過ごしていると、ようやく手術が終わった。実に9時間にも及ぶ大手術となった。

術後、執刀医からの説明があり、「今回の手術で悪い箇所のほとんどを取り除けたので、恐らくいい方向に行くのではないでしょうか」と告げられると、「よかった・・・。まだしばらくは旅人でいられそうだ・・・」と、安堵のあまり膝から崩れそうになった。この待合室で過ごした長い時間は一生忘れることはないだろう。

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それから少し月日が流れ、父親が退院し、自宅に戻ってきた。最初の頃は足取りがおぼつかなく、いかにも病人といった感じだったが、2週間も経つと今までと同様・・・とはいかないが、だいぶん普通な感じになってきた。最近では時々犬の散歩をしたりしている。

犬の散歩をする老人のイメージ(*イラスト:CNたいらさん)

(*イラスト:CNたいらさん 【イラストAC】

受け止める家族としても、これができて、これができないんだ・・・と、この状況に慣れると、今後の方針が立てやすい。

現状として日常生活に制限が多いが、誰かが付きっきりになっていなければならないという状態ではないので、休みの日にちょっと旅に出るぐらいだったら問題ない。一泊ぐらいの泊りがけでも大丈夫だろう。もっと回復すれば、少々長く家を空けても大丈夫そうだ。

一時は旅人の引退を覚悟したけど、この状況なら旅は出来る。まだまだ現役続行だな。いや、いっその事、旅人を極めてやる。

ピンチを切り抜けた後というのは、気持ちが高揚したり、気持ちが大きくなるもの。それに悩んだ分、自分の本当にやりたいことや、やりたいことの優先順位がハッキリとしているものだ。

やる気満々のイメージ(*イラスト:Limeさん)

(*イラスト:Limeさん 【イラストAC】

「俺はまだまだ旅をつづけるぞ!」父親の手術が終わってからというもの、旅への情熱が身体の奥底から湧き出し、家に戻ってきてからは爆発的にみなぎり始めた。

ユーラシア大陸横断から日本に帰国し、一時期旅への情熱を失っていたけど、ようやく旅人復活だな。

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しかしながら、今までと全て同じというわけにはならない。手術でガンを取り除いたとはいえ、父親の体調は万全ではない。またいつガンが現れるかもしれないし、突然体調が悪くなるってこともありえる。

なので、何カ月も家を留守にするような長い旅に関しては、もう無理かもしれない・・・。って、おいおい、また長旅に出るつもりなの。そう突っ込まれそうだ。いや、実際に友人からは突っ込まれている。

バーンアウト、燃え尽き諸侯群のイメージ(*イラスト:サウナ猫さん)

(*イラスト:サウナ猫さん 【イラストAC】

実のところ、前回の1年9カ月にも渡るユーラシア大陸横断の旅を終えた後、バーンアウト、いわゆる燃え尽き諸侯群になってしまった。

子供のころから夢だったことを成し遂げたぞ。また、リアルタイム旅行記として公開しながら旅をしていたので、それを全力でやり切ったぞ。といった満足感で心が満たされてしまい、帰国後は放心状態というか、何か新しいことを始める気力が全くと言っていいほど湧いてこなかった。

世界の旅のイメージ(*イラスト:ポコペンさん)

(*イラスト:ポコペンさん 【イラストAC】

よく「旅に出ると見聞が広がる」と言われる。それは確かで、ベンジャミン・ディズレーリの言葉「旅は真の知識の大きな泉である」にあるように、多くの過去の知識人が旅をすることで得られる経験の意義を言葉に残している。

しかし、イギリスに「ロバを旅に出したところで、馬になって帰ってこない」といった諺があるように、旅に出たからといって、必ずしもいい結果に結びつくとは限らない。旅は利口な者をいっそう利口にし、愚か者をいっそう愚かにするというのが正解になる。

レベルアップのイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

今回のユーラシア大陸横断を成し遂げたことで、私自身、大きく成長できたと確信している。しかし、その成長した片鱗が分かるような行動をしたり、旅で経験したことを役立てて仕事しない限り、他人がそう思うことはない。

仕事を辞めて、海外を放浪するような旅をしていること自体が、愚かな選択だとか、正気かよ・・・と、世間で思われているのに、旅行後もフラフラしていては、成長どころか、愚か者がより愚か者になったといったと言われても、何も言い返せない。

実際、親戚から、「何のために旅に出たの?」「早く真面目に働きなさい!」などと厳しい言葉をもらっていた。自分のためにも、親のためにも何とかしなければと思うのだが、なかなか行動が伴わってこない。

説教されるイメージ(*イラスト:ウィスパさん)

(*イラスト:ウィスパさん 【イラストAC】

燃え尽き症候群というのは本当に厄介で、頭の中ではやらなきゃとわかっていても、それを実行することができない。なんとももどかしいというか、自分でもどうしたらいいのかわからないといった困った状態。

一番困るのが、身体は健康的に見えるので、怠け者といったように見えてしまう部分。何しろ燃え尽きる前が凄く活動的だったので、その印象が他の人の頭の中に植え付けられている。その分、他の人にはできない理由が全くと言っていいほど理解されないというか、精神的な問題を信じてもらえない。

日本に帰国してから半年後、まずは慣れたことから始めようということで、大学時代に働いていたバイト先を訪れ、再び働かせてもらうことにした。そして、働きながら色々と考えた。

考えるイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

その時に、やりたくない仕事に就くなら、このまま旅人として行けるところまで突っ走ってしまうのはどうだろう。停滞して生きるぐらいなら、そういう人生もありじゃないのか。そう思うようになった。

周囲を見渡すと、みんなそれなりに仕事やプライベートが充実している。それに比べると私は・・・。って、みんなが働いているときに、2年近く旅をしていたのだから、この状況は当たり前のこと。この事はある程度想定して旅に出ているので、覚悟済み。問題は帰国後につまづいてしまったこと。これは想定外だった。

その分を含めて、今からみんなに追いつくには、普通に生きていても無理っぽい。諦めて他人は他人。自分は自分と割り切って、自分らしく生きるとか、逆に自分の好きな部分や尖った部分を極め、一発逆転の機会をうかがう方がいいような気がする。

一発逆転のイメージ(*イラスト:うにここさん)

(*イラスト:うにここさん 【イラストAC】

なので、再び旅に出る可能性を残しながら、旅に役に立つかもしれない写真の仕事をすることにして、就職した。どちらにでも対応できるようにしたわけだが、これは意外と心のバランスをとるのには都合よかった。選択肢が幾つかあると、心のゆとりができるからだ。

で、次の旅、具体的には、まだ訪れたことのない南米大陸一周を見据えながら仕事をしているときに、今回の父親の胃ガンの手術が起きてしまった。手術は成功したものの、現在の父親の状況、そして家庭の状況を考えると、もう長い旅は厳しそうだ。

もっとも、燃え尽きるまでユーラシア大陸横断を行っているので、本心では旅に出たい気持ちと、このまま落ち着いた生活をしながらほどほどに旅をしたいといった気持ちが半々だった。やっぱり海外を長く旅をするというのは、体力的にも、精神的にもしんどいものだ。

海外を旅することは無理でも、休日や長期休みを利用して国内を旅する分には問題ない。だったらバイクを買って、バイクで日本を旅しようではないか。それがいい落としどころではないだろうか。そう生き方というか、旅の路線変更をすることにした。

川崎バルカン400の写真
kawasaki バルカン400

大学時代には中型免許(現・普通自動二輪)を取って、バイクで一人で、或いはバイク仲間と日本国内を旅した。乗っていたのはカワサキのバルカンというアメリカンスタイルのバイクで、のんびりと旅をするのに最適だった。とても気に入っていたが、ユーラシア大陸横断するにあたって売却した。

アメリカンスタイルのバイクは雰囲気で乗るバイクでもある。400㏄だとパワーが足りなく、アクセルの開け閉めがせわしないし、エンジンの回転数が上がり過ぎて、排気音にもリズム感がない。バイクの雰囲気とエンジンの排気量がミスマッチに感じる部分が唯一の不満だった。

またアメリカンスタイルのバイクに乗るにしても、ハーレーとまではいかないにしても排気量の大きなバイクがいい。再び旅をしようとお金を貯めていたので、お金には少し余裕がある。買うなら大型バイクにしよう。

教習所のイメージ(*イラスト:acworksさん)

(*イラスト:acworksさん 【イラストAC】

400cc以上の大型バイクに乗るには、大型自動二輪の免許が必要になる。普通自動二輪(中型)の免許しか持っていないので、まずは自動車教習所に通い、大型バイクの免許を取得することにした。

大型バイクの免許は教習所に通って取得するもの。今の人には当たり前のことでも、私の大学時代には今と免許制度が違い、今の大型自動二輪にあたる免許は、中型免許を取得した後、運転試験場で行われる限定解除のテスト(審査)に合格するしか取得する方法がなかった。

限定解除のテスト(審査)は実技の一発試験となり、これが難しく、合格率は数パーセントといった超難関だった。私は挑戦しなかったが、仲間内でも3回目で合格できた・・・とか、10回もかかった・・・などと、よく話題になっていた。

取得には、バイクの運転技術だけではなく、手間暇もかかり、忍耐力、バイクへの情熱なども試される。少々運転に自信があっても簡単に手に入らないので、大型免許はバイク乗りの勲章みたいなもの。取得できた人は明らかにバイクの上級者と認められ、憧れの的だった。

教習所の大型バイクのイメージ(*イラスト:Yuji Fujisakiさん)

(*イラスト:Yuji Fujisakiさん 【イラストAC】

現在でも大型の免許は試験場で一発試験として受けることはできるが、大型バイクに乗ったことのない人間が簡単に受かるわけがない。

かつては1回目でコースに慣れる。2回目はバイクに慣れる。三回目は予行練習。4回目からが本番と言われていた。

仕事の休みの日に何回も予約を入れて、試験場に通う手間や、何度も試験に落ちたときのガッカリ感を考えると、教習所で技能教習を受けて取得した方が気持ち的に楽だし、生活のスケジュールが立てやすい。

何より、何度も試験に落ちると金銭的に教習所の方が安くなる。私の場合はそうなる確率が高そうだ・・・。ということで、仕事の休みの日や、早番の日などに教習所通って教習を受けている。

普通自動二輪の免許を持っている場合、12単位の技能教習を受け、卒業検定に合格すればいいので、そんなに教習自体は大変ではない。このままいけば一か月後、5月中には取得できるはずだ。

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