旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 page9
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
12、SARSの流行(2003年5月)

(*イラスト:ノゾミさん)
昨年からSARS(重症急性呼吸器症候群)という聞きなれない病気が、中国を中心にアジアで流行している。
病名に英語のアルファベットが並ぶと、AIDSとか、HIVなどといった難病を思い浮かべ、感染してしまったらもう最後、お先真っ暗といった印象を持ってしまうのだが、このSARSはインフルエンザに近いコロナウイルスが引き起こす伝染病で、感染してしもバタバタと人が死んでいくということはない。
ただ、高熱や呼吸困難、激しい咳などといった重度の肺炎の症状が現れる場合があるので、基礎疾患がある人、体の弱い人などが感染すると、命の危険につながる恐れがある。実際、海外では亡くなっている方がそれなりにいるので、世界規模の問題になっている。

(*イラスト:トーストさん)
インフルエンザ同様に人から人へと簡単に感染することから、海外では集団感染が相次いでいるようだ。
テレビの報道では防護服を着た人が物々しく消毒をしていたり、感染者を厳重に隔離していたり、あるいは家族がSARSで亡くなって悲しんでいる光景などを、ここのところ各局が視聴率を稼ぐために競い合うように報じている。
そういった非日常的な様子を見ていると、SARSという死の病が人類に蔓延し、海外では国家危機レベルの大変な事態になっているんだ・・・。これは人類の存続の危機で、世界の終わりが近いかも・・・などと、戦々恐々と思ってしまう。

(*イラスト:エイリアン グレイさん)
だが、私の心の中で膨らんでいく人類滅亡論とは裏腹に、日本では感染者がほぼいないおかげで、普段の生活は平穏そのもの。
人と話していても、町を歩いていても、SARSなんて他人事。いや、他の星の出来事といった雰囲気で、映像と現実とのギャップに戸惑ってしまう。下手にテレビを見ない方が平穏に暮らせそうだ・・・。

このSARSの始まりは昨年末。中国広東省仏山市で最初の発生が報告され、それ以降、香港、北京と広がり、更にはベトナムやシンガポールといった中国国外にも広く拡散され、世界的な流行となった。
世界的に海外旅行がブームとなり、多くの人が国をまたいで旅行を楽しんでいるが、困ったことに病原菌も手軽に国をまたいで旅をする時代になってしまったようだ。

(*イラスト:山海たまさん)
報道によると、この新型コロナウイルスが発生した原因は野生動物で、恐らく市場で売られているハクビシンから媒介したのでは・・・という説が一番有力視されている(*後にキクガシラコウモリからというのが有力となる)。
古くから中国人は4足のものは机以外何でも食べる。などと揶揄されることがあるが、中国の市場に行くと、ここはペットショップかというぐらい多くの種類の動物が生きた状態で売られている。
中国では新鮮なものが好まれる。衛生環境が悪いし、信頼関係も薄い。死んだものだと、どういう素性のものか分からない。食べる直前まで生きていれば、安心できる。それに新鮮なほうがおいしいと思う人が多く、こういった状態で売られているのだとか。

鶏肉にしても、町中にある鶏肉屋では鶏やアヒルが生きている状態で売られていたりする。それを普通におばさんが品定めして、「この太ったやつをもらおうかしら」といった感じで買っている。切った肉がパックに入って売っていることに慣れていると、そのワイルドさに驚く。
きっと家に帰ったら、手慣れた感じで捌いていき、今晩の夕食の食卓に上がることになるのだろう。中国の食文化の逞しさや、食への強いこだわりを感じるいい例になるだろうか。
今回のSARSの原因となったコロナウイルスは、こういった中国独特の食文化に起因し、生きた野生動物を扱う動物市場で人間に感染したのではないか・・・と指摘されていて、報道で中国の動物市場の映像がよく流れている。

2000年の事になるが、香港のお隣にある広東省深圳を訪れた時、現地の大学に通う友人の案内で、深圳で一番大きな東門市場の動物売り場を訪れた。
訪れてみると、市場内には多くの動物の檻が並んでいて、見て歩くだけで楽しく、まるでミニ動物園みたい・・・。って、いやいや、ここはそんな夢のある場所ではなかった。

ここの動物たちはペットとして売っているわけではないので、扱いはぞんざいで、完全に物扱い。劣悪な環境の中、多くの動物が狭い檻に閉じ込められていた。
動物たちの檻の横を歩くと、死を覚悟した悲しい目をこちらに向けてくる。その悲しい目を見てしまうと、心が痛くてしょうがない。悲痛な鳴き声が耳に入ってくると、心拍数が上がり、耳を押さえたくなる。
また、血抜きや解体もしているので、動物の死体や毛皮が無造作に転がっていて、目をそむけたくなる。更には、この一帯は血の匂い、腐敗臭、飼育臭が混じった強烈な悪臭が漂っていて、息が詰まりそう。呼吸をするのも苦しく感じたほどだ。
ここには楽しい雰囲気は一遍もなく、あるのは殺伐とした雰囲気と悲しい運命をたどることになる動物たちだけ。あまり思い出したくない記憶になる。

こういった動物市場がSARSの原因ではないかと報道されると、早々に中国当局によって市場は閉鎖されてしまった。困るのが報道番組、その代わり的な感じというか、インパクトがあることも含めて、最近では中国の食肉用の犬が市場で売られている様子が映像で流れている。
犬を食用として食べる文化は中国だけではなく、韓国やベトナムでも多い。その他、一般的ではないにしても、けっこう多くの国にあったりする。
犬を飼っている身としては、こういった犬食の文化に対してはいい気がしない。いや、むしろマイナスの感情が沸き上がってくる。

改めて我が家の犬を見てみるのだが、おいしそうだとは全く思わない。もちろん、他の家の人の犬を見ても食べたいとは思わない。
普段から牛や豚などの肉を食べているので、食肉に関して文句を言うつもりはない。でも、肉を食べるのに、犬ではなくてもいいのでは・・・といった事をどうしても考えてしまう。
とはいえ、こういった考え方はそれぞれの環境に依存するというもの。犬を食べるのが当たり前に育ってきた人には、犬は食用の家畜でしかないので、他人から批判される意味が分からないだろう。

世界には多くの民族が暮らしている。そして、その土地で代々受け継がれてきた文化的価値観で生きている。こういった文化の違い、価値観は旅をしていて面白く感じる部分ではあるが、感情的な部分が混じると、異なる文化同士で批判しあう事も多い。食肉文化に関しては、それが顕著に表れるように思う。

一番代表的な例として、ヒンドゥー教は牛を食べなく、イスラム教は豚を食べない。よく耳にするので、その事実を知っている人は多いと思う。
でも、その本質は全く違う。ヒンドゥー教の場合は牛が神聖なる生き物だから食べない。イスラム教の場合は豚が不浄だから食べない。なので、ヒンドゥー教徒にしてみれば牛を食べる他の民族のことをあまり快く思っていない。
一方、イスラム教徒の場合は豚が好きなわけではないから、他の民族が豚を食べようが特に気にしない。自分達が食べなければそれでいいといった感じになる。

日本の話をすると、食文化でよく他の国からやり玉に挙げられるのが鯨になる。日本では古くから鯨肉を食べる文化があるわけだが、鯨への愛情や思い入れを持った人は、私が犬を食べて欲しくないのと同じような思いを抱き、捕鯨反対運動を行っている。
とはいえ、昨今の反捕鯨運動は規模が大きくなりすぎて、色々な思惑が渦巻いているように感じてしまうのだが・・・。

鯨以外では馬を食べることも海外では非難されることがある。まして生で馬刺しにして食べているなどと話すと、「何て野蛮なんだ!」とドン引きされることがある。
最近では少なくなったが、生きた魚を目の前でさばき、それを客が楽しんでいたりする様子も、他の民族の目には残酷に映っている。
こういった文化の違いというものは、実際に海外へ出て、異文化にどっぷりと身を浸してみないと、何が普通で、何が普通でないか、はっきりと分からないものだ。

(*イラスト:すずしろさん)
さて、色々と騒動を巻き起こしたSARSの流行だったが、どうやら終息しつつあるようで、ここのところ海外から伝わってくる感染者は激減している。流行していた地域では、入国規制などの規制なども解除されつつあるという。
もともと感染者がほとんどいなく、熱しやすく冷めやすい日本では、今ではすっかり関心が薄くなり、もう過去の話となりつつある。普段の会話でも話題に上ることがほとんどない。
それよりも株価が底割れし、バブル後の最安値を更新している状況の方が深刻なような気がする・・・。大丈夫なのか、にっぽん。SARSよりも日本の先行きに不安を感じてしまう・・・。
13、キャバリア(2003年5月)

妹は実家から少し離れた場所に暮らしている。歩くには遠いが、自転車ならあまり苦にならないといった距離だ。
その妹は、昨年からメスのキャバリアを飼い始め、時々実家に連れてくる。今日も連れて来たので、写真を撮ってみた。

キャバリアはイギリス産の小型犬で、正式名はキャバリア・キングチャールズ・スパニエル。
スパニエル種の一種で、キャバリアは騎士の意味。真ん中の「キングチャールズ」は、イングランド王チャールズ1世・チャールズ2世がこの犬を溺愛したことに因んで付けられたようだ。
騎士のような凛々しさとか、イギリス王室のような気品を感じるか、感じないかは、その人の感じ方によると思う。でも独特の愛嬌を感じる犬種だと思う。

キャバリアの一般的な体重は7キロ前後で、体高は30㎝ほど。室内で飼うのにちょうどいいサイズ感だと感じる。性格は温厚のようで、この犬もあまりガチャガチャした感じがなく、とても大人しい。これぞ室内犬の鏡と言ってもいいかもしれない。
もし次に犬を飼うことがあるのなら、これぐらいの大きさが楽でいいな・・・。キャバリアもありかな・・・。と、大型でやんちゃな性格のチャーミーを飼ってきた苦労を振り返ると思ってしまう。

私的には、この犬は目が大きく、口の周りに肉厚があるところが特徴的に感じる。そして小さ過ぎず、大き過ぎずのサイズ感や、頭が平らで撫でやすいというのがチャーミングポイントだと思う。
ウィークポイントは垂れた耳になるだろうか。それなりに分厚い耳が、穴の部分を蓋するように垂れているので、耳の弱い個体は蒸れて臭くなったり、病気になりやすい。実際、この犬は少し耳が弱いようで、ちょっと匂う時がある。

普段は可愛らしい顔をしているのだが、嫌な顔というか、難しい顔をしているときに、ちょっと哲学的と言うか、○○原人といった雰囲気を感じるのも、この犬の面白い部分だ。
今ではそういった顔はあまりしなくなったが、我が家にやってきていた最初の頃は、人見知りが激しいのもあって、見慣れない私や両親の顔を見ると、よくそういった顔をしていた。
まあ、我が家に連れてこられるときは、妹に用事があり、「ちょっと預かって・・・」と不慣れな場所に置いていきぼりにされる場合がほとんどなので、不安からそういう顔になってしまうのだろう。

なので、最初のうちはこの犬を見るたびに、インドネシアのジャワ島で見たジャワ原人の化石が脳裏に浮かび、遥か遠いご先祖様・・・ってな感じで親近感がわくというか、そんなロダンのように深刻そうな顔をしなくてもいいのに・・・と、シリアス顔になる様子がコントのようで面白いというか・・・、その豊かな表情から色々と想像が広がり、見ていて退屈しなかったものだ。
世田谷編 2003年(7/9) 2003年(8/9)につづく