旅人とわんこの日々
世田谷編 2004年(4/7)
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
5、屋久島ツーリング(2004年6月)

*国土地理院地図を書き込んで使用
深夜に東京を出発。まずは名古屋を目指し、国道246号、そして国道1号をひたすら西へ快走していった。
今回は日本の歴史、特に戦国と維新の雰囲気を感じながら旅をしてみたくなり、サブテーマを「城とか古戦場巡り」とし、そういった場所に立ち寄りながら進んで行くことにした。

で、最初の訪問地は桶狭間古戦場跡。尾張の弱小大名であった織田信長が、攻め込んできた駿河の大大名今川義元を奇襲戦で破ったのが、この地になる。
圧倒的な兵力差、絶体絶命の状況下での勝利。織田信長の名は日本中に知れ渡り、天下布武への第一歩を刻むこととなる。織田信長ファン、或いは戦国時代にロマンを感じる人にとっては、聖地となるだろう。
実際訪れてみると、約440年前の古戦場跡なので、特にこれといったものが残っているわけではない。でも、この場で歴史を動かすような合戦が行われたと想像すると、感慨深く感じるものだ。
それと同時に、俺も何か、いや旅人として日本一にのし上がってやるぞ!と、心の奥底からムラムラと野心がこみ上げてくる。

桶狭間を後にすると、金のしゃちほこで有名な名古屋城を訪れた。日本100名城に選定され、国の特別史跡にも指定されている立派な城なのだが、建物内部に入ってみると、コンクリート製なので味気なく感じてしまう。中に入ってテンションが下がる城も珍しい・・・。

名古屋から岐阜へ向かい、和紙で有名な美濃の町を訪れた。旧市街にはとても趣きのある町並みが残っていて、バイクで古い伝統的な家屋が並ぶ通りを走ると、タイムスリップしたような気持になり、なかなか感動的だった。
ここ美濃で、南米、エクアドルで知り合った旅人と待ち合わせをしていて、無事に再会することができた。彼の家はここから少し田舎に入ったところにあり、一旦彼の家にバイクを置き、その後は彼の車で岐阜の城下町などを案内してもらった。
そして夜には、彼が撮ったエクアドルの写真を見せてもらいながら、ちょっと前の南米旅行の思い出話に花を咲かせた。

翌朝、岐阜の旅人に別れとお礼を告げ、西に向けて出発。まずは天下分け目の関ケ原。戦国末期に有力な大名が東軍と西軍に別れて戦ったのが、ここ関ヶ原古戦場跡。歴史上日本で一番大きな合戦が行われた場所でもある。
現在でもインスタントカップうどんなどの出汁の分かれ目になっているらしいので、何かしらそういった境目的な宿命を背負った場所になるのかもしれない。
これが関ケ原か・・・と、ワクワクしながらやって来たのだが、何十万の兵隊が戦った場所なので、だだっ広いこと。
案内板に有名な武将の陣があった場所などが分かりやすく解説されているのだが、あまりにも広範囲に広がっているし、特に何が残っているわけでもないので、見て回ったとしても面白くない。あの関ヶ原を訪れた!ということに意義があるというものだろう。

関ケ原からは、戦国時代に畿内をほぼ手中にした織田信長が、権威の象徴として建てた安土城の跡地を訪れた。
安土桃山時代の象徴と言われるほど、荘厳な天守閣を誇っていたようだが、現在では土台部分の石が残っているだけ。伝説に基づいて勝手に想像するしかない。

安土からは一気に姫路へ。姫路といえば姫路城。白く美しい城郭は、まるでシラサギが羽を広げたような優美な姿をしていて、別名「白鷺城」とも呼ばれている。
1993年に屋久島とともに世界遺産に指定されているので、屋久島へ向かう気分を盛り上げるためにも訪れてみた。
これで「法隆寺」「古都京都の文化財」「白川郷」「原爆ドーム」「厳島神社」「古都奈良の文化財」「日光」に続き、8つ目の世界遺産を訪問したことになる(2004年時点)。訪れた世界遺産の数というのは、やっぱり旅人としてはパスポートに押されたスタンプのような感じで、ちょっとした旅自慢になる。

広島の祖母の家で英気を養い、旅支度を整えた後、九州へ向かって西進を開始。長崎に大学時代の友人がいるので、今日、目指すは長崎。
実は昨年もバイクで長崎へ行っているので、途中は太宰府天満宮と吉野ケ里遺跡に寄っただけで、一気に長崎まで進んだ。

夕方、仕事が終わった友人と再会。昨年も会っているので、懐かしいような、懐かしくないような再会だった。その晩は友人宅に泊めてもらい、乾杯。九州の人間は酒が強いから困る・・・。

翌日は友人の案内で長崎の市内観光。この日のために友人は張り切って有給休暇を取得していたりする。「わざわざ休まなくてもいいのに・・・。旅人なので風のように滞在し、風のように去っていくから」と言うと、「こういう時に使わないと使う機会がないんだ。せっかくだから2泊して行きなよ。」と言ってくれた。友とは有り難いものだ。

*国土地理院地図を書き込んで使用
友人宅に2泊した後は、屋久島へ向かって出発。長崎市内からだと島原半島を抜け、フェリーで有明海を横切って熊本に渡れば、かなりショートカットできる。
車に比べてバイクだと船に乗せる船賃が極端に安いので、積極的に船ルートを選択できる。高速道路もこれぐらい差があるとうれしいのだが・・・と思ってしまう。

で、島原半島では雲仙で地獄めぐりをしたり、島原城や武家屋敷を見た後、フェリーで有明海を渡り、熊本に上陸した。

熊本で最初に訪れたのは田原坂。明治10年に始まった日本最後の内戦となる西南戦争で、17昼夜にわたる戦闘が繰り広げられた激戦地になる。
鹿児島士族を率いるのは西郷隆盛。これから向かう鹿児島の英雄になる。ここに来たことで、鹿児島へ向かう気持ちが徐々に盛り上がっていく。

田原坂の後は熊本城へ。加藤清正が7年の歳月をかけ、心血を注いで築きあげた名城。西南戦争の際にかなりの部分が消失してしまったが、それでも官軍がここで籠城して守り抜いたというから、近代戦にも使えるほど堅牢な城だったようだ。
白鷺城と呼ばれている白い姫路城を見た後では、烏城と呼びたくなるような黒い外観。黒だと無粋さとか、迫力があり、これもまた素晴らしい。とはいえ・・・、この旅では多くの城を見てきたので、そろそろ城を見るのに飽きてきた・・・。

熊本城の後は、橋が好きなので、熊本の誇る霊台橋、通潤橋、二俣橋などを見学し、人吉へ。この付近で今回初のテント泊をしようと思ったのだが、テントを張るのにいい場所がない。
仕方ないので人吉城にテントを張ろうと思ったら、小雨が降ってきてしまい、結局東屋のベンチで寝袋にくるまって寝ることにした。

翌日は人吉、巨大な鍾乳洞の球泉洞を見学した後は、海沿いに出て、小中高の教科書に必ずその名が載っている水俣を訪れてみた。
水俣病という公害で町が有名というのはなんとも悲しいが、今ではありふれた感じの町となっていて、ちょっと安心した。
私の母親は広島育ち。広島といえば原爆というイメージがまとわりつく。広島に暮らしていればそうでもないが、広島の外で暮らすと、広島出身だとわかると直ぐそういう話になるので、それが嫌でしょうがないとよく口にしている。
負の遺産を背負っている町というのは、町の風景や様子が元通りになっても、後々にまで悪い印象が残るので、色々と辛いものがある。

水俣からはそのまま海沿いを南下していき、薩摩半島の南端へ。ここは武家屋敷と特攻隊基地のあった知覧、砂風呂で有名な指宿温泉、台風の報道で有名な枕崎、恐竜のいっしーがいるらしい池田湖などがある。
明日は朝の便で屋久島へ向かうので、鹿児島港近くの公園でテントを張り、一晩を明かすことにしたのだが、低気圧が近づいているようで、ちょっと天気が怪しい。雨や風の心配をしながらテント泊をしたので、あまり眠ることができなかった。

翌朝、フェリーに乗る前に西郷どんの前で記念撮影。上野公園にある西郷どんの像に馴染みがあると、足元に犬がいないことに違和感を感じてしまう。なんか物足りない・・・。
とはいえ、西郷どんの前で記念撮影終えると、遥々鹿児島までやって来たんだといった実感がこみ上げてくる。東京で暮らす人には物足りなさと満足感を併せ持つ、不思議な魅力を持った像になるだろうか。

今晩にかけて発達した低気圧が通過するらしく、空は分厚い雲が覆い、風も少しある。あまり積極的に船に乗りたいと思わない空模様だが、しょうがない。
鹿児島湾を抜けたら風で船が揺れ、船酔いしないだろうか・・・。乗船時間は約4時間あるので、酔ったらしんどいかも・・・。心配しながら船に乗り込んだのだが、それは無用の心配だった。ここのところのテント泊が続き、かなりの睡眠不足。2等船室の床にゴロンと横になったら、あっという間に深い眠りについてしまった。

間もなく屋久島に到着する。今晩は大雨の予報。テント泊をしようものなら、気が付いたら雨で流され、海の上で寝ていた・・・みたいな事になってしまいかねない。
今晩はちゃんと宿をとろう。フェリーのラウンジには観光案内コーナーがあり、観光案内マップ、現地ツアーの紹介、ホテル、ゲストハウスのカードが幾つか置いてあった。
物色すると、一泊千五百円で泊まれるゲストハウスのカードがある。安いし、ここにしよう。屋久島に上陸すると、カードに記された地図を見ながらそのゲストハウスに向かった。
宿はドミトリー形式。大部屋に二段ベッドが並んでいたが、客は他に一人しかいないので、離れたベッドを使えば全く気にならない。
女性部屋にも何人か客がいて、外は雨だし、せっかくなので他の旅人と旅の話をしてみると、海外を旅する人とはやっぱりちょっと雰囲気が違う。すれていないというか、純情な感じがする。

屋久島二日目。低気圧が去り、まだ空には雲が多いが、澄んだ青空が広がっていた。ただ、かなりの雨が降ったようで、島内放送によると道が崩れている場所もあるとか。
屋久島のハイライト縄文杉はちょっとした登山をしなければ見ることができない。雨上がりのビシャビシャの登山道を歩くのは危ないし、一足しかない靴が汚れると厄介だ。今日は山登りはやめて、バイクで屋久島を一周してみることにした。

屋久島を一回りしてみると、木々に囲まれた島といった感じで緑がとても多い。途中に滝が多いのもこの島の特徴になるだろうか。しかも昨夜降った大雨のおかげで、水量が多く、迫力があってよかった。
小さな島なので、島を周回しても100キロほど。あっという間に一周してしまい、ちょっと物足りない。時間もあるし、もう一周するか。と、2周目。なんか無駄なことをしているようだが、バイクで屋久島を走っていると思うと、とても気分がいい。

屋久島3日目。今日は屋久島で一番のハイライト、縄文杉を見学しに出かけた。登山口までバイクで行き、そこから木材搬出用の線路の上を歩いていくというのがちょっと面白い。

線路を進んだ先からは、普通の登山道となり、しっかりとした登山となる。季節が季節だけにとても蒸し暑い。ジッとしていても汗が出てくるのに、山を登ったら汗が滝のように噴き出てくる。
水分がいくらあっても足りない・・・。でも、心配ご無用。ここでは所々に湧水が出ていて、それを飲むことができる。
「縄文杉もよかったけど、縄文杉を見に行くときに飲んだ水がおいしかった。とても印象に残っている。」と、訪れた人から聞いていたので、この水を飲むのを楽しみにしていた。実際に飲んでみると、喉の渇きもあって、とてもおいしく感じる水だった。

登山道を進むと、途中途中に小ボスといった感じで名が付けられた杉があり、最後にボスキャラといった感じで縄文杉が待ち構えていた。
縄文杉の名の通り、長く年月を重ねているだけあって、とてつもなくでかい。まさに森の主といった貫録があった。その佇まいは神秘的であり、心の奥底からわざわざこの杉を見るために、遥々ここまでやって来たかいがあった、と思えるほど感動的だった。

あっ、なるほど・・・。そうだったのか。屋久島を訪れた旅人が口々に「屋久島はよかった」「縄文杉はよかった」と褒め、「ぜひ一度見に行った方がいいよ」と、屋久島の旅を私に勧めてくれた。
旅人同士の話でよくある「行ったことがある自慢」とばかり思っていたのだが、今、その気持ちがよくわかる。どうにも人に勧めたくなる感動とでもいうのだろうか。この感動を誰かに伝えたい。そういう思いが心の奥底からこみあげてくる。
今後、旅人と話すことがあったら、私も「屋久島は感動的だった。無理してでも行った方がいいよ。」なんてしゃべってしまうのだろうな・・・。きっと。

縄文杉と並んで屋久島のハイライトになっているのが、もののけ姫の世界観を感じられる白谷雲水峡。とても雰囲気のいい渓谷のようだが、2日前の雨で途中の道が崩れてしまい、今回は訪れることができなかった。
そのことが悔やまれるが、満足のいく屋久島滞在を終え、今度は種子島へ。種子島では宇宙センターや火縄銃の博物館を見学し、海岸沿いの公園でテント泊をした。

*国土地理院地図を書き込んで使用
そして翌日のフェリーで鹿児島へ戻り、大隅半島の南端、日本本土の最南端となる佐多岬を訪れたのだが、この部分はちょっと失敗。
もっと南にある屋久島を訪れた後だったので、感動がいまいち薄い。順番を逆にすればよかったな・・・。と、反省。でも、これで今回の旅の三大目的地の訪問が完了。気持ち的に一区切りがついた。

(*コメットさん 写真AC)
その後は都井岬、鵜戸神宮、青島、臼杵石仏など、九州の東を観光しながら北上し、無事に東京へ戻った。

と、最後の方は端折って書いたが、実はデジカメのデーターが消えてしまうというポカをやらかしてしまった。今回の旅ではフィルムカメラも持参したが、ほとんどは父親に借りたデジカメで写真を撮った。
で、この時代のメモリーカードは、まだMB(メガバイト)が主流の時代で、GBは高嶺の花だった。容量の大きなものを持っていなかったので、屋久島でデーターが満杯になり、地元のカメラ屋でCDにデーターを移してもらった。
このおかげで屋久島までの記録は無事だったのだが、問題は屋久島以降のもの。家に帰るまでは無事で、パソコンに移すのも問題なかった。しかし9カ月後、ムフフな怪しいサイトでウイルスを拾ってしまい、ハードディスクのデーターが消失してしまう事態が起きてしまった。

(*イラスト:阿部モノさん 【イラストAC】)
今思えば復元ソフトを使えばある程度は復元できたのではないかと思うのだが、その時はあまり知識がなく、泣く泣く諦めてしまった。
遥々九州の南まで行ったのに、種子島の写真が・・・、日本本土最南端が・・・と考えると辛い。でも、また行けばいいか・・・。旅人なんだし・・・。
世田谷編 2004年(4/7) 2004年(5/7)につづく