旅人とわんこの日々
世田谷編 2004年(6/7)
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
9、イラク人質殺害事件(2004年11月)

(*イラスト:ナロンエースさん 【イラストAC】)
政情不安定な中東イラクで、日本人バックパッカーの香田さんがイスラム過激派に誘拐され、交渉の後、殺害されるという事件が起きてしまった。ここのところ世間はその報道で持ちきりとなっている。
こんな状況の中、イラクに行くなんて浅はかな行為だ。自己責任だ。日本人の恥だ。税金の無駄だ・・・と、世間では非難ごうごう、雨あられといった状態。
同じイラクでは、春にボランティア活動をしていた人たちが人質になる事件が起きたばかり。その時は交渉の末に解放されたものの、日本に帰国すると世間から凄まじいバッシングを受けた。更に立場の悪い風来坊の旅人では、同じような流れになってしまうのもしょうがない。

(*イラスト:Tsushimaさん 【イラストAC】)
旅人は自由だと人は言う。確かにその通りだ。仕事をやめるなどして、時間や規則、習慣に縛られないで旅をしている人は、日常に束縛されない自由な存在と言える。
自由な旅人には国籍も、肌の色も、人種も関係ない。そして宗教も、貧富の差も、国境もない・・・。颯爽と旅しているときはそんな気分に浸ってしまうこともあるが、当然というか、なにもかも全てが自由ではない。
国境はちゃんと存在するし、国によって法律が違ったり、絶対やっちゃいけない宗教上のタブーというものもある。それを破れば逮捕されたり、事件に巻き込まれることがある。
お金に余裕があって旅をしている人間が貧困地域を訪れ、「世の中はお金が全てではない」と言っても嫌みにしかならないし、人類はみな兄弟を信条に危険地域を訪れても、かなりの確率でトラブルに巻き込まれる。
今回の事件は、簡単に書くなら「命の危険があるので入ってはいけません」といった立ち入り禁止の場所に入り、結果、命を落としてしまったという、起こるべくして起こった事件になり、最悪の結末を迎えてしまったとはいえ、なかなかその行動を擁護しにくい。

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
最初はそう思っていたのだが、非難一色の報道やインターネットでのバッシングが続くと、同じ旅人として段々と腹が立ってきた。何も知らない人が適当なことを言うな。と。
なぜ幸田さんは危険なイラクへ向かったのか。イラクで何をしたかったのか。何を手に入れたかったのか。今となってはそれは分からない。
世間でもっともらしく報道されているように、功名心や興味本位の延長だったかもしれないし、何か人と違った実績を手に入れたかったのかもしれない。或いはイラクを訪れることで、こういった地域で自分が何をできるか知りたかったり、世の中をよくしたいといった、もっと崇高な目的があったのかもしれない。

(*イラスト:イタチ◎さん 【イラストAC】)
現在、イラクは渡航延期観光が出ていて、観光客はイラクのビザは取得できないので、いくら世界最強と言われる日本のパスポートを所持していても、イラクには簡単に入れない。
もし入るなら裏ルートでの違法入国になる。そのためには入国の仕方を調べたり、交渉のための幾ばくかの現地の言葉を覚えたり、わいろを使ったりと、大変な手間がかかる。
不法入国できたとしても、政府関係者に見つかれば逮捕されるかもしれないし、テロ組織に見つかれば誘拐されるといった最悪な事態になりかねない。実際、4月には人質になっている人達がいる。
そういった難しい状況の中、単身で危険な地域に向かっていることから、単なる浮ついた気持ちだけではなく、彼なりに覚悟のあった行為であったと推測できる。

(*イラスト:伊月さん 【イラストAC】)
「若いうちに旅に出ろ!」「若者よ、世界に羽ばたけ!」などとよく言われる。若い時の豊かな感受性、溢れるような好奇心、柔軟な発想やあり余る行動力で、様々な価値観を見て周ることは貴重な実体験となり、今後の長い人生にきっと役に立つことだろう。
とはいえ、若者が旅に出れば必ず自分のためになるとか、将来に役に立つ経験が手に入るわけではない。旅とは自由なものではあるが、自由気ままに旅をしていても社会適応性がどんどん薄れていくだけ。その先の人生に結びつかない。
旅で何をしたいのか。旅で何を得たいのか。そういったことをしっかりと考え、自分なりの旅の目標を設定する事が大事である。そして、自分と旅に向かい合いながら目標に向かってしっかりと行動してこそ、素晴らしい経験が手に入ると言える。

(*イラスト:kogaさん 【イラストAC】)
とはいえ、多くの旅人が本当に探しているもの、自分の生きる道とか、将来に役立つ経験というのは、旅の中で見つかりそうで、簡単に見つかりはしない。
私も、旅をしていればきっと何か新しく生きる道が見つかるはず。将来に役に立ついい経験が得られるはず・・・と期待し、躍起になって旅をした。でも、長く旅をしても期待していたものは見つからなかった。
こういったことは非現実的な旅の中よりも、地に足を付けた状態、いわゆる普段の生活や生活圏の中で探すほうが、遥かに理に適っているのではないだろうか。
それは長い旅を終え、日本で普通に暮らしてから気が付くのだが、旅で挑戦と失敗を繰り返し、もがき続けたからこそ気が付けた事でもある。

(*イラスト:ジュンズ10さん 【イラストAC】)
実際に旅に出てみないと、分からないことは多い。実際に見て、実際に考えて、実際に行動して始めてわかることも多い。失敗したからこそわかることもある。若い人に無駄な歩みはないと言われるが、まさにその通り。何もせずに立ち止まっているほうが無駄なことだと思う。
だから挑戦したり、あがくことは大事だ。自分を変えたいと思う旅では尚更になる。せっかく時間を割いて海外に出ても、ガイドブックに大きく載っているような観光地ばかりを巡っていては、普通の観光客とあまり変わらない経験しか手に入らない。
何かを見つけたい、何かを得たいと思うなら、普通の人よりも深く、より困難な道を選び、もがきながら旅をしなければならない。

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
そのもがいている中で、簡単にイラクに行ける方法というのを知ったなら、幸田さんのように凄く魅力的な選択肢に思えてしまう人もいると思う。
普通の人が行くことのできないイラクへ行けるのなら、少なくとも人とは違う体験ができるし、何か違った視点が手に入るかもしれない。もしかしたら、現状を一発で変えるほど大きな経験値を手に入れることができるかもしれない。或いはもっと単純に人に自慢できるとか、スクープ的なものが手に入ると考える人もいるだろう。
もちろん、日本でそんな情報を聞いても、イラクに行くという発想にはならない。でも、イラクのすぐ目と鼻の先でそういう情報に触れれば、好奇心旺盛な旅人のこと。馬の鼻先にニンジンを吊るすようなもの。
冷静に考えれば割の合わない天秤でも、好奇心や焦り、欲が加わると、重さの比重が変わってしまう。自分だったら大丈夫。この程度だったら大丈夫。と。
更には、旅の経験値が低かったり、手に入れた情報がいい加減だったりすると、判断を誤ってしまう可能性が高くなる。今回の幸田さんの場合もこんな流れだったのではないだろうか。

(*イラスト:beepさん 【イラストAC】)
海外を旅すると日本では得られないような貴重な経験が入ると同時に、日本についての良さ、悪さも見えてくるものである。
日本に暮らしていると日本のいい部分ばかりが強調され、悪い部分はあまり知る機会がない。例えば日本を旅行する外国人にインタビューする場面では、「日本は素晴らし~いです」「秩序があって旅がしやすいです」「日本さいこ~です」ってなコメントばかりが並ぶ。
でも実際に海外を旅してみると、日本に行ったけど日本人は親切ではなかった。愛想がなく、冷たかった。旅をしていても淡白で思ったよりも楽しくなかった。その他ネガティブな印象を持った人も多い。まあ聞いたのが私のようなバックパッカーをしている人たちなので、裕福なツアー客と旅のスタイルが違うという部分はある。
でもその理由が、道で困っていても助けてくれる人はいなく、ただ通り過ぎていくだけ。質問をしても不愛想な返答しかしない。と聞けば、少なからず納得できる部分はあるのではないだろうか。

(*イラスト:カネーライスさん 【イラストAC】)
とりわけ外国人から見たら日本人、というより韓国、中国を含めた東アジアの人は、冷たいとか、不愛想に感じるようだ。他の国の人に言われるとムッとするかもしれないが、実際、社会から冷遇されたり、孤立したりし、自死を選ぶ人が多いのもこの地域である。
今回の幸田さん事件、そして春に起きたボランティアの事件でも、海外の人から見たら自己責任の大合唱というバッシングは、異様に思えたようで、そのことが結構話題になっていた。
人はそれぞれ、一生懸命生きている。一生懸命生きていても、時には判断を誤ったり、失敗したり、不運が降りかかったりするものである。一生懸命やった上での失敗は、必要以上に攻めるべきではない。寛容さとか、助け合いという気持ちも大事である。
とかく、何もしない人が、何かやろうとした人の失敗をあざ笑うような風潮が、村社会の名残なのか、日本では多い。更に言うなら嫉妬心をあおるような事案では激しくなる。しかも大衆迎合、主義主張もなく、しっかりとした考え方もなく、雰囲気に流され、集団でやるからたちが悪い。

(*イラスト:ニッキーさん 【イラストAC】)
黒澤明監督の「七人の侍」を見たことがあるだろうか。とある村が野武士に襲われ、それをちょっと訳ありの7人の侍たちが、非協力的な村人ともに追い払うといった映画になる。
幸田さん、そして4月に解放されたボランティアの人へのバッシングを見ていると、「七人の侍」に出てくる農民の姿こそ、日本人の姿をよく表しているように思う。
村社会では同じ価値観を持った人しか認めない。新しく何かをする人に対して、批判的であり、失敗したら「そらみたことか」とその人を叩く。かといって、自分一人では現状を変えることができないし、変えるだけの勇気もない。
思い切った行動から現状を変える発見が生まれることが多い。出る杭を自分の価値観と合わないとか、変化を恐れて、潰してばかりいたら、その先にあるのは現状維持という衰退しかないのではないだろうか。
ちゃんとした侍にはなることはできなかったが、幸田さんは侍になろうとしていた。その覚悟を私は認めたい。そして同じ旅人としてその名を胸に刻んでおきたい。
10、デジカメと紅葉(2004年12月1日)

季節は晩秋。近所の砧公園の木々が色づき、園内の様子が美しくなった。公園に写真を撮りに行くか・・・。そうだ。たまにはワンコの写真を撮ってやろう。と、チャーミーを連れて砧公園を訪れた。
今日、公園に持参したのは父親が持っているコンパクトタイプのデジタルカメラ、いわゆるコンデジ。
世間ではデジカメがブームになっているが、まだまだ一般的なデジカメの画素数は少なく、フィルムに肩を並べるだけの画質ではないし、なにより色彩というか、絵全体の不自然さも気になる。

なので、世間のブームを横目にフィルムカメラをメインに使っているのだが、最近ではバイクツーリングの時にちょくちょくデジカメを借りていたりする。
ちゃんとした写真に残しておくほどでもないけど、一応記録として残しておきたい。例えば、ツーリングの最中に食べたものとか、訪れた場所の解説板とか、フィルムの写真でわざわざ撮るのをためらうようなものでも、デジカメはフィルム代がかからないので手軽に撮ることができる。おまけに現像に出す手間がかからないし、保管するネガも増えないなど、画質は悪くても色々とメリットが多い。
でも、犬の写真の場合は、後にきちんと残しておきたい大事な写真になる。せっかく撮るなら画質のいいフィルムで・・・といった思いがあり、今まではフィルムのカメラで撮っていたが、今回初めて公園にデジカメを持参して、犬の写真を撮ってみた。



500万画素のコンデジということで、あまり画質の方は期待していなかったが、ブログなどに載せるサイズだと、少し色具合を修正してやる程度でフィルムとそう大差なく感じる。
それに犬の写真は現像してみたらブレていたり、ピントが合っていなかったりすることが多いけど、小さな液晶画面ながらその場ですぐ確認できるのが便利だ。

なかなかいいと思ったのが、ファインダーを覗かなくていいので、地面すれすれから写真を撮りやすいこと。犬目線ってな写真を、服を汚さずに簡単に撮れてしまう。
一番便利だと感じたのは、後から撮影した日付や時間がすぐに分かること。無精な性格をしているので、写真を撮りっぱなしにしていることが多く、後から「これ、いつ撮ったけな・・・」と分からなくなることがよくある。それが画像を開いただけで、撮影日時と時間がわかるのは本当に便利だ。

その場で確認できる。現像代がかからない。写真を整理しやすい。ポケットに入るぐらいの大きさなので、散歩の邪魔にならない。と、犬の散歩にはデジカメの方がいいかもしれない。
とはいえ、色がたくさんある場面では、色が飽和していたり、実際に紙にプリントしてみるとのっぺりとした感じがしたりと、フィルムの写真に比べるとまだまだ不自然さも気になる。
一番の問題点は、使う人間のこだわりの部分になるだろうか。カクカクする液晶画面を見ながら写真を撮っていてもあまり楽しくない・・・。やっぱりファインダーを覗きながら写真を撮る方が楽しいし、気分も盛り上がるというもの。

まあ、それぞれメリットデメリットがあるので、今日みたいに気分や状況によって、フィルムとデジカメを使い分ければいい。
結論的にはそういうことになるのだが・・・。最近ではフィルムを使う人が少なくなったことで、フィルムの特売も、クリーニング屋やドラッグストアの安い同時プリントも、徐々に消えつつある。

フィルムで写真を撮ることが、今までに比べると割高になってきたので、デジタルは好きじゃないと拒絶ばかりもしていられない・・・、といった現実も考えなければならなかったりする。写真好きとしては便利になったようで、不便になったようでもあり、なんとも微妙な状況だ。
世田谷編 2004年(6/7) 2004年(7/7)につづく