旅人とワンコの日々
世田谷編 2006年(6/12)
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
13、ガソリンの高騰とグダグダな夏(2006年8月)

(*イラスト:楠 (kusunoki)さん 【イラストAC】)
今年に入ってからガソリンの値上がりが止まらない。春を過ぎてから120円代が当たり前となり、「高いな・・・。そろそろ下がってくれないかな・・・」と思っていたのだが、7月になってまた一段と値上がって130円台になった。
サッカーワールドカップも終わり、いよいよ夏だ。旅行シーズンだ。どこへ行こう。と、気分が盛り上がっていくこの時期に、更なるガソリンの値上がりは旅行意欲がそがれてしまう。
実際、テレビでも連日ガソリンの高騰の話題が多く、マイカーを使った行楽客の出控えが起きているとかなんとか。みんな考えることは一緒のようだ。

(*イラスト:acworksさん 【イラストAC】)
私が原付に乗り始めたのが、1994年のこと。そして翌年からバイクに乗るようになった。親の車に乗っているときには、ガソリン代がいくらとか気にすることはなかったが、自分でガソリン入れるようになってから、ガソリン価格はもちろんだが、タバコと一緒でガソリンには多くの税金がかかっているとか、ガソリン価格は国際原油相場に影響を受けていることなどを意識するようになった。
1994年はまだ少し高かったが、1995年になると湾岸戦争の影響も落ち着き、ガソリン価格はぐっと安くなった。それ以降、昨年辺りまでは高くても110円というのが相場で、安い時は100円を切っていた。
3年前の2003年に佐渡をバイクツーリングしたのだが、ガソリンを入れようとスタンドを訪れたら、東京よりも20円以上高く、130円台だった。見たことのない金額に衝撃を受け、入れるのを躊躇してしまった。
それがここのところ東京でも120円を突破し、130円という表示を見かけるようになった。バイクに乗り始めてから10年経つが、ガソリンは高くても110円という金額に慣れ切っているので、この130円という金額になかなか頭が慣れてこない。しかもちっとも下がる気配がない。

(*イラスト:ユウジさん 【イラストAC】)
このガソリン高の原因は、原油相場の高騰。なぜ相場が上がっているのかというと、お決まりの中東の政情不安。イスラエルとレバノン、厳密に言うならレバノンを拠点にしているヒズボラとの小競り合いが続いていたのが、今年になって激化してしまった。
ヒズボラはイスラム教シーア派の政治・武装組織で、1982年に起こったイスラエルによるレバノン侵攻に抵抗するため結成された。アラビア語で「神の党」を意味している。

イスラエルとヒズボラが小競り合いをしているのは、言っちゃ悪いがいつものこと。それが5月にヒズボラがイスラエル北部にロケット弾が撃ち込み、それに対してイスラエル軍が空爆やミサイルで報復するといったことが続き、情勢が緊迫化してしまった。
7月になると更に過激になり、12日にはヒズボラの兵士がイスラエル北部に越境して、兵士を殺害。そして兵士2人を拉致した。この国境侵犯を機にイスラエル軍によるレバノン南部への侵攻が始まることになる。

イスラエル軍は首都ベイルートや南部のヒズボラ拠点などを空爆し、ヒズボラはイスラエル北部に大量のロケット弾を無差別に撃ち込んで応戦。多くの死者や負傷者がでて、家を失い避難民になる人も増えている。
このイスラエル軍のレバノン侵攻により、中東情勢が極度に緊迫化している。他の国が参戦するのではないか。かつてのオイルショックが再び起きるのではないかという懸念から、原油の供給不安が一段と強まり、先日1バレル=78.40ドルという史上最高値も付けている。卸価格に反映されるまで時間差があるので、ガソリン価格もまだまだ高騰していきそうだ。

レバノンの首都ベイルートは、かつては中東のパリと称えられるほど美しい町だった。第一次世界大戦の後、フランスの統治下に置かれ、パリを思わせる街並みが築かれ、その後中東の主要商業都市として繫栄したからだ。
しかし1975年から15年間続いたレバノン内戦で、町は壊滅的に破壊された。私が2001年に訪れたときには、まだ内戦で銃撃を受けた建物が多く残っていた。そういった内戦からの復興がかなり進んだ場所で、再び戦争が起きるというのは悲しい。
こういう戦争が起きて苦しむのは、巻き込まれる住民たち。家族を失い、家財を失いと散々な思いをしなければならない。そういったことに比べればガソリン高なんぞは微々たるもの。気にしてはいけない。・・・と人格者のような発言をしたいところだが、やっぱりガソリン高は困る。高いよりは安い方がいい。ほんと、この愚かな戦争は早く終結してほしい。

(*イラスト:K-factoryさん 【イラストAC】)
とまあ、あまりのガソリンの高さに旅の意欲がそがれてしまい、この夏はほとんど旅らしい旅をしていない。移動を信条とする旅において、ガソリンが高いな・・・というように値段を気にしていては気分的に盛り上がれない。
と、もっともらしくのたまいながら、懐具合が少し寂しいのが実際のところ。ガソリン高というのを言い訳に、この夏はほとんどバイクで出かけることはなく、6月~7月前半はワールドカップのサッカーをテレビで見て、8月は高校野球を見て休日が終わっていた。

(*イラスト:よしのたまきちさん 【イラストAC】)
こういう時は春のようにあまりお金がかからない山登りという手もあるが、夏は暑すぎるので山に登る気にならない。海とか川でダラダラと過ごすというのも、一緒に過ごしてくれるようなパートナーもいない。といったわけで、いつになくグダグダとした夏を過ごすこととなってしまった。
テレビを見ながら選手のプレーに「何やってるんだ!」「そんな簡単なミスしてるな」とえらそうに文句を垂れても、ガソリンが高いと言い訳し、冷房の効いた部屋でグダグダと過ごしている人間に選手も言われたくはないだろう。
テレビに向かって「何やってんの。しっかりしろ!」と言うより、鏡に映る自分に向かって言うほうがよさそうだ。
14、退職と旅人の苦悩(2006年9月)

(*イラスト:hrukyさん 【イラストAC】)
今年は4年に一度の冬季オリンピック、そしてワールドカップイヤーになる。サッカーワールドカップドイツ大会では、PK戦の末にイタリアが24年ぶりに優勝した。
日本は、事前の期待は高かったものの、残念ながらグループステージで敗退。でも、前回の日韓ワールドカップの流れを引き継ぎ、盛り上がった大会となった。
ワールドカップやオリンピックのように数年に一度のイベント・・・と同じように扱ってはいけないのだが、色々あってまた仕事をやめることにした。
せめてオリンピックのように4年に一度ならもう少し盛り上がるのかもしれないが、私の場合はその半分の2年ぐらいでやめることが多い。
なので、周囲からの反応は、「またか・・・」といった感じ。いやいや、年数の問題ではない。いい歳なんだからちゃんとしろよ!といった半分呆れられた反応になる。

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】)
旅人の苦悩と言い訳を少し書いてみよう。誰しも職場に対して何かしらの不満を持っていることだろう。賃金や待遇、拘束時間、人間関係、労働内容、将来性・・・全く不満のない職場で働いている人はほんの一握りだと思う。
待遇、仕事内容などの悩みは、本人の努力や能力次第の部分があるので、給料が安いと思えば、自分が成長するなり、努力してもっといい職場を目指すしかない。特に私のように旅に出るために仕事を辞め、中途採用を繰り返している人間は、目をつぶらなければならない部分は多い。
どうにもならないのは、人間関係の方になる。ハラスメントをするような人は論外だが、その人の生活における仕事の重要度とか、仕事への取り組み方や方向性など、働くことの価値観が合わないと、人間関係がギクシャクしてしまう場合がある。

(*イラスト:syocoranさん 【イラストAC】)
人それぞれ、背負っているもの、目指しているものが違うので、働くことの意義とか、価値観、取り組み方が違うのは当たり前。
生きていくうえでの仕事の重要度も、生活に占める仕事の割合も、仕事への距離感や関係性も違ってくる。もちろん年齢や家族構成に拠る部分も大きく、独身か既婚、子育てや介護を担っている時と、そうでない時でも違ってくる。
私の場合、旅についてを第一に考え、そこから色々なことが派生していく。普通の人は軸が家族か、仕事となるのに対して、旅、いわゆる趣味になっているから、どうしても他の人と価値観や行動、考え方にズレが生じてしまう。

(*イラスト:JamPanさん 【イラストAC】)
いくら私が並々ならぬ覚悟で旅に取り組んでいるといっても、他の人からすれば、旅は趣味や娯楽でしかない。こっちは生活が一杯一杯なのに、言動が旅のことばかりで人生に真剣味が足りないとか、考えや行動が軽いとか、いい加減とか、まあ要は輪を乱す存在のように思えてしまうようだ。
もちろんいい加減に仕事をしているつもりはない。それは胸を張って言える。でも他の人と同じことをやっていてもいい加減に見えてしまったり、好きなことをやっているので、嫉妬や反感を買いやすいといった部分がある。
もっと言うなら色々な土地を旅し、多くの文化を知っているし、転職の回数も多いので、これ違うんじゃない。こうした方がいいんじゃない・・・といった人よりも見えてしまうことも多い。
アルバイトで働くなら面白いやつとなるのだろうが、社員として働くとなると、お前に言われたくないとか、面倒くさいやつと煙たがられ、仕事をまじめに取り組めば取り組むほど浮いた存在になってしまう。

(*イラスト:カフェラテさん 【イラストAC】)
生き方や仕事に対する認識、社会的な常識がプラスマイナスを含めて一般的な感覚とズレているので、普通に働けばこうなってしまうのも当然といえば当然かもしれない。
郷に入っては郷に従えとあるように、そのコミュニティーの中で可もなく不可もなく大人しくしているのが一番。能ある鷹は爪を隠すともいう。私もなるべく最初はそうしている。
でも、好奇心旺盛なのが旅人。「こうやってみたらどうだろう。売り上げが上がらないだろうか。効率がよくないだろうか。」と頭に思い浮かぶと、どうにも試したくなってしまうのだ。
疑問のままでは前に進めない。やっぱり何事もやってみないとわからないし、失敗から学ぶものも多い。というより、私の場合は一度失敗しないと理解が進まない。
で、積極的に行動をすると、余計な仕事が増えたり、失敗すれば、何やっているんだとなる。入社の時は、「君の人と違った経験で、職場に新しい風を吹かせてくれ」と部長に言われたが、残念ながらここでは新しい風を吹かすことはできなかった。まあ今回は職場が自分に合っていなかったと思うしかない。

仕事を辞めてどうするんだ。今までと違って今回はちょっと深刻だ。若いうちは様々な経験をすれば、それは自分の血肉になっていくと言うが、もうそういった歳ではなくなりつつある。どちらかというと、家族を持ったり、自分の決めた道を責任感を持ってしっかりと進んで行くべき年齢になるだろうか。
自分の進むべき道というか、人生でやりたいことは分かっている。旅がしたい。でも旅を中心にすると、仕事がうまくいかない。旅は日常からの脱出なので、日常生活も地に足が付かなくなり、日常の中で浮いた存在となってしまうようだ。
17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトの言葉に、「あまりに旅に時間を費やす者は、最後には己の国でよそ者となる」とあるが、日常での疎外感はまさにその通り。身に沁みて感じる。

(*イラスト:まっきーばっはさん 【イラストAC】)
いっその事、何か旅で生計を立てることはできないだろうか。行きつくところはそこになる。それはずっと考えているのだが、旅は誰でもお金を払えばできてしまうことなので、生活できるだけの金を生み出すことは一筋縄ではいかない。
もし大航海時代ならスポンサーを付けて黄金の国ジパングを見つけに行くといったこともできるかもしれないが、現代では飛行機に乗ればどこでも簡単に行けてしまう。インターネットが普及したことで、珍しい場所というのも巷に溢れかえっていて、よほど珍しい場所を訪れない限り、凄いとはならない。

(*イラスト:白いねこねこさん 【イラストAC】)
かつては「旅は真の知識の大きな泉である<ディスレーリ>」「世界は一冊の本にして、旅せざる人々は本を一頁しか読まざるなり<アウグスティヌス>」「長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る<アラブの諺>」と言われたが、インターネットが普及した現代の情報化社会では現実味のない言葉になりつつあるように感じる。
旅に限ったことではないが、クリエイティブなことをしようと思うなら少なくとも人とは違ったことをするなり、何か新しいこととか、価値のあることを生み出さなければ、大きなお金になることはない。
そう考えると、こんな誰でも簡単に移動でき、情報が溢れた便利な時代に旅をして生計を立てるのは至難の業というもの。なんていうか、車の運転がちょっとうまいからと、F1レーサーを目指すようなものではないのか。それはとんでもなく細く、想像を絶するような困難な道のりってことになる。

(*イラスト:スクラッチングマシーンさん 【イラストAC】)
というより、今からそんな世界を目指して大丈夫なのか。今までもインターネットで旅のホームページを公開しているが、鳴かず飛ばずの状態。困難を通り越して、無謀というものだろう。
そういったことを考えていたところに、職場の人と険悪な感じとなってしまった。我慢することを頑張れば解決するかもしれないが、それは余計に自分が苦しくなるだけ。これもいい機会だ。覚悟を決めて旅に取り組むか・・・と、今の職場を去ることにした。
歩く道のりが困難であるほど燃えるのが旅人というもの。移動の過程を楽しむのが旅というもの。まあ今日まで何とかなってきたんだ。きっとこれからも何とかなるだろう・・・。
いやいや、先行きが不透明過ぎて、将来が不安でしょうがない。今はよくても、結局、最後には自分に返ってくる。有名なアメリカの作家アーネスト・ヘミングウェイの「あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない」という言葉が胸に突き刺さる。
世田谷編 2006年(6/12) 2006年(7/12)につづく