旅人が歩けばわんにゃんに出会う
国内編 岡山県(瀬戸内側)
岡山県の瀬戸内側で出会った猫の写真を載せています。
1、レトロな町の白にゃんこ(倉敷市玉島 2017年2月)
倉敷市の西側、ちょうど新幹線の新倉敷駅の南側に倉敷市玉島地区がある。現在は工業団地といったような場所になるが、地名に島の名が入っている通り、かつてこの付近は高梁川河口に広がる大きな干潟で、島が点在するような土地だった。
江戸時代に干潟が干拓され、現在では完全にこの付近一帯は埋め立てられ、普通の陸地になっている。言われなければ、この付近が海や島だったとはわからないだろう。
玉島の名の由来は幾つかあるが、その一つは、寛永19年(1642年)に松山藩が乙島玉谷の干拓工事をしている最中、玉のような2個の石を発見したことに由来するとか。
この話を普通に聞いても、ふ~ん。そうなんだ。ってな感じなのだが、実際にその玉を見せられながら説明されると、なるほどと納得してしまったりする。
玉島の中心は、こんもりとした丘の上にある羽黒神社と、その周辺。羽黒神社は名の通り、出羽の羽黒山の神霊を勧請し、祀っている神社になる。
この神社のある丘は、かつて島だったと言われている。そんなに標高の高い丘ではないが、周囲は平らだし、高い建物が多くないので、境内からは玉島の町を見渡すことができる。この眺めを見ると、海を干拓したというのも納得できる。
江戸時代に干拓された玉島は、港町として栄えた。瀬戸内の港として、また高梁川の水運で備中松山(現・高梁市)とも繋がり、問屋の店が軒を連ねた。とりわけ周辺で生産される綿の取引で大きな富を得ていた。
一時は瀬戸内随一の港と言われていた玉島だったが、徐々に港に土砂が溜まっていき、船の運行に支障が出たことと、綿の品質の悪化、周辺の港の発展などにより、衰退していった。
羽黒神社周辺には、昔の商家が建ち並んでいる町並み保存地区が幾つか残っている。歩くと、かつての繁栄を偲ぶことができるが、状態はあまりよくない。
江戸の頃からの古い町並みが残る玉島だが、昭和レトロを感じさせる町並みも残っている。その象徴的なのが、通町商店街。取ってつけたようなアーケードの屋根がいい味を出し、昭和のバラックのような雰囲気がある。私的には、中東のスークに似た雰囲気を感じたりする。
玉島を訪れたのは、ひな祭りイベントの日。古い町並みに雛人形を飾ったり、園児によるひな祭りパレードが行われたり、商店街ではステージイベントなどが行われる。また、羽黒神社では同じ日に七福神祭が行われるので、この日は一日町がにぎわう。
で、イベントを楽しみながらブラブラと羽黒神社周辺を歩いていると、路地に白猫がいるのを発見した。やっぱり白猫はよく目立つ。
やあ、こんにちは。白猫さん。すました感じの白猫さんに挨拶してみる。なかなか貫録があり、達観したような様子は、まるで仙人のよう。私の中では、ドラゴンボールに出てくるかりん様のようにみえてしまう。
白猫は、その目立つ毛色から臆病な猫が多いとか聞くが、この猫はそうでもない。首輪をしているし、人によく慣れているのだろう。
この家の猫かな。それとも遊びに来ているだけかな。普段はこの界隈をウロウロしていそうだが、今日はお祭りの日。町が騒がしく、隅っこで大人しくしているのかもしれない。
外で見る白猫は、薄汚れて残念な姿になっていることが多いが、この猫はとても美しいし、品も感じる。やっぱり白猫は、清潔感がないとダメってことだな・・・。
同じことは建物にも言える。この界隈には古く、立派な土壁の家が多い。しかし、朽ちたままになっている家が少なからずある。特に白壁は定期的に直さないと、逆にみすぼらしい感じになる。そう、白猫と一緒。この白猫と玉島の町並みを見て、白の美しさを維持するのは大変だよな・・・と、改めて思ってしまうのだった。
2、黒猫の階段登り(瀬戸内市牛窓町 2017年3月)
岡山県の東側、瀬戸内海に面したところに瀬戸内市がある。比較的新しい市で、2004年に邑久郡の邑久町、牛窓町、長船町の3町が合併し、誕生した。
瀬戸内市の牛窓町は、万葉集の時代から西国航路の港として栄えてきた。とても歴史のある港町になる。気になるのが、なぜ港町なのに牛の名が入っているのか。しかも牛の窓って、一体どういう意味?
それは町歩いてすぐにわかった。そのままの意味で民家の窓に牛のイラストが飾ってあったから・・・。ではない。
この地には牛鬼(人を襲う巨大な妖怪)の伝説があり、牛鬼を投げ飛ばして倒した際に、牛鬼が転んだ場所を「牛転(うしまろび)」と呼ぶようになり、それが訛って「牛窓」になったそうだ。
牛窓は、古くから西国航路の風待ち、潮待ちの港として名が知られていて、万葉集や山家集などに詠まれている。江戸時代には参勤交代や朝鮮通信使の寄港地にもなり、海の宿場町として栄えた。その繁栄ぶりは、牛窓千軒と近隣諸国に名が轟くほどだったとか。
今でもその当時の面影が残り、メイン通りとなるしおまち唐琴通り・・・と言っても細い道になるが、文化財に指定されている古い建物が多く軒を連ねていて、往時の繁栄を偲ぶことができる。
雰囲気のいい町並みは映画のロケ地にも使用されていて、映画「カンゾー先生(1998年)」のロケ地といった石碑も設置されていた。この他、映画「晴れのち晴れ、ときどき晴れ(2013年)」「君と100回目の恋(2017年)」などの映画のロケ地としても使われているそうだ。
牛窓のすぐ沖には前島があり、前島との間は唐琴の瀬戸と呼ばれている。この唐琴の瀬戸に面して大きな牛窓燈籠堂跡がある。いわゆる江戸時代の灯台で、昭和63年(1988年)に江戸時代の絵図から復元した。とても存在感があるので、牛窓の象徴のようになっている。
また、この燈籠堂跡や五香宮のある一帯は、多くの野良猫がいることでも知られている。
朝の静かな時間帯、唐琴の瀬戸に面した燈籠堂跡や五香宮付近を歩いていると、猫たちがウロウロしていた。人には慣れているようだが、私が歩いていてもあまり関心がない様子で、逃げもせずに寄ってもこない。
あまりにも無関心な態度に戸惑ってしまうのだが、今はお腹いっぱいで、人間には用がないといった状態なのかもしれない。
まあいいか。と、猫の傍を通って、一旦、半島の東の方へ歩き、再び同じ場所に戻ってきたのだが、なにやら猫同士のいざこざが始まっていた。
ふぎゃー、むにゃーと、激しく言い争いをしている。とりわけ、片方の猫は威嚇の体勢に入り、かなり声を荒げていた。
まあ、まあ、と、仲裁に入ると、責められていた猫がすごすごと去っていった。そんなに怒らなくてもいいのに・・・。といった様子。
横の溝を見ると、周囲をうかがっている猫がいた。喧嘩終わった?といった表情。猫たちの世界も、観察してみると面白い。
燈籠堂とともに唐琴の瀬戸を見守っているのが、高台にある五香宮。この宮には、航海や海上の守護神である住吉様などの神様がお祀りされている。海に出る人達には、灯台とともに頼りになる存在になっているのだろう。
その五香宮へは、長い白い石段を登ってお参りすることになる。タイミングがいいことに、ちょうど黒猫がその階段を登ろうとしていた。
白い階段を登る黒猫。まるで影絵のようであり、とても美しい。映えるというのはこういうことを言うのだろう。黒猫が階段を登る様子に、とても感動してしまうのだった。
3、石切り島のにゃんこたち(笠岡市北木島 2016年4月)
岡山県の西の端、瀬戸内海に面して笠岡市がある。笠岡市の瀬戸内海には、四国に向けて島が連なっている笠岡諸島がある。
笠岡諸島で一番大きいのが、北木島(きたぎしま)。そのすぐ北には白石踊りで知られる白石島があり、南には走り神輿で知られる真鍋島がある。諸島全体でそれなりに人が暮らしていることから、島のアクセスは比較的容易で、JR笠岡駅からほど近い笠岡の港からフェリーや高速艇が笠岡諸島へ運行している。
北木島は、石材の島と言われ、花崗岩の産出と加工で栄えた。北木島産の石は北木石と言われ、質が良く、徳川幕府が再築した大坂城の石垣、旧日本銀行本店、明治神宮、靖国神社など、多くの人が知る建物に使われている。
北木島って凄い島なんだ。特別な島なんだ。そう思ってしまいがちだが、隣の白石島でも同じように石が産出されているし、もっと言うなら小豆島など瀬戸内海全般に質のいい石材の産出地となっている。
陸上輸送が不便だった時代には、大きな石は海上輸送で運んでいたので、石を切り出してすぐに船に積める島は石切り場として有利だった。採掘がしやすかった。ということになるのだろう。
かつては石材で繁栄したものの、現在では安い輸入石材の方が採算がとれるので、島内での採石はあまり行われていない。もっぱら輸入石材の加工の方に力を入れているそうだ。
豊浦地区・金風呂地区などには、以前使われていた採石場の跡がそのまま残っている。大がかりに山を削ったようで、島の各所で垂直に高い岩壁が露出している。また、良質の石を求めて地下へも深く掘られている場所もある。こういった石切り場のことを丁場と呼ぶ。
採掘をやめた丁場の中には、水が溜まって丁場湖となっているものもある。明るい色の岩肌に木の緑、そして深い緑の水面にその時々の空の色が混ざり、これがとても美しい景色となっている。うまくすれば観光の目玉になり、少しは島の賑わいも戻るのではないだろうか。
石材産業で繁栄していたころには、島内にも活気があったのだが、現在では多くの石材会社は廃業し、細々と漁業で生計を立てているといった状態のようだ。
過疎化も進んでいるようで、島内の集落を歩くと、廃業し、放置されている石材屋や、放置され、今にも崩れそうな家屋が多い。結構、深刻なようだ。といっても、北木島だけではなく、多くの離島で抱えている問題になる。
北木島を訪れたのは、江戸時代から旧暦の3月3日の昼の満潮時に行われている伝統行事、流し雛を見るため。
紀州加太にある淡嶋神社の信仰に基づく行事になり、藁や紙で作った小舟に紙雛などを載せて海に流す。現在では観光行事として開催日をその近くの日曜日に移し、大浦の浜から一斉に流している。
流し雛は、まず水辺に桃などの小枝をさし、その横に船を置いて無病息災や家内安全、子供の健やかな成長を願う。女性の場合は女性特有の悩みや病気の祓いを願ったりもする。そして、「加太へ帰って下さい」と唱えながら、船を流していく。
満潮時に行われるのは、満潮の潮に乗せ、引き潮とともに沖へ流れるようにするため。とはいえ、全ては風次第。海から風が吹けば軽い船は浜へ戻ってきてしまうし、波が高ければすぐにひっくり返ってしまう。川に流す流し雛のようになかなか思い通りに流れてくれないのが、実際のところ。
でも、ちゃんと流れていかなくても、気にしない。ゆったりとした時間が流れる島では、浜に置いておけばそのうち流れていくだろう。そういったスタンスのようだ。せっかちな都会から離島を訪れると、発見することも多い。
離島といえば、猫。離島を訪れると、猫がたくさんいて・・・・といったイメージがあるのだが、どこの島でも猫がうじゃうじゃいるわけではない。
北木島を半周歩いた印象だと、ここにはそんなに多くの猫はいないかな・・・といった印象。もっとも、こういうことはタイミングで、野良猫は多くなると減り、減るとまた増えていくといった波があるものだ。
石の島らしく、あちこちに切り出した石が置かれていて、住宅にも贅沢に石材が使用されている。そういった石の前にいる猫たちは北木島らしい情景になるだろうか。
ただ、あまり人には慣れていないようで、近づくと逃げようとしてしまうし、流し雛の時間が迫っていたので、あまりいい写真は撮れなかった。でも、離島を訪れて猫に出会うと、とてもホッとした気分になる。
国内編 岡山県(瀬戸内側)