旅人が歩けばわんにゃんに出会う
国内編 岡山県(山間部)
岡山県の山間部で出会った猫などの写真を載せています。
1、寅さんロケ地のにゃんこ(高梁市 2023年9月)
日本の国民的映画「男はつらいよ」。主人公である車寅次郎、通称、寅さんが、生まれ故郷柴又を中心に日本中を旅しながら人情に触れたり、恋をするといった話になる。
第1作目が公開されたのが、1969年。数話で完結するつもりだったのが、あまりの人気からシリーズ化され、結局、1995年までに48もの作品が作られた。「一人の俳優が演じた最も長い映画シリーズ」として、ギネスの世界記録になっている。
ロケ地に選ばれる土地は、当然、ありきたりな場所ではなく、背景が絵になる場所、いわゆる歴史や趣きのある土地になる。そういった土地を映画の場面をなぞりながら歩くと、感情移入でき、風情や情緒をより強く感じるものである。昭和時代ほどではないが、今でも男はつらいよのロケ地を巡る旅は人気があったりする。
ロケ地を訪れてみると、国民的な人気作品だけあって、ここでロケがあったことを記した石碑や案内板が設置されていることが多い。まるで松尾芭蕉の句碑のようで、昭和版、奥の細道を巡る旅のように感じたりもする。
男はつらいよのロケ地の中でも、特に人気があるのが、岡山県高梁市。古い言い方では備中高梁になる。
その理由は、妹さくらの配偶者、博の父親の生まれ故郷といった設定で、第8作「男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971年)」、第32作「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983年)」と、2度も登場しているから。
高梁市は、岡山県の中西部に位置している。市街地は高梁川沿いにあり、すぐ下流では成羽川が高梁川に合流している。盆地に川の合流ときたら霧。とても霧の多い土地で、近年では山城である備中松山城が雲海に浮かぶ様子が人気となっている。
この山城である備中松山城には、猫の駅長ならず、猫の城主、さんじゅーろーがいたりするが、残念ながらまだ会ったことはない。
この町を歩いていると、備中高梁と、備中松山の地名が混在していて、観光客としては混乱することがある。それは、もともとこの地が松山であり、松山という土地は多いので、備中松山という言い方をしていたから。
江戸時代には備中松山藩があり、今の高梁市の繁華街は備中松山城の城下町として栄えた。しかし、幕末から明治に変わる混乱期に備中松山藩が朝敵となってしまい、後始末として改名を余儀なくされた。で、高梁川の名から取った高梁藩と改名し、その後の廃藩置県で高梁市になったという経緯がある。
城下町として栄えた高梁市には、今でも古い町並みや古い寺がほどよく残り、情緒ある町並みとなっている。なかでも中級武士の屋敷が建ち並び、武家屋敷街を形成していた石火矢町は、現在でも当時の景観を保っている。
男はつらいよの映画では、博の父の実家がある場所として石火矢町が登場する。実際に撮影に使われた屋敷は、今でも現存している。映画内では相続でもめていたが・・・。
もう一か所、男はつらいよのロケ地で、有名な場所がある。それは泰立寺(作中では蓮台寺)。32作の口笛を吹く寅次郎で、博の父親(先祖)の墓があるのがこの寺になり、寅さんが墓参りしているときに寺の住職の娘(竹下景子)に一目惚れをし、二日酔いの住職に代わって法要をあげ、そのまま寺に居候してしまう。
その大事な舞台となったのがこの寺になり、参道の入り口には男はつらいよのロケ地となった旨の石碑が置かれている。
趣きのある山門をくぐり、感慨深く泰立寺の参道の階段を登っていった。なかなか傾斜がきつい階段で、この階段も作中に登場している。
階段の両脇は墓地になっていて、ふと横を見ると階段近くの墓地でにゃんこがくつろいでいた。寅さんのようにこの寺に居候しているのだろうか。それとも遊びに来ているだけなのだろうか。
こんなところでにゃんこと遭遇するとは、なんとも幸運。今日の散策は当たりだな。しかもトラ柄。何かいいことがありそうだ。
墓地といえば、映画の中で寅さんが墓参りをしたり、法事をしていたな。あの場面もここでロケをしたのかな。どこだろう。
にゃんこに尋ねてみると、「こっちに来るにゃん」と、走りだした。
にゃんこは3mほど進んで振り向くと、「ここだにゃん」「撮影の時にはここに諏訪家の墓が置かれたにゃん」と、教えてくれた。
そういえば、こんな感じだったな。今は諏訪家の墓はないけど、多分ここだ。家に帰ってからまた見直してみよう。
なかなかよくできたにゃんこだ。立派にお寺の勤めができている。にゃんこにお礼を言って本堂の方へ階段を登っていった。
というのは私の空想の話で、人に慣れていそうだったので、にゃんこに近づいてみたものの、まんまと逃げられてしまった。たまたまこっちの様子を確認するために振り返った場所が、映画の中で諏訪家の墓があった場所だったというだけのこと。
あらら、逃げちゃた。と、そのまま階段を登ってお寺を参拝し、再び戻ってきてみると、にゃんこは邪魔されないよう墓地の奥の方で昼寝をしていた。
2、山道とニャンコ(高梁市・新見市 2023年11月)
岡山と広島の県境近くの平川で行われる民俗芸能「渡り拍子」を見に出かけた。渡り拍子というのは、この地域独特の秋祭りの供奉楽で、太鼓を4人で打ち、拍子木、鉦(かね)など打ち鳴らして乱舞するといったもの。
勇壮な舞いや日本の原風景のような農村風景に感動するのだが、ここまで行くのが大変だった。道が悪く、まさに陸の孤島といった表現がふさわしい場所だったからだ。
中国地方の山間部の道は悪い。幹線道路を外れると、すれ違うのがやっとといった道が多く、舗装もひどいものだ。といっても、東北でも九州でも、日本中、山間部の道の悪さは同じようなものだろう。
「渡り拍子」を見た平川からは、東城に抜けたかった。山間部では遠回りとなっても道のしっかりした幹線道路に出るのが最善だが、ちょうど紅葉時分なので、岩倉八幡神社の大銀杏を見てみたい。ちょっと道が悪そうだが、北の備中湖を抜けていくことにした。
この道が他所御通りで狭く、アップダウンもあり、神経をすり減らすほどに大変な道中だった。幸いなことに対向車に一度も遭遇しなく、ホッと胸をなでおろした次第。
途中の備中湖は、とても細長いダム湖。田原ダム、新成羽川ダムと二段構成になっているのが珍しい。
それよりも渇水の方が心配で、奥の方は底が見えている状態になっていた。実際、取水制限もされているようなので、まとまった雨が欲しいところ。とはいえ、近年の天気はドカンとまとまった雨が降ったと思ったら、一向に雨が降らなくなったりと、極端な天候なので困る。
その備中湖を過ぎ、山を登っていく途中、道端に猫が佇んでいた。こんな人里離れた山道に猫がいる・・・。もしかして野猫ってやつではないのか・・・。突然の出会いに、とても驚いた。そう、先ほどから民家に遭遇していなく、山奥という言葉がふさわしい場所だったからだ。
車を見ても逃げない。ってことは、人に慣れているのか。車から降りてみても、慎重にこちらの様子をうかがっているが、逃げる様子はない。
しゃがんでみると、こっちにこようとする。いや、車に乗りたいのか。実は新手のヒッチハイクだったりして・・・。
でも、なんだってこんなところに人に慣れた猫がいるんだ・・・。まさか何もない山の中に捨てられてしまったとか・・・。そんな嫌なことが頭に思い浮かんでくる。
どうしたものか。お腹が空いているのかな。犬と旅をしているので、拾ってやることはできないが、犬の餌やおやつは車に積んである。
それをあげてみると、喜んで食べていた。頑張って暮らすんだよ。もしくはいい人に拾ってもらうんだよ。それから滅多に車が通ることはないけど、車に引かれないようにね・・・。
切ない気持ちで猫を置き去りにして車を発進させるのだが、ものの3分も走らせないうちに山の中にキャンプ場が出現。って、さっきの猫はここで面倒見てもらったり、キャンパーから物をもらって暮らしているんだろう。
ずっこけるような展開ではあったが、心の中にあったモヤモヤが解消され、ホッと胸をなでおろすのだった。
さらに車を進め、大銀杏のがある岩倉八幡神社に到着。駐車場に止めようとするのだが、入り口が分かりにくく行き過ぎてしまった。Uターンしなければ。どこか広い場所はないかな。と、探していると、目の前を猫が歩いていた。なんてよく猫に遭遇する日なんだ。しかも山の中で・・・。
こういった山道ではイノシシやシカにはよく出会うが、こんなに猫に出会うというのは珍しい。今回も車を降りてみるのだが、この猫は私の姿を見るなり、走って逃げてしまった。
岩倉八幡神社はこの地域の氏神様で、参道入り口にある随神門は新見市の文化財に指定されている。
目玉のイチョウは、樹高が約35m、根元の周囲が約7m、根元の主樹を中心に6本のわき芽(幹)が出ているのが特徴になる。推定樹齢は500−600年。なかなか立派なイチョウの木だ。
ただ日が沈んでしまっていたので、すごくきれいとか、圧巻といった感想にはならなかった。次来る機会があれば日中に訪れたい。
3、牛の碁盤乗り(新見市哲西町 2018年5月)
新見市の西部、広島の東城町に接して哲西町がある。ここには鯉が窪湿原があり、珍しい湿生植物や水生植物など300種類以上の植物が自生している。
こういう場所は、植物が好きな人にはとても貴重な場所となるのだろうけど、私のようにそうでない人間には、緑豊かな場所としか感じない。正直、こういった場所の評価は難しい。
国道182号線沿いには、鯉が窪湿原の名をとった道の駅があり、5月の連休にはその周辺で鯉が窪湿原まつりが行われている。(*現在では「哲西の太鼓田植よいとこまつり」と名を変えているようです。)このイベントでは、この地方に伝わる伝統的な田植を中心に、神楽などのステージが行われる。
田植のイベントといえば、広島が有名。北広島町の壬生の花田植は世界遺産に指定されている。広島では花田植とか、囃子田という言い方をするが、この地方では太鼓田植という言い方をしている。やっていることはそんなに変わりがないが、所変わればというやつなのだろう。
こういった伝統的な田植は、田植は辛い作業なのでみんなで楽しくやりましょう。みんなで共同作業をやることで絆を深めましょう。といった事が根底にある。
それと同時に田の神様を称え、五穀豊穣を願う儀式的な要素もある。更には、大きなお祭りにして周辺から人を呼び、着飾ったり、てきぱきと作業をこなすことで、他所の地域の人に花嫁、花婿としてアピールするといった婚活の側面もあったりする。
そう、交通が不便な時代、山間地域では他の地域との交流が少なく、集落の血が濃くならないように花嫁花婿を探すのに苦労したのだ。長く続く伝統的な行事には、表面的なこと、内面的なこと、色々な意味があったりする。
このイベントのパンフレットを見たとき、面白い出し物の文字に惹かれた。それは牛の碁盤乗りといったもの。演じるのは新見高校の生徒とのこと。
碁盤乗りってことは、牛が碁盤の上に乗るってことなのだろうけど、常識的に考えて、巨体の牛が小さな碁盤の上に大人しく乗っている様子は想像できない。碁盤が4つ用意されるとか・・・。どんな出し物かよくわからないけど、牛が活躍するならぜひ見てみたい。田植行事が好きなのもあるが、このイベントを訪れることにした。
牛の碁盤乗りは、その名の通り牛を碁盤の上に乗せるといったもの。なぜ碁盤乗りをさせるのか。それは牛の調教のため。現在の牛は、もっぱら牛乳生産や肉牛として飼育されているが、かつては田畑を耕したり、荷物を運ぶ使役動物としても飼われていた。
そういった役割をこなすには、真っすぐ歩いたり、左右に曲がったり、止まったりを理解させる調教が必要で、かつては牛の調教が当たり前に行われていた。その調教の奥義的な存在が、牛を碁盤の上に乗せる「牛の碁盤乗り」になる。
生徒が持っている幟にもあるが、ここ岡山県新見地区はブランド牛である「千屋(ちや)牛」の生産地になる。
千屋牛が有名になったのは、高度な調教技術があったから。牛の碁盤乗りもここ新見でつくり出されたもの。昭和22年には天皇陛下がご覧になり、テレビで全国に放映されると、千屋牛の名は全国に広まり、碁盤乗りの技術も全国に普及していった。
ただ、その後、耕運機やトラックなどの農業機械の発展で、牛を働かせる機会がなくなっていき、牛の調教技術は廃れていった。今では数えるほどしか碁盤乗りを調教できる人がいないとか。
新見の伝統の技を廃れさせてはいけない。と、新見高校の生徒たちがそういった人から昔の技を習い、それを地域のイベントで披露している。当然、地元の人はそれを分かっているから、多くの人が集まり、声援を送っていた。
ちなみに、牛馬という言葉があるように、牛とよく比べられるのが馬。馬もまた人間に調教され、使役動物となっていた。
若干の得手不得手はあるが、馬ができることは牛もできるし、牛ができることは馬もできる。ただ、牛歩という言葉があるように、牛の方が馬力はあるが、動作が遅い。同じ碁盤乗りをするにしても、馬の方が軽やかにこなすことができる。サーカースなどの曲芸に向いているのは馬ということになる。
足の速さも馬の方が速く、世界的に競馬にも使われている。牛は馬に比べて足が遅いが、海外では牛がレースをしている地域もある。力比べの闘牛なら牛だけのものだろう・・・。と思ったら、海外では闘馬があったりする。本当によく似た生き物だ。
ただ、牛は神聖な動物として崇められている宗教があったり、牛乳、食肉としても広く利用されている。現在の人類に関りが深いとなると、牛の方に軍配が上がるのではないだろうか。
牛の碁盤檻に話を戻そう。生徒たちは碁盤乗りのために多くの練習をこなしてきたそうだ。ただ、奥義と言われているだけあって、碁盤乗りはとても難易度が高い技になる。
それに牛は気まぐれでもあるし、こういった大勢の観客に囲まれる場面にも慣れていない。成功する確率は五分五分といった感じで、あまり自信はなかったようだったが、見事にその大役をこなし、観客から割れんばかりの拍手を受けていた。高校生がやってのけてしまうのだから凄い。あっぱれと言うほかない。
4、天神狭の黒猫(井原市芳井町 2023年11月)
井原市の北西部で行われている祭りを見に出かけ、その帰りに県道9号線を通行していると、天神狭の案内板があった。案内板にはモミジのマークがついている。紅葉の名勝なのか。時間はあるし、紅葉時分だし、立ち寄ってみるか。と、ちょっと寄り道していくことにした。
天神狭は小田川の渓谷で、約1kmにわたって清流沿いに楓、樅、樫などの樹木が生え、美しい風景をつくっている。
黒丸神社、天神社近くにかかる紅葉橋付近の紅葉がそこそこ有名になっているようだが、訪れたときはまだ少し時期が早かったようで、いまいちな感じだった。
帰ってから調べてみると、紅葉よりも川遊びができる渓谷としての方がよく知られているようだ。紅葉橋から少し上流にある広い河川敷や、その近くにある中村川砂防公園で、森やせせらぎを聞きながらのんびりデイキャンプをしたり、川遊びをする人が多いとか。
天神狭を歩いていると、何やら猫の鳴き声がする。鳴き声のする方へ行ってみると、建物の隅で黒猫が鳴いていた。
どうした。迷子かい。それとも餌をくれる人を呼んでいるのかい。そう尋ねてみるのだが、連れていたチワワが、なに、なに、なんかあったの?と姿を見せてしまったので、黒猫は威嚇モードになってしまった。
こういう時は抱っこ。犬を抱っこすると、猫には見えなくなってしまうから不思議。
少し下がってみると、こっちの方へやって来た。なんとなく去って欲しくなさそうな様子にも見える。でも、傍までやってこないところをみると、人間には関心があるが、それなりに警戒心もあるようだ。
で、こっちがしゃがんでジッとしていると、黒猫は中途半端な間合いで落ち着いてしまった。人間の姿がある方が落ち着くのだろうか。
いつも思うことだが、こういった辺境のあまり人が来ないような観光地、しかも周囲に民家がないような場所に猫が住み着いているのは、不自然に感じる。誰かが捨てていったからではないのか。
こういった場所で思いがけずに猫に会えると、うれしいにはうれしいのだが、それと同時にモヤモヤとしたものを感じてしまう。
国内編 岡山県(山間部)