旅人が歩けばわんにゃんに出会う
国内編 静岡県
静岡県で出会った猫の写真を載せています。
1、着物女性に甘えるにゃんこ(下田市 2008年5月)
江戸時代の日本は、自由に外国人が入ってこれないように鎖国を行っていた。日本人の閉鎖的な気質は、この江戸250年の間に熟成された・・・。と言っても過言ではないだろう。
そんな江戸時代の末期、嘉永6年(1853年)に、アメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が浦賀沖に現れ、停泊した。そして測量と称して、江戸湾奥深くまでやって来たので、江戸中が大混乱に陥った。いわゆる黒船の到来である。
鎖国中といっても、全く外国人がいないわけではなく、外国船も大騒ぎするほど珍しくはなかった。が、今回の船は今までのものとは全く違った。船体は真っ黒に塗られ、煙突からは黙々と煙が出ている。そう、多くの日本人が蒸気船というものを初めて見たのが、この時になる。
なんとも恐ろしいものがやって来た・・・。鬼の使いではないか・・・。多くの日本人は恐れおののき、日本中にその動揺が伝わった。
艦隊を率いていたのはペリー提督。日本を統治している江戸幕府に対して、鎖国をやめ、条約締結を求めた。困った幕府は、ペリー一行を歓待をし、今すぐ返事は出来ないと、時間を引き延ばすことにした。
そして翌年、伊豆国下田(現・静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、和親条約の細則を定めた全13か条からなる下田条約を締結した。
日米和親条約で最初に開港したのが、下田と函館。日本とアメリカとの国交において重要な土地になる。
その下田では毎年5月中旬に黒船祭が行われ、日米の関係者が集い、献花や記念式典が行われる。その後日米の関係者によるパレードや、ステージなどでのパフォーマンス等、多くの催し物が行われる。
町中には多くの出店が出て賑わい、この日は国内外から多くの見物客が訪れ、一年で一番下田が賑わう日となる。
海岸から下田条約を締結した了仙寺までは、ペリーロードという名が付けられている。ペリーロードは水路沿いの小道で、地面には石畳が敷かれ、水路に沿って柳が植えられていて、道沿いには古く、趣きのある建物が並んでいる。とても雰囲気のいい道だ。
黒船祭ではペリーロード沿いにも飲食店や雑貨などの店が並ぶ。そのペリーロードを歩いていると、着物女性に甘える白にゃんこを発見。
白猫は道の真ん中に横になって、撫でて撫でてと着物女性を困らせている。まるで幼児が「歩きたくない。抱っこ。抱っこ」とお母さんに甘えているかのよう。なんとも微笑ましい。
通り過ぎて振り返ってみると、白猫さんは意中の着物姿の女性にちゃんと撫でてもらっていた。よかった。けど・・・。私も猫になりたい・・・。
黒船祭はテーマが幕末ということで、本格的な時代劇用の衣装や、着物のレンタルに力を入れている。なので、歩いていると着物姿の女性が多い。
ペリーロードのような趣きのある路地に着物姿の女性が多いと、まるで時代劇のセットに迷い込んでしまったかのよう。情緒があって旅の気分が盛り上がる。
もう一匹猫を発見。今度は黒猫だ。橋の上で開いていたフリーマーケットなのか、雑貨屋なのかわからないが、ふと見ると黒猫の姿があった。猫好きなら即座に反応してしまうだろう。趣きのある町並みの中に黒ニャンコのイラストがよく映えていた。
国内編 静岡県