旅人が歩けばわんにゃんに出会う
国内編 山形県
山形県で出会った猫の写真を紹介しています。
1、山寺のにゃんこ(山形市山寺 2003年9月)
「日本で一番の俳句人」との問いに、多くの人が名を挙げるのは松尾芭蕉だろう。江戸時代前期の俳諧師で、彼は俳句を単なる言葉遊びの芸事から、短詩、いわゆる文学に高めた。
彼の著書で一番有名なのは、「奥の細道」。奥州や北陸を旅した時の紀行本で、書き出しの「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」の一文は、高校の授業などで習い、耳にしたことがあるという人が多いと思う。
この意味は、「月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであって、過ぎては新しくやって来る年は、行き交う旅人のようなものである。」といったもの。
旅はよく人生の縮図のように語られる。旅というのは移動が本質であり、その移動の中で新しい出会いを繰り返す。その出会いにしても、新しい出会いを経験したり、月日が経つことで薄らいでしまう。
月日の流れという自然の摂理と、その場にとどまらず通り過ぎていく旅人をかけたのが、この言葉になる。俳句人らしい、いや、旅人らしいと言うべきだろうか。よく旅人の本質をついていると感心する。
この「奥の細道」への世間の関心は高く、旅の始まりの地である千住大橋付近に芭蕉像があったり、草加宿に百代橋が設置されていたり、俳句を詠んだ土地土地に句碑が設置されていたりと、ビックリするほどその痕跡が多い。
こういった過去の文人の足跡を辿る旅というのも、テーマがしっかりとするし、自分だったら・・・とか、現在だったら・・・などと想像力が働き、面白そうに感じる。
近年ではアニメの舞台となった場所を旅して周る、聖地巡礼という言葉を耳にするようになったが、芭蕉巡りの旅もそういった聖地巡礼と同じ系統・・・。いや、元祖的な存在になるのだろう。
芭蕉巡りの旅をしていたわけではないが、東北縦断の旅の途中、奥の細道に登場する山形にある山寺を訪れてみた。
山寺の名はよく聞くと思うが、これは通称になる。正式には宝珠山立石寺。奇岩怪石からなる山全体が、古くから修行と信仰の場として使われてきた。
山寺が世間に名が知れているのは、芭蕉が訪れたのもあるが、それよりも大仏殿のある奥之院まで1015段の階段を登らなければならないことにある・・・と思う。
この長い石段は、登ることで煩悩が消滅すると言われている。信心深い人にはご利益のあるありがたい階段となるのだろうが、実際問題、千段もの階段はちょっとした登山と一緒。1時間程度かかるので、かなりきつい。
ただ、登った分の価値はあり、山頂付近には天空に浮かぶお堂やら、素晴らしい景観が広がっている。もちろん苦労して千段もの階段を登った達成感で、実際よりも物事を美化して感じてしまうというのもあるだろう・・・。
ここを訪れた松尾芭蕉は、奥の細道で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と残している。どうやら夏に訪れたようだ。暑いし、階段がきつくてしんどいのに、追い打ちをかけるように蝉の声が喧しい。と、苦労している様子がうかがえる。
でも、そこは俳聖。凡人のように不満たらたらと詠んだりはしない。言葉遊びで喧しい蝉の声を俳句に封じてしまった。辛くても辛さを感じさせず、逆の発想で切り抜ける。それが一流ってやつなのだろう。(*私の勝手な解釈です。)
私的には風景や情緒、文学、宗教心よりも、山寺での一番の感情は達成感。千段の階段を登った後の気持ちを俳句ではなく、写真に残すならこんな感じ(上の写真)。ロッキーのポーズで写真を撮ってもらった。
凡人は凡人なりに楽しむのが一番。芭蕉のように、色々とひねって難しく考えると、旅の感覚が狂ってくる。旅人に大事なのは素直さ。素直な感動こそ大切にしなければならない。と思ったりする・・・。
さて、多くの人が訪れ、観光地化している山寺の参道には、多くの店や宿が並んでいる。その中には山寺焼の窯元のお店があった。山寺焼の文字に興味がいくが、ここで焼いているから山寺焼で、そこまで特徴があったり、名が知れているわけではないようだ。
その山寺焼のお店の前、夕日を浴びながら店の拭き掃除をするおばさんと、そんなこと知ったこっちゃない・・・といった感じで、自分の毛繕いをする猫がいた。まさに猫ってな感じの様子。それと同時に、山寺ののんびりとした日常を感じられる光景だった。
この様子を見て、私も芭蕉のように一句。といきたいところだが、俳句の才能がないので思い浮かばない。芭蕉だったらどんな句を詠んでくれるだろうか。そんなことを想像すると楽しい。
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