#8 赤の広場
1997年12月、飛行機の乗り継ぎを利用して、極寒のモスクワ市内を半日ほど散策した時の旅行記です。(*全12ページ)
21、赤の広場
ショッピングセンターでマフラーを買い、装備は万全。昼食を食べ、暖かい場所で休んだので、体のコンディションも回復。ゆっくりしていても時間がもったいないので、極寒のモスクワ散策の第2回戦を開始しよう。ということで、ショッピングセンターを後にして、赤の広場に向かって歩き出した。
私は、東西冷戦、ペレストロイカ、冷戦終結、ソビエト連邦崩壊をテレビのニュースで、また受験勉強で学んできた世代だ。
ソビエト関連のニュースといえば、いいニュースはほとんどなかった。外には威圧的で、内では血の静粛の嵐が吹き荒れ、絶えず赤の帝国、或いは冷酷な国と呼ばれていたのを見てきた。
モスクワといえばクレムリンと赤の広場が真っ先に思いつく。でも、かつて赤の帝国と言われたように、ソビエトの象徴といえば赤の広場の方が印象が強い。
それは東西冷戦時代に赤の広場で大々的な軍事パレードが行われ、その映像が度々ニュースで流れていたから。「どうだ。我々の力は!」と言わんばかりに、最新の核弾頭を搭載できるミサイルなどが仰々しく行進していき、それを書記長など幹部が見守っていたのが、今でも強烈に印象に残っている。
だから正直なところクレムリンよりも楽しみにしていたのが、赤の広場だった。たぶん、それは旅の好奇心よりも、怖いもの見たさといった部類になるのだろう。
一番最初にクレムリンを見た交差点付近が、赤の広場への入り口になる。ここには赤い宮殿のような建物が建ち並び、その合間に赤の広場へ通じる門が設置されている。
この門がまるでおもちゃの城のような可愛らしい造りをしていた。冷徹とか、非情とか、殺伐とか、そういったイメージ満載の「赤の広場」の入り口にある門としては、まったく似つかわしくない。
武骨な雰囲気とか、恐怖を感じるような威圧的な門だと、頭に思い描いているイメージ通りといった感じで、門に入っていく気分も高まるのだが、肩透かしを食らった気分だった。
ちなみに、門よりも前で目立っている建物は国立歴史博物館となり、その前にある騎馬像はマルシャル・ジュコヴ。ソ連の軍人であり、政治家でもあった人になるようだ。
さあ、いよいよ赤の広場だ。門には二つの入り口が並ぶように設置されていたが、どういうわけか、片方しか開いていない。それぞれ出口と入り口専用にすれば効率がよさそうなものだが、何か理由でもあるのだろうか。
やっぱり通る人間を監視しやすいとか、いざという時に封鎖がしやすいからだろうか。すぐにそういったことが頭に思い浮かぶのは、ここがロシア、しかもその中枢の赤の広場だからだろう。ほんと、何が起きてもおかしくない。
って、気分を盛り上げながら開いている方の入り口へ向かっていくと、門の奥に赤の広場の象徴とも呼べる聖ワシリイ大聖堂が見えた。
カラフルなシュークリームが塔の上に沢山ある建物と伝えれば、多くの人が「あの建物ね」と思い浮かべるやつ。私の世代ならテトリスを思い浮かべる人が多いので、友人などにはテトリスの建物と伝えると、すぐに理解してくれる。
それが門越しに見えると、なかなか印象的だ。そういえば、この光景はどっかで見たような・・・。そうだ、タージマハールだ。インドを象徴するタージマハールでもこんな感じだった。印象的な建物はやはり出会いも印象的というやつかもしれない。そんなことを思いながら写真を撮った。
22、レーニン廟
門をくぐって赤の広場に入ると、想像していたよりも遥かに赤の広場は広かった。奥行きがとてもあり、広場に建ち並ぶ建造物も大きく、壮大という表現がぴったりだ。
入って右手には赤の絶壁といった感じで、クレムリン沿いに高い赤い壁が聳えている。正面には聖ワシリイ大聖堂、左手はデパートなどの古風な石造建造物が並んでいる。
雪が積もっているのもあるかもしれないが、赤の帝国といったイメージよりもおとぎの国が似合っているといった雰囲気。歩くと心躍る感じがしてくる。
でも軍事パレードの印象も頭の片隅にあるので、その両方が頭の中で混ざり、混乱してくる。きっとおもちゃの兵隊が行進していれば一切がすっきりと解決するはずだ。
クレムリン宮殿の壁沿いに進んで行くと、中央付近には演説台があった。軍事パレードではこの台の上に幹部が並び、手を振っていた。そして歴代の書記長が立って演説していたように記憶している。
ロシア人にとってはとても感慨深いものがあるみたいで、見ていると観光客は必ずここで写真を撮っていた。
じゃ私もっと、写真を撮っていると、二人組みのロシア人らしき男性が私に近づいてきて、恐らくロシア語で何か言いながらカメラを渡してきた。
えっ、私にくれるの?日露友好ってやつか・・・ってなわけないか。写真を撮ってくれということだろう。しかし、モロッコの民族衣装を着た東洋人によく頼もうと思うものだ。その心がよく分からない。そもそも言葉が通じないとか考えないのだろうか。
これが日本だったらこんな得体の知れない格好をした人間には絶対に頼まない。外国人に頼む人すら滅多にいない。ここではロシア人に頼むよりも異国の観光客に頼むほうが安心なのだろうか?いや、もしかしたら誰とでも仲良くできるような友愛の国なのかもしれない・・・。う~ん、よくわからん。
写真を撮り終わると、当たり前のようにロシア語でお礼のような言葉を言われ、返答のしようがないので、適当に笑顔で頷いてカメラを渡した。
それにしてもみんなお決まりのようにこの演説台の前で写真を撮っていく。ここで写真を撮らなければならないという御約束事があるのだろうか。
持ってきた地図を見ると、レーニン廟の表記がこの演説台付近と重なっていた。小さな地図なので、文字が重なってしまっているんだな。と、この時は気にしていなかったのだが、後で知ることによれば、この演説台そのものがロシア建国の父と言われるレーニンの遺体が安置されているレーニン廟だった。
だからここでみんな写真を熱心に撮っていたんだと納得。演説台と思い込んでいたものがまさかレーニン廟とは・・・。後で知った事実に衝撃を受けてしまった。
演説台・・・、ではなく、レーニン廟からお菓子の家のような佇まいの聖ワシリイ大聖堂へ向かって歩いた。
おみやげ物を売り歩く人も数人いたが、雪が積もっているせいか観光客はほとんどいないので、みな暇そう。その横を通り過ぎようとすると、私が買ったのとそっくりな帽子を持っている人がいた。
いくらだろうか。あの大学生はいいやつだったのだろうか。もしボラれていたらショックだな。でも確かめたい・・・。ふつふつと疑問がもたげてきて、通り過ぎた後、わざわざ戻っていくらかと聞いてしまった。
英語はなんとか通じるようで、わざわざ戻ってまで買いに来た鴨だと思ったのか、帽子を「グッドクオリティ」と言いながら見せ、続けて「50ドルだ」と言ってきた。
よかった・・・。少なくともあの大学生はこの人よりも良心的だった。きっと値段的にも妥当だったのだろう。ちょっと安心できた。
更に歩くと、左の方ではかなりの人が集まっていた。なんだろう。実演販売でもやっているのかな。
近づいてみると、おっさんが少々興奮気味に声を張り上げていた。どうも実演販売という感じではなさそうだ。宗教とか、政治の演説っぽい感じ。少し耳を傾けるものの、ロシア語が分からないので単語から内容を推測することができない。
政治的なことなんだろうか。それとも宗教的なものなのだろうか。それにしてもこんな赤の広場で演説するなんて・・・、ロシアでも言論の自由が公になっているということなのだろうか。
ちょっと意外な感じがしたが、どこからとなくKGBなどの秘密警察がチェックを入れていそうな不安もぬぐいきれない。長いこと立っていたら、後で警察が身分証を出せと厄介なことになるかもしれない。
ソ連崩壊後のについての政治書をたくさん読んだので、色々と変な知識が頭に残っている。政治的な弾圧があったのも事実だし、まだ残っていることも考えられるので、すぐに立ち去った。
23、聖ワシリイ大聖堂
赤の広場の一番奥、モスクワの象徴と言える聖ワシリイ大聖堂のすぐそばまで来た。離れた場所から見ると、美しくかつ整がとれ、それでユーモアの溢れる建物といった印象を持ったが、近くで見ると面白い建物という部分が増す。
特にユニークに感じるのが、塔の上にのっかている丸いやつ。まるでデパートのアドバルーンのようで楽しげだ。或いは、シュークリームのお化けとか、ネギ坊主だったり、インド人のターバン等々、人によって思い浮かべるものは違うだろう。何にしても、その形が同じ色、同じ大きさ、同じ模様でないとことに面白味を感じる。
近づいて気が付いたのが、シュークリームのお化けみたいなものの上に十字架が立っていること。それも全てクレムリンの方を向いていた。
建物は広場に向いているけど、十字架だけ他を向いているのは、まるで衛星放送のパラボラアンテナみたい・・・。更にユーモアあふれるおもちゃの城のような印象が強くなった。
建物の前で写真を撮っていると、観光客がぞろぞろと中から出てきた。中に入れるようだ。せっかくだから入ってみるか。クレムリンではどこも入らず出てきてしまったしな。
入場券は・・・。入り口付近に入場券売り場が見当たらない。無料かな。そんなことはないか。きっと中でお金を払うのだろう。そのまま中に入ろうとすると、係りの人らしき人に呼び止められ、「チケット、チケット」と言われた。どうやらチケットがないと入れないようだ。
チケットはどうすれば手に入るの?英語が通じないようなので、ジェスチャーを交えて聞いてみると、係の人は少し離れた場所にある小さな建物を指さしてくれた。
その建物へ行くと、簡素で小さな窓口があるだけ。しかも案内はロシア語でしか書かれていない。チケット売り場というよりは日本でいうパチンコの景品交換所みたいな感じ。これでは絶対に外国人は分からない。
本当にここでいいの・・・。ちょっと不安げに窓口を訪れ、「チケット」と尋ねると、窓口の人は頷いてくれた。しかし、その後はロシア語であれこれ聞いてくるのだが、何を言っているのかさっぱり分からない。
なんで入場チケットを買うのに、こんなに色々と聞かれるのだ。よくわからない展開に戸惑うのだが、なんでもいいから入るチケットが欲しい。聖ワシリイ大聖堂を指さして、「チケット、チケット」と繰り返し言うと、ロシア語が通じないのが分かったようで、電卓に値段を打ち込んで私に見せてきた。
その値段を払うと、チケットを渡してくれるのだが、もらったチケットには聖ワシリイ大聖堂以外の建物の写真がプリントされていた。きっとクレムリンと同じで、係の人は共通券がどうこうといったことを聞きたかったのかもしれない。
今度はチケットを見せて入り口を通過。建物の中に入ったところで、クレムリンと同様に軍服を着た兵隊に鞄の中を開けるように指示された。日本ではこういう場面がないから、兵隊に荷物チェックをされると少し緊張する。
今回はクレムリンの時よりも少し念入りにチェックされたが、クレムリンからはマフラーが増えたことしか変わっていないので、このへんは担当の兵隊のさじ加減だろう。
ソ連崩壊後は各地で民族問題が勃発し、ごたごたが多く起きているのも事実で、テロにはかなり神経質になっているとの話だが・・・、その割にはクレムリンにしてもここにしてもチェックが甘い気がしてしまう。
無事にセキュリティーチェックを済ませると、内部の見学を始めた。
この聖ワシリイ大聖堂はロシア正教の教会で、16世紀にイヴァン4世(雷帝)がカザン・ハン国への戦勝を記念して建てられた。
外から見るとカラフルなネギ坊主が沢山見える。あれは8つあり、中央の主聖堂を囲んでいる8つの小聖堂にそれぞれ付けられているもの。この建物は合計9つの聖堂が合体している大聖堂ということになる。
設計者はこれ以上美しいを作れないよう眼を潰されたという有名な逸話が残っているが、これは真実ではないようだ。でもロシアだと普通にありそうな話なので、もし隣にガイドがいてそう話したら、微塵も疑うことなく信じてしまうだろう。
と、もっともなことを書きながら、ガイドブックを持ってこず、レーニン廟を演説台としか認識していなかった情報不足の私は、見学しているときは、この建物が聖ワシリイ大聖堂と名がついていることすら知らなかった。そう、私にとってはテトリスの宮殿でしかなかった。
そんな知識不足の人間が中に入っても、何がなんだかわからず、自然と足取りが早いものとなる。
印象に残ったのは、入り口にあった大きな聖堂が、とてもきらびやかで、重厚な造りの祭壇だったこと。聖堂内が豪華絢爛といった感じで造られているのに対して、階段や通路は普通の家というのは言い過ぎだが、ありふれた感じで造られていたことだけだった。
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