八丈島、三宅島卒業旅行記 1998 タイトル
八丈島、三宅島卒業旅行記

#7 衝撃的な観光

1998年3月、学生生活の最後を締めくくる卒業旅行として、友人と3泊5日の行程で八丈島と三宅島を巡ってみました。(全17ページ)

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7、衝撃的な観光

八丈島の地図 地理院の地図
八丈島の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

次の目的地は少し移動し、樫立にある服部屋敷。名前からして忍者屋敷っぽく感じたのだが、徳川幕府の御用船を管理する職にあった服部家の屋敷跡になるようだ。

訪れてみると、立派な玉石垣がまず目に入ってきた。その玉石垣に囲まれた広い敷地内は、ソテツが立派に茂っていてトロピカルな感じの庭になっている。なかなか立派なお屋敷だ。

服部屋敷 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
服部屋敷

ここが服部屋敷だな。門のところに服部屋敷の看板は出ているので、服部屋敷というのは分かるのだが、中には大きな家があるだけ。それ以外は何もない。

ここは勝手に入っていいのだろうか?もしかして私有地で、服部家の子孫が普通に住んでいるとか?微妙な雰囲気で、観光客には判断が付かない。

不法侵入で通報されても困るし・・・。外から見た感じではあまり好奇心を刺激する感じでもないし・・・。外から見るだけでで十分か。観光施設といった雰囲気が全然しなかったので、外からちょっと覗いただけで後にすることにした。

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次は大阪トンネルの展望台。真っすぐな道を順調に走っていると、道路脇に「人捨穴 →」という不気味な看板を発見。な、な、なんだ。今の・・・。思わず急ブレーキ!

急ブレーキのイメージ(*イラスト:スクラッチングマシーンさん)

(*イラスト:スクラッチングマシーンさん 【イラストAC】

なんだこの「人捨穴」とは・・・。その不気味な名前からきっと乳母捨て山といった類なんだろう。いや太平洋戦争で・・・ということも考えられるか。ガイドブックを開いてみるものの、そんなものは載っていない。

「どうする。行く?やめておく?」友人に訪ねてみるが、どっちでもいいという返事。じゃ、とりあえず行くだけ行って、何があるかだけでも確かめてみよう。ということで、標識に従ってトンネル手前の細い道を右折してみた。

しばらく「どこだ?」とキョロキョロしながら進むと、小さな案内板が立っていた。「人捨穴 入口」・・・。やっぱりその文字の響きが不気味。

人捨穴への入口 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
人捨穴への入口

バイクを降りて作戦会議。この先へ行くか、行かないか。これは重要な議案だ。

この先は細い山道になっている。どんな険しい道のりになるいかもしれない。無事に戻ってこれても、2人で乗っているはずなのに、バックミラーを見たら後ろにおばあさんが乗っているかもしれない・・・。夜、宿で寝ていたら部屋の片隅にお爺さんがいるかもしれない・・・。どうする?

「あっ、そういうの全然平気だから。」と平然と言う友人。そして「わざと怖がらせていない?」と返された。ん、ばれたか。旅での好奇心は無敵だ。

探検のイメージ(*イラスト:acworksさん)

(*イラスト:acworksさん 【イラストAC】

では行くか。でも10分経ってもたどり着かなかったら引き返そうね。青木ヶ原樹海のようになっていて遭難するのは嫌だ・・・。

そうだビスケットを落としながら進んで行こう。「ビスケット持ってる?」友人に聞いてみたが、「盛り上げるのがうまいね。本当は怖がっているんじゃない?」と突っ込まれてしまった。

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目的地に何があるかわからないし、どれだけ歩くかわからない。もしかしたら衝撃の展開ということもありうる。こういうのを冒険というのだろう。気分は探検隊といった感じで歩き始めたものの、車道から少し登っただけで着いてしまった。

そこにあったのは三角形をした小さな洞窟・・・。あれ洞窟・・・・。穴って洞窟だったんだ。てっきり地面に空いている深い穴を想像していた・・・。って、もの凄く残酷な事を想像していた私だった。

人捨穴 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
人捨穴

三角形をした小さな洞穴です。

全然平気という友人を盾にして、後ろに隠れながら洞窟に近づいた。入り口部分は三角形をしていて、大人が立って自由に動けるほどの高さはなく、奥は狭い穴のような感じで続いていた。上部の地層から浸食で出来た洞窟というよりは、地層の割れ目とか、ズレで出来たくぼみといった感じだ。

山に登っている途中でこの穴があれば、ちょうどいい休み場といった感じになるのだろうけど・・・、「人捨穴」という事情を知ってしまった以上、ただの穴ではない。穴の中の空気が重たく感じ、中に入るのをためらってしまう。

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江戸時代の日本では、飢餓になると口減らしといって人を減らすために老人を山に捨てるなどしてきた。そういった姥捨て山の話が各地に伝わっている。ここもそういった場所なのだろう。きっとこの穴の中に座って安らかに死を待ったのだと思う。人が死を迎えるには大きすぎず、小さすぎずちょうどいい大きさだ。

ここで死を待っていた人の考えると切ない。そしてそうせざるを得なかった人たちのことを考えると、もっと切ない。何日か後に遺体を埋葬しにやってくるとき、もしかしたら生きているかもと思いながら来たかもしれない。そして安らかに死んでいる姿を見て、後悔と無念さで涙したはず。人の命は一度しかない。やり直しがきかないものだから、辛い。

老人を背負うイメージ(*イラスト:梅昆布茶さん)

(*イラスト:梅昆布茶さん 【イラストAC】

なかには捨てたものの、翌日迎えに来た人もいたかもしれない。待っている人も、もしかしたら迎えに来てくれるのではと、心のどこかで期待していたかもしれない。一度きりの人の命。尊い命だからこそ。終えるとき、終えさせるときに色々な感情があったに違いない。特にこの中にいた間はどちらの立場の人間もこれまでの人生の中でも一番様々なことを考えたと思う。

ここにいると、色々な思念が流れ込んできてつらい・・・。安らかに眠りについた人、そうではなかった人、両方いただろう。そういった彼らがこの付近に埋葬されていたり、強い思いがこの場に残っているのだろうか。

それにしても・・・、「人捨穴」とは単刀直入だな。よく看板を設置し、公開しているものだ。普通の日本的な考えだと、村や地域の歴史から抹消したくなる事柄のはず。負の歴史として・・・。

それをこのように正直に語り継ぐというのは、なかなかできることではないような気がする。地域の後悔の念というのが代々伝わっているのだろうか。色んなことを考えさせられた「人捨穴」の訪問だった。

大坂トンネル展望台からの眺め 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
大坂トンネル展望台からの眺め

登龍峠展望台の西海岸版です。

八丈一周道路に戻ると、すぐに大坂トンネルがあった。ちょっと長めのトンネルで、暗いトンネルを抜けたらいきなり目の前に雄大な景色が飛び込んできた。この予想外の展開にはビックリした。そしてちょっと感動してしまった。

道路脇には大坂展望台が設置されていたので、立ち寄ってみた。ここからの眺めは一番最初に見た登龍峠展望台の西海岸版といった感じになる。

八丈島の西側に浮かぶ八丈小島がよく見える点ではこちらの方がいいかも。いや、やっぱり全体的な雰囲気は新東京百景に選ばれている登龍峠展望台のほうがいいかな・・・。って、新東京百景という肩書に思いっきり影響されている気がする。

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大坂トンネルから坂を下っていくと、朝到着した底土港の反対側の八重根港に到着した。役場や空港もこの近くにあるので、この付近はちょっと建物が多い。

これで島の南側半分を周ってきた事になる。ここまではちょっと風が強いのが気になったが、晴れて穏やかな気候だったので、とても気持ちのいいツーリングだった。

八丈島の道 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
八丈島の道

それに八丈島の道路は・・・、こういう考え方は凄く偏見なのだが、かなり本土から離れた離島なので、道は舗装されていても細い悪路ばかりで、舗装されていない場所も多いのでは・・・と思っていた。

しかし実際に走ってみると、舗装は本土と変わらないし、道自体も特に離島だからといった違和感を感じなかった。だから感覚的には比較的温かい伊豆半島の南部を走っているのと同じような感じだった。

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