第1章 はじまりの虫歯
#1-11 続・歯の磨き方講習
1997年12月
小さな虫歯ができたことで再び改心し、歯の磨き方講習の続きを行いました。(*第1章は全13ページ)
25、モロッコ旅行
月日は少し流れ、歯医者へ行かなくなってから3ヵ月が経った。実はこの3か月の間に、約一か月弱の旅程でモロッコやその周辺国を旅してきた。
この夏休みは、就職活動などであまり楽しめなかった。卒業の目途も立ったし、もう一回海外へ行っておくか・・・。学生生活も残りわずかだし、やれることはやっておこう・・・。というのは建前で、失恋をし、思い付きでふと旅立った。
何の予習もなく、たいした目的意識もない旅だったので、気晴らしにはなったが、心の空白を埋めるほど充実な旅にはならなかった。やっぱり中途半端なのは一番よくない。
といったわけで、一番の目的地にしていたモロッコよりも、飛行機の乗り継ぎで半日だけ立ち寄ったモスクワの方がより印象に残った。
赤の帝国とか、冷血の国と言われたソビエト連邦が崩壊してもう6年。子供ながらにあんな恐ろしい国へは一生行くことはないと思っていた。
そんな強烈なイメージがある国を半日だけだったが、自由に歩くことができた。しかも訪れた日は雪が降り、体の芯から凍えるような極寒の中での散策となった。そんな雪のモスクワ散策、印象に残らないはずがない。
実際にモスクワの町を歩いてみると、英語が全くと言っていいほど通じなかったのには困ったが、出会った人々はおおらかで、町の様子もいたって普通。冷酷な赤の帝国って何それといった感じ。
経済危機の影響も感じられなく、物がなく、困窮しているといった様子も見かけなかった。報道でよく流れるロシアの様子とは全然違うではないか。まさに百聞は一見に如かず。自分の目で見ることに勝るものはない。そんなことを心から実感した滞在となった。
26、改心
1か月弱のモロッコ旅行から帰ってくると、暦は年の瀬の12月となっていた。困ったことに、今年の北風は昨年よりも一段と身に沁みる。
クリスマスなんて日があるから、12月が寒く感じてしまうのだ。クリスマスが悪い!と、クリスマスに文句を言ってもしょうがないのだが、華やかな感じの飾りで彩られた町を一人で歩いていると、色々とぼやきたくもなってくる。
そんな12月の半ば。そろそろ1997年も終わっていくなぁ・・・と意識し始めた時のことだった。
都合の悪いことはすぐに忘れてしまう棚上げ人間なので、歯医者での治療のことなどすっかり遠い昔の痛い思い出となって・・・はいなく、色々とすっきりしたせいか、ちょっと歯のことが気になり始めていた。
やっぱり前回サボったのを謝って、ちゃんと通い直そう。まだ口の中には虫歯や治療を必要とする歯が、それなりに残っているはずだし・・・。
それに学生という身分の今なら、時間的にも余裕がある。社会人になったらそれこそ通うのが億劫になってしまう。今のうちに全部治しておくのがいいんじゃないか。
そう心の中で迷っているさなか、事態は急展開した。寝る前に歯を磨いていると、前歯にキリっとした痛みを感じた。ま、まさか虫歯では・・・。鏡で前歯を見てみるが、虫歯といった感じではない。
いや、今回は騙されないぞ。裏かもしれない。と、小さな鏡を持ってきて前歯の裏側を見てみると、歯の間に黒い何かがある。
今度は爪楊枝を持ってきて、鏡を見ながら取れないものかといじってみたが、しっかりと穴が開いていて、穴に爪楊枝の先が入ると、「痛い!」と叫びたくなるようなピリッとした痛さを感じた。
こ、こ、これは間違いなく虫歯だ。しかも結構大きい。なんてことだ・・・。最悪だ。頭を抱える事態になってしまった。
最近では以前の自分では考えられないほどちゃんと歯を磨き、虫歯には気を付けていた。
だが、そう、世の中は都合よくできていない。急に目で確認できるほどの虫歯ができるはずはないので、前からあった虫歯が少しずつ成長してしまったのだろう。
当たり前のことだが、いくら真面目に歯を磨いていても、既にできた虫歯は治っていかない。支払いを後払いにしたら、後から必ず請求書がくるのと一緒だ。
しかも後に延ばせば利子といったおまけまで付いてくるので、無駄に延ばせば、その代償は延ばしただけ大きくなってしまう。
自分のやり方で歯を磨こうとか、歯医者なんて面倒だとうぬぼれていた私に、再び天罰が下ってしまった。自慢の前歯だったのが、更にショックを大きくした。
このままほっておいたら奥歯のように差し歯になってしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。少し体裁が悪かったが、翌日、歯医者に駆け込んだ。
前歯はその日のうちに虫歯になった部分を少し削り、白いプラスチックを埋め込んで、治療は完了した。
小さな虫歯だったし、歯の裏側ということもあって、治療した痕跡は表面的にはわからない。だったら問題ない・・・とはならない。
歯医者からの帰り道は、「またやってしまった・・・。棚上げにしたからだ・・・。」と、深い反省と自己嫌悪の念が心の中で渦巻いていた。
前歯に虫歯ができた事で改心した私は、歯医者の忠告に耳を傾け、これからは真面目に歯医者に通うことにした。
棚上げ大好き人間がもっともらしく言っても説得力がないが、やはり人間は痛い目に2度3度遭わないと、なかなか改心出来ない生き物だと思う。
それと同じで、一度でいいからとか、一生のお願いというのも、やっぱり2度3度と続いていくと思う。それが人間であり、人間らしさだと思える。
ということで、「治療を続けてください。」とお願いして、次の治療の予約を入れてもらうのだが、前回サボったことをちゃんと覚えていて、「次回はちゃんと来院してください。前回の続きをやります。」と、歯科衛生士の女性に念を押すように言われてしまった。
3カ月も経ったことだし、もう歯の講習会は済んだことにしてくれればいいものを・・・。よく覚えているな。
って、カルテという診療履歴を見たら最後の診察内容が一目瞭然。余計な告げ口をして・・・と、カルテを恨めしく思ってしまった。
27、続・歯磨き講習
その一週間後、今度こそ歯医者で真面目に治療を受けるぞ。という立派な決意の割には、「またあれをやりに行くのか・・・」と、足取り重く歯医者へ向かった。
気が重いけど、今回で歯の磨き方講習は終わる。一回耐えればいいだけだ。と我慢するしかない。
今回の歯磨き講習は、2回目とあって実践版だった。歯を磨いてくださいと、歯ブラシを手に持たされ、歯科衛生士の女性に見つめられながら一人で歯を磨く私は、きっと照れて可愛らしかったと思う。
なんか気まずい時間が流れている・・・。この気まずい時間は早く終わらせてしまおう。と、ある程度磨いたら、「終わりました。」と宣言し、終了。
子供じゃないんだから、いつまでも見つめられながら歯磨きなんてできるものではない・・・。
口をゆすいだら、ピンク色の液体を含ませた綿を歯に塗られ、手鏡を持たされて見てみると、あら不思議。魔法の力でピンクのきれいな模様のできあがり。これぞ伝統の歯医者染め。日本文化遺産だ・・・。
じゃなくて、「ここがぜんぜん落ちていません!」「歯ブラシが当たっていないからです。」「もっと丁寧に・・・」などと、またもや歯科衛生士の女性に小言をたくさんもらってしまった。
前回サボったことをちょっと怒っているのかもしれないが、ちょっと言い過ぎ。だいたい発表会じゃないんだから、じっと見つめられながら歯磨きがうまくできる訳がない。
で、追試のように磨き直し。「インク色の部分が落ちるように磨いてください。」と言われ、手鏡を持ちながら再びゴシゴシと磨いた。
これなら歯科衛生士から視線を隠せて、少しは磨きやすい。とは言うものの、ピンク色がなかなか落ちてくれない。もう早く落ちてよ。本当に厄介極まりない液体だ。
いったいこのピンク色の液体は何だろう。気になる。小さい頃から気にすることなく塗られているが、お決まりのように綺麗に落ちた例しがない。
周りの人に聞いても綺麗に落ちた人がいないところをみると、患者を真面目に歯を磨かせる為のトリック液体で、必ずピンク色が残るように出来ているのではないか。
もしそうなら対策を立ててリベンジをしなければ。根が負けず嫌いだし、やりたくもない歯磨き講習をさせられているので、なんとか歯医者に一泡吹かせられたら面白いなと考えてしまう。
徹底的に成分を調べて、この赤色を完全に落とす液体をつくり、こっそりとうがいする水に混ぜる。
そして、「はい磨き終わりました」と満面の笑みで白くなった歯を見せる。歯医者の人もびっくり仰天。あんな雑な磨き方で全部落ちるなんてありえない・・・。
って、そんなことしたらまた小言をたくさんもらいそうだな。そもそもこの液体がそんな代物ではないはず。
というよりも、歯医者を訪れる前に、これでもかというぐらい念入りに歯を磨いておけばよかったのではないか・・・。
なんでそんな単純なことに気が付かなかったのだろう。と、自己嫌悪に陥りながら歯医者の帰り道をとぼとぼと歩いた。
第1章 はじまりの虫歯
#1-11 続・歯の磨き方講習 #1-12 歯肉炎の治療 につづく