旅人とわんこの日々 タイトル

プロローグ
#1-2 理想と現実とワンコ

ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。

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5、憧れのワンコとの生活

やって来たワンコ ヨークシャーテリアの写真
やって来たワンコ

*この頃のカメラはマニュアルフォーカスだったので、
小さな犬にピントを合わせるのが難しかった。

1984年の秋、ヨークシャーテリアの子犬を我が家に迎えることができ、楽しみにしていたワンコと一緒に暮らす日常が始まった。

やってきた子犬はとても可愛いらしく、まるで動くぬいぐるみのよう。まだ足元がおぼつかなく、部屋の中をヨタヨタと小さな体を小刻みに揺らしながら歩き周る様子は、可愛くてしょうがない。そして、その様子を見ていることがうれしくてしょうがない。

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念願だった犬との暮らしが、ようやく始まった。しかし、このワンコには、我が家の家族として暮らすのにあたり、まだ大切なものがない。

その大切なものというのは名前。舌打ちしたり、手を叩いたりして気を引くことはできても、ちゃんと名を呼んであげることができない。これでは他人の犬と一緒だ。

早く我が家に慣れ、正式な家族の一員になってもらうためにも、素敵な名前を付けてあげよう。そして、毎日大声で呼んであげよう。

命名のイメージ(*イラスト:まめこまさん)

(*イラスト:まめこまさん)

さっそく犬の顔を見ながら色々と名前の候補を考えた。犬種を選ぶ時には自分の意見が通らなかったので、せめて名前は私が決める。そういう思いで一生懸命考えるものの、頭の中で空回りしっぱなし。何て名を付けてあげればいいのだ。犬の名前を決めるのも難しい。

この時代は、犬はポチで、猫はタマ。といった感じで、こじゃれた感じの横文字で名を付けている人はいなく、あまり他所の家で付けている名前は参考にならなかった。もちろんアナログの時代なので、インターネットで流行りの名前を検索・・・なんて便利なものはない。

どうしたものかな・・・。クロとか、シロとか、ブチなど、色系は比較的多い。うちの場合だと茶色だから、チャ・・・って、これじゃ、ドリフの加藤茶になってしまう。毎日「ペッ」ってな感じで挨拶するようになっても困る・・・。却下。

チャッピーとすれば、少しマシになるが、近所にいるプードルと同じ名前になってしまい、バツが悪い。これも却下。

小さいからチビというのもありきたりだし・・・。ここは素直によくワンワンと吠えるからワンコでいいか。呼びやすいし・・・。って、オスだからワンタローになるのかな・・・。う~ん、これじゃ変な名だ。自分のセンスが恨めしく思う。

結局、いくらワンコの顔を見つめながら考えても、納得できるようないい名が出てこなく、家族会議の時に親の出してくれたアイデアに賛成するような感じで、アニメの「名犬ジョリィ」から拝借した「ジョリー」と決まった。

ピレニーズ(名犬ジョリィ)のイメージ(*イラスト:Inui nekoさん)
名犬ジョリィのピレニーズ

(*イラスト:Inui nekoさん)

実際に「ジョリー」と呼んでみると、なかなか響きがいい。横文字なのがハイカラで、今時な感じがしていい。なかなかいけている名前ではないか。

それに「ジョリー」という名前を聞けば、誰でも「名犬ジョリィ」を思い浮かべる時代。我が家にもジョリーがいるんだぜ。といった感じで、友人に犬のことを話したり、外でジョリーと名を呼ぶのが誇らしく感じる。

と言っても、アニメのジョリィは大型犬のピレニーズ。それを連想して我が家のジョリーを見ると、あまりの小ささに苦笑いすることになってしまうが、例え小さかろうとも、私の中では本家に負けないほど立派なジョリーだ。

オープニングの主題歌「走れ!ジョリィ ひゅるぅ~♪」のフレーズのように、これからジョリーと一緒に歩んでいく暮らしに期待が高まっていった。

6、理想と現実の狭間

しつけの練習 ヨークシャーテリアの写真
しつけの練習

無事にジョリーと名が決まり、ジョリーがその名を自分の名前だと認識できるようになった頃には、犬がいる生活も落ち着いてきた。

犬がいることで起こった生活の変化といえば、家に帰ると犬が待っていることがうれしくて、家に早く帰るようになったことだろうか。しばらくは学校が終わるとすっ飛んで帰り、犬を連れて散歩に出たり、家の中や庭で犬をかまったりしていた。

やっぱり犬を飼って良かった。「ジョリー、ジョリー」と名前を呼ぶと、反応してくれるのがうれしい。散歩に行くのも楽しいし、自分が与えたご飯をおいしそうに食べてくれるのもうれしい。なんてジョリーは可愛いのだろう。生意気な妹よりも素直で、まるで新しく子分ができたみたい。

もちろん、排泄物の掃除をしたり、お手などのしつけを覚えさせたり、散歩に連れていったりと、やらなければならないことも多い。でも、それ以上に愛おしい。俺が、私が、と、妹と争って犬の面倒をみる日々が続いた。

毛が伸び、耳が立った頃 ヨークシャーテリアの写真
毛が伸び、耳が立った頃

最初はバラ色のように思えたジョリーとの生活だったが、数か月が過ぎると犬がいることに目新しさがなくなり、学校から急いで帰ることはなくなった。

犬がいることに慣れたといえば聞こえはいいが、犬と暮らすことが日常になってしまうと、犬に対する気持ちの新鮮さというか、熱量がどんどん失われていく。

更に時が過ぎ、半年も経つと、明らかにジョリーをかまう時間が少なくなった。少し飽きてきてしまった・・・、というのが本音になるだろうか。

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そして、ジョリーが一歳の誕生日を迎えるころには、世話をするのが面倒だと、あまりジョリーの面倒をみなくなっていた。

新しものにすぐ気が移ろいやすい子供のこと。おもちゃに飽きてしまうのと一緒で、興味がなくなると途端に関心が薄くなってしまう。そうなると、面倒を見るのが億劫に感じるものだ。

まさに、「飽きっぽい性格の子供は生き物を飼ってはいけません!」といったお手本のような状況となってしまうのだが、これには子供にありがちな事情があって、しょうがない部分もあった・・・と、大人になった私がこの頃の自分をかばってみたりする。

腕白な子供と犬 ヨークシャーテリアの写真
腕白な子供と犬

我が家にやってきて、最初はどうしていいのかわからなかったジョリーも、家の中の状況、人間の生活習慣に慣れてくると、色々と学習するものだ。

家の中の力関係が分かってくると、子供の私にしつこくからまれてもいいことはない・・・と、避けたり、かまい過ぎると、「しつこいぞ!」と怒ったりするようになっていった。

まだ子供だったし、初めて犬を飼ったのもあって、私はジョリーが嫌がっているのか、そうでないのか、どういう風にかまわれるのが好きなのか、そしてどの程度のいたずらが許されるのか、その加減がいまいちわからなかった。

例えばジョリーが怒ると、「ごめんね。嫌だったの・・・」と、更に撫でようとして噛まれるといった感じ。そして、なんで噛むんだよ!仲直りしようとしただけなのに・・・と癇癪を起こしていた。

犬に噛まれるイメージ(*イラスト:もみさん)

(*イラスト:もみさん)

小さな犬とはいえ、噛まれれば痛いし、流血もする。噛まれるほど悪いことはしたつもりはないので、なんでだよ!と、こっちが怒りたい気分だが、これ以上噛まれたくないので手を引かざるを得ない。

しかし、噛めば私が逃げると学んでしまうと、次回、同じような場面でも容赦なく噛んでくる。もう噛まれたくない・・・と、ジョリーとの距離を徐々にとるようになり、ジョリーも私を避けるようになっていった。

ヨークシャテリアイメージト(*イラスト:みーこちゃんさん)

(*イラスト:みーこちゃんさん)

ジョリーが我が家にやってきた頃は、大人しくなんでも私の言う事を聞いてくれ、まるで動くぬいぐるみのようだった。そして、それがずっと続くと思っていたのだが、そんなことはなかった。

ペットというのは何でも言うことを聞いてくれる子供のおもちゃではなく、ちゃんと自分の意志を持った生き物なのだ。そして、ぬいぐるみのような感覚でぞんざいに扱えば、それなりにしっぺ返しをしてくる。

そのへんのところを私は勘違いしていた。というか、自分よがりの可愛がり方ではなく、本当の犬の可愛がり方というのがわかっていなかった。

ペットは家族であり、友人のような存在になる。だから飼うには、「可愛い」と犬を撫でるばかりではダメで、一方的ではなく、丁寧にお互いの関係を築かなければならないんだ・・・という深いところまでは当時の私は考えてはいなかったが、時々噛まれ、痛い思いをしながら自己反省をし、少しずつジョリーについて理解を深めていくのだった。

7、殺し文句

旅先の神社で ヨークシャーテリアの写真
旅先の神社で

ジョリーを飼う前は、犬が日常にいたなら毎日が楽しく、バラ色のような生活が送れると思っていた。

隣の芝生は青く見えるとはよく言うもので、友達の家で楽しく犬を飼っている様子を見たり、アニメに出てくる犬に憧れてしまうと、自分にも犬がいれば楽しい生活が送れるのでは・・・と思ってしまうものだ。

実際に飼ってみると、最初は物珍しかったし、犬も素直だったので、楽しい日々を送れていたのだが、物珍しさがなくなり、犬が反抗的な態度を取るようになってからは、思っていたのと違うぞ・・・といった失望を味わうことになってしまった。そして犬の面倒をみるのをサボるようになっていった。

もちろんジョリーが嫌いなわけではないが、他の家族よりも自分が懐かれていないと自覚してしまうと、小学生の私がすねた気持ちになって、積極的に犬の世話をしようという気持ちがなくなってしまうのも、まあ・・・しょうがないといったところだろう。

母親に怒られるイメージト(*イラスト:NORIMAさん)

(*イラスト:NORIMAさん)

よくアニメなどで、子供が親に犬や猫、金魚などを飼いたいと駄々をこね、親が「あんた、すぐ飽きて面倒をみなくなるでしょ。物だって出しっぱなしで片づけないし。」という定番のセリフがある。

また、「めんどくさい~」「昨日行った」「後で~」と、散歩に連れていかない子供に、「あんたが飼いたいと言ったのでしょ。」とか、「飼う時に散歩に行く約束をしたでしょ。」という母親の殺し文句も定番となっている。

私も飼う前、飼った後と、母親から何度もその言葉を浴びせられた。はっきり言ってこう言われると、まさにその通りといった感じで、返す言葉がない。子供にとって言い逃れのできない言葉は、重く心にのしかかってくるものだ。

分かっていても気分が乗らない日だってある。母親に言われなくても、本当にもう少ししたら散歩に連れていこうと思っていた時もある。

テレビを見ながらみんな一緒だよな・・・。普通はそうだよな・・・。だいたいヨークシャーテリアを選んだのは母親ではないか・・・。と、強い共感とやるせなさを感じたものだ。

テレビを見る少年のイメージ(*イラスト:しろたんさん)

(*イラスト:しろたんさん)

それとともに、犬がいるから怒られるんだ・・・。飼いたいなんて言わなければよかった・・・と、どんどんとジョリーへの気持ちも離れていく。

でも自分から飼いたいといったのは事実であり、居なくなって欲しいと思うほど嫌いになった訳ではない。いや、居てほしいのだ。でも、なんというか、もっと懐いてほしい・・・。

兄弟がいていいねとか、妹がいていいねと言われるのと一緒で、順調な時はその存在に有難味とか、幸せを感じるが、何か問題が起きれば、お兄ちゃんなんでしょ!という殺し文句で全て私のせいにされてしまう。そうなるとその存在が微妙に感じてくるものだ。何かそんなジレンマに似ていた。

犬の散歩のイメージ(*イラスト:しらたさん)

(*イラスト:しらたさん)

とはいえ、同じ屋根の下で暮らす家族であり、弟みたいな存在。気が乗らない日でも、面倒くさいな・・・と思いながらも、渋々とジョリーの散歩に出かけるのだが、ジョリーも私の気持ちを察してか、「今日の散歩はおまえか~、仕方ないな。行ってやるか。」といった態度。

犬は飼い主に似るというが、犬は飼い主によって態度を分けるんだな・・・。なんてズルいやつ・・・。と子供ながらに思うのだった。

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