旅人が歩けばわんにゃんに出会う タイトル

旅人が歩けばわんにゃんに出会う
海外編 マレー半島

マレー半島(マレーシア、シンガポール)で出会った猫や犬の写真を紹介しています。

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1、マラッカのわんこ(2000年5月)

ユーラシア大陸の地図のイメージ(*イラスト:archestmanさん)

(*イラスト:archestmanさん 無料イラスト【イラストAC】

ユーラシア大陸横断と聞いて思い浮かべるのは、誰になるでしょう。一番多いのは、テレビのバラエティー番組でヒッチハイク旅をした猿岩石でしょうか。今の若い人たちだと、有名なブロガーとか、YouTuber(ユーチューバー)となるのでしょうか。

印象的な野球選手は誰?みたいな感じで、こういうのは年代に拠るので、出てくる答えも様々のはず。ただ、日本人の元祖的な存在となると、「深夜特急」の著者、沢木耕太郎さんが挙げられる。

沢木耕太郎著、深夜特急の写真
深夜特急 沢木耕太郎著

「深夜特急」は沢木さんが1980年代にユーラシア大陸横断したときの体験を記したもの。もちろん、それ以前にも多くの旅人がユーラシア大陸横断を成し遂げているので、沢木さんはそのレールの上を歩いたに過ぎない。本人も自分が第一人者だとは思っていない。

でも、ユーラシア大陸横断とか、バックパッカー旅が一般的でなかった時代に、その世界観を本にし、世間に発表したのは沢木さんが最初になる。

私がユーラシア大陸横断を行った頃は、まだインターネットも発展していなかった。海外旅行、とりわけ、一人旅そのこと自体についての得られる情報は乏しく、手探りのような状態で旅をしている人が大半だった。

そういった状況の中、沢木さんの「深夜特急」は一つの旅の指針であり、旅人たちの間ではバイブル的な存在になっていた。

マラッカ海峡に沈む夕日の写真
マラッカ海峡に沈む夕日

その「深夜特急」の中の話になるが、沢木耕太郎さんが夕日を見に行き、印象的に感じた場所として記述されているのが、マラッカ。マレー半島の先端に近い場所にある。

日本から西へ向かってユーラシア大陸を横断していくと、判断に困るのが、とても細長いマレー半島。行ったとしても、同じように戻ってこなければならない巨大などん詰りになる。

行くべきか、省略するべきか。手間になるし、時間的にも、金銭的にもロスするし・・・。でも、訪問国数は増えるし・・・と、頭を悩ませる。

私が旅していたころは、省略する人が多かったが、深夜特急になぞってマラッカまで夕日を見に南下し、再びバンコクに戻り、ユーラシア大陸を西に横断していく人もそれなりに多くいた。

それは日本人が多く泊まる宿に置いてあった情報ノートを見ると、一目瞭然。深夜特急に憧れてこの地を訪れた旨の記載が多くあったし、実際、そういう旅行者も多く泊まっていた。

マラッカ オランダ広場の写真
マラッカ オランダ広場

2008年、マラッカの町は世界遺産に指定された。マレー半島とスマトラ島の間の海峡がマラッカ海峡と名付けられているように、マラッカの町は海峡の要所にあたり、かつてはこの地にマラッカ王国が栄えていた。ちょうどタイのアユタヤが栄えていたのと同じ時代になる。

その後は、ポルトガル、オランダ、イギリスと、西洋の支配が続き、町の様子も西洋と東洋の文化が混じった町として発展していった。そういった海峡沿いの町としての歴史、そして文化の貴重性から同じ海峡沿いにあるペナン島とともに世界遺産に登録された。おそらく、今では夕日だけを目的に訪れる人はいなくなったのではないだろうか。

マラッカの海岸とわんこの写真
マラッカの海岸とわんこ

マラッカ(Melaka)、Malaysia May 2000

ちょっと痩せ気味のわんこの写真
ちょっと痩せ気味のわんこ

マラッカ(Melaka)、Malaysia May 2000

マラッカからは、インドネシアのスマトラ島へ船の便が出ているので、私の場合はインドネシアへ向かうために滞在したのだが、せっかくなので夕日を見に海岸まで散策していると、浜辺でワンコを発見。

夕日が沈むまで時間がある。退屈なもの同士、仲良くしよう。と、ワンコの傍まで行ってみるものの、人間には関心がないみたいで、一瞥しただけで、視線を合わせてくれなかった。

2、ペナン島のにゃんこ(2001年8月)

マレーシアの半島部、北部の西海岸側、タイとの国境にほど近い所にペナン島がある。陸から近い島で、今では二本の橋でマレー半島と結ばれている。

ペナン島はマラッカ海峡の北の入り口に位置していて、古くから地の利を生かし、交易船の寄港地として栄えていた。1786年にはイギリスの支配下となり、それ以降は世界を相手にした自由貿易港として繁栄し、世界各地の商人がペナン島を訪れ、商いのためにこの町に居を構えるようになった。

その結果、元々あったこの地の文化に、華僑を中心としたアジアの文化、そしてヨーロッパの文化が融合していき、エキゾチックな町に変わっていった。

マレーシア ペナン島 Jubilee Clock Towerの写真
ペナン島 Jubilee Clock Tower

ペナン島の中心部はジョージタウン。マレーシアらしくない名がついているが、当時の英人総督のフランシス・ライトが、ジョージタウンと名付けたことに由来している。

ジョージタウンには今もなおコロニアル建築が多くみられ、また多様な文化が町の各所に散りばめられている。2008年7月には、マラッカとともにユネスコ世界文化遺産に指定された。

マレーシア ペナン島 ジョージタウンの中国語の看板が並ぶ商店の写真
ジョージタウンの中国語の看板が並ぶ商店

現在でもそうなのかはわからないが、バックパックを背負って旅をする者にとっては、ペナン島は航空券の安い場所として知られていた。

ペナンには華僑が多く住み、華僑が多く暮らす都市とを結ぶフライトは需要が多く、便数も多く飛んでいて、航空券の値段も安いというわけだ。

日本便もタイのカオサン通りよりもこっちの方が安いとかで、ここから日本へ帰国する人や、ヨーロッパやアメリカへの安い航空券を求めてやって来る旅人も多かった。

また、ここからはインドネシアのスマトラ島への船便も出ている。渡った先のスマトラ島にはバックパッカーのたまり場(沈没地)として有名なトバ湖があり、怠惰な旅人を中心にインドネシアを目指す人も多かった。

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マレーシア ペナン島 軒下のにゃんこの写真
軒下のにゃんこ

ペナン島(Pulau Pinang)、Malaysia Aug. 2001

ペナン島の中心部、ジョージタウンを散策すると、コロニアル調の立派な建物に目を奪われるが、一般的な住居にもコロニアル調が取り入れられているのも興味深く感じる。

ただ、庶民はそうそうお金をかけられないので、コロニアル風にしてみた建物といった感じで、庶民なりの工夫や、洋風と中華が混ざっている様子が面白い。こういう独特な町を歩くと、心から異国情緒を感じる。

そんな素敵なコロニアル風の建物の軒下で猫を発見。猫の場合は建物と一緒に写真に収めようとすると、豆粒みたいになってしまう。風景の中の猫というのは、構図が難しい。

3、シンガポールのにゃんこ(2000年5月)

電子メールのイメージ(*イラスト:アトリエウパさん)

(*イラスト:アトリエウパさん 無料イラスト【イラストAC】

バンコク滞在中、友人から「シンガポールにツアー旅行する」との電子メールを受け取った。ほんと、インターネットが普及して海外を旅しても気軽に相互に伝達ができるようになったのは大きい。

とはいえ、この時代はまだ日本語の変換に苦労し、現地のインターネットカフェを訪れても、文字化けして見られなかったり、日本語の文字を入力できないことが多かった。

それはさておき、これはまたとないチャンス。せっかくだから会いに行こう・・・。いや、正直なところ、旅に必要なものを持ってきてもらおう・・・。

すぐに会いに行く旨と、ガイドブックなど持ってきて欲しいもののリストを返信した。といったわけで、急遽、バンコクからシンガポールに向かうことになった。

マレー半島付近の地図(国土地理院地図)

国土地理院地図を書き込んで使用

同じ東南アジア、バンコクからシンガポールまではそんなに距離はないと思っていた。持参した地図も大きなアジア地図だったので、気軽に「行く」と返事をしてしまったのだが、実際に調べてみると、その距離は約1900キロ。東北から九州までの距離がある。ちょっと会いに行くというレベルの距離ではなかった・・・。

どうやって行こう・・・。バンコクからシンガポールへは飛行機が比較的安い。でも、なるべく飛行機は使いたくない。今回の旅の趣旨に反するからだ。

では、鉄道・・・。そういえば、バンコクからシンガポールへ国際列車が出ていたはず。それに乗れば楽に行けるかも・・・。と、駅まで予約を取りに行ってみるが、ずっと先まで満席。仕方なく、バスを乗り継いで向かうことにした。

タイ 長距離バスの写真
長距離バス

まずはタイの国境へ夜行バスで到着。ここからはマレーシアの国境を越え、またバスに乗ってシンガポールの国境手前のジョホールバルまで・・・と、計画していたのだが、バイクタクシーの運転手の話だと、ここからシンガポール行きのバスが出ているとのこと。

そのバス会社のオフィスまで連れて行ってもらうと、小さな会社で、ちょっと怪しい感じもする。でも、話を聞くと、人がよさそうな感じだし、乗り換えがないのは楽でいいし、何より値段が格安。このバスに乗ることにした。

出発まで町をぶらつくなどして時間をつぶし、いざバスに乗ってみると、車内はタイ人の行商人のおばちゃんばかり・・・。なんと男性は日本人旅行者の私だけ・・・。

場違いな感じというか、ハーレム状態で行商のおばちゃんたちに交じることになったが、バスの車内は賑やかで、意外と楽しいバス旅となった。

入国審査のイメージ(*イラスト:acworksさん)

(*イラスト:acworksさん 無料イラスト【イラストAC】

一番印象的だったのが、シンガポールのイミグレーション。タイ人のおばちゃんたちには運命の関門といった感じで、悪戦苦戦。入国の審査には随分と時間がかかった。

バスに一人また一人と戻ってくるのだが、みんな興奮した顔で、何を聞かれたとか、鞄を全部あけられて荷物を細かく調べられたとか話している。若い人ほど時間がかかっているといった感じで、なかなか面白い体験だった。

困ったこともあり、タイからいきなりシンガポールに入ることになったので、マレーシア、シンガポール通貨を全く用意できていない。バスに乗る前にお菓子を買いだめしておいたので、道中はそれで空腹をしのいだのだが、問題はシンガポールに到着してから。

早朝に入国し、バスを下されたものだから、銀行も開いていないし、お金がないので、市バスやタクシーにも乗れない。とりあえず安宿まで歩いて行き、銀行が開いたら両替をして払うからとチェックインさせてもらおう。もしくは米ドル払いで・・・。それしか方法がない。

シンガポール 早朝の街角で出会ったにゃんこたちの写真
早朝の街角で出会ったにゃんこたち

シンガポール、Singapore May 2000

まだ暗い中をとぼとぼと町の中心部に向けて歩くのだが、歩いていると、ニャンコが路上で交尾中。こっちは惨めな思いで歩いているのに、お楽しみ中とは・・・。しかも、人間様のお通りだというのに避けようとしない。

なんとけしからん猫たちだ。写真を撮って世界にさらしてやる・・・。とは考えてはいなかったが、なんとなく写真を撮ってしまった。

4、シンガポールのマーライオン(2000年5月)

シンガポール マーライオンの写真
マーライオン

旧型(以下全て2000年のもの)

シンガポールといえばマーライオン。ライオンはネコ科の王様。いや、百獣の王である。なぜにシンガポールにライオン?といううんちくを少し書いてみよう。

シンガポールという名は、「シンガプーラ」というマレー語が英語化されたもの。「シンガプーラ」はマレー語で「ライオンの町」の意味。シンガはサンスクリット語の「ライオン」を意味する「シンハー」がマレー語でなまったもの。シンハーといえば、タイのシンハー・ビールを思い浮かべる人が多いと思うが、シンハービールもライオン(獅子)に由来している。

で、スマトラの王子だったサン・ニラ・ウタマがシンガポール島を発見した時に、ライオンらしきものを島の海岸で見つけたという伝説に由来して、シンガプーラ(ライオンの町)となったとか。しかし、シンガポールにライオンがいた事実はなく、トラを見間違えたのでは・・・といった落ちがあったりする。

シンガポール ビル群とマーライオンの写真
ビル群とマーライオン

シンガポールといえばマーライオン。あまりにも有名なので、シンガポールを訪れる旅行者の多くがマーライオンの像を見に行くことだろう。しかし、このマーライオン、旅人の間では世界三大ガッカリの一つといった不名誉な称号が付けられていたりする。

私が旅している頃は現在のものとは違うので、今でもそういう言われ方をしているのかはわからないが、ワクワクしながら訪れてみると、小さくてガッカリしたとか、いたって普通の像でガッカリした・・・などといった感想が多い。ビルの中に埋もれてしまう立地に問題があったともいえる。

こういう象徴的な観光オブジェは、移動しながら期待が高められていくので、対面したときには出発前よりも期待が何倍にも膨れ上がっているもの。なので、余程のものでない限り、例えばエジプトのピラミッドのような圧倒的な存在でない限り、なかなか期待に応えるのは難しいように思う。

日本で言えば札幌の時計台と同じような感じだろうか。広島の原爆ドームや宮島の鳥居も「思ったよりも小さい」といった感想が多かったりする。

シンガポール セントーサ島とマーライオンの像の写真
セントーサ島とマーライオンの像

*ユニバーサルスタジオができる前

シンガポール セントーサ島の巨大なマーライオンの写真
セントーサ島の巨大なマーライオン

でも大丈夫。シンガポール市内のすぐ南にあるセントーサ島には巨大なマーライオンの像が鎮座していたりする。

高さは37メートル。内部は展望台になっていて、夜にはライトアップされたり、レーザー光線を照射したりと、スペックだけを見ればなかなか凄い。

しかし、ただ大きいだけ・・・といった感じで、こちらの評判もあまりよろしくなかった。特に地元の人にはマーライオンにしてマーライオンに非ずといった感想になるようだ。残念ながらこのマーライオンの像は2019年に再開発のため取り壊されてしまった。

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