旅人が歩けばわんにゃんに出会う
海外編 ベトナム中部
ベトナムで出会った猫や犬の写真を紹介しています。
1、DMZなワンコたち(2000年2月)
ベトナム中部にフエという町がある。ベトナム最後の王朝であるグエン朝の王都として栄え、1802~1945年にはベトナムの首都が置かれていた。ベトナムの古都と呼ぶにふさわしい町になる。
現在、ベトナムには8つの世界遺産がある。その第一号として選ばれたのが、ここフエの建造物群。グエン王朝時代の王宮や寺院などが登録されている。
しかしながら、ベトナム戦争で激戦地になったのも、ここフエである。ベトナム戦争は、冷戦中の資本主義と社会主義の代理戦争といった形で、国を南北に分け、1955年から1975年のサイゴン陥落まで続いた。
南北の境界線が引かれたのが北緯17度線。フエから北に100キロ弱の所を流れるベンハイ川が事実上の境界線となっていた。南北の境に近いフエが無傷で済むわけはなく、大きな被害が出た。フエの象徴である王宮も、大半が破壊されてしまい、無残な状態になってしまったそうだ。
私が訪れたのは2000年。王宮もまだ修復の途上といった感じで、あちこち崩れたままだった。なので、訪れた人の評価も真っ二つ。
壊れているからこそ、歴史を感じるとか。壊れている部分も含めて、味があるという人もいれば、卒業旅行で訪れた大学生などは、お金を払って見学したのに、壊れていてガッカリしたとか、訪れるべき価値がないといった評価となっていた。そして、王宮などの建物よりもベトナム戦争に関連したDMZツアーの方が人気となっていた。
DMZとは、DeMilitarized Zoneの略で、非武装領域の意味。ベトナム戦争時の南北間での緩衝領域とされていた場所になり、そういった場所をめぐるのがDMZツアーになる。とはいえ、現実的には激戦地となった場所ばかりなので、ベトナム戦争の激戦地をめぐるツアーといった表現が正しい。
ベトナム戦争にはちょっと思い入れがあるので、このDMZツアーに参加してみることにした。
といっても、ベトナム戦争をリアルに体験した世代ではない。戦争が終結して10年経ち、色々と落ち着いたころにベトナム戦争を描いた映画が多く上映され、それに感化された若者の間でサバイバルゲームが流行ったり、テレビゲームでもファミコンウォーズや大戦略が流行った時間差世代である。
ロックパイルは230mほどの小高い丘で、米軍が境界線付近の偵察拠点として使用していた。ベトナム戦争の映画のタイトルにもなっている。
私が訪れたときは低い雲がかかり上部が見えなかった。その姿は丸いパン・・・、そうハンバーガーのよう。ハンバーガーヒルという有名な映画もあるので、みんなが口々に「ここがハンバーガーヒルなんじゃないか」と言い、ガイドに訂正されていたのが印象的だった。
アメリカ軍の最前線となっていたのが、ケサン基地。ここから爆撃機が飛び立ち、敵の前線基地や補給路などを爆撃した。それと同時に敵からの激しい攻撃を受けた。ベトナム戦争で最も激しい戦闘が行われた場所の一つになる。
最終的に基地を破壊し、放棄する形で、アメリカ軍が撤退した。この敗戦がアメリカ軍のベトナム撤退の引き金となったとされている。
ケサン基地跡は整備され、観光用に公開されている。訪れてみると、展示用に当時の戦車やヘリコプターなどの残骸が置かれている。とはいえ、朽ちた戦車などが丁寧に台座の上に置いてあると、何だか微妙・・・。
もっと微妙なのが、まだ不発弾が地面に残っているかもしれないから、茂みには絶対入るなとのこと。おいおい。マジかよ・・・。
おっかないところだな・・・と思っていたら、ワンコが奥の方へ歩いて行っているではないか。おい、ワンコ、戻って来い。そっちは危ないぞ。ワンコ、カム・バック~~~。他の観光客と、ハラハラしながら見守るのであった。
ベトナム戦争のトンネルといえば、サイゴン近郊のクチトンネルが有名だが、ここにも大きなトンネルがある。
クチのトンネルはゲリラ戦をするために掘られたが、ここのは住民が避難するためのもの。地下都市的な感じで使用されていたそうだ。
19度線付近を流れるのがベンハイ川。事実上の南北ベトナムの国境となり、この川を挟んで10キロがDMZに指定されていたとのこと。
幹線道路沿いに名残としてモニュメントが建てられている。訪れてみると、牛が草を食べているほどのどかな場所だった。
最後はツアー中に出会ったワンコたちの写真。途中の休憩所にいたのだが、ツアー客の見ている前で激しくじゃれあっていた。
それを見ていた人達は口々に平和に争うのが一番。ってな事をつぶやいていた。戦争関係のものを見た後に自然とそんな言葉が口から出てしまうのは、各国共通のようだ。
2、田園地帯のワンコ(2000年2月)
DMZツアーに参加している最中、移動中のツアーバスの車窓から見えた田園風景が、とてもベトナム的で素敵だった。どうしても行ってみたい。かといってバスで訪れるのも大変だ。そうだ。バイクを借りて気ままに訪れてみよう。ということで、その翌日、バイクを借りて訪れてみることにした。
フエから北へ向けて国道1号線をバイクを走らせる。ベトナムを南北に結ぶ大動脈、国道1号線になると思うが、この頃はとても貧相な状態だった。高速道路もなかったので、バスの長距離移動はとても時間がかかっていた。
とはいえ、この頃のベトナムでは道路を走っているのはバイクと輸送用の大型車両ばかりで、自家用車があまり走っていなかった。交通量自体は少なかったので、貧弱な交通網でもひどく渋滞するということはなかったのかもしれない。
国道よりもひどいのが、鉄道。南北を結ぶ鉄道の大動脈が単線というから驚く。更には踏切も手動。鉄道が通過するときには係の人が柵を引っ張ってきて、道路を封鎖していた。
小さな踏切にはそういった碑とは常駐していなく、列車が警笛を威勢よく鳴らして通過することを知らせていた。こんな状態では列車もスピードを上げて走れるわけがない。
現在の状況は知らないが、この時代のベトナムでは、北部の一部の地域を除いて鉄道で移動するのはあまり現実的ではなかった。
国道を走り、田園地帯に到着。一面に田んぼが広がっていて素敵な風景だ。季節は二月の終わり。この地域では田植が終わったばかりといったところ。
田んぼにはサギの群れがいた。これだけのサギがいるということは、餌が多いのだろう。ちなみに、ベトナムでは詐欺の方も多いので、注意深く旅をしなければならない・・・。
写真を撮っていると、水牛に乗った少年が川からやって来た。なかなかワイルドで、子供の頃に憧れたハックルベリーが頭に浮かんでくる。
橋の下には洗濯物が干してあるが、ここに暮らしているのだろうか。洗濯ものの量からすると一家で暮らしているのだろうか。その境遇が気になるところだが、英語が通じなかったので分からず仕舞い。でも明るい少年で、楽しく暮らしているといった様子だった。
田んぼのあぜ道で、黒いワンコと遭遇。私の姿を見つけると、そばまでやって来るのだが、周囲に民家がなく、誰もいない状況で犬が近づいて来ると、ちょっと怖い。しかも黒い犬だと目が見えにくいので、表情がよく分からない。
犬も近づいてはみたものの、いつもとは違った雰囲気の人間だ・・・。近づいて大丈夫だろうか・・・といった感じで、5mぐらいの距離で歩みが止まってしまった。尻尾が微妙に下がり、迷っているといった感じ。お互い恐る恐るといった微妙な距離感での触れ合いとなった。
3、五行山のワンコたち(2000年2月)
ベトナム中部の港湾都市ダナンの南に五行山がある。平地にぽっこりと岩山がそびえているといった不思議な地形をしていて、頂が5つあることから風水の陰陽五行説に因んで五行山と名が付いている。
この五行山は、宗教の聖地といった感じで寺院が建てられている。その他にも仏像が安置されている洞窟や、ベトナム戦争時に爆撃で空いた大きな縦穴もあり、それなりの観光地となっている。
特筆すべきは、なんとこの丘は大理石と石灰岩できていたりする。その為、英語では大理石の山、マーブルマウンテンと呼ばれている。
古都フエの滞在の後は、同じくベトナム中部にあるホイアンに向かうことにした。この二つの都市はどちらも世界遺産になっているので、この都市間の移動は多くの観光客が利用する鉄板ルートになっている。
移動は直接向かうバスと、ツアー形式のものがあった。ツアーは途中の見所に寄りながら移動してくれるといった便利なもの。そのツアーを利用したら、バスで連れて来られたのが、ここ五行山。
実のところ、自分で行きたいと思ってやって来たわけではないので、来たもののあまり興味がなかった。
せっかく来たことだし散策するか・・・と、惰性でお寺に入ると、境内にワンコがたくさんいて驚いた。猫がたくさんいることはあっても、犬がこんなにいることは珍しい。
結局、洞窟の中には入らず、寺院内の犬と触れ合って過ごしただけで、集合時間がきてしまった。
カラフルな犬もいた。って、これは狛犬・・・、ではなく、中国神話に現れる伝説上の動物、麒麟になるのかな。こういった置物なら撫でても狂犬病の心配はない。
観光地なので色んな国籍の人がいる。放し飼いにされている犬たちを見て、あからさまに嫌がる人も多い。近づいてこようものなら凄まじい剣幕で、物を投げるように追い払う人もいる。
致死率の高い狂犬病のリスクを考えれば、それは正しい行為になるだろう。育った環境が違うので、リスクの取り方、対応の仕方も違う。それは分かっているが、犬が好きだと、そういった光景を見ると少しモヤモヤとしてしまう。
4、ホイアンの大きな看板犬(2000年2月)
ベトナムの人気の観光地として名が挙がるのが、古くからの港湾都市ホイアン。旧市街には古い町並みが残り、夜になるとトゥボン川沿いではアジアチックなランタンが灯って幻想的な雰囲気になる。しかも世界遺産になっているときたら、観光客の人気にならないわけがない。
とはいえ、これは最近、おそらくここ10年ちょっとの話。世界遺産になったのが1999年。私が訪れたのが2000年。世界遺産になったということで、訪れる人はそこそこ多かったが、あまりの寂れようにガッカリして町を去った人が多かった。ベトナム観光の三大ガッカリの一つ。などと言われるほどだった。
実際、旧市街を歩くと、建物は朽ちていて、寂れた感が随所に漂っていた。そういった物悲しさに趣きがあるとも言えるのだが、世界遺産という称号に惹かれ、何か華やかなものを期待して訪れた人にとっては、裏切られた感が強くなり、よりガッカリ感が増してしまったようだ。
そんなホイアンの旧市街をぶらぶら歩いている時の話になる。大きな犬の置物が道端に置いてある・・・と思いながら近づいてみると、本物だった。
じっと動かない様子はまるで置物とか、宮殿の前で門番をする近衛兵のよう。それよりも大きさに驚く。今まで出会った放し飼い、或いは野良犬の中で一番大きかったように思う。
これだけ大きく、立派な犬が店の看板の前に座っていたら、さぞ目を引くことだろう。そして来客も多くなるに違いない。もし野良だとしても立派な看板犬として就職できそうだ。
とはいえ、さすがにこの大きさで放し飼い状態だと、いくら犬好きでも近づくのは怖い・・・。実際、多くの人が避けるように前を通り過ぎていた。
海外編 ベトナム中部 ベトナム南部につづく