旅人が歩けばわんにゃんに出会う
海外編 ベトナム南部
ベトナムで出会った猫や犬の写真を紹介しています。
1、ムイネのワンコたち(2000年3月、2001年9月)
ベトナムの南部、ホーチミンから東へ100キロほどの海沿いに、ビントゥアン省の省都ファンティエットがある。このファンティエットからさらに東へ15キロ程いった小さな半島部分に、ムイネという小さな町がある。
ムイネはベトナム語でMũi Né。簡単そうで意外と発音が難しく、日本語だと「眠いね」と同意を求める時に使う言葉の、最初の「ね」を取った発音がしっくりくる。なので、「ムイネー」と書いてあるものが多いが、「ムイネッ」って書く方がたぶん正解だと思う。
と、通ぶって書いたのは、ここでほんの少しの間だけ暮らしていたことがあるから。その時に撮った犬の写真を紹介していこう。
ムイネには半島で守られた大きな湾があり、天然の港を利用して古くから漁業が盛んに行われてきた。
といってもここは辺境の地。以前は大きな漁村といった表現が適切な規模の町だったのだが、現在ではホーチミンから気軽に訪れることのできるビーチリゾート地として人気となり、国内外から観光客が急増。ベトナムの経済成長も相まって、現在進行形で町が急激に発展しているようだ。
私が訪れたときはまだ漁村の色が強く、水揚げされる浜では魚を人力で運んだり、魚を選別したり、干したりと、素朴ではあったが、とても活気があった。
夕方の浜辺は、西日を浴びながら子供たちが遊びまわったり、地引網で漁をしたり、網の手入れを行ったり、身体を洗うのを兼ねて海に入ったりと、漁村ならではの素敵な情景になる。私のお気に入りの時間帯だ。
ムイネの海の風景、漁村の情景は素敵なのだが、素敵ではない部分というか、全く共感できない部分もある。それは浜に異様にゴミが多いこと。陸地にも多いが・・・。
日本の感覚でゴミが多いと書いても、ちょっと多いんだと思う人が多いだろうが、ここはビックリするほどゴミだらけ。自分たちの海なんだからもっときれいに使おうよと切に思ってしまう。
この日は潮が高かったので、夕方の浜にはあまり人出がなかった。代わりに犬が走り回り、鶏がゴミをつついていた。これもムイネの日常である。
ムイネは大きな湾があり、天然の漁港ではあるが、岸壁の整備された港ではない。沖に船を浮かべたり、浜に上げたりして船を保管している。
船を沖に出したり、浜に上げるのは人力。シーソーのように揺らしながら移動させる。また沖に浮かべた船へ行くときには、お椀のような浮き舟を使う。これがまるで佐渡のたらい舟のようで、面白い。
ムイネがビーチリゾート地として人気となったのは、ビーチだけではなく、ムイネの町の北側に大きな砂丘があるから。
ここの砂は少し赤みがかっていて、赤い砂丘とも呼ばれていて、なかなかきれいだ。砂丘を眺めたり、砂丘に登ったりするのもいいが、ここでは様々なアクティブな体験もでき、リゾート地ならではの非日常体験を満喫できる。
ムイネの人にとっては砂漠は神聖な場所・・・、ではなく、人が暮らしにくい不人気の土地になる。で、砂丘の隅には墓地が造られている。ここでは土葬が一般的なので、掘りやすいし、未開の土地がたくさんある砂丘は色々と都合がいい。
ベトナムの葬式では、家から出棺し、墓地まで葬式行列が行われる。ここの場合は砂丘が背景なので、その行列の様子はなかなか絵になっていて素敵な光景になる。
私が滞在していたころはまだ写真が貴重な時代だったので、葬式が行われると写真の依頼がくる。でも暑い土地柄、葬式行列が始まるのは、だいたい朝の5時とか、6時なので、起きるのが辛かった。
ある葬式行列で、ワンコが行列に混じっているのを発見。子供たちについてきたのかと思ったら、先頭へ躍り出て、行列を先導し始めた。
ワンコの気まぐれというやつなんだろうけど、もし故人に並々ならぬ愛情を持っていたのなら、なかなかいい話になりそうだな・・・と思いながらその姿を追いかけていた。
2、ミシンとニャンコ(2000年3月)
旅行中、ちょっとした縁があってベトナム南部のムイネで1カ月ほど居候生活を送った。居候先の家主はテイラーを家業にしていたが、実際のところはカメラマンの方が本業といった状態。写真の撮影やビデオカメラを回していることが多く、テイラーの仕事は奥さんがこなしていた。
私はカメラが扱えたので、居候させてもらっている分、時々撮影の手伝いをした。撮影といえば結婚式と葬式が定番。おかげでベトナム人の暮らしぶりを観察しながらベトナム生活を満喫することができた。
居候している最中、ビザの延長手続きでホーチミンに1週間ばかり行ってきたのだが、戻ってみると、子供が猫を拾ってきたようで、家の中に猫がいた。この家族は日本人やら猫やらよく拾ってくる・・・。
その猫は居心地がいいのか、よくミシン台の上で寝ていた。その様子が可愛らしかったので写真に収めてみた。
猫とミシン。何かいい物語の題材になりそうな気もするが、想像力が乏しく、ミシンで猫が恩返しする話ぐらいしか思いつかない・・・。
こちらは家主の親戚の家を訪れたときの写真。そこの子供とワンコが仲良く水場にいたので、写真に収めてみたのだが、シャッターを押す直前にワンコが下を向いてしまった。
この頃のベトナムの辺境の地では、井戸水を生活水に使っている家庭が多かった。居候先でも定期的に共同の井戸からホースで水を引っ張ってきて、家の水瓶に溜めて使っていた。不便だし、衛生的にも問題がある。
厄介なのは水場が外にあること。夜になると虫が多く、夜寝る前の歯磨きをするのが非常に億劫だった。もちろんトイレでは頻繁にゴキちゃんに遭遇する。
これが当たり前として育つと、そういうものだと気にならないのだろうが、水道の便利さを知って育つと、こういった生活にはやっぱりストレスを感じてしまう。
こちらも親戚の家で撮った写真。豚の餌やりについていったら、仲良く餌のおねだりをしている様子が可愛らしかったので、写真に収めてみた。
普段、豚と接する機会がなかったので知らなかったが、意外と豚も可愛い。特に子豚の時は耳が大きく、チワワとか、パピオンみたい・・・というのはちょっと大袈裟だが、近年小さい品種の豚を飼う人がいるというのも分かる気がする。
3、ホーチミンと市場のワンコ(2001年9月)
ベトナム南部にある大都市ホーチミン。かつてはサイゴンと呼ばれ、ベトナム戦争時にはアメリカ軍が駐留し、南ベトナムの首都として機能していた。
しかしサイゴン陥落でベトナム戦争が終結すると、南北統一を果たしたベトナムは、首都を北のハノイとし、サイゴンは偉大な指導者ホーチミンの名に改称した。
このホーチミン氏(Ho Chi Minh)とは、第二次世界大戦後、ベトナム民主共和国の独立宣言を行い、初代大統領に就任した人物で、その後フランスとのインドシナ戦争、アメリカとのベトナム戦争を戦い、結果、勝利した。いわゆるベトナム建国の父と呼べる人物になる。ちなみにベトナムの紙幣の表側は全てホーチミン氏が描かれていたりする。
ホーチミン市はベトナム経済の中心地。近年の経済成長の著しいベトナムを象徴しているように、近代的な高層ビルがどんどんと建ち、道路が整備されてと、目まぐるしく発展している。世界的にみても、ここ20年で最も発展した都市の一つと言っても過言ではないはずだ。
とはいえ、私が訪れた2000年、2001年ころは工事の真っ盛り。あちこちで道路を掘り返していて、ホーチミンというと、泥だらけの町といった印象が強い。
未舗装の道も多く、スコールが降ろうものなら足元がぬかるんで、足を汚さないように歩くのが大変。ベトナムの女学生の制服はベトナムの民族衣装であるアオザイ。しかも真っ白。清楚感が半端ない・・・。ではなく、泥跳ねするととても目立つ。汚さないように苦労して歩いている様子がとても印象に残っている。
ベトナムを訪れて驚いたのが、バイクが異様に多いこと。しかも車がほとんど走っていない。なので、道路では無数のバイクが押し寄せてくることになる。その様子はバイクの洪水と例えられるほど凄まじい光景になる。
特に人口が多く、経済的に発展しているホーチミンのバイクの洪水は凄かった。例えるなら渋谷のスクランブル交差点を歩く人が全てバイクといった感じ。「何なんだ!この光景は・・・。」といった感じで度肝を抜かされた。
バイクが多いうえに3人乗りとか、過積載は当たり前。更には後方を確認するミラーは、隣のバイクなどにぶつかって危ないということで、外している人が多い。ほんと、危ないったらありゃしない・・・。
ちなみに写真では全員ノーヘルだが、2007年からヘルメットの着用が義務付けられたそうだ。
無数のバイクが洪水のように押し寄せてくるホーチミンでは、野良犬が暮らすのは厳しい。ワンコとの出会いはないだろうなと思っていたのだが、市場の路地でワンコに遭遇。
私を見つけると、そばまでやって来た。品のある様子から市場のどこかの店で飼われているように思える。飼い犬なら安心かな・・・。そうは思うものの、周囲はゴミだらけ。この状況ではあまり触りたくない。
ベトナム人は家の中とかでは熱心に掃除をし、きれい好きな印象があるが、どうも外ではそうではないようだ。もっと街をきれいにしようよ。旅行中に何度思ったことやら・・・。
海外編 ベトナム南部