佐渡島一周ツーリング記
#8 佐渡金山の金塊
2003年8月、友人と2人、1泊2日の行程で佐渡島一周を試みた時の旅行記です。(全17ページ)
13、まずは金山そば
佐渡島の北側の内海府と外海府沿岸をぐるっと周ってきたので、これで佐渡の上側半分を走覇したことになる。これまでのところは順調すぎるぐらい順調な旅路で、ほぼ思い描いている通りに旅が進んでいる。
今回の旅は、旅の上級者を自負している私がほとんどを計画し、仕切っている。友人の手前、今のところ「本当にユーラシア大陸の横断をしてきた旅人なの?」というような失態はなく、やっぱり旅の上級者だ。一緒に来てよかった。あいつに任せておけば安心。といった眼差しを受けている。
さて、ここからは一旦島の外周を通っている佐渡一周線から離れ、内陸部にある佐渡金山へ進路をとった。
佐渡といえば佐渡金山。多くの人がそう思い浮かべるに違いない。そういった佐渡の象徴である金山に行かなければ、佐渡に行った事にはならないぞ!と、これまたありきたりな目標だが、今回のツーリングの第二目標にしていた。
佐渡金山といえば・・・、何だろう。佐渡にある金山で・・・、金が採れる金山で・・・。って、知名度は抜群だけど、実は名前だけしか知らない。そういった意味では何か秘境的な雰囲気を感じ、探検といった気分を抱いてしまう。
しっかりと予習をし、知識豊富な状態で知っていることを確かめに訪れる旅も楽しいが、きっと凄いものがあるだろうといった期待や思惑で訪れる旅もまた楽しいものだ。
海岸から山の方へ向かって走り、ちょっと登ったところに佐渡金山跡があった。ここは実際に使っていた坑道が資料館となっているので、洞窟探検のような気分で見学ができる。こういった施設はなかなかないので楽しみだ。
金山探検の前に、まずは腹ごしらえ・・・・。と、ずっこけるような展開になるのだが、どこかで昼食を食べたいと店を探しながら走っていたものの、ずっと気軽に入れそうな店がなかった。
で、ここには金山に付随している金山茶屋があり、気持ち金箔が浮いてる「金山そば」という名物がある。蕎麦だとあまり腹の足しにはならないが、ここでカレーとか、かつ丼では旅が盛り上がらないというもの。
値段を見ると、金山そばは普通の蕎麦よりもちょっと高い。金箔が入っているからといって味が変るわけでも、腹の足しになるわけでもでない。そう考えると、エビ天をのせたり、大盛にする方が現実的な選択肢だ。
でも、ここは佐渡金山。金山坑道の奥の方から人々を魅惑する金独特のオーラが漂ってきて、ケチケチするなよと金山そばを誘ってくる。他でこんな蕎麦があっても、貧乏性の私は絶対に食べることはないだろうが、今回は金の怪しい誘惑に負け、金山そばを注文してしまった。
頼むとあまり時間がかからずに蕎麦が出来上がってきた。蕎麦の上にはキラキラと光る金箔らしきものがほんのちょっとかかっていた。どっさりとのっていたらビックリするが、あまり少ないのもビックリしてしまう。
でも、ほんの少しでも金箔がのっかっていると、ゴージャスというか、結婚式のようなめでたい雰囲気がする。いや、正月というのが一番しっくりくるか。正月の日本酒に金粉が入っているのが、頭に思い浮かぶ。
しかし蕎麦の上だと、いまいち金が金らしく輝いて見えない。海苔やそばの黒色で金が引き立っているとは思うけど、なんだか金紙っぽい。そのため安っぽく感じる・・・。普通のどんぶりに入っているからかな・・・。せめて正月とか結婚式の高級感ある漆塗りのお椀みたいな器に入っていたら少しは違ったかもしれない。
本物か、いや偽物か。と頭を悩ませてもきりがない。そもそも実物をよく知らないのだ。でも実際に食べてみれば金の味がするので分かる・・・わけないよな。
まあこういうものは気持ちの問題。食べてみると、幾ばくか優越感という味がしたような気がした。それに金を食べたのでこれで金山の予習はバッチリ。金山見学にも力が入るというものだ。
14、佐渡金山の金塊
金山そばを食べた後は、いよいよ佐渡金山探検の開始。坑道の入り口の窓口でチケットを買って坑道へ入っていった。
坑道内に入ると、「おっ、涼しい!」と声に出してしまうほど、空気がひんやりとしていた。まるで天然のクーラーがギンギンに効いているかのよう。佐渡の日差しに焼けた体が冷やされ、とても気持ちいい。
坑道の見学コースは、通路や階段がきちんと整備されていて歩きやすくなっていた。照明も明るく、階段には手すりもちゃんと設置されている。さすがに最近流行りのバリアフリーとはいかないが、お年寄りにも優しい感じの坑道となっていた。
もっと秘境のような雰囲気を期待していたので、ちょっと思い描いていたのとは違うかな・・・と思ってしまったが、それでも金山鉱山の中を探検しているといったワクワク感には変わりがない。探検隊になったような気分で奥へ進んでいった。
坑道内では所々に動く人形が設置されていて、人形を使って当時の作業の様子が再現されていた。暗闇の中で不気味にスポットを浴び、黙々と動いている人形があるのはどこの鉱山でも一緒。
ただ規模が大きい分、今まで見た炭鉱よりも見ごたえがあった。やはり日本一の金山と詠われるだけはあるな。でも結構リアルな感じなので、一人で寂しく歩いていたら不気味に感じるかもしれない。
できれば金の欠片でも見つけてお土産に・・・。坑道内で働く人形が多いと、まだどこかに金の混じった原石が落ちているかもしれん・・・などと思ってしまう。それが金の魔力というものだ。
どこかに金が落ちていないかな・・・なんて思いつつキョロキョロと足下を探してみるものの、そんなものが見つかるはずがない。低くなった天井で頭を打つのがオチである。
最初のうちは涼しく、あれこれと興味深く感じた坑道もそのうち単調に感じ、子供心のような冒険心が薄れた頃、ちょうど坑道見学コースが終わった。
坑道を出ると、そのまま付随する資料館に入った。ここは佐渡金山の歴史とか、金山で働く人の生活、大判小判などの作り方などが分かりやすく展示されていた。
金山の歴史などには色々と興味があったものの、あまり時間に余裕がないので、一つ一つじっくりと資料を見ている訳にもいかない。流し読みといった感じで資料を見ていったが、いかに当時の佐渡が栄えていて、また炭鉱の労働がきつかったのかがよくわかった。
せっかくなので簡単に書くと、佐渡は古くから金の島として知られていたようで、平安時代に書かれた今昔物語集に佐渡と金のことが書かれている。また室町時代の能役者・能作者の世阿弥が佐渡に流刑となり、ここで地でつづった小謡集の題名が「金島書」となっていることも金に関連付けられる。
実際に佐渡の金が有名になるのは江戸時代で、1601年に鶴子銀山の山師によって相川金銀山、現在の佐渡金山として知られている鉱脈が発見された。
金が出たってことで、幕府の直轄地の天領となり、幕府主導で坑道がどんどんと掘られ、金と銀の採掘が行われた。金山近くの相川集落はそれまで20軒ほどの小さな集落だったのが、鉱山の発展とともに人口5万人という巨大な町に変わったとか。急激な発展ぶりに驚くとともに、金のあるところには人が集まるもんだな・・・と解釈すると、妙に納得してしまう。
掘って掘りまくった坑道は、東西3,000m、南北600m、深さ800mに渡っていて、まるでアリの巣のように拡がっている。その総延長は約400キロ。例えとして佐渡~東京間の距離と同じほどと書かれていたが、関東在住としては東京~博多間と宣伝している足尾銅山に比べると少しインパクトに欠けてしまうかなといったところ。
ここの採掘で一番の障害となっていたのが、湧水だったようだ。最初は露天掘りだったのが、金を求めてどんどんと坑道を地下へ掘っていくにつれて、坑道が海面下に到達。湧水が大量に出るようになってしまった。
この時代は便利なポンプというものがないので、湧き出てきた水は人力で運び出すしかない。これがとんでもなく重労働だった。この水を排出する労働者を水替人足といって、給料はそこそこよかったがあまりの重労働でなり手がいなかったそうだ。
現代も江戸時代も人間の本質は一緒で、3Kの象徴のような仕事にはなり手がいない。慢性的な人手不足となり、最終的には罪人などを使って対処したとか。罪を犯し、奉行所に捕まると、佐渡で強制労働をしなければならない。単に投獄されるよりも厳しいので、佐渡金山の存在は金の排出以外にも犯罪の抑止力になっていた・・・、のかも。なんて想像するのだが、どうだろう。
明治維新以降は官営佐渡鉱山となり、その後三菱合資会社に払い下げられた。戦後も採掘が続けられていたが、平成元年にその長い歴史に幕を降ろすことになる。
佐渡金山で今まで採掘された金は78トン、銀は2,330トンと銀の算出の方が金よりも30倍も多い。それじゃ佐渡銀山と呼ぶ方がいいじゃないかと少しビックリした。また金の採掘量は日本で2番目になるようで、日本一は鹿児島県にある菱刈鉱山というのにも驚いた。
訪れるまで抱いていた金ザックザックの日本一の金山といったイメージと少し違っていたが、江戸幕府の財源を支え、石見銀山とともに世界に名が知れるほど大量の金と銀が産出された事実には変わりがない。
金山見学の一番最後、お土産物屋の売店のところに、一番のハイライトと呼べるものがあった。なんと透明な箱の中に小さめの金塊が入っていて、実際に触ることができるようになっている。
これは盗んでくれというようなもの。お土産にするのにちょうどいい。持って帰ってやろう。と期待を込めて小さな小窓から手を突っ込んでみると、金塊はひんやりとした手触りで、いかにも金属の塊といった感触だった。
見た感じは羊羹とか、カステラサイズなので、頑張れば持ち上がり、その後どうやって取り出すかが肝だなと、頭の中で思い描いていたのだが、実際に持ち上げようとすると、想像していたよりも重い・・・。おまけにつかみにくい・・・。
バイク乗りなので握力には少々自信があったが、いくらやっても腕の血管が浮かんでくるだけ。あまり頑張り過ぎて血管が破裂してはかなわない。こりゃ駄目だ。友人と交代した。
やっぱり無理だったか・・・。って、私程度が簡単に持ち帰ることができるぐらいなら、もうここに金塊はないよな・・・。仕掛けに引っかかったようで、なんかちょっと悔しい・・・。
#8 佐渡金山の金塊 「#9 大佐渡スカイライン走破」につづく