八丈島、三宅島卒業旅行記 1998 タイトル
八丈島、三宅島卒業旅行記

#15 火山の島の観光

1998年3月、学生生活の最後を締めくくる卒業旅行として、友人と3泊5日の行程で八丈島と三宅島を巡ってみました。(全17ページ)

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15、火山の島の観光

三宅島の地図 地理院の地図
三宅島の地図

国土地理院地図を書き込んで使用

宿の前に置いてある軽自動車に乗り込み、まずは私の運転で出発した。

八丈島と同様に、ここ三宅島でも島の一周が第一目標。この島はジャガイモのような丸い形をしているので、右から回っても、左から回っても同じようなものだが、最後に真ん中にある雄山へ行くのに、反時計回りで回ったほうが都合がよさそうだったので、反時計回りで島を回っていくことにした。

本来なら今日一日かけ、ゆっくりと島を一周する予定だったのだが、昨日の船の欠航で、半日しか時間がない。急がないと、島を一周できないかもしれない。と、急いで出発し、ペースを上げて走ると、あっという間に三宅島空港を通り過ぎた。

あれ、もう空港を通り過ぎたのか・・・。って、この島は思っていたよりも小さいぞ・・・。実際に車を走らせ、島の大きさを体感すると、島を一周するのにそれほど時間がかからないことを理解した。これなら慌てなくても大丈夫だ・・・。アクセルを踏む足を緩めた。

サタドー岬 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
サタドー岬

三宅島空港を過ぎ、先ほど到着した三池港を通り過ぎ、その先のサタドー岬と灯台が最初の目的地。

ここは断崖絶壁が売りの観光地。三宅島の東尋坊といった場所だ。そういったちょっと危険な場所なので、風が強い日はあまりシャレになっていない。風にあおられて崖にでも落ちたらやばいかも。いや、やばいどころではない。転落したらまず命がない。

と言いながら、身の危険を感じながら恐る恐る崖を覗き込んでいる私がいた。せっかく来たのだからと、無理にのぞいてしまうのは好奇心旺盛な旅人だからなのか、それとも貧乏性だからなのかよくわからないが、今日のような風が強い日は、いつもよりもスリルが50%増しになるのは確かだった。

三七山展望台で 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
三七山展望台で
ひょうたん山の火口 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
ひょうたん山の火口

次ぎに訪れたのは三七山展望台。この展望台付近は、昭和37年の噴火の時に流れてきた黒々とした溶岩で覆われていた。

展望台を訪れ、まず目に入ってくるのが、海沿いにある赤い大きな噴火口。昭和15年に噴火したときの噴火口で、ひょうたん山と呼ばれている。

なんでも海底で噴火が始まり、その排出された溶岩がどんどんと盛り上がっていき、最終的にひょうたん山と呼ばれるほどの丘になってしまったとか。

ポッコリと空いた大穴。赤く荒涼とした雰囲気が火星とか、月とか、そういった現実離れしたものを連想させてくれる。

三七山展望台から雄山の眺め 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
三七山展望台から雄山の眺め

展望台には三七山の碑が建っている。三七山は昭和37年の噴火でできた噴石丘で、展望台の背後にある丘がそれにあたる。

その時の噴火では、ここから雄山の8合目にかけていくつもの噴火口が開き、大量の溶岩が流れ出た。今でもその当時と変わらない感じで、雄山からこの付近一帯にかけて黒々とした溶岩で覆われている。

この黒々とした大地からは、ちょっと前にここで火山の噴火があったこと。溶岩が大量に流れてきたことがありありと伝わってくる。そして火山噴火の脅威をまざまざと感じる。

黒々とした大地 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
黒々とした大地

こういった荒々しい大地の中に立つと、自然の雄大さに圧倒されると同時に、人間の無力さも感じる。でも不思議なもので、こういった荒涼とした大地の中に佇むと、緑が多い場所と同じように気分が落ち着く自分がいたりする。

木が沢山生えているのも自然だが、木が生えていない荒々しい大地も偽りなき自然であることも事実で、ここもまた自然豊かな台地と言えるかもしれない。

それにしても今日も雲が流れていて綺麗だ。大地の黒と雲の白の対比が印象的な光景を作っていた。

運転の初心者のイメージ(*イラスト:choko_aisさん)

(*イラスト:choko_aisさん 【イラストAC】

溶岩の大地からは、運転を友人と交代した。ここは圧倒的に交通量が少ないので、免許をとった後、ほとんど車の運転をしていない友人でも気楽に運転をすることができる。

友人のギクシャクした運転でしばらく走り続けると、ちょうど島の北側、時計で例えると12時の位置にある神着地域に到着。ここには伊豆諸島最古の木造建築があるということで寄ってみた。

島役所跡とビャクシン 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
島役所跡とビャクシン

訪れたのは旧島役所で、かつては島政と祭祀を司ってきた壬生家の役宅として使用されていた。今なお茅葺屋根の建物が現存していて、使用されている木材は全て椎の木。しかもカンナを全く使用せず、手斧で仕上げられたとか。

この建物も凄いけど、建物の前にある巨木も何気に凄い。樹齢450年と言われるビャクシンで、とても神秘的な雰囲気を醸し出していた。

茅葺の建物と立派な巨木。少し南国的な雰囲気を感じるこの空間は、なんだか物の怪の世界のよう。ここだけ違う時の流れを進んでいるかのようだった。

伊豆岬の海岸 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
伊豆岬の海岸

独特な地層をしています。

伊豆岬灯台 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
伊豆岬灯台

引き続き友人の運転で進んで行く。もっとアクセルを踏む。ウインカーを出して・・・。などと、運転講習会のようになっていたりするが、退屈しのぎになるし、これもまた旅の思い出になるだろう。

で、次に訪れたのが、三宅島の北西端にある伊豆岬。ちょうど宿の反対側付近なので、三宅島を半周してきたことになる。伊豆岬付近の海岸は特徴的で、火山の溶岩で出来た地層が海水によって浸食され、溶岩がただれているかのような荒々しい海岸を形成している。

この海岸の北側にあるのが伊豆岬灯台。明治42年に建造された白い灯台で、荒々しい海岸の中で可愛らしく佇んでいるといった感じだった。

三本岳 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
三本岳

伊豆岬の沖には三本岳という小さな岩山がある。ガイドブックによると、伊豆岬から見る夕日は素晴らしく、うまくすればその三本岳の岩に被るように夕日が沈むとか。

とはいうものの、太陽はまだ空の高い位置にある。漫画のように竹やりで突っついたり、時が進む秘密道具を使うなどして、一時的に夕暮れにできればいいのだが、それはかなわぬこと。

まあせっかく来たのだから、三本岳の写真でも撮っておくか。ファインダーを覗くものの、強烈な逆光。まあいいか。パシャ。うまく撮れたかは、現像した後のお楽しみという事で気にしない、気にしない。そう、この時代はフィルムのカメラしかなく、その場でちゃんと写っているかを確認できなかったのだ。

line

伊豆岬から島の西海岸を南下していくと、過去の噴火で大きな被害を受けた阿古の集落に到着した。ここ阿古は、1983年(昭和58年)10月の二男山噴火によって、阿古地区400戸が溶岩で埋没してしまうという壮絶な過去を持っている。

阿古小学校跡 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
阿古小学校跡

溶岩で破壊された建物が保存されています。

溶岩で埋まる体育館跡 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
溶岩で埋まる体育館跡

現在でもその時の災害の跡が意図的に残こされている。一番有名なのが溶岩によって破壊された阿古小学校。訪れてみると、校舎は半分溶岩で埋まっていて、体育館は屋根の鉄筋がむき出しになっている状態だった。これは・・・、まるで原爆ドームみたい・・・。

噴火からまだ15年ほどしか経っていないんだよな・・・。その時の噴火の事は後々も大きくニュースで報道されていたので、なんとなく私の記憶にも残っている。

あの時の噴火の被害がこれか・・・。建物の痛々しい姿から火山噴火の恐ろしさ、人間の無力さを感じる。こういったものを残してくれているのは、やはり観光客にとってはありがたい。実感がわくというか、火山の怖さを直に感じることができる。

崩れためがね岩 八丈島、三宅島卒業旅行記の写真
崩れためがね岩

三本岳岩が正面に見えます。

阿古の集落の海岸沿いにはもう一つ有名なものがある。それはめがね岩で、日本全国にあるめがね橋の自然版といった感じで、海岸に橋のように存在していた。

残念ながら過去形となってしまい、現在では片方のアーチが崩れてしまっている。これも噴火の時の・・・と思ったら地震によって崩れてしまったとか。火山が多いという事は、地震もそれなりに多いということだよな。そう考えるとなかなか住みにくい島なのかもしれない。

八丈島、三宅島卒業旅行記98'
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