#16 雄山の火口へ
1998年3月、学生生活の最後を締めくくる卒業旅行として、友人と3泊5日の行程で八丈島と三宅島を巡ってみました。(全17ページ)
16、雄山の火口へ

以前は火口内にハイキングコースがありました。
三宅島の中央にあるのが雄山。三宅島の各所で起こった噴火の親玉というべき存在だ。
今なお活火山のままで、「俺はまだバリバリの現役だぜ!」とアピールしているかのように、山頂付近に小さな噴煙が上がっている。その様子は島の至るところから確認できる。
でも、現在は小康状態を保っていて、噴火しないという話。観光マップを見ると、噴火口付近にハイキングコースが設置されていて、火口を散策できるようになっている。しかも山頂のすぐそばまで車で行く事ができる。
活火山の火口付近まで行けてしまうのか。しかも簡単に。だったら行ってみよう。面白そうだし・・・。と、三宅島の観光の総仕上げに、阿古からは内陸に進路を取り、雄山の山頂を目指した。
*注釈:雄山は2000年に大噴火が起き、一時期全島民が避難しました。この旅行記はその前の話です。現在では火山活動が落ち着き、島の訪問は可能となっていますが、火口周辺は火山ガスが発生しているので立ち入り禁止区域となっています。状況は変わるので、訪れる際には三宅島のホームページなどで最新の情報を入手してください。

*国土地理院地図を書き込んで使用
雄山への登山道を非力な軽自動車で登っていった。阿古から雄山へ向かう道は溶岩大地の中に造られているので、車窓の風景はワイルド感満点。道中でこれほどすごい光景が見られるなら、登った先にある火口はビックリするほど凄いんだろうな。エンジンの回転数の上昇に比例するように、我々のボルテージも上がっていく。
雄山の山頂が近づき、大きく見えるようになってきた。山頂付近からはやはり煙が出ていて、下から見たよりも噴煙が激しく上がっている気がする。近づいたからそう見えるだけなのだろうか。もしかして急に噴火する前兆が現れたとか・・・。
実際に噴火した跡を幾つも見て回ってきた後なので、モクモク上がる噴煙に対して、いつも以上に恐怖心を抱いてしまうのは、自然な反応となるだろう。

(*イラスト:まりんさん 【イラストAC】)
「けっこう煙が上がっているな・・・」と、少々不安になりながら進んでいくと、頂上近くの駐車場に到着。車から降りると、硫黄の臭いがツーンと鼻についた。周囲の風景は殺風景だし、誰もいない。その上、この硫黄の臭いと、山から微妙に上がる噴煙。何かとんでもない場所にやって来てしまった感を強く感じる。
それにしても・・・、車に乗ってこんな噴火口近くまで行けてしまう山も珍しい。しかも無料の道路で、誰でも制限なく自由に。人が殺到しない離島だからこそできることなのだろう。

駐車場に設置されている案内板を見ると、ここから10分程度で山頂に行けるとのこと。今日の登山は楽勝だな。今日は友人の足を引っ張らずに済みそうだ。
それよりも噴火の方は大丈夫だろうか・・・。こっちの方が心配だ。突然噴火するってことはないのだろうか。鹿児島の桜島だって、ちょくちょく小さな噴火が起き、灰を降らしているし・・・。こういう状況に慣れていないというか、勝手が分からないので、不安感がとめどなく湧き出てくる。

(*イラスト:マリンさん 【イラストAC】)
でも、噴火するなら「噴火しますよ」といったサイレンが鳴ったり、大きな地震が起きたりと、何かしらの予兆があるに違いない。
「大丈夫だよね。」「たぶん・・・。」友人と確認し、歩き始めた。こういう時に友人が一緒というのは心強い。一人だったら不安で引き返していたかもしれない。

うっかりネガに光を入れてしまいました・・・。


大丈夫だろうか・・・。不安になりながら友人と登山道を登っていった。横の方を見ると、地面のあちこちから煙が上がっている。風向きによっては硫黄の臭いがきつくなり、不安感が増す。
温泉地のなんとか地獄といったような場所でも、このように噴煙が上がっていたり、硫黄の臭いがする。それと同じことではないか。あまり気にすることはないのかもしれない・・・。そうプラス思考で考えると、幾分気持ちが和らぐが、ここは正真正銘の活火山。噴火実績も申し分ない。そう簡単に不安が解消されたり、緊張感がなくなったりはしない。
さらに追い打ちをかけるように、火口に近づくと、時々変な音がしてくるようになった。最初は風の音かと思ったが、足を止めると、その音は足の下から響いてくる。
そう地面からから時々「ゴォーゴォー」という地響きがするのだ。これがかなり気味の悪い音で、まるで山のお腹が鳴っているかのよう。生贄となる若者が来たぞ!ってな感じで、いきなり足元に穴が開き、食べられてしまったりして・・・。

この辺りが噴火口になるのでしょうか。

荒涼とした感じの場所でした。
頂上付近に到達してみると、八丈富士のようなきれいなカルデラになっているのではなく、崩れかけた巨大なカルデラがあり、その中にいくつものカルデラができているといった感じだった。
次々と別の場所が噴火したのだろうか、それとも一度に多くの場所が噴火したのだろうか、中心付近は噴火跡同士で潰しあっていて、どこが一番の中心なのかがよくわからない。
周囲を見渡すと、辺り一面、起伏が激しく、地層がむき出しになっている土地が広がっている。なんて荒々しい土地なんだろう。ほとんど草木が生えていないので、月世界に来てしまったかのように感じる。ほんと、すごい光景だな。

(*イラスト:ニッキーさん 【イラストAC】)
少し火口を歩いてみた。少しこの場の雰囲気に慣れたのもあり、煙が出ている地面の近くへも行ってみた。歩くと、当たり前といえば当たり前だが、足の裏が妙に温かく感じる。まるで焦げたホットカーペットの上を歩いているかのよう・・・。
恐る恐る地面を手で触ってみると、適度に温かい。これって、砂風呂ができそうだ。「服を脱ぎな。砂をかけてあげるから・・・。」「いや、火傷しそうだよ。」と、まあ冗談が言えるうちはいい。
やっぱり気になるのが、足元から「ゴォーゴォー」と地響きがしてくること。立ち止まっていると、より強烈に感じる。

(*イラスト:アート宇都宮さん 【イラストAC】)
「今、けっこう揺れたような気がしたけど、風のせいか。」「いや、揺れたよ。確かに揺れた。」「これってやっぱり噴火するんじゃないのか。」「いや、そんなことはないと思うけど・・・」「でも怖いよね。」
目の前で噴煙が上がる状況の中で、足元から「ゴォーゴォー」と地鳴りがする状況は、恐怖そのもの。どうにも精神的に耐えられない。

実体験は何事にも代えられない。よく言われる言葉である。実際に訪れて、実際に見ることは、テレビで見るのと比べて感動の度合いが全然違う。ということになる。
この場に立っていると、周囲の空気は硫黄臭く、長くいると気持ち悪くなりそうだし、足元からは煙がもくもくと吹き上がり、時々ゴォーといった不快な地響きも感じる。周囲の風景に対して凄いと感じるけど、実際はそれ以上に不安とか、怖いといった感情の方が勝っている。
なので、きっと安全なテレビの画面で見た方が、純粋に「これは凄い!」「まるで月世界のよう」「感動的な風景!」となっただろう。そんな気がする。
とはいえ、この場にいるからこそ様々なことを五感で体験し、深く感じることができる。活火山の火口の中を歩くという不安感はテレビでは絶対に味わうことができないし、その経験は一生忘れられないものとなるだろう。そういう意味では、今回の体験はとても貴重なものになったと言える。

ガッツポーズの割にはかなり腰が引けています。
山頂らしき場所に登って記念写真を撮って雄山の登頂を達成。せっかくなのでハイキングコースをぐるっと歩いてみたい気はするが、やっぱり地面からの地鳴りが気になってしょうがない。
八丈富士では尋常でない強風に苦しめられて、すぐに下山してしまった。今日も強い風が吹いているけど、噴火の方が遥かに怖い・・・。今噴火したら、シャレにならないもんな。走って逃げれるものではないし・・・。
それよりも噴火する前に退散しよう。それが一番安全だ。八丈富士の時と同様にそそくさと下山することにした。

雄山を後にすると、ずんずんと山を下っていき、宿の近くの大路池を訪れた。見た感じは緑に囲まれた大きな池。山に行けばよくある池といった感じなのだが、この池も過去に起こった噴火の跡で、火口に水が溜まって池になったとの事。
本当に噴火に関するものだらけだな。三宅島は。島全体で火山博物館を形成しているかのようだ。そう考えると、三宅島は自分のペースや興味で、実際の火山を体験できる素晴らしい教材だと言える。実際、我々も火山についての理解が進んだし、火山の怖さを身をもって感じている。
とはいえ、観光して周る分には非日常的で楽しいけど、実際に暮らすとなると、またいつ噴火が起こるか分からないから、落ち着かないだろうな・・・。10年後にこのような池が別の場所にできている可能性もあるわけだし・・・。

(*イラスト:九宮駆さん 【イラストAC】)
この後、海沿いにある長太郎池を見て、三宅島の観光は終了。ガソリンスタンドでガソリンを入れて、宿に戻った。やはり車での観光は、2人乗りのバイクで周るのと比べて、圧倒的に楽だったな。もちろんきつい登山がなかったのもあるが、それを引いても疲労度が雲泥の差だ。
とはいえ、車だと万事が予想した通りに進んでいき、ドラマがほとんどなかった。移動の楽しさという点においては、何か物足りなさを感じてしまう。そう、八丈島ではいつ壊れるかわからないスクーターだったので、移動中はハラハラの連続で、移動するのが楽しかった。

(*イラスト:poosanさん 【イラストAC】)
旅は人の単純移動である。目的地に着くよりも、自然とその過程を楽しんでいるものである。なので、移動中に迷子になったり、どうやって行こうかと考えたり、移動に困難や不確実性、こだわりがあると、旅はぐっと楽しくなる。そういったことを再認識したレンタカーでの移動だった。
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