#17 夕日と露天風呂
1998年3月、学生生活の最後を締めくくる卒業旅行として、友人と3泊5日の行程で八丈島と三宅島を巡ってみました。(全17ページ)
17、夕日と露天風呂
宿に戻ると、宿のおばさんがご苦労様といった感じで出迎えてくれた。やはり温かく迎えてもらえると、ホッとしたような、うれしいような、落ち着く気持ちになる。
港から宿へ送迎してもらった時に、我々は生粋の旅人といった感じで、胸を張って「三宅島に観光に来ました」と言ったからだろうか。それともいつも聞いているだろうか。おばさんは間髪入れずに、「三宅島はどうだったかね」と、興味あり気に聞いてきた。
各所で火山の凄さや怖さを思い知った旨を伝えた。そして雄山での恐怖体験を熱を込めて語ると、「それはいつもの事だよ」と笑われてしまった。「やっぱり都会者は・・・」とは言わなかったが、そう顔が物語っていた。
でも、あれが当たり前と言い切ってしまうところが凄いというか、たくましい。人間慣れというのは恐ろしいものだな。まあ実際、今のところ噴火していないから、あんなに慌てて雄山から降りてくる事もなかった。それは確かだ。
会話が一段落すると、おばさんは「うちの風呂に入ってもいいけど、島の西側に夕日が綺麗な露天風呂があるよ。そこに入りたいのなら、うちの車で送迎してあげるよ」と言ってきた。
それはいいかも。どうせ暇しているし。宿の風呂に入るよりも楽しいに違いない。その提案を受ける事にした。
送ってくれたのは宿のおじいさん。軽トラに3人で乗ると、ってまあちょっと問題あるかもしれないけど、離島だとこれが日常なのだろう。窮屈に軽トラに乗っていると、ほんわかとした離島ならではといった感じがして楽しい。
トラックで連れられて行ったのは、阿古の集落にある町営のふるさとの湯で、観光の途中で立ち寄っためがね岩の近くだった。昨年できたばかりのようで、まだ施設全体に新しさを感じる。
施設は新しいけど、利用している人はあまり新しいとはいえず、年季の入った地元のおじいちゃんたちに交じって温泉に浸かった。
ここの目玉は外の露天風呂から海がよく見えること。夕日がきれいということで期待していたのだが、日が沈む時間帯には水平線上に分厚い雲がかかってしまい、綺麗な夕日を見ることが出来なかった。
まあこれも巡り合わせというやつ。きれいな夕日が見られた方がよかったが、文句を言ってもしょうがない。先ほど購入した入場チケットに印刷されている夕日の写真で我慢しよう。
40分後、宿のおじさんが迎えに来てくれ、再び軽トラックに乗って宿に戻った。宿に戻るとおばさんが迎えてくれ、「もう夕食の準備ができているけど、どうする」と聞いてきた。
じゃあ早速夕食にしよう。今日はよく動いたので、腹が減った。食堂に行くと、今日は他に客がいないので、貸し切り状態だった。観光案内所の人が勧めてくれただけあって、海の幸を使った料理がおいしい。まあ最後の夜だし、明日は朝早くないし、ちょっと多く飲んでも大丈夫だろう。ってことで、ビールも進む。そして会話も弾む。
八丈島もよかったけど、三宅島も楽しかったな。それに住む人々もよかったな。やはり厳しい自然と向き合って暮らしている人達は、人間味があふれ、心が暖かいものなのかな。いい人に出会うと旅も楽しい。そして気分もいい。
調子に乗って、「風に苦しめられ、島流しのような旅だったけど、なかなかいい思い出だよな。やろうと思ってなかなかできる旅ではない。俺たちはもの凄く運がいいぞ。」と、友人に言ってみると、
「えっ~、そうなの。あんまり運がいいとは言えないんじゃないかな・・・。」と返ってきた。
まあ考え方は人それぞれ。今は「こうだ」と思っていても、後から考えると違った印象になっているかもしれない。それが旅であり、人生の経験だ。
でも、この旅が楽しかったということに関しては、二人とも一致していた。いい卒業旅行だったな・・・と、この3日間の旅の話で楽しく盛り上がりながら、最後の夜を過ごした。
そして翌日、風は一段と穏やかになり、定刻通りにやって来たフェリーに乗り込んだ。往路は胸をときめかせながら船旅を満喫したものだが、帰りはそういった感動はなく、ただ疲れて寝ているだけだった。おかげで気が付いたら芝浦埠頭に到着していた。
JR浜松町駅から電車を乗り継いで家に戻ると、3泊4日の楽しい小旅行が無事に終わった。そしてその一週間後、長く楽しかった大学生生活も終わってしまった。
#17 夕日と露天風呂 八丈島、三宅島卒業旅行記98' ー 完 ー