旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 千代田区
千代田区で出会った猫の写真を載せています。
1、「写ルンです」とにゃんこ(千代田区永田町 1998年11月)
写真をフィルムで撮っていた時代。犬や猫の写真を撮る人は少なかった。自宅で飼っているペットでさえ、旅行や季節のイベントの後に、「フィルムを現像に出してしまいたいが、まだコマが余っている。ワンコでも撮るか・・・」といった扱い。あまり写真に収めてあげる機会がなかった。
そのへんを歩いている野良猫については、言うまでもない。余程好きな人以外、フィルムがもったいない。と、カメラを向けることはなかった。一時期、現像の仕事をしていたので、その辺の事情には自信がある。
フィルム時代、犬や猫を含め、人々があまり写真を撮らなかったのは、フィルム代、現像代がそれなりにしていたから。また、現像するのに写真屋にもっていかないといけなかったし、カメラはそれなりに重たく、色々と技術的に難しかったことなどもあげられる。まあ簡単に言うなら、手軽さがなかったのだ。
それを少しだけ払しょくしてくれたのが、富士フィルムの「写ルンです」。世間でよく知られる使い捨てカメラで、正確名称は「レンズ付きフィルム」という。
画質に関しては微妙だったが、軽く、小さく、シャッターを押すだけで写真が撮れる。その手軽さが受けて、大ヒットした。とりわけ学生(特に修学旅行)、工事などの現場で使われることが多かったように思う。
「写ルンです」のヒットで、他のメーカーもレンズ付きフィルムに力を入れるようになり、感度の高い仕様やら、日付を入れられるもの、白黒、セピア、水中用など、様々な種類のものが登場し、一つの文化をつくった。
手軽なレンズ付きカメラのメリットは他にもある。鞄に入れていても大してかさばらない。普通のカメラのように乱暴に扱っても壊れる心配がない。紛失、破損してもそこまで痛くない。といったこと。
実は、一時期、仕事の外回りの際に鞄の中に「写ルンです」を忍ばせ、スナップを撮っていた。今同じことをやると、「コンプライアンスが~」「職務規定違反だ~」などと、会社からお叱りを受け、減給処分になったりするかもしれないが、この時代はおおらかで、単に変わった奴・・・で終わっていた。
で、これは不真面目な社員が仕事中に写ルンです(セピア)で撮ったにゃんこの写真になる。
永田町と赤坂見附の間は、とても急な斜面になっている。都立日比谷高校の横にあるのが新坂。毎朝、学生が息を切らしながら登っていて、この坂のせいで遅刻しそうになるとかで、遅刻坂なんて愛称も付けられていたりする。
その坂の途中にいた猫たち。とても人によく懐いていた。永田町といえば政治の町。この付近は議員会館やら官邸やら政治関係の建物が多く、また日枝神社もある。住宅街と違ってガチャガチャしていないし、うるさく言う人も少なく、治安もいい。意外と猫たちにとって過ごしやすい環境になるのかもしれない。
2、招き猫とにゃんこ(千代田区神田鍛冶屋町 2008年2月)
東京駅の北側は神田の町になる。かつて東京には神田区が存在したが、麹町区と合併し千代田区となった。その名残で、旧神田区の町域では神田須田町とか、神田神保町とか、頭に神田が付いた町名が多い。
神田は、神田明神から名が付いた町。江戸時代初期は職人町だったが、徐々に商業の町へと進化していった。現在では大通りにはオフィスビルが並び、いかにも東京の真ん中といった印象を受ける。しかし、路地に入ってみると、昔ながらの小売りの店が並んでいて、下町の風情を感じたりする。
新しいようで、古さのある町。高級志向のようで、庶民的でもある町。そういった相反するものがうまく混じりあっているのが、神田になるだろうか。老舗、名店と呼ばれる飲食店も多く、散策するにはとても面白い町である。
そんな情緒あふれる神田の町を散策しているときのこと。鍛冶屋町の路地を歩いていると、開店待ちをしている猫を発見。猫までもが開店前に並ぶとは、さぞ評判の名店に違いない。
「この店は評判なのですか。」「何がおいしいのですか。」と、店の前で待つ猫さんに尋ねてみるものの、一瞥くれただけで完全に無視。邪魔をするな。取材お断り。といったそっけない態度。わき目を振らずという表現がぴったりだった。
この状況から推察するに、どうやら中に入れて欲しくてしょうがないようだ。昭和時代、悪さをした子供が、親に「あんたはうちの子ではありません」などと言われ、家の外に締め出されることは、よくあった。その時に「お母さん、家に入れて~」と、ドアの前で子供が泣いていたりするのだが、そんな光景が思い出される。
そんな猫のけなげな様子よりも、ドアの横のショウウインドウから、無表情な顔でこの状況を見守る招き猫が気になってしょうがない。不気味というか、シュール。人間で例えるなら仁王門にいる金剛力士像のよう。なかなか面白い場面に遭遇したものだ。
3、にゃんこの神様(千代田区神田須田町 柳森神社 2006年12月)
日本を代表する電脳街といえば、秋葉原。Windows95、98、2000、XPが登場したころは、日本のというより、世界の電脳街といった活気があったように思う。
海外を旅していても、日本のコンピューター技術は・・・といった感じで、確実に日本のコンピューター関連の産業は、一目置かれる存在であった。
しかし、Windows7が登場するころになると、日本の半導体産業の衰退、IT関連の伸び悩み、有能なプログラマーの逮捕(Winny事件)、国力の低下などなど、コンピューター関係の衰退が明かとなり、電脳の中心は明らかに日本ではなくなっていた。
更には、インターネットでの通信販売が広まったことから、元々あった電気街という要素も薄くなってしまい、町には以前のような活気というか、熱気が感じられなくなった。
今ではオタク文化とか、外国人相手の免税店といった、特定の客層向けの大人しい町になりつつあるように感じる。(*個人的な感想)
秋葉原駅のすぐ南を神田川が流れている。秋葉原から見て神田川の対岸に柳森神社がある。
長禄2年(1458年)、太田道灌が江戸城東北方面の鬼門除けとして柳を植樹し、その柳の森に伏見稲荷大社から祭神を勧請したのが、柳森神社の始まりとされている。
時は流れ、徳川の世になり、万治2年(1659年)、江戸城築堤のために神田川堀割が行われた。その際、柳の木とともに現在地に移された。
由緒のある神社ではあるが、現在ではそんなに広い境内を擁していない。とはいえ、周辺は電気街でビルだらけ。働く人などの憩いの場所となっているようで、休憩時間にくつろいでいる人も目にする。また、アニメなどに登場し、秋葉原に近いことから、聖地巡礼に訪れる人も多いようだ。
柳森神社で有名なのは、境内にある「お狸さん」の呼び名で親しまれている福寿社。五代将軍綱吉の生母、桂昌院が、江戸城内に創建し、それが移されたとされている。
この福寿社の周囲には、狸の像がたくさん置かれていて、なかには巨大でご利益がありそうな像もある。一般的に狸は、他を抜く(たぬき)の語呂から、「出世」「商売繁盛」「勝利」などのご利益があるとされている。
桂昌院は身分の低い八百屋の娘だった。それが春日局に見込まれ、三代将軍・徳川家光の側室になってしまった。いわゆるシンデレラストーリとなり、日本語だと「玉の輿」になる。実は、桂昌院の元の名は「玉」。そう、玉の輿という言葉の由来となったのが、この人物だったりする。
「玉の輿」も出世のようなもの。ここ柳森神社のタヌキには、「玉の輿」といったご利益も大いに期待できそうである。更には、ここの狸の像は懐妊姿。「安産」のご利益もあるとかで、お参りする若い女性が後を絶たない・・・と言うほどではないようだが、それなりに人気となっているようだ。
お狸さんで知られる柳森神社をお参りしていると、にゃんこを発見。ここでは狸が祭神になっている。猫も神様なのかもしれない。「にゃんこ、こっちにおいで」なんて親しげに呼んだら、「このふとどき者!」などと、バチが当たったり、猫パンチが飛んでくるかもしれない。
この猫様は、水神厳島大明神と江島大明神の札が付いている社の前にいらっしゃる。水が苦手な猫が水神という可能性は低いから、江島大明神であらせられるのだろう・・・。
江島大明神に粗相のないようにお参りしておくか・・・。と、思っていると、猫様は秋葉大神の祠へ移動なされた。他の神様の所に世間話をしに出掛けたのか。
いや、社の中に入ってしまわれた。この猫様は秋葉大神様だったようだ。せっかく神様がおいでになられているのなら、拝んでいかなければ、損(もの凄く貧乏性)。と、秋葉大神様に「人生に素敵な出会いがありますように」と拝んで帰ることにした。
東京編 千代田区