旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 港区
東京の港区で出会った猫などの写真を載せています。
1、愛宕山のにゃんこ(港区愛宕 2006年12月)
東京23区の中心に位置していて、新橋、六本木、麻布、赤坂、高輪などといった、東京を代表する商業地域を抱えているのが、港区。
なかなかハイスペックなエリアになるようで、港区在住の6.6人に1人が社長で、区民の平均年収は1千万円を越えていたりする。また、大使館や外資系企業が多く、区民の1割が外国人になるそうだ。
場所的にも色々と便利で、生活も裕福な港区。そんな港区に暮らしたい。ハイスペックな港区の男性を射止めて結婚したい。などと、港区で婚活を頑張る女性も多く、近年では港区女子という言葉もよく耳にする。
そんな東京のど真ん中にあり、ハイスペックな港区には、東京23区内で一番標高の高い山があったりする。その山の名は愛宕山。標高は25mで、山頂には愛宕神社が鎮座している。
この愛宕神社は、徳川家康によって建てられたもの。眺めがよく、天然の櫓のような立地を考えてのことだと思うが、慶長8年(1603)に防火の神様である火産霊命を勧請して、神社が創建された。
また、勝海舟が西郷隆盛を誘って愛宕山に登り、眼下に広がる江戸の町を指さしながら、平和な人々の暮らしを兵火にさらすことの虚しさを訴え、江戸城の無血開城につながったという話も有名だ。
愛宕神社の参道は真っすぐな階段。なかなか角度がえぐく、階段の下に立つと、まるで目の前に岩壁が聳えているかのよう。
登るのも大変だが、降りるのも大変だったりする。ちょうど降りてくる人がいたが、スタスタと降りることができず、手すりにつかまりながら恐る恐る降りていた。視界的に崖下に吸い込まれそうな感じになるので、なかなかの恐怖体験となる。実際、転げ落ちたりでもしたら痛いだけでは済まないし・・・。
なんでこんな山伏の修行場のような急な階段を造ったの。たかがた25mの山に・・・。などと思う人もいるかもしれない。
横から見るとよくわかるのだが、愛宕山はなだらかな傾斜を持つ山ではなく、聳え立つような岩山のような山。標高が低くても登るには険しい山となる。なので、真っすぐ階段をつくると、古代遺跡の様な急な階段になってしまうというわけだ。
もちろん、なだらかな傾斜を進む脇参道(女坂)も設置されている。自信がなければこっちから登り降りするといい。もっと楽をしたければ、エレベーターを使うこともできたりする。さらりと書いたが、なんとセレブな港区らしくエレベータが設置されているのだ。これには驚いた・・・。
この愛宕神社の階段は、「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎の故事にちなんで、「出世の階段」とも呼ばれている。
寛永11年、三代目将軍家光公一行が愛宕神社の下を通りかかると、愛宕山の山頂に源平の梅が満開に咲いている。家光公が、「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と無茶ぶりをするものの、こんな急な階段を馬で登れとは、正気の沙汰ではない。命がけの挑戦になる。
なかなか立候補する者がいなく、将軍が不機嫌になる中、一人の男が我こそと進み出て、無事に梅の木を将軍に届けた。これを機に曲垣平九郎の名が全国に轟き、出世したという話。
この出世の話にあやかって、毎年多くのビジネスパーソンが参拝に訪れているそうだ。港区に社長が多く、年収が高いのは、この出世の階段があるからだったりして・・・。
この愛宕山の山頂には、愛宕神社の他にNHK放送センターがある。1956年に開館した放送関係のミュージアムで、放送の歴史に関する展示が行われている。エレベーターが設置されているのは、神社よりも、この金満法人の影響が大きいのだろう。
NHK放送センターと愛宕神社の間は、駐車場を兼ねた広場になっていて、くつろげるようになっている。
そこで見かけたにゃんこ。女性の横で適度な距離を保って行儀よく座っている様子が愛らしい。何かもらえないかな・・・。撫でてくれないかな・・・と待っているのだろうか。いや、変なやつが近づかないようにと、用心棒をしているようにもみえる。いずれにせよ、よく人に慣れているようだ。
ここは港区。心に余裕の多い人が多いだろうから、外にいる猫も過ごしやすいのではないだろうか。でも、港区女子のように積極的にアピールし、どこかの家猫になって欲しいものだ。
2、カラフト犬のタロとジロ(港区芝公園東京タワー 2006年12月)*現在は立川市に移転
現在のペット事情は、犬と猫が拮抗しているが、一昔前は、圧倒的に犬の人気が高かった。とりわけ私が子供だった昭和の後半は、空前の犬ブームになっていた。
私が年少期に見ていたアニメ(再放送を含む)でも、「フランダースの犬」のパトラッシュ、「名犬ジョリィ」のジョリィ、「アルプスの少女ハイジ」のヨーゼフなどといった魅力的な犬が登場し、子供たちの間では犬を飼うことが、憧れとなっていた。
海外の作品へ目を向けても、ディズニーの101匹わんちゃんや、名犬ラッシーというアメリカのドラマも流行っていた。
そういった中でも一番インパクトがあったのが、1983年に公開された南極物語。空前の大ヒット作品となり、日本中が熱狂した。私が通っていた小学校でも、テレビで初放送があった翌日から、しばらくこの話題で持ちっきりだった。
南極物語というのは、1957年(昭和31年)に南極の昭和基地に派遣された南極観測隊第1次越冬隊と、同行した15匹のカラフト犬の話になる。
初の越冬隊員たちは、様々なトラブルや経験を積みながら、1年もの過酷な南極生活を送る。そして翌年の2月、第2次越冬隊と引継ぎ交代が行われるはずだったが、長期にわたる悪天候のため、第2次越冬隊を乗せた観測船が南極に上陸できず、越冬を断念しなければならなくなった。
その撤退の過程で、悪いことが重なり、連れてきたカラフト犬15頭を鎖につないだまま無人の昭和基地に置き去りにしてしまうことになる。その1年後、第3次南極観測隊が南極基地にやってくると、鎖から抜けて生き残った兄弟犬のタロとジロと奇跡の再会をした。
犬を置いてきてしまった隊員たちの苦悩や罪悪感。過酷な南極で生き延びようとする犬たちの苦労。実話に感動色の強い脚色を多々加えたのが、南極物語になる。
南極観測隊第1次越冬隊では、タロ・ジロを除く13頭の犬が亡くなった。その慰霊と、動物愛護の普及啓発のため、日本動物愛護協会によって「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」が造られ、東京を象徴する建造物である東京タワーの敷地内に設置された。東京タワーが完成した翌年の1959(昭和34)年のことになる。
タロ・ジロなどのカラフト犬の記念像が設置されたのは、東京タワーの足の部分。雪に覆われている南極っぽく、地面は白くなっていて、そこに15匹の犬が思い思いの姿でくつろいでいた。
これだけ多くの犬の像が並んでいる光景はなかなかなく、その様子はある意味で圧巻。表情豊かなので、南極物語や犬好きだったら足を止めてしばらく眺めてしまう事だろう。
ただ、現在はここ東京タワーにはない。2013年に東京タワー周辺の整備事業が行われ、犬の像はそっくり立川市役所の南にある国立極地研究所に移設された。像を見たい人は極地研究所を訪れるといい。
カラフト犬の像を造った人は彫刻家安藤士。犬の銅像といえば渋谷のハチ公が有名だが、これを造ったのは、同じく彫刻家であった父、安藤照。ただ、オリジナルは太平洋戦争時に発せられた金属回収令によって供出してしまった。
戦後になって再建しようにも、安藤照は東京大空襲で死亡。息子である安藤士が、ハチ公像の再建を手がけた。なので、現在のハチ公像とカラフト犬の像は、同じ作者による作品となる。そういった目線で見ると、よく似た雰囲気を持っていると感じるだろう。
国内編 東京・港区