旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 台東区
東京の台東区で出会った猫などの写真を載せています。
1、浅草神社の看板にゃんこ(台東区浅草 2006年12月)
浅草といえば、何といっても雷門のある浅草寺。日本国内だけではなく、世界的に名の知れた観光地となっていて、日中は国内外からの多くの観光客で賑わう。
浅草寺は、「あさくさてら」と読んでしまいそうだが、正式には「せんそうじ」。山号は金龍山になる。聖観世音菩薩を本尊としていて、浅草観音としても知られている。
歴史とか、由緒などで考えると、秀でたお寺は他にも多くあるが、現在の知名度では日本でトップクラス。実際、初詣に訪れる参拝客は約300万人。明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師に次いで日本4位となる。
規模の大きな寺なので、年間を通じて宗教的、文化的行事が多く行われている。とはいえ、法要などの仏教行事は、先祖供養といった檀家さんのためのもの。一般の観光客には、あまり面白みやメリットがない。
ただ、幾つか興味深い行事も行われている。特に観光客に人気となっているのは、7月9・10日に開催されるほおずき市(四万六千日)と、12月17・18・19日に開かれる羽子板市。その日は境内に多くの出店が並び、多くの人でごった返す。
浅草寺の境内、本堂の東側に浅草神社がある。こちらは「あさくさじんじゃ」と読む。一般的にお寺と神社が一緒にあることは少ない。これは明治時代、政府により神仏分離が行われたからである。
神仏分離は、神道と仏教の慣習を禁止し、神と仏、すなわち、神社なのか、寺院なのかをはっきりさせなさいということで、どちらかに統一されたり、別の場所に移転されたりしたので、同じ敷地内にあることは珍しい。ただ、小さな稲荷社などはそのまま残していたり、近年、区画整理などで行く場所がなくなり、移築されることはある。
この浅草神社で有名なのは、三社まつり。浅草寺境内も使われるので、浅草寺のお祭りと勘違いしている人も多いが、この浅草神社の祭りになる。多くの神輿が繰り出し、とても町がにぎやかになる。東京で一番活気のある神輿の祭りといっても過言ではない。
で、12月に行われる羽子板市を訪れた時の話になる。浅草寺の境内には羽子板や凧を売っている出店がずらっと並んでいて、多くの人で賑っていた。
境内は、年の瀬といった雰囲気と、祭りの楽しい雰囲気と、羽子板市の華やかな雰囲気が混じり、とても独特な雰囲気。日が落ち、薄暗くなってくると、更に情緒が増し、歩いていると、まるで別の世界に来たよう・・・というのは大袈裟だが、非日常的な雰囲気を楽しむことができた。
せっかくなので浅草神社にもお参りしておくか。と、神社を訪れてみると、拝殿前、賽銭箱の横でにゃんこが愛想を振る巻いていた。いや、ちゃんと参拝客がお参りをして、お賽銭を入れているかを監視しているかのよう。まるで猫の警備員だな。
というのは、一瞬の出来事。様子をうかがっていると、観光客に愛想をふりまき、撫でてもらうと、うれしそうにしていた。賽銭を増やすための看板猫といった方が適切かもしれない。
しばらくすると、今日のお役目は終了。さて、ねぐらに帰るか~といった感じで、身体を伸ばした後、境内の外へ去っていった。
こんな人が多く、賑やかな場所で、堂々と座っているにゃんこがいるとは・・・、驚いた。海外では珍しくはないが、日本では珍しい。さすが国際的な観光地になっているだけはある・・・。のかな。羽子板市以上に感動してしまうのだった。
2、小野照崎神社のにゃんこ(台東区下谷 2008年4月)
上野公園の北側、東京の下町と名高い入谷に鎮座しているのが、小野照崎神社。
祀られている祭神は、百人一首に登場する平安初期の才人、小野篁公。852年に小野篁公が東京にやって来て、その時に住んだ上野照崎の地に神社が建てられた。
その場所はここではなく、現在、寛永寺がある場所。江戸時代、寛永寺の建立の際に、この地に遷ってきたようだ。
現在の境内には、15の境内社があり、また、富士塚や古い庚申塔もありと、なかなか盛りだくさん。大きな神社ではないが、なかなか見所が多い。
下町の散策の際に小野照崎神社に立ち寄ると、なんとにゃんこが出迎えてくれた。そして、「参拝はこちらです」と、拝殿前に案内してくれた。
もしかして神様の使いか・・・。思いがけない接待にテンションが上がる。
にゃんこは役目を終えると、ご自由に参拝してください。と、下がっていった。にゃんとよくできたにゃんこだ。って、妄想が多分に含まれているが、思いがけない出会にほっこりする。どうやら下町らしく、この周辺には猫が多いようだ。
にゃんこに出会ったことで、気分良く境内を参拝していく。まずは庚申塔。江戸時代に流行ったのが庚申講。その庚申講によって造られたのが、庚申塔。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿の像が彫られているものが多い。
ここの庚申塔は古く、全十一基の塔のうち、最も古いものは1647年(正保2年)に造られている。長い月日を感じされる朽ち加減が、なかなか素敵だった。
この神社の境内には富士山がある。と、書くと変だが、富士山を模した富士塚なるものがある。
富士山信仰も江戸時代に流行した。しかし、体力的にも、金銭的にも、時間的にも誰も彼もが行けるわけではない。だったら身近な場所に富士山を造ってお参りをし、徳を積んだり、霊験あたらかな富士山のご利益を得ようとした。簡単に言うなら、お寺にある四国88カ所巡りと同じようなものになる。そう、日本人は昔からダラズな気質なのだ。
富士塚の大きさは、直径約15m、高さ約6m。天明2年(1782)に築かれたとされ、国の重要有形民俗文化財に指定されている。毎年、夏越の大祓と富士山の開山日に合わせた6月30日と7月1日の2日間だけ、一般に開放されているそうだ。
3、国立博物館とにゃんこ(台東区上野公園 2006年12月)
上野公園に東京国立博物館がある。国の威信をかけたナショナルミュージアムになるので、日本で一番、人知の結晶が詰まっている場所と言っても過言ではない。
散策の醍醐味は、散策しながら色々な事柄に思いをはせること。特に歴史や文化についての知識が多いと、散策が楽しくなる。
よくある例えでは、宿場町などを歩くと、不自然に道が曲げられている様子を見て、ここが宿場の入り口で、重要な防御地点があったんだろうな・・・と推測できたり、地名や建物の形で、かつてこの地で盛んだった産業を想像したりできる。
私が最も好きなのは、もっと人知を超えたもの。そう、人知を超えた宇宙人の存在。と、話が突拍子のない方向に進むのだが、どう考えてもエジプトの大ピラミッドは古代の人が造ったとは思えないし、ナスカの地上絵も飛行技術のない人が造るのは不自然に感じる。実際に旅をし、自分の目で見たからこそ、そう感じるのだ。
もっと言うなら人類の誕生や進化にも不自然なことが多い。そういったことから、かつて地球には宇宙人がいたのではないだろうか。恐らく1万年~1万5千年前にはいたのではないか。グラハム・ハンコック著の「神々の指紋」を読んでから色々と考えるようになった。
1万年~1万5千年前の日本は、縄文時代になる。国立博物館には、日本各地から集められた珍しい縄文時代の土偶が展示してある。それが今回のお目当てだった。
で、館内に展示してある土偶を見て回ると、縄文時代の日本に宇宙人がいたのは、火を見るよりも明らか。これぞ確たる宇宙人の痕跡ではないか・・・。などと、盛り上がることができるのは、オカルト大好きな人間のみだろう・・・。
まあ、宇宙人の是非はともかく、こういったことは各々楽しみながら見るのがいいのではないか、と思う。ぜひ、自分の目で確かめに日本随一の博物館に足を運んでみてほしい。
宇宙人はともかく、上野公園を訪れると、博物館の前の広場でにゃんこに遭遇。こっちを見てくれないかなと、待ってみるが、そのまま垣根の中に入ってしまった。こういう低い垣根の中をねぐらにしている猫は、意外と多い。
広大な上野公園、そばには谷中霊園など墓地も多く、この界隈はとても猫が多いようだ。博物館を含め、歴史の多い場所でもあり、また下町風情も心地いい。猫を探しながら歩くには、最適な場所になるのではないだろうか。
とはいえ、上野公園といえば猫よりも犬のイメージの方が強いだろうか。公園にある西郷隆盛の銅像の犬は有名。この犬は薩摩犬の「ツン」。なんでも西郷どんは愛犬家として知られ、多くの犬を飼っていたそうだ。
猫も犬もいいが、上野公園といえば何と言っても上動動物園のパンダ。1972年に日中の国交正常化を記念して、「カンカン」と「ランラン」がやって来てからというもの、パンダの公開中は訪れる人の列が絶えることがない。日本で、いや、地球上でパンダの人気に勝てる動物はいないのではないか・・・。
4、今戸神社の招き猫 (台東区今戸 2006年12月)
浅草寺の北東、隅田川に桜橋が架かっている付近に、今戸神社がある。社伝に拠れば、康平6年(1063年)、源頼義、義家親子が奥州の騒乱の鎮圧に向かう際に、この地に京都の石清水八幡宮を勧進し、祈願したのが始まりになるようだ。
八幡様以外にも、祭神に伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)という夫婦の神様が祀られていることから、縁結び、夫婦円満にご利益がある神社として知られている。また、七福神の一人、福禄寿も祀られていて、浅草七福神巡りの一つにもなっている。
今戸神社には「招き猫発祥の地」「今戸焼発祥の地」「沖田総司終焉の地」といった石碑などが置かれている。
東京で招き猫発祥の地とされているのは、世田谷の豪徳寺。ここ今戸神社が招き猫発祥の地と主張しているのは、この地が今戸焼発祥の地であること。そして今戸焼こそが招き猫を最初に造ったからということらしい。
wikiによると、江戸時代の地誌『武江年表』または日記『藤岡屋日記』の嘉永5年(1852年)の記述に、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったとかなんとか。
なるほどこういった話があるのか。と、新たな発見。でも、これを読む限りでは、我こそは招き猫発祥の地と名乗るには、ちょっと説得力がないかな・・・、と感じてしまう。
今戸神社の境内は、縁結び一色。一番力を入れているようだ。絵馬掛けにも結縁と書かれ、一対の招き猫の絵が掲げられ、絵馬にも同じ招き猫が描かれている。
一般的には、招き猫が右手を上げていると、お金を招き、左手を上げていると、人を招くとされている。縁結びは、人の縁。左手を挙げているほうが、効果がありそうな気が・・・。
招き猫発祥地を名乗るだけあって、拝殿の目立つ場所にも巨大な一対の招き猫が置かれていた。これがなかなか威圧感。お賽銭を入れ、お参りしようとすると、拝殿からの視線を感じ、思わずかしこまってしまうほど。
ここの招き猫は、全て一対でセットになっている。祭神に伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の夫婦の神様を祀っているので、夫婦の招き猫ということになるのだろうか。
他では招き猫が対になっているというのは見かけない。夫婦の招き猫という事なら、今戸神社が発祥の地と言ってもいいのではないだろうか。
国内編 東京台東区