旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷3(寺院)
世田谷区の寺院で出会った猫の写真を載せています。
4、回転大仏と黒にゃんこ(世田谷区大蔵 妙法寺 2008年4月)
世田谷の名を冠した世田谷通りは、三軒茶屋で国道246号と別れ、登戸方面に向けて世田谷区を横切っている。その世田谷通りが仙川と交差している付近に、妙法寺というお寺がある。
妙法寺は日蓮宗のお寺で、正式名は東光山妙法寺。境内には大きな枝垂れ桜があり、見ごろになるとライトアップしてくれる。これがとても美しい。区民には立派な枝垂れ桜がある寺として知られているだろうか。
いやいや、妙法寺といえば枝垂れ桜ではなく、おおくら大仏でしょ。と、言い張るのは、B級スポットとか、珍スポットが好きな人になるだろう。実は、その界隈ではそれなりに知られていたりする。
おおくら大仏は、バブル後の平成6年に完成した。高さは8m。表面はブロンズで、重さは8トン。法華経の久遠実成の本佛、お釈迦様を表していて、光背には四菩薩が配されている。
大きさ的には世田谷で一番となるはずだが、世間一般的には大騒ぎするほどの大きさではない。それなのに有名なのは、この大仏が回転し、別名「回転大仏」と呼ばれているから。
ちょっと待て。大仏様が回るって、何それ!ってな話になるのだが、回転テーブルと同じで、台座部分がぐるっと回転して大仏様の向きが360度回転できるようになっている。
なぜ回転する必要があるのか。単なる話題作り?いやいや、これにはちゃんと理由があったりする。朝9時から夕方5時までは墓地や本堂のある南側を向いて参拝者や墓地に眠る人々を見守り、夕方5時から翌朝9時までは世田谷通りのある北側を向いて交通安全や世界平和を祈念していらっしゃるとか。まさに24時間、360度フル回転の回転大仏だったりする。
更には、交通安全週間には交通安全のたすきを掛けていて微笑ましい姿になっていたりと、とても地域のために頑張っている大仏様である。
でもまあ・・・、回転する必要があったのかと冷静に考えると、微妙なところ。建造した当時は、地域の檀家の間で、「奇抜だ」「お金をかけすぎだ」などと、不評を買っていたとか。維持できているからいいが、典型的なバブルの産物になるだろう。
回転大仏は墓地にあるので、本堂から墓地へ進んで行くと、首輪をした黒猫が墓地でくつろいでいた。お寺の猫なのか、周辺で暮らしている猫なのかはわからないが、とても人に慣れていて、傍によっても逃げたりしない。
墓地に黒猫という組み合わせは、反射的に不吉なイメージを抱いてしまいがちだが、昼間の明るい時間帯だと、あまりそう感じない。人懐っこい猫だと、むしろ雰囲気がピッタリで、会えたことが幸運に思えたりする。
回転大仏を見学し、再び黒猫の所に寄ってみた。私に少し慣れたみたいで、今度は正面から写真を撮らせてくれた。とはいえ、正直、黒猫は正面から撮ると、あまり可愛くない・・・。立体感を感じられないからかな・・・。
この大蔵妙法寺には動物霊園が付属している。砧公園界隈では評判も良く、我が家でも愛犬とのお別れの際にお世話になった。
愛犬の葬式をするか、しないか。私自身、特にこだわりはなかったが、親がしたいということで行うことにした。
この寺に決めたのは、周囲の評判うんぬんよりも、にゃんこが墓地にいるような寛大なお寺だったら、愛犬の最後の別れを任せても大丈夫だろう・・・といった安心感から。結果として、いい葬式ができたので、この時に出会った黒猫には感謝している。
5、巨大な亀とにゃんこ(世田谷区野毛 善養寺 2009年3月)
野毛の丸子川沿いに善養寺というお寺がある。といっても、野毛ってどこ?という人が多いだろう。すぐ近くに、都の史跡となっている野毛大塚古墳や等々力渓谷がある。と言えば、理解できる人が増えるだろうか。
お寺の正式名は、影光山仏性院善養密寺で、真言宗智山派に属している。一見すると、地元の小さなお寺といった感じなのだが、境内に入ると、大きな石像や大陸的な変わった像が沢山あり、普通のお寺とは雰囲気が違うことに驚く。この少し変わった雰囲気は、密教に拠るもののようだ。
丸子川に架かる赤い大日橋を渡ると、駐車場のある山門前広場に至る。この広場には、大陸的で大きな石像がたくさん並んでいて、周囲を巨人に囲まれているかのような感覚になる。
正面にある赤い門が山門。その前にあるのは狛犬ではなく、海駝。朝鮮半島に伝わる正義や公正を象徴である祥獣で、朝鮮では魔除けの役割を担い、狛犬のように建物の前に置かれることが多いとか。
門をくぐると、社務所があり、この前にはヒンドゥー教の神であるガーネーシャ(象の顔をした神)の大きな像や、南インドの獅子吼などが置かれている。門をくぐると、朝鮮や中国文化からインド文化に雰囲気が変わるといった感じ。
本堂は、奈良の唐招提寺金堂をモデルに造られたそうで、大きく立派な瓦ぶきの寄棟造りの屋根には、一対の金色の鴟尾(しび)が誇らしげに輝いていた。
変わった石像に目がいきがちだが、ここの境内には都の天然記念物に指定されている立派なカヤの木も聳えている。樹齢は700~800年といわれ、高さは約23m、幹周りは5mちょっとある。
このカヤの木は古くから善養寺のシンボルであり、多摩川を行き来する船の目印になっていたとか。
注目すべきは、カヤの木の前に多摩川の精、たま坊がいること。その姿はなんと愛らしいカッパで、参拝にやってきた人が頭のお皿に水をかけ、拝んでいた。
そういえば、2002年には多摩川にゴマアザラシのタマちゃんが現れ、世間を賑わせていたな。今どうしているだろう。今も無事に生きているのだろうか。たま坊を見ていたらちょっと懐かしく思い出してしまった。
等々力渓谷などに桜を見に出かけ、その帰りに善養寺を通りかかると、境内に桜がきれいに咲いているのが見えた。ちょっと寄ってみよう。
桜は境内に多く植えられているというわけではなく、駐車場のところにまとめて植えてあるといった感じだった。
桜の木に近づくと、桜の木の下の大亀のお腹のところににゃんこがいた。猫の落ち着いている様子から、まるで子猫の時に捨てられ、亀に育てられた猫・・・。ってな感じ。
猫から見たら、こういった大きな石像はどう目に映るのだろう。最初ここに来た時にはどういった反応をしたのだろうか。
人間は石像だと分かっていても不気味に感じたりするが、猫の場合もそうなのだろうか。それとも一度慣れると機械的にもう安全といった思考になるのだろうか。色々と猫に尋ねてみたい。
でもまあ、こういった石像の中で猫がくつろいでいる様子を見ると、猫避けに案山子やら他の動物の置物を置いておいても意味がないというのはよくわかる・・・。
6、墓参りにゃんこ(世田谷区烏山 専光寺 2010年1月)
烏山の郊外に、比較的大きな寺町がある。この烏山寺町は、大正12年に起きた関東大震災で焼け出されたり、その後の都市計画で移転を余儀なくされた浅草や築地などの寺が、集団で移転してきたことで形成された。
大正13年(1924年)に寺町の建設が始まり、大正15年までに6寺、昭和3年までの間に16の寺が引っ越してきた。その後昭和30年までに4寺が増えて、現在では26の寺院で形成されている。
寺町の奥の方、大きな妙寿寺の門前付近に専光寺がある。このお寺には、江戸時代に活躍した浮世絵師、喜多川歌麿の墓があり、都の史跡となっている。
喜多川歌麿の浮世絵は女性が描かれたものが多く、美人画の歌麿と言われている。あまりの人気で、彼が描いた女性の名はたちまち江戸中に広まったとか。きっと歌麿さんに描いてもらいたいという女性が多かったことだろう。
近年でもカメラマンと恋に落ちる女優は多くいる。描いているうちに、或いは描かれているうちに、色んな感情がこみ上げてきて、恋心が芽生えたこともあっただろう。などと、官能的な江戸時代の大人の事情が頭の中をめぐったりもする。
が、それよりもなぜ歌麿の墓がここにあるのか。それはこの専光寺が浅草にあった頃に北川家の菩提寺であったから。烏山へ移転する際にお墓も一緒に引っ越してきたようだ。
正月に寺町の散策でもしてみるかと、寺町をブラブラとしているときのこと。専光寺を覗くと、喜多川歌麿の墓のところににゃんこがいるのを発見した。色がとてもきれいに出ている三毛猫だ。
その猫が木陰に隠れながら歌麿の墓を真剣に見ている様子は、なにか浮世離れしている。歌麿に所縁のある誰かの生まれ変わりなのだろうか。きっと浮世絵のモデルになった女性が猫に化けて墓参りに来たのでは・・・。歌麿さん、また情熱的に私のことを描いて・・・。あの時のことが忘れられないの・・・。などと、妄想が広がる。
少し近くに寄ってみると、墓の方を一生懸命見ていることには違いないが、どうやら墓の後ろの方が気になっているようだ。なんだろう。他の猫でもいるのだろうか。
もうちょっと傍に拠ってみよう。声をかけながら近づいたら、私に気が付き、慌てて墓地の奥の方へ逃げてしまった。恥ずかしがり屋さんだったようだ。
東京編 世田谷3(寺院) 世田谷4(神社)につづく