旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 新宿区
東京の新宿区で出会った猫などの写真を載せています。
1、迎賓館とにゃんこ(新宿区四谷 2006年12月)
東京の中心を一回りする山手線。その円の真ん中付近に四谷がある。四谷はかつて江戸城の外堀にあたり、四谷見附と呼ばれる警備の城門が設置されていた。
現在でもその痕跡は残っていて、JR四ツ谷駅のすぐ東側で外堀に巡らされていた石垣と、四谷見附が設置されていた石垣の途切れた部分を見ることができる。
JRの中央線、総武線の線路は、かつての外堀内に施設されている。線路が周辺の土地よりも低い位置を通っているので、JR四ツ谷駅のホームもとても低い位置にある。
四ツ谷駅から新宿方面へ向かう際は、すぐにトンネルに入る。このトンネルの上付近には迎賓館がある。
四ツ谷駅から歩いてすぐの距離にある迎賓館。迎賓館というのは、他国からの国賓が訪れたときに接待が行われたり、宿泊に利用される国の施設になる。
迎賓館がある一帯、住所でいう元赤坂は、皇族の方が暮らす赤坂御所となっている。この迎賓館も元々は東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。
しかし、外観があまりにも華美で、住居としての使い勝手もよくないことから、大正天皇がこの御所を使用することはほとんどなかった。で、離宮といった扱いとなり、名称も赤坂離宮と改められた。
戦後は国の所有となり、紆余曲折を経て、1974年(昭和49年)から迎賓館として使用されている。2009年には旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定。現在では使用されていない時期には、一般に公開されている。
海外だと、こういった建物の敷地に当たり前のように猫がいたりするが、日本ではそういった場面は少ない。国民性の違いというか、責任逃れが強い民族性というか・・・。どっちがいいというわけではないが、海外を旅をすると、当たり前という概念が覆されるものである。
迎賓館の敷地内ににゃんこがいたら素敵なのだが、迎賓館と道を挟んだ四谷見附公園でにゃんこを発見。人に慣れているようで、そばに寄っても動じなかった。
この公園のすぐ隣には四谷中学校と学習院の初等科がある。登下校する子供たちの見守りをしてくれたりするのだろうか。子供たちの人気になっているのだろうか。色々と気になるが、一番気がかりなのは、車にはねられないかということ。この付近は道路が広く、交通量もそんなに多くないので、飛ばしやすいのだ・・・。
2、墓地のにゃんこ(新宿区若葉 西念寺 2006年12月)
四谷の見所といえば、須賀神社の参道となっている階段。新海誠監督の「君の名は」が世界的にヒットしてからというもの、四谷の新たな名所となっているようだ。世界的にヒットした映画の影響は凄まじい。何気ない日常の場所が、いきなり観光地なってしまうのだから・・・。
映画やアニメ、小説などに登場する場所を訪れることを聖地巡礼というが、四谷には日本人の誰もが知るような聖地があった・・・。と、過去形になっているのは、今では廃れてしまったから。
四谷といえば、四谷怪談。娯楽の少ない時代、怖い話というのは人々の娯楽となっていた。
四谷怪談で有名なのは、井戸の中でお皿を「1ま~い、2ま~い」と、恨めしい声で数えるお岩さん。夫に裏切られ、幽霊となって復讐を果たしていく悲劇ストーリーは、忠臣蔵ように日本人の感性に響く。江戸時代から現代まで人々の心を掴んできた。
そのお岩さんを祀っている於岩稲荷田宮神社が四谷にあり、かつては多くの聖地巡礼が行われていたようである。現在ではすっかり影が薄くなってしまったが、今でも軽々しく扱うと祟りが起きると言われていて、「お岩さん」を題材にする映画や舞台が行われるときには、必ず関係者が安全祈願のお参りをしているそうだ。宣伝も兼ねているとは思うが・・・。
ちなみに、昭和時代、四谷界隈で育った人は、悪さをするとお岩さんに祟られると脅されて育っているので、お岩さんネタには結構敏感。今でもあまり触れて欲しくない人が多い・・・感じがする。
話を戻して、須賀神社の参道階段から正面に見えるのが、東福院坂(天王坂)。その一本東側にあるのが観音坂。この観音坂の両脇はお寺となっていて、坂沿いに長い塀が続いている。そのおかげで坂には落ち着いた雰囲気があり、歩くと趣きを感じる。
この観音坂の途中にあるのが、西念寺。このお寺の境内には、多くの人がその名をよく知る服部半蔵の墓がある。
あの伊賀衆忍者の頭領・・・という人が多いだろうが、実際のところは彼は普通の武士で、伊賀衆の束ね役をしていただけ。忍者ではなかったというのが有力な説のようである。
服部半蔵の墓をお参りしに西念寺にやってくると、墓地でにゃんこに遭遇。う~ん。なかなかの強面。まるで手塚治虫の漫画に登場する天才外科医、ブラックジャックのよう。
明るい時間だからまだいいが、暗くなってから遭遇すると、結構怖いだろうな・・・。いや、昼間でも怖いかも・・・。墓地だし・・・。お岩稲荷をお参りした後だったので、少しビビりモード。
ただ、人懐っこい猫のようで、近くで写真を撮っても逃げないし、写真を撮った後も、優し目で見つめてくる。人もそうだが、猫も見かけで判断してはいけない。ということのようだ。
3、自性院の猫地蔵まつり(新宿区西落合 2010年2月)
東京の猫寺というと、世田谷の豪徳寺を思い浮かべる人が多いと思う。招き猫発祥の地として知られ、境内にある招福観音に無数の招き猫が置かれている様子は、圧巻。多くのメディアに登場している。
豪徳寺が猫寺となったのは、江戸時代のこと。彦根藩の井伊家が世田谷に赴任してきた。井伊家の藩主が慣れない土地を歩いていると、朽ちそうになっている寺の門前で手招きをする猫がいる。不思議に思いながら中に入り、住職の接待を受けていると、突然天候が変わり、激しい雷とともに大雨が降ってきた。
これは助かった。あのまま歩いていたらひどい目に遭っていた。この寺が世田谷城が廃城となってから苦境にあえいでいた豪徳寺。その縁をきっかけに井伊家は豪徳寺を菩提寺とすることにした。それ以降、寺の経営は上向き、住職は猫に助けられた恩に報い、猫が亡くなった後に招福観音として祀ったとさ。
新宿区西落合に西光山自性院というお寺があり、こちらにも似たような話が残っていて、猫寺として知られている。
時代はもっと古くなり、室町時代の後期、関東の上杉家に太田道灌という武将がいた。文武に秀で、人徳に厚い武将で、その才能は江戸を遠く離れた京の都に知れ渡るほどだったとか。また江戸城を初めて築いた人物としても知られている。
その道灌が豊島氏と江古田ヶ原で戦っていた時、暗くなって道に迷ってしまった。困り果てていると、黒猫が手招きをするではないか。なんだろう。お釈迦様の救いか。その猫についていってみると、自性院にたどり着き、なんとか一難を逃れることができた。
現在、自性院にある猫地蔵堂には、「猫地蔵(道灌招ぎ猫)」が祀られている。道灌がこの猫を終世かわいがり、死後供養のため奉納したものだとか言われている。
この他に、「猫面地蔵」と呼ばれる古い猫の像も安置されている。これは江戸中期、貞女の誉れの高かった小石川の豪商真野正順の娘を供養するため、神楽坂の鮨屋の弥平という者が奉納したものだとか。
この像は高さが50cmほどの立ち姿で、顔は猫、髪は総髪の尼姿で、右手に数珠、左手に香炉を持っている。なぜ猫顔で彫られているのか。どういう意図で奉納されたのかよくわかっていないが、猫の姿をした地蔵尊は不気味で、インパクトがある。この二つの猫に関する伝承から、自性院こそ招き猫発祥の地だとする説もあったりする。
自生院を訪れると、まず通り沿いの門柱に大きな招き猫の石像があるのが目を引く。境内に入っていくと、境内に猫塚や猫地蔵堂があることに目がいくが、それ以外は普通のお寺かなといった感じ。
普段、猫地蔵は秘仏となっていて公開されていないが、年に一回、節分の日に開帳され、法要が行われる。何故この日に開帳なのか。どうやら特に伝承とか、特別なことはないようで、節分行事に多くの人が集まるからこの日に合わせて開帳するようになったそうだ。
自生院の節分会、通称、猫地蔵祭りについて書くと、まず住職を先頭に年男達が扮した七福神が町内を回っていく。列には天狗様や鎧武者、袴姿の武士、招き猫の纏を持った鳶の人もいて、なかなかカオスな行列。
更にカオスにしているのが、中学生の桃太郎隊。男子中学生たちが桃太郎のお面を付けて少し遅れて出発していく。なぜみんな桃太郎なのか・・・わかりません。
15分ぐらい町内を回ってお寺に戻ってくると、住職は猫地蔵堂に入っていき、猫の像を前にして法要を行う。
この時、堂内では護摩が焚かれ、家内安全、厄除け供養、商売繁盛の祈願も行われる。猫好きな人が多く訪れているようで、お堂の周りは何重にも人垣ができていた。
それが終わると、節分らしく七福神達が壇上から豆をまき、行事が終了する。当日は境内で特別な縁起物の招き猫が買えたりもするようなので、猫が好きな人なら楽しめる行事になるのではないだろうか。
国内編 東京・新宿区