旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷5(芦花公園)
世田谷区の芦花公園で出会った猫の写真を載せています。
10、芦花公園のにゃんこたち(世田谷区粕谷 都立蘆花恒春園 2009年4月、7月)
環八の千歳台交差点付近に芦花公園(ろかこうえん)がある。大きな都立公園だし、京王線に芦花公園駅というのがあるし、環八に面しているしと、それなりに知名度のある公園だと思う。
この芦花公園のややこしいところは、芦花公園、蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)といった複数の表記があるところ。
正しい名称は都立蘆花恒春園で、区民的には、東京都の史跡に指定されている徳富蘆花氏の旧宅や記念館がある部分を蘆花恒春園と呼び、周りにある広場や児童公園を含めた大きな公園という意味合いで芦花公園という使い方をしている。
区内にある駒沢オリンピック公園が駒沢公園と呼ばれるように、呼びやすく、そして読みやすい漢字に直した名称、いわゆる親しみ込めた愛称というのが芦花公園になる。
芦花公園といえば、徳富蘆花という事になるのだが、その名を知っている人はどれくらいいるだろうか。
徳富蘆花は、明治から大正にかけて活躍した文豪で、「不如帰」「自然と人生」「みみずのたはこと」などといった作品を世に出している。
その彼が土に親しむ生活を営むため、明治40年(1907年)、40才の時に引っ越してきたのが粕谷のこの場所で、昭和2年(1927年)に60才で逝去するまでの約20年間、ここで晴耕雨読を楽しみながら過ごした。
蘆花が亡くなってからしばらくして、蘆花夫人である愛子氏が、東京都に土地、建物、樹木、家具や生活用品などの遺品の寄贈し、故人の生活状態を偲びうるような状態で、公園化されることになった。
恒春園という名称は、故人がこの場所を恒春園と呼んでいたから。一時期、台湾の南端の恒春という場所に、彼が所有する農園があるといった評判が立ち、その農園で働かせてくれないか、と依頼されることがあった。
これはあくまでも噂で、台湾に農園があるといった事実はなかったのだが、これは何だか縁起がいい話だぞ、と考えた蘆花は、「永久に若い」という意味も含めて、自分の土地を「恒春園」と名付けたそうだ。
現在の蘆花恒春園では、彼が暮らした家屋、彼の遺品などを展示した記念館を無料で見ることができる。
芦花公園の変わったところは、公園の真ん中に墓地があるところ。芦花公園の公園化にあたり、蘆花の土地の周囲を徐々に買収していったのだが、粕谷地区の共同墓地はそのまま残され、公園の中に不自然に埋まってしまった・・・というのが、実際のところのようである。
その墓地の横に、蘆花夫妻の墓がひっそりとある。墓石は奥多摩渓谷から入手し、墓碑の文字は長兄の徳富蘇峰氏が銘を刻んだもの。毎年命日近くの9月の第三土曜日に「蘆花を偲ぶ集い」が行われていて、その時には大勢の参拝者によって献花される。
その蘆花夫妻の墓を訪れたときのこと。墓と向かい合うように設置されているテーブルの上ににゃんこがいた。私に気が付くと、にゃにか用か。といったふてぶてしい様子で、こっちを見つめてきた。
その様子は、墓守といった言葉がぴったり。粗相のないようにお参りしなよ。そんな眼差しを向けられているようにも見える。が、にゃんこさん。テーブルの上に載っていては、説得力がないぞ・・・。
そう思ったところで、文豪蘆花の墓の方から天の声が降ってきた。「吾輩は猫である。そんにゃ人間の理は関係にゃい。」うむ、その通りだ。人間の都合だけで世の中が回っているわけではない。
そうだ。当たり前のことが当たり前でない。そういった猫目線で小説が書けないだろうか。私の頭の中に「吾輩は猫である・・・」と、新しい小説の書き出しが閃くのだが、どこかで聞いたことがあるような・・・。
芦花公園内には、比較的広いドッグランが設置されている。世田谷区の公園で、一番最初にドッグランが設置されたのが、ここ。元祖的な存在である。
登録をすれば、無料で利用でき、大型犬エリアと、小型犬エリアで分けられているので、小さな犬でも安心して利用できる。周辺に暮らしていたら頻繁に利用してしまいそうだ。
芦花公園の南側には花の丘という区域がある。公園に花の丘があると聞いても、ありきたりな感じで、凄いとはならないが、実際に訪れてみると、なかなか素敵じゃない。ここ。となるはずだ。
ここの花の丘は、都内にある一般的な公園としてはかなり広く、花壇には季節の花が植えられていて、周囲は桜やアジサイが囲っている。いつ訪れても、季節ごとに素敵な光景に出会える。
花壇の花はボランティアの方が管理していて、この団体は何度もボランティア関係の賞を受賞したり、モデルケースとしてメディアに紹介されている。また、季節ごとにイベントも開かれているなど、活気もあり、現在の芦花公園を象徴するエリアといっても過言ではない。
四季折々の花がきれいな花の丘ではあるが、周囲を見渡すと、すぐ横にはガスタンクが並んでいるし、近くにある清掃工場の煙突も聳えている。一歩引いてみると、いかにも都会の公園といった景観なのは、ガッカリポイントであり、しょうがない部分でもある。
そんな花の丘に花を見に出かけたら、隅っこににゃんこがいた。おかっぱのような髪型、いや、おかっぱなような毛色が可愛い。まるで日本人形のようなにゃんこだ。きっと女の子に違いない。
人に慣れているようで、写真を撮っていても逃げない。むしろ何かくれにゃいかな・・・といった表情にみえる。人の多い公園なので、人に慣れなければ、なかなか暮らしていくことはできないだろう。
写真撮るならチュルをくれ~。と、ふてくされたりはしなかったが、何ももらえないとわかると、ガシガシと草を食べ始めた。
美しい花はきれいで気持ちが安らぐが、それは衣食住が満たされているときのこと。花では腹の足しにはならない。にゃんこ的には、花よりも野菜を植えてくれよ。と、思っているかもしれない。
古い話だが、食糧難だった戦時中には、区内の各公園は芋畑になっていたそうだ。日々不確かな環境で生きている野良猫も、その当時の人のような心境で生きているのかもしれない。
こちらは木陰で休む猫。なかなかイケメン。ハーフマスクをかぶっているかのようである。模様が先ほどの猫と似ているので、兄弟だろうか。あっちは妹で、こっちは兄かな。
どうもここは猫の多い公園のようだ。蘆花が暮らしていた家屋や書斎の入り口には、「猫が入るので、扉は必ず閉めてください。」といった張り紙がしてあったのも、納得。
文豪富徳蘆花の人柄で造られ、蘆花の縁によって人も、犬も、猫も集まってくる場所となった、芦花公園。多様性があって、とても素敵な公園だ。世田谷でのお気に入りの場所の一つになっている。
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