旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷4(神社)
世田谷区の神社で出会った猫の写真を載せています。
7、菅原神社の忠猫(松原菅原神社 2008年5月、2010年2月)
京王線の明大前駅から南の羽根木公園付近に広がっているのが、かつての松原村にあたる松原町域。この松原地域の氏神様は松原菅原神社になる。
神社名に菅原と入っているのは、菅原道真公を祀っているから。江戸時代には菅原天満宮と名乗っていたが、明治政府が「宮」の称号や「菅原」の名を一般の民社で使用する事を禁じたので、松原神社と改めた。終戦後になると、そういった縛りがなくなったことから菅原神社に社号が改められた。
神社名の遍歴を見る限りでは、並々ならぬ菅原道真公への愛着と、崇敬を感じる。きっと情の厚い道真公も分かっていらっしゃるはず。なので、合格祈願は他の天神様よりも多くのご利益があるのではないだろうか(勝手な想像)。
江戸時代、菅原神社のある松原では農業が盛んだった。その農業を支えていたのが、菅原神社が所有する弁天池だった。
渇水に苦しむと、池に入って雨乞いの神事を行い、それでもダメなときは、祈雨や止雨の神として信仰されている伊勢原市の大山阿夫利神社へ、村人が祈雨祈願に向かっていた。今でもその名残りで、5月には弁天まつりが行われている。
ただ、残念なことに、昭和の時代に弁天池は枯れてしまい、現在では完全に埋め立てられて、区の公園になってる。その代わり的な感じで、神社の境内に人工的な弁天池が造られ、弁天様が祀られている。
どの神社でも年間を通じて多くの祭礼を行っている。全ての神社が行っているわけではないが、田植を行っている神社もある。
それは地域としての大規模な田植祭であったり、小さなプランター程度のものであったりと、様々。天皇陛下が田植をしている様子がニュースになっているが、それも神事に近い。
神社で植えられ、収穫された米は、お供え物として神事などに使われたり、正月に神饌として配られたり、もち米の場合は正月や節分の餅撒きに使用されたりする。
5月の連休中に菅原神社に立ち寄ってみると、田植に使うだろう稲が用意してあった。昔から農業に深く関わってきた神社だけはあって、今でも形式的に細々と田植をやっているのだろうか。
しかも、その稲の前では、にゃんこがしっかりと番をしているではないか。その様子から、これは神様のための大切な稲。誰にも触らせない。といった凄まじいオーラを感じる。
よくできた猫だ。神様の使いだったりして・・・。逃げそうな感じではないので、ちょっと失礼して、近づいてみる。
近くに寄り、冷静になってよく見ると、稲に見えたものは、稲とは違う。猫草・・・でもないな。なんだか芝っぽい。もしかして、雑草が生えてしまった鉢を処分しようとして置いていただけとか・・・。
でも、その鉢をしっかりと守っているにゃんこの姿は、お仕事中の凛々しい姿。ニャルソックといった感じだった。
約2年後、梅の季節に訪れてみた。天神様といえば梅。天神様の社紋は6つの円からなる梅紋であり、境内には必ずと言っていいほど梅の木が植えられている。
なぜ梅なのか。小さい頃から菅原道真は梅の花を好んでいて、和歌にも多く詠んでいる。更には、道真公が住んでいた天神御所にも多く植えられていて、別名「白梅御殿」、別邸も「紅梅御殿」と呼ばれていた。
伝説によれば、この梅の木は京から九州へ左遷された道真公を追って大宰府まで飛んでいったとかなんとか。いわゆる飛梅伝説が伝えられている。
とまあ、梅の季節に、そうだ、菅原神社は梅がきれいに咲いているかもしれない。と、菅原神社へ立ち寄ってみると、社殿の前に梅がきれいに咲いていた。
そして、境内では再びにゃんこにも会うこともできた。くせ毛が強そうなのは相変わらず。それよりも元気そうで、何より。
今日のにゃんこは、護符やお守りのサンプルの下で待機していた。神社の大事な収入源は賽銭・・・、ではなく、厄除けの祈祷を行ったり、縁起物を売ること。
神社の大事な収入を逃さないために、かつてのたばこ屋で店番をするおばあちゃんのように、じっとお守りのサンプルの下で、お客様が来るのを待っているのだろう。
神社に居させてもらっているお礼というやつなのだろうか。前回来た時は稲の警護をし、ニャルソックになっていたし、これぞ忠猫。猫の鏡ではないか。と、私の中で妄想が膨らむのだが、実際のところは、道真公のみが知るというやつなのかもしれない。
8、鏡餅のようなにゃんこ(上祖師谷神明社 2009年7月)
都立祖師谷公園の北側は、古くからの滝坂街道が走っている。所々すれ違うのが大変という狭い道なのだが、環八から甲州街道への抜け道となっているので、それなりに交通量が多く、混雑している。
その滝坂街道が仙川を渡る場所にあるのが、上祖師谷神明社。何か有名な謂れがあったり、特別な建物があるというわけではなく、上祖師谷地域を守っている普通の氏神様になる。
そんな上祖師谷神明社を訪れたのは、この神社が「せたがや百景」に選ばれていたから。
「せたがや百景」とは、昭和59年に区民の投票によって決まった世田谷の風景、景観の百選。その趣旨は、「世田谷に住む人々にとって大切な風景とは何か、それを明らかにして今後の町づくりを考えてゆくきっかけにしよう。」というもの。
選定された昭和後半は、高度経済成長期の真っ只中。各地で開発が進み、大きなマンションが建つと、それまであった風景が一変し、地元の住民とマンションの住民とで対立することも多かった。
乱開発はやめよう。地元のいい風景に目を向けよう。法律的に制限できない無秩序な開発に、地域として待ったを掛けやすい雰囲気を作り出すことこそ、発案した行政の狙いだったのではないかな・・・、と思ったりする。
といったわけで、百景に選ばれている神社。どんな素敵な部分があるのだろう。そう期待しながら訪れるのだが、一回目に訪れたときは、社殿や境内を修繕工事中。まともに見学できなかった。
それから少し月日が流れ、広報誌の地域版を見ていたら、神明社の修繕が完成し、式典を開いた旨が書いてあった。修理が終わったんだ。新しくなった社殿を見に行ってみよう。と、早速、神社に向かった。
訪れてみると、社殿はきれいに色が塗られ、新築のような真新しさを感じる。神社といえば古風な木造建築の方が雰囲気が出るが、この神社は台風の強風で社殿が倒壊し、コンクリート製になったという過去があるので、これはしょうがない。
社殿横には境内社がまとめて置かれている神域がある。小さな境内社にも手が加えられ、社は新築され、木の香りが漂ってきそうなほど真新しい。
よく見ると、境内社の一つに大きな鏡餅が供えられているではないか。あらら、落成式の際に供えられ、そのまま置き忘れているのかな・・・。最初はそう思った。
鏡餅にしては巨大だな・・・。少し違和感を感じつつ、社に近づいてみると、違う。違うぞ。この鏡餅には頭が付いている。それも猫の頭が・・・。って、鏡餅じゃなく、白っぽい猫じゃないか。
こちらを伺う表情から、しまった。まさか人間ごときに鏡餅の擬態を見破られるとは・・・といった困惑の表情がみられる。
横に回ってみると、白猫は社の台にすっぽりと収まっている。新築の木の香はさぞ気持ちいいことだろう。神様も早速猫の友人ができ、うれしい・・・のか。
いや、そうではなく、神様が猫の体を借りて、昼寝を楽しんでいらっしゃるのかもしれない・・・。あまり粗相のないようにしておこう・・・。
とまあ色々なことが頭の中をめぐっていく。こういった思いもよらない偶然の出会いは、本当に楽しい。神社関係者はご立腹かもしれないが・・・。
特に見所のない神社と書いたが、滝坂道を含めた雰囲気の良さは世田谷でも指折り数えてといった感じかもしれない。とりわけ秋祭りの時の夜の雰囲気が素晴らしい。神社のある丘の上がほんのりと闇に浮かび上がるような感じで、幽玄というような言葉がよく似合う。
9、森の中のにゃんこ(岡本八幡神社 2009年4月)
砧公園の南側の丘陵地に広がっているのが、岡本町域。町域を谷戸川が流れ、国分寺崖線も擁しているので、ここは坂がめっぽう多い。車が一般的ではなかった一昔前は、「苦労するから岡本の家には嫁がせるな」と言われていたとかなんとか。
現在では自動車に、電動自転車、便利なものが溢れているので、そこまで苦労はないかもしれない。とはいえ、自転車で走ると、身の危険を感じるような急坂もある。岡本三丁目の坂がその筆頭で、区外からわざわざこの坂を自転車で登りにくるような人もいたりする。
坂が多く、崖地も多く、駅からも遠いといった不便な土地ゆえに、岡本町の開発は遅かった。そんな岡本に目を付けたのが、天下の三菱財閥の創業者岩崎家。
丸子川と谷戸川が合流する付近の丘をまるごと買い取り、明治43年には岩崎家玉川廟(墓)が造られた。古代人の王族は多摩川沿いの丘に古墳を造ったが、まさにそれと一緒。財閥の力は凄まじい。
大正13年には、財閥が収蔵した古典所や美需品の収蔵した静嘉堂文庫が、墓の隣接地に建設され、その後も昭和初期にかけて丘の斜面に庭園が整備されるなど、この一帯は岩崎家の栄華を感じる丘となっていた。
地元の人にしてみれば、よそ者が・・・と言うことになるのだが、財閥が買い占めていたおかげで、いいこともあった。
昭和中期から後期にかけての乱開発に巻き込まれることがなかったのだ。この丘のすぐそばには岡本民家園といって、古民家を利用した公園があるのだが、ここには崖地から湧き出す湧水が流れ、最近までホタルが生息していた。そう、この一帯は世田谷で一番自然豊かな場所と言っても過言ではない。
そんな岡本町の氏神は岡本八幡神社。岡本民家園のすぐ横に参道がある。神社は崖上というか、崖の途中にあるので、そこそこ長く、急な階段を登らなければならない。
この神社の一番の見所というか、名物は、ずばり参道の階段下にある一対の比較的新しい石灯篭。岡本町自慢の灯籠になる。
なぜ普通の石灯篭が有名なの?ということになるのだが、石灯篭の裏を見ると、納得。松任谷夫妻の寄贈品なのだ。地元ではユーミン灯籠として知られている。
区内の松陰神社には、初代内閣総理大臣の伊藤博文が寄贈した灯ろうがあったりするが、ユーミン灯籠とどっちを見たいと聞くと、こっちを選ぶ人も多いのではないだろうか。
階段を登っていくと、社殿のある広場にたどり着く。ここは崖地の踊り場のような場所。周囲を木に覆われているので、周囲は緑一色。まるで森の中といった雰囲気。自分が世田谷から地方の神社に瞬間移動してしまったかのような錯覚に陥る。
この雰囲気の良さからロケ地にもなっている。昭和の時代。テレビの特撮、ウルトラマンシリーズが流行った。ウルトラマンの撮影ロケは、スタジオのある世田谷区内で多く行われた。岡本町も多くの場面で登場している。坂が多く映像に立体感がでるし、交通量が少なく、ロケがしやすかったのだろう。
ここ岡本八幡神社も登場しているのだが、山奥の秘境的なお寺の設定で登場していたことがあり、吹き出しそうになった。もちろん、それっぽい装飾がされていたが、違和感を感じない周囲の雰囲気があってこそできるというもの。ただ、今だと社殿横に立派な神楽殿ができたので、ちょっと近代的な感じがしてしまうかもしれない。
静嘉堂文庫の裏口から出ると、すぐそこは岡本八幡神社。簡単に行き来できるようになっている。静嘉堂文庫を訪れ、八幡神社に戻ってくると、小道の真ん中でにゃんこが通せんぼをしていた。
この先は蛇がいるから危険です。ってな感じだろうか。それとも何か食べ物を置いていかないと、この先へは通しません。かな。いや、桃太郎的な感じで、お腰につけたキビ団子をくださいな。というのが、一番ふさわしいかもしれない。
あいにくとキビ団子は持ち合わせていないので、とりあえず、にゃんこの写真を撮ってみる。しかし、私の行動がにゃんこの予想していたのと違ったみたいで、穏やかな様子かから少し警戒するモードになってしまった。
む、む、にゃんだ。その手に持っているものは・・・。危険なものにゃのか。といった表情。
それにしても周りが林なので、森の中で猫に遭遇したような感覚。ウルトラマンの撮影ではないけど、山奥の秘境で幻のキジトラを発見!とか、世田谷の最後の秘境で幻の世田谷山猫に遭遇!ってな探検家気分になってくる。
カメラが害をなすものでないとわかると、また穏やかな表情になった。猫を見かけるときは、人工的な場所ばかりなので、こういった自然の中で猫に出会うと、また新鮮な感じがする。当たり前のことだが、猫は野生の生き物。本来ならこういった場所の方が似合うのだろう。
東京編 世田谷4(神社) 世田谷5(芦花公園)につづく