旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 その他
東京の各地で出会った猫などの写真を載せています。
1、六郷土手のにゃんこたち(大田区仲六郷 2009年1月)
2009年3月、日本の歴史的に刻まれるような大きな出来事があった。なんと日本中を走っていた寝台列車、ブルートレインが全て廃止されてしまったのだ。
といっても、いきなりというわけではなく、乗車率の低迷から10年ほど前から徐々に数を減らし、今回のダイヤ改正で最後まで運行していた「富士・はやぶさ」号が廃止となった。
ただ、ブルートレインではない寝台列車は継続して運航されているので、寝台列車の全てが無くなったわけではない。
このことを大事件だと思う人もいれば、何も感じない人もいるだろう。どちらかというと、都会よりも地方の方が影響が大きいのではないかと思う。ブルートレインが走る様子が日常の風景だったり、東京などの都会への憧れだったり、また旅行などに使い、様々な思い出のある人も多いと思う。
私もその一人で、小中学生の頃はブルートレインや長距離を走る特急列車に憧れていた。いつかはこれに乗って夜行列車の旅がしたい。大都会東京などに行ってみたい。と。
でも、高校の時に親の転勤で東京に引っ越し、東京の暮らしに慣れてみると、そういった憧れはなくなり、あまり興味がなくなってしまった。
それからうん十年の月日が流れ、この度、ブルートレインがなくなるとニュースで知り、昔好きだったブルートレインを今のうちに見ておこう。写真に収めておこう。と、思い立った。
近くで見に行ける場所は・・・。検索してみると、東海道線が多摩川を渡る六郷付近の土手が写真スポットとして有名のようだ。ここなら手軽に見に行ける。ということで、バイクに乗って六郷の土手を訪れてみた。
東海道線が通る六郷付近は、国道15号(第一京浜)の六郷橋や京急急行の橋もかかっていて、河川敷はゴルフの打ちっぱなしや野球のグラウンド、公園になっている。
多くの橋が架かっている様子は、なかなか壮観。なにより広い河川敷なので、空が広く見えるのがいい。
土手で他の鉄道マニアの人たちに混じって待っていると、定刻通りに寝台列車がやって来た。鉄道の写真を撮るのは、随分と久しぶり。動いているものを撮るのは、慣れていないと難しい。一回きりのチャンス。うまく撮れるだろうか。
ドキドキとしながら列車が来るのを待ち、シャッターを押す。スリルとは違うが、この緊張感は病みつきになりそう・・・。
ブルートレイン談はさておき、六郷の土手を歩いていると、橋の下でにゃんこを発見。橋の下で暮らしているのだろうか。見た感じ、橋の下で暮らしている方もいるようだ。もしかして一緒に暮らしているとか・・・。
こちらは日のあたる場所で日向ぼっこをしている二匹の猫。仲良く協力しながら都会の片隅で暮らしているのだろう。
と、思いきや、「むぎゃ」、「ふぎゃ」、と、なにか言い合いが始まってしまった。仲がいいのか、悪いのか。よくわからない・・・。
もうお前のことなんか知らにゃい!と、片方の猫が去っていくのだが、鉄橋の下で相方の方を振り返るにゃんこが絶妙。電車が通ってくれれば完ぺきだったかな。まあ、簡単に思い描くような偶然を切り取れれば苦労しない。それは鉄道の写真でも、いや、全ての写真に言えること。
鉄道と猫の写真。どっちが面白いだろう。それぞれ面白さや難しさがあることだし、どっちもどっちかな・・・。でも、偶然に期待しつつ気楽にカメラを構えていられるのは猫の方。それは定刻といった気難しい時間の概念がないから。そう、旅人は自由なことが好きなのだ。
2、哲学堂のにゃんこたち(中野区松が丘 2008年12月)
中野区松が丘2丁目に、中野区立の哲学堂公園がある。哲学堂って・・・。公園の名としては少し変わっている。多分、この名を聞いて「何の公園だろう。」「何がある公園だろう。」と、興味がわいた人が多いと思う。
この哲学堂公園の起源は、明治37年。哲学者であり、東洋大学の創立者である井上円了が、この地に精神修養の場としてソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った「四聖堂」を建設したことに始まる。
その後、哲学世界を視覚的に表現した哲理門、六賢台、三学亭などといった個性的な建築物を建てながら、敷地内を整備していった。
1919年(大正8年)、井上円了は脳出血で急死。没後、本人の遺志で東京都に寄贈され、戦後、都立公園として公開された。後に中野区の管轄となり、2020年には国の名勝に指定されている。
哲学堂の名の由来は、当初、四聖堂は哲学堂と名付けられていて、この場所が哲学堂と呼ばれていたことに因んでいる。
広い園内には、井上円了が約15年をかけて整備した建築物や石造物が状態よく残っている。個性的な外観をした建物が多いので、哲学に興味がなくてもそれなりに楽しめるし、何より入場は無料なので、気軽に見て回ることができる。
普段は建物内へは入れないが、毎年4月と10月に建築物の内部の一般公開が行われている。その時に訪れるのがいいかもしれない。内部には、哲学者の像が祀られているそうだ。
建物以外にも、園内には到る所に哲学に由来するユニークな名前の坂や橋などが点在し、井上円了の思想と世界観を垣間見ることができる。
哲学堂公園があるのは、中野区。中野駅近くにはカメラ好きだったらその名を知っているといった有名カメラ店、フジヤカメラがある。中古品の品ぞろえが多く、値段も手ごろなので、多くの人が利用している。
そのカメラ店へレンズやフィルターを物色しに行った後、せっかくの紅葉時分だし、どこか寄って行こう。そうだ。前から興味があった哲学堂へ行ってみよう。ということで、哲学堂へ立ち寄ってみることにした。
園内には哲学を感じる建物が建ち並び、なかなか刺激的。紅葉もいい感じで、写真映えもいい。私なりに哲学的な散策を楽しめた。
公園内では、にゃんこにも遭遇した。この猫は常に物思いにふけっているといった様子。人生は哲学だ、といった悟りの境地になっているのだろうか。
猫と哲学・・・。猫は哲学的かと問われれば、否となるだろう。感情や感覚で行動している生き物なので、文学とか、ミステリーならふさわしい感じがするが、哲学は似合わない。
哲学はある意味人間の特権。人間を特徴づける要素で、人間らしい部分である。ある有名な哲学者は「人間は考える葦だ」などと言っている。私もそう思う。でも、猫からしたら「人間は無駄に考える葦だ」「行動がまどろっこしい」となるかもしれない。
猫に哲学は似合わないと感じるが、哲学の聖地である哲学堂公園で猫を見ると、なんだか猫も哲学的に見えてきたりする。哲学の聖地で暮らしていると、猫も哲学的になっていくものだろうか・・・。
こちらは仲良くベンチに腰掛け、飲食をしているカップルの傍に座る猫。おねだりをするなら正面に座って、真っすぐ人間を見つめればいいと思うのだが、横の方で横を向きながらチラチラと見ているだけ。なにか哲学的に感じるおねだりだ・・・。
って、公園内で多くの哲学的な建物を見たことで、頭が完全に哲学モード。私自身が哲学という言葉に酔ってしまっているようだ・・・。
3、隠れ猫の町、青梅(青梅市中心部 2008年4月)
東京都の西側、奥多摩の手前に青梅の町がある。青梅では、毎年1月12日に大規模なだるま市が行われている。このだるま市は、元は養蚕の繁栄を祈る縁起物、米粉を繭のような団子にした「まゆ玉」を売っている市だった。
かつての青梅では、養蚕や織物が盛んに行われていた。とりわけ絹と綿を織り交ぜた織物「青梅縞」の生産が盛んで、町は繁栄した。
しかし、昭和になると工業化が進み、養蚕を行う者が少なくなっていった。戦後になると完全に養蚕は廃れ、まゆ玉市もだるま市に変化していった。
青梅の市街地には、養蚕や織物で繁栄していたころの建物がほどよく残っていて、レトロな感じの町並みになっている。そのレトロな町並みに彩を加えているのが、手書きで描かれた映画の立て看板・・・、だった。
看板を描いていたのは、青梅市出身で「最後の映画看板師」と称された久保板観さん。看板は1994年に設置され、3年に1度、新作に掛け替えられていた。
町の商店などに約20枚の看板が掲げられていたが、2018年2月に久保さんが他界してしまった。その年の9月には、台風24号が関東に接近し、強風で数枚の看板が吹き飛ばされるということが起きてしまい、看板を撤去する運びとなった。
なので、現在青梅を訪れても、残念ながら映画の看板を探しながらレトロな町並みを歩くということはできない。
映画の看板の陰に隠れていたが、実は青梅は隠れ猫の町であった。町中にさりげない感じで猫の置物があったり、猫のアートが展示されていた。
青梅では、猫は養蚕の敵であるネズミを撃退してくれることから、昔から大事にする風潮があり、猫に対して愛着があるのだとか。
唯一無二の個性だった映画の看板を失い、町は観光の目玉を失ってしまった。しかし、今では新たな町おこしとして、東京の西の猫の町、「西ノ猫町」としてアピールしている。
例えば、かつて掲げてあった名画の看板、その主人公を猫に見立てたパロディー看板を制作したり、商店街の各店舗に1品ずつ、猫に関連する商品を置く「1店1猫」を実施したりと、今まで脇役だった猫を主役にしているようだ。
養蚕が衰退したら、工業化やレトロな町としての観光を進め、繭玉がなくなれば、ダルマを売る。レトロ看板がなくなれば、猫の町として再生していく。臨機応変に逞しく生きているのが、青梅の町。今後どのような猫の町になるのか、とても楽しみである。
国内編 東京・その他