旅人が歩けばわんにゃんに出会う タイトル

旅人が歩けばわんにゃんに出会う
東京編 世田谷1(招き猫の豪徳寺)

世田谷区にある招き猫の発祥の地とされる豪徳寺について載せています。

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1、招き猫発祥の地 (世田谷区 豪徳寺)

世田谷 豪徳寺山門の写真
豪徳寺山門

織田信長や豊臣秀吉が活躍した戦国時代の世田谷は、武蔵の国の過疎地ではあったが、それなりに格式のある吉良家が治めていた。

吉良氏の居城は世田谷城で、現在の豪徳寺がある場所に、土塁と竹林で囲まれた城があったとされている。ただ、家柄はよくても、たいした実力はなく、事実上、小田原北条家の傘下に組み込まれていた。

戦国末期、主である北条家が、豊臣秀吉の大規模な小田原征伐によって滅亡させられた。その際、吉良氏はほぼ無条件降伏。城を空け渡し、そのまま世田谷城は廃城になった。

江戸時代になると、世田谷は彦根藩の領地となる。彦根藩主を務めるのは、徳川家康の重臣だった井伊家。世田谷にやってくると、廃城となった世田谷城内にあった弘徳院を関東での菩提寺にすることにした。

世田谷 豪徳寺境内 彦根藩の墓所の写真
豪徳寺境内 彦根藩の墓所

寺の中興開基を行ったのは二代目藩主井伊直孝。その没後、彼の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」から豪徳寺と寺号が改められ、仏殿の建立など寺の伽藍が整えられていった。

それ以後、江戸で亡くなった彦根藩主やその家族、更には藩士もここに埋葬されることになった。

現在、井伊家の墓所は豪徳寺墓所の南側の一画を占めていて、開祖の直孝をはじめとした6人の藩主や正室の墓石が奥の方に並んでいる。入り口付近や隅っこには、小さめの墓石が並んでいるが、これらは彦根藩にかかわる人の墓。小さな墓石を含めると300基もの墓石があるそうだ。

豪徳寺以外には、清涼寺(滋賀県彦根市)、永源寺(滋賀県東近江市)にも井伊家の墓所があり、平成20年にこれら三カ所の墓所が一括して、国指定史跡に指定されている。

世田谷 豪徳寺 大老 井伊直弼の墓の写真
大老 井伊直弼の墓

豪徳寺にある井伊家の墓所で、参拝する人が圧倒的に多いのが、13代目藩主となった井伊直弼の墓。そう、幕府の大老(将軍の補佐役、事実上ナンバー2の役職)にまで上り詰めた人物である。

直弼が政治を行った幕末は、尊王、倒幕、佐幕などといった思想で国内が分断していただけではなく、諸外国からの開国の圧力が強かった。

そういった寸断も許さない状況の中、直弼は独断で天皇の勅許を待たずに日米修好通商条約の調印を行ったのだが、このことで多くの反感をかった。更には、その反発を抑え込もうと、安政の大獄という大なたを振るった。その結果、直弼は脱藩した水戸藩士などに暗殺されてしまう。いわゆる桜田門外の変になる。

歴史の教科書に必ず載っている井伊直弼の墓がここにあるのだが、調査の結果、墓石の下は空っぽだったとか。墓石の命日も書き換えられていたりと、彦根藩も慎重に処理したことがうかがえる。

世田谷 松陰神社 吉田松陰の墓の写真
吉田松陰の墓

ちなみに、安政の大獄で処刑された人物の中に、萩藩士だった吉田松陰がいる。彼は松下村塾を開き、明治政府の要人を育てた人物・・・。と、書けば純粋な偉人になってしまうのだが、捕まるようなことをしたから牢に入ったことは事実である。しかも何度も・・・。

その松陰は、豪徳寺から数百メートルの距離にある松陰神社に眠り、学問の神として崇められている。因縁のある二人がこんな近くに眠っているというのも、何か不思議な縁を感じてしまう。

近年ではNHKの大河ドラマ「篤姫」に始まり、「花燃ゆ」「おんな城主直虎」と、井伊直弼や井伊家、吉田松陰が取り上げられたので、この界隈へは区外から訪れる観光客が増えている。

どちらも命を懸けて自分の信念を貫き、死んでいった。だからこそ魅力的な生き方に思え、多くの人が墓前へ足を運ぶのだろう。

しかしながら、この二人、どちらも世田谷とは特別な関係性はない。たまたま墓がこの地にあるというだけのこと。それでも世田谷を代表する観光名所となっていたりする。冷静に考えると、区民としては微妙に感じる存在だ。

世田谷 豪徳寺 招福堂の写真
招福堂

話を豪徳寺に戻すと、豪徳寺といえば井伊家の墓所。というのは、一昔前の認識。今では豪徳寺といえば招き猫。と言う方が、通りがよくなった。色んなメディアで紹介され、招き猫を目当てに訪れる人が多い。

境内の仏殿の横に招福堂があり、堂内では「招福観音」が祀られている。この招福堂こそが、豪徳寺が招き猫の発祥の地とされる由縁となり、堂の前にある絵馬掛けにかけられているのは、絵馬ならぬ絵猫。そして堂の横の奉納所には多数の招き猫が返納されている。

世田谷 豪徳寺 招福堂内の写真
招福堂内

なぜ豪徳寺に招き猫?それはこの寺に伝わる招き猫伝説による。色々な説があるようだが、一般的なものを簡単に書くと、世田谷吉良氏の滅亡後、世田谷城が廃城となり、城内にあった豪徳寺(当時は弘徳院)はどんどんと廃れ、貧乏寺になってしまった。

その一方、世の中は江戸時代となり、江戸(東京)は日本の中心地としてどんどんと整備され、発展している。世間と相反し、不景気真っ最中の住職が、我が子のように可愛がっていた白猫に、「私の恩がわかるならば、何か果報を将来せよ。」と、無茶な注文を言ってみたとか。

その数ヶ月後の夏、鷹狩をし終えた武士とその従者が寺の前を通りかかると、山門の前で「おいで、おいで」と手招きする白い猫がいる。なんだろう。不審に思った武士は休憩がてら寺に寄ってみることにした。

招く猫のイメージ(*イラスト:カーリーさん)

(*イラスト:カーリーさん 無料イラスト【イラストAC】

住職が「これはこれはお侍さん。大したものは出せませんが、ゆっくりとしていってください。」と、渋茶でもてなしていると、急に空が曇りだし、激しい雷雨が降ってきた。

もし寺に寄っていなければ大変な事になっていたところだ。猫が招き入れてくれたおかげで助かった。と、武士はこの幸運を喜んだ。

この武士が彦根藩の二代目藩主井伊直孝公であり、福を招く猫がいるこの寺を東京における井伊家の菩提寺とすることに決めた。

その後、井伊家の財力によって寺の境内が整えられ、寺名も豪徳寺と改め、井伊家の菩提寺として栄えていくことになる。猫が他界したのち、住職はこの猫の墓を建て、後世にこの猫の姿を招福猫児(まねぎねこ)と称え、崇め奉るようになったとさ。めでたし、めでたし。

世田谷 豪徳寺 猫が手招きする社務所の写真
猫が手招きする社務所
世田谷 豪徳寺 売られている招き猫の写真
売られている招き猫

豪徳寺では、禅寺らしく真っ白でシンプルな招き猫が社務所で売られている。この招き猫には「家内安全」「商売繁盛」「心願成就」といったご利益があるとか、ないとか。大きさは色々と選べ、豆粒のようなものから、それなりの大きさのものまであり、大きいものは結構いい値段がしている。

この招き猫は、願をかけて奉納してもいいが、家に持ち帰り、玄関などに置くと、福を呼び込んでくれる。そしてご利益があったり、願いが成就したり、一年ぐらいたったら、お寺に返納し、新たな招き猫を迎え入れる。そうすることで、更にご利益が得られるそうだ。

招き猫と言っても、様々な種類の招き猫が存在する。例えば、白や黒、金色など、毛の色によって御利益が違ったり、右手を挙げていると金運アップ、左手を挙げていると人を呼び込むといった違いがある。

ここ豪徳寺の招き猫は色が白いことから、全般的な福を招き、右手を挙げていることから金運アップといった効果があるようだ。右手を挙げている招き猫は、小判を持っていることが多いけど、ここはあくまでも禅寺。金運に関してはちょっと控えめ・・・といった感じになるだろうか。

世田谷 豪徳寺 奉納所の招き猫の写真
奉納所の招き猫

招福堂の脇に招き猫の奉納所がある。初めて訪れたなら、数多くの招き猫が置いてある様子に圧倒されることだろう。これだけ多くの招き猫を一度に見る機会はまずない。

世田谷 豪徳寺 奉納棚に並ぶ招き猫の写真
奉納棚に並ぶ招き猫

無数の招き猫が置かれている様子は、圧巻、感動、楽しい、気持ち悪い、ぞくぞくする、恐怖・・・、まあ人それぞれ違うだろう。

水子で有名な寺院で無数のお地蔵様が置かれている様子も圧倒されるが、猫の方がまだ可愛い気があるかな・・・といった感じ。よく見ると、えい、えい、おぉーと、右手を挙げながら決起集会を開いているみたいだし・・・。

世田谷 豪徳寺 多くの招き猫 白猫の決起集会の写真
白猫の決起集会

基本は、達磨などと同じ縁起物なので、地元の人は初詣に返納して、新しいものを持ち帰るパターンが多く、以前は正月過ぎた頃が、一番奉納所が賑わっていた。

棚が一杯になると、招き猫の置き場がなくなってしまう。昔は棚が一杯になったら、お寺の人が供養して処分していた。

正月開けてしばらくした頃、そろそろ大量にたまっているだろう。多い方が絵になる。などと、寺を訪れてみたら、処分してしまった後で、棚がスカスカ。しまった。遅かった・・・。と、ガッカリしてしまったこともある。

世田谷 豪徳寺 スカスカの奉納棚の写真
スカスカの奉納棚

最近では招き猫が有名になり過ぎてしまい、インスタ映えを意識しているのか、いつ訪れても多い状態のまま。近年は訪れてはいないが、写真を見る限りでは埋め尽くすといった表現が適切な状態になっているようだ。

絵的にはいいんだろうけど、季節感みたいなものがなくなってしまったな・・・と思ってしまったりもするが、遠方から来てガッカリすることはなくなったので、これでよかったのだろう。最近では海外からも多く訪れているみたいだし・・・。

なにはともあれ、招き猫が少ない時の様子は、今では逆にレアケースになってしまったようだ。

世田谷 豪徳寺 門前の花屋の写真
門前の花屋
世田谷 豪徳寺 招き猫の立て看板の写真
招き猫の立て看板

少しうんちくを書くと、豪徳寺の招き猫は、社務所で買うのが一般的だが、昭和時代は社務所ではなく、門前の花屋で売っていたそうだ。後に社務所でも売ることになり、今では門前の店がなくなったので、社務所でしか買えなくなってしまった。

世田谷 豪徳寺 ひこにゃんの写真
ひこにゃん

ゆるキャラで人気者ひこにゃん。近年の「ゆるキャラ」ブームの火付け役として知られている。

ひこにゃんが活躍するのは、彦根城。そう、井伊家の居城になる。ひこにゃんの色が白いのは、井伊家に所縁のある豪徳寺の招き猫を参考にしたからだそうだ。

世田谷 豪徳寺 亀屋 招福最中の写真
招福最中 亀屋

正月に豪徳寺を訪れると、境内では接待が行われていて、経堂にある亀屋の招福最中を売っていた。招き猫の形をした最中で、三色で一セットになっている。同じ千円出すなら、食べられる招き猫の方がいいという人もいるかもしれない。

世田谷には飲食店のおいしいお店が多い。でも、特にこれといった名物がないというのが、実際のところ。この招福最中は区外から来た方に人気の世田谷土産となっているようだ。

世田谷 豪徳寺 三重塔の写真
豪徳寺三重塔

最後に、招福堂以外にも豪徳寺境内には猫スポットがある。それは境内にそびえている三重塔。この三重塔は、平成18年(2006年)5月14日に落慶と、比較的最近建てられた。

周囲にはモミジが多く植えられているので、紅葉時分の美しさは必見。まるで京都に来たような気分に・・・、というのは大袈裟だが、とても素敵な雰囲気を堪能することができる。

世田谷 豪徳寺 三重塔 ネズミとネコの写真
ネズミとネコ

この三重塔には面白い仕掛けがしてある。一階部の屋根の下あたりに、一つの面に三個づつ、十二支の彫り物が飾られている。真北を向いた面の真ん中のところから、時計回りに鼠、牛、寅、兎・・・・というようなっている。

真北にあるのは招き猫のある招福堂。ネズミと猫が向き合う形になっているのだが、そこは禅のお寺。うまくトムとジェリーのようにしてある。

世田谷 豪徳寺 三重塔 仏像と招き猫の写真
仏像と招き猫
世田谷 豪徳寺 三重塔 猫の像の写真
くつろぐ猫の像

その他にも所々に猫の彫り物がさりげなく施されていたりする。猫を探しながら一周してみると、なかなか楽しい。ただ、ちょっと離れているので、小さくしか見えないが・・・。

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