旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編 2003年Page18

ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。

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25、針路は北へ・旅行編(2003年9月下旬)

日本・東北の地図(国土地理院地図)

国土地理院地図を書き込んで使用

後輩との本州最北端の地、大間岬への旅が始まった。初日は早く起き、早朝から意気揚々と北上を開始・・・とはならなく、後輩が午前中に大学のゼミに顔を出しておきたいということなので、午後からのんびりと出発することとなった。

世田谷からなので、まずは都内を横切っていく。全ての道はローマに続くというが、日本の道は日本橋に続いているはず。気分を盛り上げるために日本橋に立ち寄ってから国道4号線の北上を開始した。

ちょっとした手間が料理をおいしくするのと一緒で、旅でもちょっと手間を加えると、より楽しく、感動的になる場合がある。

日本橋の写真
日本橋

今日の目的地は、福島の郡山。ここには私の高校時代の友人が暮らしているので、無理を言って一晩の宿を提供してもらった。

「後輩も一緒だけど、一晩泊めてくれ。」というのはちょっと図々しいかもしれないけど、距離の離れた友人とは、こういう機会を利用しないとなかなか会うことができないものだ。

会津新選組まつりの写真
会津新選組まつり

2日目は猪苗代湖周辺を散策した後、会津若松へ。町に入ってみると、なにやら町が賑やかだ。観光案内所で聞くと、今日は会津新選組まつりの日とのこと。午後から祭りの目玉である会津藩公行列が行われると教えてもらい、せっかくなので予定を変更し、見物していくことにした。

会津の新選組といえば、戊辰戦争時に鶴ヶ城が燃えていると勘違いし、飯盛山で壮絶に自決した白虎隊の悲話が有名だ。パレードでも白虎隊の人気が高いようで、地元の学生が扮する白虎隊が通過するときには歓声が上がっていた。

芭蕉ゆかりの山寺の写真
芭蕉ゆかりの山寺

パレードを見終わると、北上を開始し、上杉家のお膝元の米沢の城や城下町を散策した後、千段もの階段があることで有名な松尾芭蕉ゆかりの山寺(立石寺)へ向かった。

松尾芭蕉といえば、奥州や北陸への旅を記した紀行本、奥の細道が有名だ。書き出しの「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という有名な文は、多くの人が一度は耳にしたことがあるだろう。

旅の始まりの地である千住大橋付近に芭蕉像があったり、草加宿に百代橋があったり、俳句を詠んだ土地に句碑が設置されていたりと、その痕跡は多い。

松尾芭蕉の像の写真
松尾芭蕉の像

こういった過去の文人の足跡を辿る旅というのも、テーマがしっかりとするし、自分だったら・・・とか、現在だったら・・・などと想像力が働いて、けっこう面白そうだ。

近年ではアニメの舞台となった場所を旅して周る、聖地巡礼という言葉を耳にするようになったが、芭蕉巡りの旅もそういった聖地巡礼と同じ系統、いや、元祖的な存在になるのだろう。

ただ、奥の細道の聖地巡礼は、時代が明らかに違うし、旅の感想を短い俳句に込めているので、訪れるだけで満足するのではなく、想像力や教養を働かせなければならない。知的な大人の聖地巡礼といった感じになりそうだ。

松尾芭蕉の像の写真
奥の院到達記念

山寺に到着すると、1070段の階段が待ち構えていた。予め千段もの階段があるとわかっていたので、その尋常じゃない段数に驚きはしないが、何も知らずに参拝に訪れ、参拝するのに千段の階段を登らなければならないとわかったら、腰を抜かすだろう。

本州最北端を目指す旅人には千段の階段なんてなんのその。7月には富士山にも登っているので、ジャングルジムのようなもの。と、登った後では豪語できるが、千段もの階段があるので、ちょっとした山を登るのと同じ。なかなかきつい道中だった。

でも苦労して登るからこそ楽しい事もある。思い出にも残るというもの。奥の院に到達すると、映画ロッキーのポーズで締めくくった。

登ったら下らなければならない。下りは登りよりは楽と言いながら千段の階段を下るのも大変だったが、山寺を見終わると、辺りは暗くなってしまい本日の旅は終了。夕食を将棋の町、天童で食べた後、ちょっと北の田沢湖へ向かい、湖畔にテントを張り、今日の野営地とした。

北緯40度のモニュメントの写真
北緯40度のモニュメント

3日目は、さらに北上していき、まずは北緯40度線上にあるモニュメントに立ち寄った。ピンポイントで訪れても、特段、感動することのないモニュメントかもしれないが、ひたすら北へ向かっていく旅だと、こういうモニュメントを訪れたときの感動は大きい。

ささやかな感動かもしれないが、一気に新幹線や飛行機、そして高速道路で目的地を訪れる旅だと、味わえない種類の感動になる。

旅は移動を楽しむもの。移動を楽しんでこそ旅というもの。日本橋、そしてここを訪れたことで、私なりの旅の奥義を少しは後輩に伝えられたのではないか・・・と思ったりする。

ま、とりあえずこれで北緯40度を突破。東京は北緯35度41分なので、緯度で表すと約4度半ほど進んだことになる。目的地の大間は北緯41度32分。あと1度ちょっと。もう少しだ。

十和田湖畔の像の前で後輩と記念撮影した写真
十和田湖畔にて

北緯40度を越え、更に北進していくと、青森に入り、十和田湖や奥入瀬渓流を見物した。ここからは一気に下北半島へ。そして日本三大霊場の一つと言われる恐山に到着。

ここは死人の声が聞けるというイタコの口寄せで有名だが、もう暗くなりかけている時間だったので、他には誰もいなかった。

薄暗くなった霊場内を後輩と歩いてみると、緑が少なく、石ばかりといった荒涼とした光景が続いていた。まるで別世界に来たような感じ。この殺伐とした雰囲気だと、イタコに頼らなくてもこの世に生きていない人達と会話出来そうな・・・気がする。

恐山の写真
霊場恐山

「面白そうな旅をしているね。お兄さんたち。」と声をかけられ、「はい」と返事をしようものなら、「ついでに孫のところまで乗せていって頂戴」などと、おばあちゃんが付いてきてしまいかねない。

バイクを走らせると、さっきまでよりもバイクがが重く感じ、バックミラーを見たら、後ろの座席におばあちゃんが笑顔で乗っていたりして・・・。そんな場面を想像すると、血の気が引いてくる。

いや、それは怖い。そんなことになったら恐怖で事故ってしまい、目的地が本州の最北端ではなく、人生の最後になってしまう。それは嫌すぎる・・・。三途の川はまだ渡りたくない・・・。自然と歩むスピードが上がり、早足でさっと見学して恐山から退散した。

恐山の三途の川の写真
恐山の三途の川

恐山を見た後は、顔を引きつらせながら真っ暗の道を走り、本州最北端の大間に到着。今日はここ大間でテントを張って野営・・・となるはずだったのだが、素泊まり2千円の看板が見え、吸い寄せられるようにその簡易宿へ泊ってしまった。

実は、昨夜は寒くてあまり寝られなかった。もう季節は9月下旬。想像していたよりも東北の夜は寒く、用意した装備では結構体に堪えてしまった。それにバイクで東京から走ってきたので、疲れもピーク。ゆっくりと布団で寝たい。宿が2000円なら・・・となってしまった。

初志貫徹とならなかったが、旅は状況に応じて臨機応変に行動することも大事。体調を崩して旅が続けられなくなっては元も子もない。

大間の本州最北端のモニュメントの写真
大間の本州最北端モニュメント

4日目は、宿から出発すると、すぐ本州最北端モニュメントの前で、バイクと一緒に記念撮影した。

冷めた目で見るなら、ここは単なる半島の先っちょ。そして、ごくありきたりな石柱の前・・・ということになるのだが、ここが本州の最北端であることにその価値がある。そう考えると不思議な空間だ。

実際に東京からバイクを走らせ、碑の前で証拠写真を撮ってみると、なかなか感慨深いものがあった。こういった場所が旅するものにとって、いわゆる宗教の聖地と同じような場所となっているのも分かる気がする。

これで最初に決めたゴール、本州の最北端へ到達し、ミッションが無事に完了した。無事にゴールに到達したのだが、旅はまだ終わりではない。帰るまでが遠足ってのと同じで、復路がまだ残っている。折り返し地点がゴールというのもよく考えると変だが、まあ箱根駅伝みたいなものだろうか。

仏ヶ浦の写真
仏ヶ浦

今度は東京へ向かって南下の旅を開始。下北半島へはもう来ることはなさそうなので、仏ヶ浦などの名勝に立ち寄ったりしながら、半島をぐるっと回るように南下していった。

下北半島を抜けると、リアス式海岸で有名な岩手の太平洋側を南下していき、後輩が「ここはぜひ見ておきたい!」と言うので、岩泉町にある鍾乳洞、龍泉洞に立ち寄った。

後輩がわざわざ見たいというだけあって、龍泉洞はかなり大きな洞窟だった。内部は鍾乳石が見事で、なんと地底湖もある。あまり期待していなかっただけに、その規模の大きさに驚いた。

ほぼほぼ満足で、見ごたえがあったのだが、頭上から落ちてくる雫が多いようで、見学路の通路のあちこちに簡易的な屋根が設置されていた。どうもこれが微妙・・・。まるで工事現場を歩いているみたい・・・。

龍泉洞の写真
龍泉洞内部

龍泉洞からは、暗い中、山間部を抜けて遠野へ。今日はここで宿泊。最後の夜は手軽な民宿に泊まって、酒でも飲もうという予定にしていたので、駅前の観光案内板を見ながら手軽な民宿を探した。

昨日、予定外に宿に泊まってしまったので、今日は昨日の分を挽回してテント泊・・・という硬派な選択肢もあったが、一度宿に泊まってしまうと、もうテントには戻れないというもの。修行の旅ではないので、ある程度融通を付けて、楽しく旅をした方がいい。

とはいえ、もう時間が遅かったので、宿は2軒断られ、やっと見つけた宿も夕食はやっていなく、駅前のコンビニで弁当と缶ビールを買って宿へ向かい、それが最後の晩餐となってしまった。

遠野 カッパ淵の写真
遠野 カッパ淵

5日目、最終日が始まった。昨日は夜の到着だったので、まずは遠野を見て回った。ここ遠野は柳田國男の「遠野物語」の舞台となった町になり、昔話や伝承が多く残る土地になる。

見所といってもカッパ伝説にまつわるカッパ淵とか、古い古民家などといった素朴なものばかり。日本の故郷とか、昔話の世界いった感じだろうか。

もし東京からまっすぐここに来たのなら、この素朴さに激烈な感動をしたと思うのだが、ここのところ東北の田舎道を走り続けているので、どこかで見たような感じの風景・・・ってな感じで、そこまでの感動はなかった。

注文の多い料理店の写真
注文の多い料理店

遠野の西には花巻市があり、ここは「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」の著書で知られる宮沢賢治の故郷になる。私の好きな作家でもあるので、ちょっと立ち寄ってみると、山の中だというのに立派な西洋造りの建物があった。

近づいてみると、山猫軒という看板が掲げられたレストランだった。こんな山の中にこんな立派なレストランがあるのはちょっと不自然に思えるが、こういうロケーションにあるからこそ、きっとおいしい料理を出すに違いない。

朝からろくに食べていないので、これはちょうどいい。小汚い格好をした若い二人の旅人は、ここでちょっと早い昼食をとることにした。

中に入ろうとすると、玄関には「よく太った方、若い方のご来店は大歓迎。それ以外の方はご遠慮ください。」との張り紙がしてある。

なんか変な料理屋だな。太っているほうがいいのか。太ってはいないが、まあ若いから問題ないだろう。

注文の多い料理店のイメージ(*イラスト:さくらカヨノさん)

(*イラスト:さくらカヨノさん 【イラストAC】

扉を開けて中に入ると、小部屋になっていて、奥にまた扉があった。その扉にも張り紙が貼ってあり、「体の汚い方はきれいにしてからご来店ください。」とある。

不潔な客はお断りとは、繊細な料理でも出すのだろうか。恰好は汚いが、昨夜は宿の風呂に入ったから、そんなに体は臭わない。清潔とはお世辞にも言えないが、まあ次第点ということにしよう。

扉を開けると、また扉があった。「先輩。なんか変ですよ。ここのレストラン・・・。」と、後輩が怪訝な顔をしながらつぶやいた。

「東北は寒いから、暖房効率を上げるためにこういった扉の多い造りをしているのだろう。」と、後輩に旅で仕入れたうんちくを披露すると、「そうなんですか」と、後輩も納得した。

この扉の前にも張り紙が貼ってあり、「蒸れて臭いバイク用のブーツはここで脱いでください。」とあった。

なんと、ドレスコードもあるのか。立派な建物のレストランだからしょうがないか。とはいえ、このレストランは注文が多い。

ブーツのイメージ(*イラスト:Kikainokoさん)

(*イラスト:Kikainokoさん 【イラストAC】

でもまあ、バイク用のブーツを見て食欲がなくなる人がいるかもしれない。脱ぐと強烈な匂いはするし、見た目も不潔極まりない。仕方なく汚いバイク用の靴を脱いで、備え付けのカゴに入れた。

扉を開けて奥に進むと、また扉があった。本当に変な造りをしたレストランだ。今回は扉の前に桶に大量の塩が用意されていて、「全身にこの塩を塗ってからお入りください」と記された紙が置いてある。

なんだそれ。5日間バイクに乗って、肌がピリピリするほど日焼けしているのに、そんなことできるか!!!

・・・とまあ、せっかく注文の多い料理店に来たので、後輩と注文した料理で出てくるまでの間、もし自分たちだったら・・・といった物語を語りながら、物語の世界観に浸ってみた。そのほうが気持ちが盛り上がり、料理もおいしく感じるというものだ。

中尊寺金色堂の写真
中尊寺金色堂

ちょっと早い昼食を食べ、英気を養った後は、花巻からは平泉へ移動した。ここのお目当ては中尊寺の金色堂。この地を収めていた奥州藤原氏が建立したもので、平安時代の寺院建築の傑作となる。

金色堂と名が付いているように、堂は内外共に総金箔貼りといった贅沢な造りをしている。まるで京都の金閣寺を模したみたい・・・と言いたいが、こっちの方が歴史が古かったりする。

この金色堂内にはかつては栄華を極めた藤原氏四代のミイラが安置されている。国宝の金箔張りとなっている仏堂よりも、そのことの方が強烈に惹かれる。

ミイラ、されどもミイラ。人間の死体というだけなのに、何かミイラには人を惹きつけるような魅力があるような気がする。とはいえ、そのミイラは残念ながら非公開となっていて、実際に見ることはできなかった。

仙台城の櫓の写真
仙台城の櫓

金色堂を見学後は、一路仙台へ。ここでちょっと早めの夕食として仙台名物の牛タンを食べ、今回の旅の予定はほぼ終了。

明日は遅番でシフトが入っているので、ここからは高速道路に乗って一気に東京に戻り、後輩との楽しかった5日間のバイク旅を終えた。

*26、針路は北へ・感想編につづく

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