旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編 2005年Page16

世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。

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20、後輩との日光ツーリング(2005年11月8日)

「今日、暇していますか。休みなので、久しぶりに飲みに行っていいですか?」2年前に日本一高い富士山へ一緒に登り、日本本土最北端の下北半島大間岬までバイクで旅した後輩から連絡があった。

私の部屋には旅先で購入した小物が所狭しと飾られ、ガイドブックや旅のアルバムが本棚に並んでいる。旅に関するものが色々とそろっているうえに、来客に対してとびっきり愛想のいいワンコがいるので、彼は私の部屋で飲むのが好きだ。

部屋で缶ビールを飲む後輩の写真

彼が大学を卒業し、仕事を始めて約1年と半年になる。今日のように連絡がきて、たまに一緒に飲んだりしている。

最初の頃は、「研修でこんなことを習いました」「実際に店舗で接客をやることになりました」「無事に資格を取得できました」と、やりたかった旅行関係に就職できたので、仕事をやるのが楽しそうだった。

1年が経つと、仕事が板がついてきたようで、そうでもなさそう・・・。愚痴も多く出てくるようになり、どうもここのところは仕事への不満を言うことが多くなった。

缶ビールのイメージ(*イラスト:かえるWORKSさん)

(*イラスト:かえるWORKSさん 【イラストAC】

「最近旅をしていますか。」と聞かれ、「いや、今年は友人とバイクのレース活動をしていて、それが忙しくてほとんど旅をしていない。」「そうそう、夏には実際にレースにも出場したんだぞ。見事にコケてしまったけど・・・。でも、レースはお金と時間がかかり過ぎるし、全日本選手権に参加できるような才能があるとも思えないし、旅に戻ることにした・・・。」ってな感じで答えた。

「えぇ~、バイクのレースに出場したんですか・・・。相変わらず自由に生きていますね・・・。うらやましい。あっ、よくコーナーを膝すって走ってるのを見ますが、あれって難しいのですか・・・」といった感じで話が進んでいき、「時間があるなら、今度一緒にツーリングに行きませんか?」という話になった。

後輩のバイクとの写真

どうやらなかなか休みが取れなく、休めても一日だけというのが多い。一日だけの休みだと、日帰りでどこかへ行きたいと思っても、面倒だな・・・。疲れたな・・・と怠惰な気持ちが勝り、なかなか行動が伴わない。

社会人になってからはバイクの稼働率が右肩下がり。少しはバイクに乗らなければ、バイクの持ち腐れになる。そうだ。こういう時に最適な人がいる。と私に声をかけてきたというのが、今回のいきさつのようだ。

悶々とした彼の様子から、以前訪れた日本本土最北端みたいな強烈に旅心をそそるような場所へ連れて行くことができれば、少しは気が晴れそうな感じがする。とはいえ、お互い社会人にもなるとそうそう長く休めない。お互いのスケジュールを合わせてみても、夏ならまだしも、晩秋では日帰りが精一杯。

日帰りで行くとしたらどこがいいだろう・・・と飲みながら考え、「じゃ、紅葉の時期だから、日光でも行こうか。世界遺産になってからは行っていないし・・・」と、彼と日光へツーリングに行くことにした。

日光東照宮の参道の写真
日光東照宮の参道

高速道路を使わないのが、生粋の旅人というもの。都内を横切り、国道4号線を北上していき、宇都宮からは日光街道へ。

趣きのある杉並木を通り抜けると、まずは世界遺産の日光東照宮へ。紅葉の時期だけあって人が多い。さてどうするか。来てはみたものの、お互い、何年も前だが一度訪れている。高い入場料を払って中に入ることもないか・・・。その分、昼食代に回した方がいい。と、参道付近を散策するだけにした。

あちこち訪れている旅人は、観光客のような「せっかく来たのだから・・・」という感覚はあまりない。金額に見合えば中に入ろうかといったシビアな感覚をしていたりする。まあ基本的に旅人は観光客と違ってせこい人種だ。

明知平とロープウェイの写真
明知平とロープウェイ

東照宮からは色付く日光いろは坂を登っていき、明知平へ。駐車場の少し前から渋滞をしていたが、バイクだとこういう時は便利だ。

ここからロープウエイに乗り、3分ほどで到着する明智平展望台からは、中禅寺湖、華厳の滝、男体山が一望できる絶景が拝めるということで、乗り場には長い行列ができていた。

華厳の滝の写真
華厳の滝

明知平から更にいろは坂を登っていくと、中禅寺湖畔へでる。ここには日光の象徴ともいえる華厳の滝がある。何度見ても素晴らしいが、紅葉時分に訪れると、一段と美しい。

湯滝の写真
湯滝

中禅寺湖畔を進んで行き、戦場ヶ原へ。ここは広大な湿地帯となっている。さらに進むと湯滝があり、高さ70mの高さから落下する滝はなかなか迫力があった。

足尾銅山の写真
足尾銅山

その後は少し戻り、渡良瀬渓谷方面へ。そして足尾銅山に立ち寄った。足尾銅山といえば、日本初の公害事件、足尾鉱毒事件で地理や歴史の教科書に出てくるので、その名を知っている人も多いと思う。

江戸の初めに採掘がはじまり、最盛期には年間1200トンもの銅を採掘していたというから、規模の大きな鉱山になる。実際、坑道の総延長は1,234キロメートルと、東京、博多間に匹敵するというからその規模が想像できると思う。

公害は19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起き、農民が直訴するもあしらわれ、田中正造氏が天皇に直訴したことで、広く知られるようになった。

トロッコのイメージ(*イラスト:yoseiさん)

(*イラスト:yoseiさん 【イラストAC】

現在鉱山は閉山し、博物館として公開されている。ここは日本では珍しく、坑道をトロッコで見学できる。映画のインディジョーンズ的な気分を・・・と期待するとガッカリするが、少し冒険的な気分を味わうことができて面白い。

足尾銅山を見学した後は、森高千里さんのヒット曲、渡良瀬橋で有名な渡らせ渓谷を下っていき、最後に曲のタイトルとなっている渡良瀬橋を渡って帰路へ。

私の世代には結構思い入れがある曲になるが、5つ歳が下の後輩は、聞いたことはあります。と、そこまで感慨深そうな表情をしていなかったのがショックだった。

別れのイメージ(*イラスト:ちゃむまっぴーさん)

(*イラスト:ちゃむまっぴーさん 【イラストAC】

無事に東京に戻ると、せっかくなので家の近所で夕食を一緒に食べ、「また機会があればツーリングをしよう」と約束し、自宅に戻った。

ツーリング自体はありきたりなものであったが、ツーリングの途中で後輩からとんでもないことを打ち明けられ、ちょっと考え込んでしまった。それは次のページに記すことにする。

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