旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 Page4
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
5、突然訪れた旅人引退危機・後編(2003年3月上旬)
前編からの続きになる。大学を無事に卒業し、社会人になった私は、このまま会社に骨をうずめる覚悟で必死に働き・・・ということはなく、ユーラシア大陸を横断する計画を温めながら働いた。
そして一年分の予算、100万円の目途が付くと、仕事を辞めて旅をするべきか、このまま仕事を続けるべきか、本気で迷いに迷った。
私にとって、旅は特別な存在。世界一周とか、大陸横断の旅は小さいころからの夢だった。
やるなら若く、気力が充実している今が最適だ。旅に出れば多くの経験が手に入り、きっと自分自身を大きく成長させることができるだろう。年をとってしまうと、長旅をすること自体がしんどくなるし、旅での経験をその先の人生に活かす機会も少なくなる。
とはいっても、今旅に出てしまえば職を失うし、結婚その他、人生においてマイナスにしかならない気がする。
行っても後悔。行かなくても後悔。どっちを選んでも後悔することになりそうだ。これこそ究極選択というやつではないだろうか。どうする俺。色んな人に相談しながら自問自答を繰り返した。
しかし、いくら考えてもわからない。人に聞いても、賛否両論。誰の話を信じていいのやら・・・といった状態。まあ人生、先が分かれば苦労しないともいえる。
で、永井雲龍さんの歌、「道標ない旅」の歌詞に「青春を旅する若者よ、君が歩けばそこに必ず道はできる」とある。決断に当たって一番しっくりきたのが、このフレーズになる。
まだ若いんだ。前に進んでいればきっと何とかなるはず。やらないで後悔するのなら、やって後悔したほうがましではないのか・・・。と、旅に出ることにした。
一度社会に出てから旅をするとなると、学生の時のようなお気楽な旅では済まない。旅をしながら色々と積み上げていくにはどうしたらいいだろう。
これには一つ妙案があった。旅行記を書きながら旅をしよう。それもこの当時では珍しかったリアルタイム旅行記という形で、世界に発信してみてはどうだろう。これなら旅に身が入るし、自分自身のモチベーションにもつながる。
ということで、友人の協力でリアルタイム旅行記を公開しながら旅をし、日本を出発してから1年9カ月後、最初に思い描いていたゴールとは少し異なってしまったが、無事に旅を終えた。
「世界は一冊の本にして、旅せざる人々は本を一頁しか読まざるなり(アウグスティヌス)」「貧乏旅をすれば、大学を二つ出たようなもの(永倉万治)」「旅は真の知識の大きな泉である(ディスレーリ)」「長生きするものは多くを知る。旅をしたものはそれ以上を知る(アラブの諺)」
と、先人たちがおっしゃるように、旅をすれば多くのことを見聞きし、多くのことを経験するので、大きく人間が成長できる。まして2年近く旅をしたとなれば、賢者クラスにレベルアップしていてもおかしくない。・・・といった単純な話なら苦労しない
何世紀も前ならともかく、現在の情報社会の世の中では、旅は娯楽のうちの一つ・・・といった印象の方が強い。誰もができないような素晴らしい旅を行っても、世間から評価されるわけではない。そもそも、旅をしている最中のことは自分しか知らないので、他人が評価するのは難しい。
とはいえ、私なりには全力で旅に取り組み、悔いのない旅が出来た。きっと人間的にも大きくなったはず。帰国した後は、早速その自信と知識と経験を活かし、バリバリと頭角を表す存在に・・・とはならず、残念ながら帰国して間もなく、燃え尽き症候群になってしまった。
その後少し精神的に苦労したが、ここのところ旅や生活のやる気が戻ってきて、旅も仕事も順調にこなしている。密かにまた海外へ、具体的には行ったことのない南米大陸を旅したいと心の中で思っていたりするのだが、それは気持ち半分といった感じだ。
こんな旅をするために産まれてきたとか、旅こそが人生だというような私に、突然、旅人引退危機が訪れてしまった。
旅人が旅人でなくなる時・・・。他の趣味でよくある、「飽きた」とか、「つまらなくなった」というのは、旅人の間ではあまり聞かない。仕事が忙しくなったという人もいるが、本当に旅が好きな人はそんな言い訳をせず、なんやかんやと都合をつけてできる範囲で旅をしていたりする。
一番多くありそうなパターンとして、結婚して所帯を持った、というのが挙げられるのだが、それは旅のパートナーができただけ、となる場合が多い。まあ、それが旅人ってものだ。
で、実際は子供ができたときが多い。子育てを抱えると、自由に使える時間やお金が少なくなるし、今までさんざん旅をしてきたから、今無理をして子連れで旅をする必要がないか・・・。手がかからなくなったらまた始めればいい・・・といった感じで、旅から遠ざかる人が多い。
あいにくと結婚の話のない私には、そういったことは無縁の話。旅にも飽きてはいない。ではどうしてかというと、同居する父に健康問題が起きてしまったからだ。
同年代の友人や知り合いなどに、海外を一人で旅したときのことを話すことが多いが、その時に「俺も休みを長く取ってそんな自由な旅をしてみたいな・・・」と、言う人は多い。
しかし、その後に続くのが、「でも、一人で海外をブラブラと旅をする度胸や、長く旅をする気力がない・・・」という言葉。まあこういうことは、最初に飛び出す度胸と、後は慣れってやつなので、海外を一人で旅をしている人が、何か特別に凄いわけでもない。
なかには旅をしてみたいけど、健康上の問題を抱えているからとか、家庭の事情で長く留守ができない・・・といった人もいる。慣れない海外をそれなりも長く旅をしようと思うと、健康面が万全な状態でないとなかなか厳しいし、留守のことが気になっていては、旅が楽しめない。
家を留守に出来ない部分に関しては、なかなか自分一人で解決できる問題ではない。一人暮らしをしているなら、家を空けられても10日程度。それ以上になると、近所付き合いなどが必要だし、同居の家族がいる場合でも、正常な状態ならいいが、そうでない場合は長く家を空けられない。
そういった話を聞くと、やりたいことがあってもできない場合もあるんだな・・・。ある程度環境に恵まれていないと旅はできないんだな・・・と、グサッと胸に突き刺さる。そして自分はつくづく恵まれているな、と思ってしまう。
で、うちの父親の話になるのだが、この2月に定年退職した。それはいいのだが、実は昨年あたりからどうも体調がすっきりしないようで、なんか調子が悪いと頻繁に言っていた。
で、定年退職後は暇になったし、ちょっと心配だし・・・と、少し前に近所の病院で検査を受けたのだが、結果を聞きに行くと、「まだはっきりしませんが、悪い兆候が見られます。ちゃんと調べたほうがいいです。」と言われ、大きな病院で検査を受けることになった。
調子悪いと思っていたけど、やっぱり悪かったんだ・・・。と、不安になりながら父親は大きな病院に行き、内臓関係の綿密な検査を受けた。で、検査結果の説明を聞きに行ったら、胃がんだと告知され、ガッカリして帰ってきた。
ガンといえば不治の病。一昔前ならもう余命いくばくの・・・となるのだが、現在は医療が進み、少しぐらいのガンなら簡単に治療し、普通の生活を送ることができるそうだ。
父親の場合も、そこまで絶望的な症状ではなく、手術すればよくなると、先生に言われたとか。で、なるべく早めにガンになっている部分を切除したほうがいいということなので、1週間後から入院し、10日後に手術を受けることになった。
父親は、「手術すれば大丈夫らしい」と気丈にふるまってはいるが、その表情は暗い。「治る」と言われても、本当のことは先生しか知らない。実際は悪いのかもしれないし、治ったとしてもいかにも病人といった生活をしなければならないかもしれない。ガン宣告なんてされたら、疑心暗鬼となり、色んなことを考えてしまうものだ。
家族としても、色々な場合を想定しなければならない。今まで家のことを気にせず自由に過ごせていたが、重度の病人を抱えてしまうと、旅がしにくくなる。
仮に父親がずっと入院することになったり、考えたくはないが手術がうまくいかなく、万が一の事態になった場合、私が長く家を空けたら、母親一人で留守番をすることになり、大きな犬の面倒を見ることになる。3、4日だったら何とかなるとは思うが、長い期間だと大きな負担になるし、家のことを心配しながらの旅になってしまう。
この状況を考えるに、父親が今までに近い状態で完治しない限り、当分は旅と呼べるような長旅はできなくなるのでは。これは実にまずい展開になってしまったぞ・・・。
「おい、いくら旅が好きだからといっても、旅が・・・という前に、父親のことを心配しろよ!」と突っ込まれそうだが、そんなのはドラマの一コマだけの話。
私が心配したところで、父親の病状がよくなるわけでもないし、私が手術をしたり、受けるわけでもない。必要以上にあれこれと心配しても、他人の病気に関してはどうにもならない。運命次第というやつだ。
なので、手術後、ある程度治り、今までと近い状態で暮らせる場合、頻繁に病院に通う場合、「もってあと一年です・・・」といった余命宣告をされ、死を待つような最悪の場合など、こういった場合はどう対応しようと想定し、手術に備えるしかない。
とまあ、突然の父親のガン告知と、手術により、今後は旅と呼べるような旅が出来なくなり、旅人を引退しなければならないような危機的な状況に陥ってしまった。・・・というのは少々大袈裟かもしれないが、旅人から旅行者に降格、言うなれば2軍落ちは覚悟しなければならない状況になってしまった。
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