旅人とわんこの日々
世田谷編 2005年Page15
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
19、締めくくりの6時間耐久レース(2005年11月3日)
友人たちと取り組んでいたスポーツランドやまなしのSLy チャレンジバイクレースも、いよいよ最終戦。あっという間に最終戦になってしまった・・・といった心境だ。
今年の始めにきれいに塗装したバイクも、今では擦り傷だらけ。一年間戦ってきた感があって、味がある。と、最初にこのバイクで転倒した私が言うと、言い訳っぽくなってしまう・・・。
7月の第三戦では、後輩Kの代わりにライダーとして初めてレースに出走したものの、残念ながら自分のミスで転倒してしまい、チームには迷惑をかけてしまった。
実際にライダーとして出走してみて、走る面白さとか、緊張感、やりがいや充実感はあった。しかし、このままライダーとして走り続けるとなると、時間とお金がいくらあっても足りないと悟り、深みにはまる前にレース活動とは距離を置くことに決めた。
でも、今年のレースは昨年から友人たちと取り組んできたので、最後まで付き合うのが筋というもの・・・。いや、せっかくなので最後まで付き合いたい。
ということで、今までレースを外から客観的に見てきた経験をいかして、少しでも順位を上げられるようライダー交代のタイミングや、給油などのピット戦略を練る担当、いわゆる監督兼ストラテジスト(戦略担当)としてチームを仕切ってみることにした。
最終戦は、なんと6時間もの長丁場。ローカルなサーキットの草レースとは思えないボリュームとなっている。サーキットとしても初の試みだそうだ。
昨年の4時間耐久では友人と後輩Kの二人で走り抜いたが、その疲労度は限界を超え、最後の方は足や手がつり、ゆっくりと走っていた。それを考えると、ライダーは最低3人必要で、4人いるのが望ましい。もし5人揃えば楽勝といったところだ。
活動のリーダーである友人に、久しぶりに復帰した後輩K、そして夏のレースに参加した後輩2人で、ライダーは4人。もしかしたら後輩Kが参加できない可能性を考慮し、友人が他の後輩にも声をかけ、もう一人参加となり、合計5人態勢で挑むことになった。
当日はライダーの家族や、その友人などが訪れ、我々のピットはお祭り騒ぎ。サーキット全体でも、出走台数が制限いっぱいの30台と、かつてないほど盛り上がりをみせ、最終戦の舞台にふさわしいものとなった。
今回のチーム戦略は・・・、一人30分交代を基本として、30分付近で転倒車がでて、セフティーカーが出動したら、そのタイミングで交代の指示を出す。足がつりそうになったらピットに向けてサインを出して早めに交代をして、転倒のリスクを減らす。2回行わなければならない給油のタイミングは走り慣れている友人か、後輩Kのタイミングで行う。などと色々と伝えたものの、作戦よりも空模様の方が問題。雨が降ってきそう・・・。
素人のレース。雨が降ったら荒れたレースになるだろうから、ペースが悪くてもコースにとどまり、生き残ることを第一にしなければならない。我々のような中団を走るようなチームは、うまくいけば順位が上がる可能性が高いが、存分にレースをしたいので、正直、雨は降らないでほしい。
一番手は後輩K。先日みんなで練習走行に来た時に一番タイムがよかったことから、エースの第一ライダーと決まった。
レースのスタート順はくじで決まる。前回は見事に2番手をゲットしたが、今回は中吉といった感じで、30台中13番。いや、中吉ではなく、数字的に不吉。何より一番トラブルに巻き込まれそうな位置なのが不安に感じる。
曇り空で気温も低いことから、今回は特別にウォームアップ走行が5周行われ、その後スタート。他のチームと接触等がなく、無事にスタートが切れれば・・・といった感じで見守っていると、後輩Kはうまくかわしていき、第一コーナーを回るときには4、5台抜いて、いい位置にいた。
これはもしかして上位グループの中でレースができるかも。期待が膨らむものの、一周回って直線に戻ってきてみると、スタート順とあまり変わらない順位になっていて、膨らんだ期待はあっけなくしぼんでしまった・・・。
この後は監督としてピットストップの指示を出したりするのだが、気温や路面温度が低いのと、6時間耐久ということで、各チーム人数合わせで集められたライダーが多いのと、30台と出走チームも多いことから、転倒者が続出。
ちょっと走ったらセイフティーカーが入り、隊列走行。それが開けたら、また転倒者・・・。落ち着かないレース展開というより、これではレースにならないし、ピット指示も出しにくい。
更にはライダーが二巡目の交代に入ったら、雨が落ちてきて、更にレースが荒れ模様となってしまった。バイクでやって来た後輩は早めに帰りたいとのことで、先に自分の分の走行分を繰り上げて走った。
その後も雨は降り続き、転倒者が多い。これだけ荒れていては作戦もへったくれもない。転倒さえしなければそれでいい。とまあ、私がいてもこの状況は変わらない。
最後まで居たいところではあるが、私も帰ろう・・・。実は私もバイクで来ていた。目鏡をかけているので、バイクで雨天時の暗くなってからの走行は怖い。対向車のヘッドライトを中心に色んな光が乱反射して本当に見えにくいし、バイクのヘッドライトは暗いうえに、路面も光って見えにくい。
道路に穴があいていたり、落下物があっても分かりにくい。水溜まりにハンドルをとられたても転倒してしまう。明るいうちにある程度家の近くまで戻っておく方が安心だ。
更に湿気が多い時に怖いのが、眼鏡が曇ること。特にトンネルでメガネが曇ると、命の危険にかかわる場合がある。そう国道20号では長い笹子トンネルが最大の難関となる。
今回は戦略家の私に任せておきなさい。素晴らしい戦略で順位をいくつか上げてやる。と、レース前に豪語しておきながら、4時間経過したところで無責任にも途中でサーキットを後にした。
後で結果を聞くと、総周回数251周。実順位は11位。ハンデを考慮した総合順位は18位。完走23台。と、まずまず善戦。転倒が一度もなく、堅実に走りきれたのが良かったようだ。
これにて2005年シーズンのレース活動は終了。後半からは新しくライダーも増え、チームに活気が出てきた。この勢いに乗じて、来年こそは表彰台を!と、友人は一段と張り切っている。
とはいえ、人が増えると、ライダーの工面が付きやすかったり、走行料や部品などを割り勘に出来たり、メリットが多い反面、デメリットも生じてしまう。
真剣にやっている人と、気晴らし感覚でやっている人が混じると、温度差というか、熱量の違いができてしまう。チームとして考えると、少しかじ取りが難しくなるだろう。
私はというと、一回しか走っていないけどライダーからは引退した。友人からは、「私が帰った後、走っているライダー同士で指示を出し合うとグダグダしてまとまらず、うまくいかなかった。しっかりと指示を出してくれる人がいる方がチームとしてやりやすい。時間がある時でいいから、今回のようなまとめ役をして欲しい。」と言われたが、中途半端に参加して、あれこれ口を出されるのも嫌だろう。なので、これからは時間があるときに応援しに来る程度にしようと思う。
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