旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page2
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
2、人生初の初日の出ツーリング・後編(2006年1月1日)
日の出を見終えた後は、御前崎から静岡市に向かって海沿いの道を走った。走っていると、雲がどんどんと薄くなっていき、時々まぶしい朝日を顔に浴びるようになった。もう1時間早く雲が散ってくれていればな・・・と思ってしまうが、思ってもしょうがない。
静岡市内に入ると、歴史の教科書に必ず出てくる知名度抜群の登呂遺跡に立ち寄った。早朝なので、博物館などは開館していないが、公園内は自由に入ることができる。水田跡や復元された建物などを少し見学し、記念撮影。
その後は、ファミレスに入り、食事兼休憩。夜中から活動しているので少し眠い。居眠り運転をしては大変なので、1時間ほどウトウトしながら休んだ。
食後は再び海岸沿いの150号に戻って、東進。この辺りは農業用のビニールハウスが多く、右手には駿河湾、左手にはビニールハウスがずらっと並ぶ風景が続く。なにか異世界的な感じがして、走っているとちょっと不思議な感覚がする。
このビニールハウスでは主にイチゴが栽培されていて、今、走っている150号も、別称で「いちごライン(現・いちご海岸通り)」なんて可愛らしい名前が付けられている。
しかも今はハウスものの旬であり、また稼ぎ時でもあるようで、イチゴ販売の露店やイチゴ狩りの呼び込みをする人が道沿いにずらっと並んでいた。
このイチゴビニールハウス地帯の真ん中、地名で言えば日本平に久能山東照宮がある。前々から行ってみたいと思っていたのと、今回のルート的にちょうどいい場所にあるので、今年の初詣神社に選んだ。
東照宮という名前が付いている事から、ここは徳川家康が神様として祀られている神社になる。
東照宮といえば世界遺産にもなっている日光東照宮がまず頭に浮かび、日光が本山で、それを模して各地に建立された・・・といったイメージを持ってしまうが、実はこの久能山東照宮の方が先に造られ、日光東照宮のお手本になっている。さりげなく由緒のある神社なので、御利益も一杯ありそうだ。
東照宮の到着してみると、えっ!!!と驚くほど高い丘の上に神社があった。しかも斜面には九十九折りの長い階段が設置されていて、その階段をぞろぞろと人が列をなして登っている。
この長い階段を登らないと、参拝できないんだ・・・。日本平の丘の上に久能山東照宮があるというのは、事前の知識で知っていた。知っていたけど、有名な神社だし、人々がお参りしやすい高さにあるだろう・・・と勝手に思っていた。
そもそも神社のある場所が日本平。きつい階段とか頭に思い浮かんでこない。まんまと日本平という地名に騙されてしまった。全然「平」ではないではないし・・・。そういった不満な心境だった。
やれ、これを登るのは結構重労働だぞ・・・。かなりの高さを登らないと参拝できないという想定外の展開となってしまった。いや、私がしてしまった。
「あれを登るの?」と仲間からの不満の声が爆発。というほどでもなかったが、ちょっとげんなりとした顔をしている。でも無駄に登るわけではない。日光東照宮の前身にあたる東照宮が上にあるのだ。登れば、「ご利益が一杯あるぞ」「由緒もあるぞ」「ほら、みんな登っているではないか」「登らにゃソンソン」と鼓舞し、登り始めた。
突然の山登りに張り切る人、意気消沈する人、それぞれ思いを胸に長い階段を登り始めた。正月はゴロゴロしがちだ。ここでカロリーを大量に使っておけば、家に帰って気兼ねなくゴロゴロできるというもの。プラス思考で考えれば気持ち的には楽になれるが、やはりきついものはきつい。
最初のうちはおしゃべりをしながら登っていたのが、徐々にみんなの口数が少なくなっていった。息も上がれば汗も出てくる。冬の冷たい風から身を守るために着込んでいる防寒具は、こういう場合だと逆効果。熱がこもってしょうがない。
一枚、また一枚と脱ぎながら登っていくのだが、脱いだものがかさばって今度は邪魔になる。バイクに置いて来ればよかったと、今気が付いても後の祭り。
これはきついな・・・。これはまるで登山をしているかのよう・・・。そもそもとして我々の足元はバイク用のブーツ。さすがにこれでは登りにくい。
何より、バイク用のブーツ、バイク用の分厚い防寒着で長い階段に挑んでいる我々は、少し場違いな存在なのは確かで、時々下ってくる人から「えっ」といった感じの視線を受け、これがまた登りにくい・・・。
黙々と東照宮を目指して登り続けた。下から見て高いと思っていたが、それにしても長い階段だ。残り何段とか書いてあればまだしも、延々と続くから堪らない。
いつ終わるんだ・・・と思いながら黙々と登り続けていると、いつの間に私と友人が先頭で、それ以外は脱落し、かなり後方に姿が見える。
「いや、きついね~」と言いながら、言い出しっぺとして、いや、旅人として友人には負けられない。友人も、昨年、サーキット初走行の私がいきなり遜色のないタイムをたたき出して以来、タイムを上げるために筋トレや運動を行い、減量にも取り組んでいるとか。私には負けてはいられないといった気持ちがあるのだろう。横で並々ならぬ闘志を燃やしてくる。
子供の意地の張り合いのように、「結構きついけど、俺はまだまだそんなにつらくないぜ・・・」「俺だってまだまだ余力がある・・・」と、いい歳した大人が階段を競い合うように登り続け、なんとか入場ゲートに到着。
「大したことなかったね・・・」と言いながら、お互い汗だく。そして息が上がって酸欠状態の魚のような顔をしていた。
入るのに入場料が必要なので、ここで他のメンバーを持った。めでたい元旦ぐらいは無料開放すればいいのに・・・。と思ってしまうのだが、固定概念の塊のような宗教団体では無理な相談になるだろうか。
ここ久能山東照宮は、家康公の没後、二代将軍秀忠が徳川家康公を祀る神社を造営することを命じたことに始まる。建築にあったのは大工棟梁の中井正清で、当時最高の建築技術・芸術を結集して建てられた。しかも1年7ヶ月という短期間で仕上げたそうだ。
拝殿の後ろに本殿があり、その二つの建物は石の間でつながれている。こういう様式を「権現造」といい、神社建築における権現造の様式はこの久能山東照宮によって確立されたそうだ。
実際に東照宮の建物を目の当たりにすると、建築に関しての素人が見ても素晴らしい建築物だと直感で分かる。細かい造りが一つ一つしっかりとしていて、建物全体としての均整もとれ、圧巻という言葉がふさわしい。
でも、それ以上に感動したのが、社務所の横にあった「山下より1159段」の立て札。下から1159段もあったのか・・・。そりゃ登山のように感じたわけだ。
一段が低く造られていたので、普通の階段に換算すると20~30%かさ増しされている感があるが、それでも結構な段数だ。よく頑張った。勇敢なバイク乗りたちよ。
本殿の裏手からは徳川家康の遺骸が埋葬されているという神廟への参道が続いている。参道を歩くと、左右には家康に仕えた武将たちが奉納した石灯籠がずらっと並んでいて、ちょっと神秘的な雰囲気となっていた。
神廟に辿り着いてみると、墓域には入れないようになっていたが、中は覗きやすくなっていて、大きな石塔が設置されているのが見えた。これは三代将軍家光によって建立されたもので、高さ5.5m、周囲8mあるとか。
あの江戸幕府を開いた徳川家康がここに眠っているのか・・・。そう思うと感慨深いものがある。
せっかく来たので参拝しておこう。よく考えると神様が徳川家康なんだよな・・・。実在の人物といえば、菅原道真公の天満宮。吉田松陰を祀った松陰神社は学問の神として人気がある。
徳川家康だとどうなんだろう。交通安全のお願いをしても効果があるのだろうか。車とかバイクなんて知らないだろうし・・・。参拝の列で順番を待ちながらふと冷静に考えてしまい、なんてお願いをしていいのやら分からなくなってしまった。
考えていると順番がきてしまった。早くしなければ・・・、 そうだ。やっぱりここはこれしかない。とっさに「俺も天下を取りたい。旅人の世界で天下をとるぞ」とお願いしてみた。
他の神社なら罰が当たりそうだけど、ここだったら叶いそうな気が・・・。って、やっぱりお願いしてこういうことは叶うわけはないよな。自分が頑張らなければ・・・。
あっ、それより徳川の財宝のありかを教えてくれるよう頼んだ方がよかったか・・・。運が良ければ夢枕に現れて教えてもらえるかもしれないし・・・。
東照宮からは、東京方面に戻りつつ、旧東海道の難所、さった峠へ。この峠からの景色は、歌川広重の「東海道五十三次之内」に描かれていて、ここから見える富士山の風景は絶景・・・、というよりは特徴的だ。現在では足元に国道や高速が通っているが、今でも当時の面影が強く残っていてなかなか旅心をそそる。
昨年、一人で大井川方面へツーリングした時にも立ち寄った。その時に感じた感動をみんなにも教えてあげたかったのと、その時には富士山が見えなかったので、今回こそはと訪れてみたが、あいにく今日も富士山が見えなかった。
それでも、この風景は見たことがある。と、バイク仲間には好評。立ち寄ったかいがあったというものだ。
沼津から東名高速に乗り、無事に東京へ戻った。人生初の初日の出ツーリングを終えてみると、すっきりとした初日の出は見れなかったものの、新年早々大きな冒険を成し遂げたようで、満足感とか、充実感一杯な気分だった。
「一年の計は元旦にあり」とよく言うが、一年の始まりである元旦、しかも寒い中を積極的に行動すると、今年一年、だらけずに行動できるように思えるし、今年一年いい旅ができそうな気がしてくる。
この寒中初日の出ツーリングは、気持ちの面でいい刺激になりそうだ。旅人として、これからも継続して初日の出を見に出かけよう。そう思うのだった。
世田谷編 2006年Page2 2006年Page3につづく