旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page12
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
19、能登・飛騨へのツーリング・前編(2006年10月上旬)
また仕事を辞めてしまった。とりあえず旅に出よう。旅に出れば気持ちもすっきりするし、何かいいアイデアが浮かぶかもしれない。と、お決まりのパターンで旅に出ることにした。
ただ、今回は海外へ出るほどお金に余裕がないので、国内を旅することにした。段々、旅と人生のスケールが小さくなっていくような気もするが、無い袖は振れない。
まず第一弾として、能登や飛騨高山へ。なぜ能登や飛騨高山なのか。能登には大学時代の後輩がいて、そのうち行きたいと思っていた。この彼、実は昨年から跡継ぎのいない寺を譲り受け、住職をしていたりする。
あの後輩が住職とはな。ちゃんと住職が務まっているだろうか・・・。説法でしどろもどろになり、舌を噛んでいないだろうか。檀家さんから「しっかりしなはれ」と苦言をもらってはいないだろうか。先輩としては、とても心配。
仲間内でも、「誰か確かめに行って来いよ!」と、前々から噂をしていたところ。ちょうどいい機会だ。みんなに報告するためにも行ってみよう。能登半島へも行ったこともないし。
東京から能登へ行くのなら、ついでに飛騨高山に寄ろう。白川郷には行ったことはあるが、もっと北にある五箇山集落や相倉集落は訪れていない。機会があればと伺っていたところだ。
後輩に都合のいい日を聞くために電話すると、名古屋にいる後輩も近々能登へ来たいようなことを言っているとのこと。じゃあ誘ってみよう。旅は道連れってやつだ。
3人の日程を合わせると、体育の日を絡めた連休が都合がいいとなった。しかもちょうどその日は飛騨高山で一年で一番大きな祭り、高山祭が行われる。これはちょうどいい。
ということで、1日目は能登の後輩のところへ行き、後輩の寺で一泊。2日目からその後輩とともに高山方面へ向かい、途中の温泉で一泊することにした。
旅行計画は整った。でも、当初の旅行目的である「後輩の仕事ぶりを見に行く」というのは、仕事を辞めた先輩が真面目に働いている後輩のところへ「おまえ、ちゃんと仕事しているか?」と訪問するというのも、変な話。
逆に、「先輩の方がしっかりしてください!」と突っ込まれ、「働かざる者は食うべからずってお釈迦様が・・・」と、説法されるのもバツが悪いので、とりあえず旅行中は仕事を辞めたことは黙っておこう・・・。
久しぶりのツーリング。しかも泊りがけ。とても楽しみだ。遠足へ行く子供のような気持で出発日になるのを待つのだが、天気予報が芳しくない。出発日が近づくにつれて晴れから曇りとなり、2日前には雨のマークが点灯。どんどんと悪化している。
結局、前日の予報では、行きたい北陸方面は低気圧の接近により曇りのち雨の予報。2日目は曇り時々晴れまたは雨で持ち直してきて、3日目は快晴の予報。後半晴れるから、1日目は我慢しよう。
最初の予定では甲州街道を通り、諏訪、松本と抜けて、高山で名古屋の後輩と落ち合う予定にしていたが、山梨の方はしっかりと雨マーク。静岡や名古屋の東海地方は曇り時々晴れの予報。だったら名古屋から北陸に抜けたほうが雨に降られる時間が少なそうだと判断し、東海道を西進。そして名古屋で後輩と落ち合った。
名古屋の後輩と、途中まで一緒に行きたいというその友人とともに、郡上八幡、九頭竜湖と進んで行った。最初は晴れ間が見えていたのが、どんどんと標高が上がり、間もなく九頭竜湖に到着というところで、雨に遭遇。北陸に差し掛かるこの場所での雨。まさに天気予報通りの展開になった。
九頭竜湖で少し早い昼食を食べた後、名古屋の後輩の友人に別れを告げ、福井方面に山を下っていった。幸いなことに山を下っている途中で雨がやみ、越前大野の町に到着するころには少し晴れ間がのぞいていた。
越前大野は湧水で有名な町。町並みに水場が溶け込んでいる様子は、独特の情緒があっていい。人々で賑わっている様子などを想像すると、東南アジアなどの市場の情緒を思い出す。
越前大野からは中世の越前の覇者、朝倉氏の本拠地だった一乗谷へ。朝倉氏や一乗谷という名は教科書などでよく聞くのだが、織田信長に滅ぼされたという記述ばかりで、どういった一族だったのか、どういった場所なのか、イメージがいまいち湧いてこない。
一乗谷か・・・。何か秘境めいた感じがいい。風の谷のような童話に出てくるような場所だったりして・・・。何があるかわからないといったワクワク感にときめいてくる。
期待を胸に秘めながら訪れてみたのだが、これは凄い・・・といったような場所ではなく、また特に感動するようなものも残っていなく、訪問前にあった期待はあっけなくしぼんでしまった。
一乗谷を後にすると、曹洞宗の総本山永平寺も捨てがたいが、今の気分的には戦国時代。城つながりで国宝となっている丸岡城へ向かうことにした。
が、向かっている途中で強烈な横殴りの雨が降ってきた。とうとう本降りになったか。これでは観光どころではない。高速に乗って一気に能登を目指そう。
と、高速に乗ったものの、すぐに雨が上がってしまうという困った展開。天気に影響を受けやすいバイク旅は、天気が安定しないときつい。
このまま能登へ向かうのも悔しい。だったら・・・と、高速を途中下車し、名勝東尋坊へ。到着すると、流れるように移動する雲の切れ間から覗く夕日が美しかった。これは絶景だな。黄昏るにはちょうどいい。
夕日を堪能していると、能登の後輩から電話がかかってきた。もう近くまで来ていると思ったのだろう。「今どこですか?」と言うので、「今、東尋坊で、夕日が凄いきれいだぞ!さすが有名な東尋坊だけあって、もの凄く感動的だぞ!」と興奮気味に伝えると、「なんでまだ東尋坊にいるんですか~~~」と、電話の向こうで絶叫していた。
その後、急いで能登の後輩のところへ向かうものの、私が予想していたよりも能登半島は大きかった。さっき後輩が電話の向こうで絶叫していたのも納得。能登半島がこんなに大きいとは・・・、実際に訪れてみないとわからないものだな。
しかも途中から再び激しい雨に降られ、道が暗いので前が見えない・・・。想像以上に大変な道のりとなり、夜遅く疲労困憊な状態で後輩の寺に到着。能登半島を甘く見過ぎていた・・・。
翌朝、住職をしている後輩が廊下を歩く音で目が覚めた。時計を見ると、6時。トイレついでに起きると、ちょうど朝の鐘つきを行っていた。
昨晩遅くまで一緒に飲んでいたのに、ちゃんと法衣に着替えて朝のお勤めをやっているんだ・・・と感心。そして安心。
外は雨。それも結構降っている。まだ朝早いし、この空模様では起きても出かけられそうにないし、ゆっくり寝るか・・・と、もう一度布団に戻った。
次に起きると、9時。ちょっと寝すぎた。起きると住職の後輩は、法事の準備で忙しそうにしていた。
外の天気は微妙。晴れたと思えば大雨。大雨だと諦めていると急にからっと晴れたりとめまぐるしい。空を見上げると恐ろしい速さで雲が流れていた。
さてどうするか。とりあえずは朝食でも食べながら考えるか。食事の用意されている部屋に行くと、後輩が用意してくれていたのは白粥。う~ん、お粥か・・・。梅干と干しシイタケ付き。なかなか渋い。
たまにはこんな朝食もいいかも。お寺に泊まっている感じがして・・・。あっ、いや、お寺に泊まっているんだ・・・。後輩の家がお寺だと、頭の中で混乱する。
お寺に泊まるというのも新鮮な体験だな・・・。まるで海外旅行みたいな異文化を感じる・・・。そんなことを考えながらしんみりとお粥を食べていると、「ごめんください。ちょっと早く来てしまいましたが・・・」と、法事予定の檀家の人がやってきてしまった。
あいにくと後輩は朝の沐浴中。仕方ない。俺の出番か。「本堂の方へ上がっください」と伝えるのだが、ビシッと礼服を着ている人たちの前で、寝起きのままのジャージ姿。しまったと気が付いてももう遅い。なんともみっともない・・・。
家の中が慌しくなってきたので、法事が終わるまで能登観光に繰り出す事にした。天気は晴れたり、雨が降ったりとせわしない。バイクだと心配なので、寺の車を借りて出発した。
能登半島の先端を目指しつつ、まずは由緒ある珠洲神社へ。訪れてみると、祭りの日になるようで、大きなキリコが境内に置かれていた。
キリコを見るのは初めて。練り歩いているところも見たかったが、まだ時間がかかるようなので、先を急ぐことにした。
能登半島の一番先端は禄剛崎。到着してみると、また土砂降りの雨。駐車場から歩くみたいだし、駐車場代もかかるみたいだし、バイクじゃないし・・・と、モチベーションが低い状態。所詮は単なる半島の先端だ。今回はいいか・・・と通過してしまった。
半島の外側に入ると、風が一段と強くなり、海も大荒れ。打ち寄せる高波の迫力は、まさに冬の日本海。遥々能登まで来たかいがあった・・・のかな。いや、穏やかに晴れていれば、バイクで能登を満喫できたはず。そう考えると心中は複雑・・・。
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