旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 Page7
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
10、家庭内の不和とわんこ(2003年4月中旬)
3月の終わりに胃ガンの手術をした父親は、少し前に自宅に戻ってきた。経過は順調のようで、後は通院しながら様子を見ていくといった感じになる。
最初にガンだと聞いたときは、「こりゃ、えらいことになってしまった。」「今後、どうなってしまうのだろう。」「後何年生きられるのだろう。」「手術すれば大丈夫という話だけど、今後の生活で本人もだが、家族も不便を強いられるのでは・・・」などと、不安な気持ちで一杯だった。
実際に退院し、家に戻って来てみると、一日の大半をベッドで寝て過ごさなければならないとか、車椅子での生活になった・・・などといった、いかにも病人的な状態ではなく、今までとさほど変わらない状態だったので、まずは安堵。適切な処置をしてくれた先生には、感謝しなければならない。
でも、胃を三分の二を摘出したし、しばらく入院していたので、体力的、食事的にも当分の間は無理ができないようだ。
父親が入院してから、私の生活にも変化があった。それは、朝に犬の散歩というタスクが増えたこと。
うちの犬は基本的に朝と夕方に散歩に行っている。朝の散歩は、昨年までは母親が主に行っていて、今年から定年退職した父親に変わった。
その父親は入院中。母親は病院に行ったりと忙しい。で、私が出勤前に行うことになったのだが、当然、散歩分の時間、今までよりも早く起きないといけない。
少しでも寝坊すると、散歩時間が短くなるわけで、犬から「もう帰るの!」「いつもと違う」と文句が出るし、こっちとしても、「急いでいるのだから早くトイレを済ませてくれよ」「もっと早く歩いてくれよ」と、気が焦る。時間に余裕のない犬の散歩というのは、お互いにとってあまり楽しいものではない。
でも、父親が戻ってきたので、これにてお役目御免。辛い朝ともおさらば・・・とはならなく、まだしばらくは私の役割のままになりそうだ。
もし我が家にいるのが小さな犬だったなら、リハビリのためにも、健康のためにもと、少々足取りがおぼつかなくても、犬と一緒に公園まで行こう・・・、となるのだが、我が家の犬は大きい。
大きな犬だと引っ張る力が強いので、何かあったら自分が転倒したり、綱が手から離れて犬が不幸なことになってしまったりする可能性が高い。体力的に不安のある病人が避けたくなるのもしょうがない。
大きな犬を飼う場合は、こういった事態も想定しておかないと、他の家族に負担がかかってしまう場合がある。というより、定年退職したら暇になる。犬を飼うことを趣味にするんだ。と、大きな犬を無理に選んだのは父親。その本人がこの状態では、なんともみっともない。
でもまあ、父親も家族だし、チャーミーも一緒に暮らして10年経つ。もはやかけがえのない家族の一員なので、早く起きなければならないことに文句を言うつもりはない。
そもそもとして・・・、ユーラシア大陸横断をしていた最中、色々と家族に心配や面倒をかけてしまったので、あまり文句を言えない立場だったりする。
まあそのうち父親も復活し、散歩をしてくれるはずなので、もうしばらくの辛抱だ。と思いながら我慢することにしよう。
とまあ、3週間ほど入院していた父親が久々に家に戻ってきた。一家の大黒柱である父親が戻ってくると、家の中の活気が戻り、明るくなる・・・というのは、サザエさん的な明るいファミリードラマの世界。いわゆる理想の家庭の話となるだろうか。
実際のところは、それぞれの家庭の状況次第。小さい子供がいる家庭だと、そういった絵に描いたような展開になりやすいとは思うが、様々な思惑が生じやすい定年退職前後の年代だと、反応も十家族十色といった感じになるだろう。
私としては父親が病院で入院していても、家にいても、昼間は勤めに出ているので、特に生活は変わらない。元々会話の少ない親子なので、父親が戻ってきたところで、急に会話が増えることもない。正直なところ、そんなに大きな変化はない。
一方、毎日のように病院に通っていた母親は、夫が戻ってきたし、病院に行く手間がなくなったしと、望ましい展開になった・・・、と思うのは子供の事情というやつになるらしい。
母親からすると、病院に行くのは確かに面倒だけど、家に居たら居たで、無遠慮に「あれしてくれ。これしてくれ。」と言ってくるので、そのことが負担になり、「どっちもどっちだわ・・・。いや、むしろ24時間一緒にいるほうがきついかも・・・」と、相変わらずぼやいている。
もっとも、父親は今年2月に勤め先を定年退職となり、再就職をしなかったので、趣味以外の時間は家にいることが多かった。それが母親にとって不満らしく、どうしよう・・・。今までのように気軽に出かけられない・・・。と、兄弟や友人などに愚痴っていた。
定年退職をキッカケに家の中のバランスが崩れることと、病人を抱えるタイミングが重なったので、母親は少し心労が溜まっている。ここのところ私に対して愚痴も多い。
もちろん父親も病気を抱え、定年後にやりたかったことができないし、自由に動き回ったり、好きなものも食べれないといった不満が溜まり、これまた愚痴が多い。少し家の中がギスギスしてしまっている。
「雨降って地固まる」という諺がある。家族の誰かが病気を患ってからは、家族間で思いやりが増えたり、協力する心や結束が強くなったという話をよく聞く。ドラマでもそういった展開は多い。
が、現実的には、そういうのは最初の2、3日だけ。文句を言いやすい間柄なので、すぐに不平不満が続出といった展開になってしまう。・・・というのは我が家だけかもしれないが、理想と現実はけっこう違うものだ。
もし仮に、私が仕事を辞めず、長旅にも出ていなかったのなら、今頃は結婚をし、孫がいたかもしれない。祖父母にとって孫の存在は絶対的な存在。活力になったり、ストレス軽減となって、もっといい雰囲気になっていただろう。
それに、直接血のつながりのない配偶者が、客観的に仲を取り繕ってくれ、家族間のギスギスした部分を取り除いてくれたかも・・・などと妄想をしてみたりするが、ないものねだりをしてもしょうがない。
孫はいないが、幸いなことに我が家にはワンコがいる。チャーミーが家族間の共通の話題となり、潤滑油とか、緩衝材の役割をしてくれ、不穏な空気がこれ以上広がらないようにしてくれている。まさに最後の砦といった感じ。ほんと犬を飼っていてよかったと思う。
子供が成長し、巣立ってしまった後、夫婦が子供がわりにペットを飼うということはよくある。生活の物足りなさを埋めるためなんだろうな・・・と、今まではぼんやりとそう思っていたのだが、実は夫婦間の緩衝材としてペットは需要な役割をしてくれるんだな・・・と、新しい発見をした。
ペットを飼うことで生活に刺激が出来たり、健康が促進したり、癒されたりすると言われている。家族で飼う場合は、分担作業となるので、会話が増えたり、思いやりが増えたりと、ペットが家族間の関係性を円滑にしてくれるといったメリットも加わる。
定年退職後とか、子供が家を出て行った後、夫婦間でなんか気まずいと感じた時には、思い切って犬や猫などを飼ってみるのもいいかもしれない。もちろんペットが好きという前提での話になるが。
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