旅人とわんこの日々
世田谷編 2004年 Page2
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
2、メキシコ旅行とチワワ(2004年1月)
メキシコといえば酒好きはテキーラ、食通はタコスをすぐに思い浮かべるだろうか。遺跡や歴史が好きな私の場合は、過去に栄えたアステカ文明とか、マヤ文明を真っ先に思い浮かべる。
現在のメキシコには、太陽と月のピラミッドを筆頭に、チチェン・イッツァ、パレンケ遺跡、古代都市ウシュマルなど、世界に名が知れた古代遺跡や、大規模な都市遺跡が多く残っている。世界遺産の数も23あり、その多くが古代遺跡と植民地時代の町並みになる(2003年時点、現在は35)。
そんな遺跡の宝庫のメキシコに行きたい。遺跡の数々をぜひ見たい。生きているうちに絶対見に行くぞ!と、前々から夢みていた。
その機会がやっと到来。きっと次はないだろうから、時間的に余裕のあるこの機会に有名な遺跡は行けるだけ行っておきたい。
どうやったら広大な国土に散らばる遺跡を効率よく回れるのか。どの順番で回るのが一番感動するのか。念入りに旅の下調べをして日本を出発した。
実際に旅をしてみると、世界遺産にも指定されている遺跡の数々は、想像以上に雄大で、素晴らしかった。時空を超えた古代のロマンが広がっているといった感じで、見学しながら想像力が無限に膨らんでいく。
でも、残酷な感じの遺跡が多いのがメキシコ。特にユカタン半島を中心に栄えていたマヤ文明の遺跡では、どくろを模した物とか、生贄の儀式に使われたといったものが多く、解説を読むと、うひゃ~ってな感じで、ちょっと引いてしまうような場面も多かった。
遺跡もよかったが、スペイン植民地時代のコロニアル建築が広がる町並みも印象に残った。
メキシコらしいのか、メキシコらしくないのか、まあ歴史的には後者になるのだろうが、スペイン文化にメキシコ文化が融合して、町がカラフルなのがとても面白い。
昼間に彩り豊かな町を歩くと、お洒落とか、可愛らしく感じるのだが、色彩がなくなる夜になると、ちょっとロマンチックな雰囲気に変わる。一日に二度違った雰囲気を楽しめ、町の散策がとても楽しかった。
遺跡にしても、町並みにしても、見るべきものはとても素晴らしかったのだが、旅自体は結構大変だった。
まず、頭の中で思っていたよりもメキシコは広く、移動に時間と体力が必要だった。更には、標高が高い場所と低い場所が混じっているので、高山病や寒暖差で体調を崩さないようにと、体調管理も大変だった。
そして一番厄介だったのは、英語が通じにくいうえに、ちょっと治安が悪いこと。移動や町歩きの時にトラブルに巻き込まれないようにしなければ・・・と、常に気を使っていなければならなかった。
旅(トラベル)の語源はトラブルと言う。トラブルのない旅は退屈で、本当の旅ではない。などと、旅に慣れた人間としては豪語したくなるが、それは本当にやばいトラブルに遭ったことのない人間の言うセリフ。
バスに乗り遅れたとか、ちょっとお腹を下した程度ならいいが、日本に伝わるメキシコ関連のニュースは、マフィアの抗争で何十人死亡といった怖い事件ばかり。
ガイドブックや海外渡航情報に載っているトラブル例も、スリとか詐欺のような「しまった。やられたな・・・」といったものではなく、傷害を伴うような凶悪な強盗事件が多い。
ぼーと気を抜いて歩いていると、命にかかわるような重大な事態に巻き込まれかねない。絶対トラブルには遭いたくない。生きて日本に帰るぞ。と、慎重に旅をしていたおかげか、運が良かっただけなのかはわからないが、心配していたような大きなトラブルに見舞われことはなく、無事にメキシコ旅行を終えることができた。
と言うよりも、メキシコの人々は陽気だし、親切だし、思っていたよりも安全でいい国じゃないの。色々と素敵な出会いもあったし・・・。勝てば官軍ってやつかもしれないが、これが旅を終えた後の私の正直なメキシコの感想だった。
おっと、忘れるところだった。メキシコといえばチワワの故郷でもある。北部、アメリカとの国境に接してチワワ州があり、州都はそのままチワワ市。現地の言葉では「乾燥した砂の場所」という意味で、少し厳しい環境になるようだ。
ここで1850年頃に3頭のチワワが発見され、町の名前にちなんでチワワと名付けられた。そして、この犬たちが現在のチワワのベースとなったとされている。
このチワワの町、名が犬のチワワと同じなので、チワワ好きとしてはなかなか魅力的に感じる。チワワの可愛らしい名前からして、きっと小ぢんまりとしたメルヘンチックで、可愛らしい町並みが広がっているのではないか。ぜひ訪れてみたい。などと思ってしまう。
しかし、そういった先入観とは裏腹に、アメリカに接する場所だけにマフィア関係の事件が多く、ただでさえあまり治安のよくないメキシコの中でも悪い方になるらしい。
それでも昨年せっかくチワワのポーちゃんと知り合いになったことだし、話のネタに訪れてみようかなと思ったのだが、メキシコの観光地は中央から南に偏っていて、観光ルートに組み込むのがどうにも難しい。
移動を苦にしないのが旅人。興味のある場所への移動は少々長くても気にならないが、チワワを訪れるのだけに2日を割くのは日程的に厳しかったので、今回はポーちゃんの故郷を訪れる旅は諦めることにした。
この旅行の時は知らなかったのだが、後にチワワについて調べてみると、幾つかの興味深い逸話を見つけることができた。
チワワの歴史は数多く残る遺跡と同じぐらい古く、アステカ文明の時代にはテチチ (Techichi) と呼ばれ、もう既に人の手で飼われていたようだ。
当時のチワワは、現在の品種改良されたものよりも少し大きく、毛は赤褐色のスムースコートのみ。現在の可愛らしいものとは違って野性味あふれる姿をしていた。
興味深い部分はここからで、アステカの神話によると、犬は死後も飼い主に仕えると信じられ、死者の魂を護衛し、冥府の最下層であるミクトランへといざなう、という。
そういったことから、アステカ文明では儀式の生贄に使われたり、食用にされていたとのこと。
墓所から人と一緒に埋葬されたテチチの骨も発掘されていたり、遺跡の壁画や彫刻などにチワワらしき犬が描かれているものもあるそうだ。
そういった話を聞くと、何かチワワが神聖な生き物で、メキシコ人にとって特別な存在であるかのように感じてしまうが、私的にはそういった大袈裟な話ではないように思える。
生贄というのは、その残酷な性質から小さなチワワで行うというのは考えにくい。食用にするのも・・・、今よりもサイズが大きかったとしても、やっぱり小さすぎる。大きなネズミの方がまだましというものだ。
生贄や食用にされる場合もあったというだけで、必ずチワワでなければならなかったというほどではなかったのだろう。
メキシコの遺跡や出土品が置かれている博物館を訪れると、自然や動物と暮らしてきた民族といった感じで、動物が描かれた壁画や動物の像が多かった。
その中でも特に南部のマヤ文明に多かったのが、強さの象徴としてのジャガー。生贄を置く台など、儀式において重要な物にもジャガーのデザインがあしらわれていて、彼らにとって特別な存在というのが分かる。
その他、大蛇や鷹といった強そうな動物も多かった。それ以外でも、鳥や猿、家畜の牛や馬などを目にしたが、犬の姿はほとんど見なかった。この文化では犬自体がそこまで大切な位置付けではなかった感じがする。
何より遺跡大好き、そして犬も大好きな私が、メキシコの遺跡を幾つも回って、そういった重要な役割をしていたチワワの存在を見逃すはずがない。
おそらくペットとして飼われていて、寵愛していた王族の人が副葬品という形で祀ったことから、そういったことが流行ったといった程度のことではないのだろうか。
メキシコ旅行を振り返ると、そう思えるのだが、あくまでも素人の適当な見解。謎の多い文明なので、はっきりしたことは分かっていない・・・などと誤魔化しておこう。
でも、実際に自分の足で色々と訪れ、自分の目で見て、考えたからこそ、頭の中で色々なことをつなげ合わせて推測できるというもの。だから旅は面白い。
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