旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page14
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
21、東北ツーリング、再び(2006年10月15日)
久しぶりの旅気分を満喫した能登・飛騨ツーリングから戻ると、走行に支障が出るほどゆるゆるにたるんでしまったドライブチェーンをバイク量販店で交換してもらった。
バイクの排気量が大きくなるのに比例して、チェーンの強度が必要になるので、値段も高くなる。1100㏄のバイクなので、予想していたよりも大きな出費となってしまったが、仕方ない。
そして1週間後、旅の情熱が覚めぬうちに次の旅へと出発した。今回の旅の目的地は東北。私的には能登・飛騨ツーリングはウォームアップになり、こっちが本命になる。
東北へは3年前の2003年に後輩と一緒に旅している。その時は急に旅の出発が決まり、とりあえず本州最北端である大間岬を目指そうということで、北に向っていく旅を行った。
今回の東北ツーリングは私の中で行きたい場所が積もり積もっての旅になる。ここのところの私の興味は遥か昔の縄文時代。東北、特に青森には縄文時代の大きな遺跡が多い。
縄文遺跡として一番大きなのが三内丸山遺跡。縄文時代を語るうえで、外せない遺跡だ。更には、ちょっと大袈裟だが日本のストーンヘンジと言われる大湯環状列石という遺跡も秋田県北部にある。古代の神秘を感じたり、ミステリアスな経験を期待できそうだ。
この他にも有名な縄文時代の土偶が発見された遺跡など、世間に知られている遺跡が幾つもあるのだが・・・、実際問題として、縄文遺跡だけ見に行くには青森は遠すぎる。旅の意欲が満ちている今の状態でもためらってしまう距離だ。
この他にも何か強烈に背中を後押しする場所が欲しい・・・。現在無職。時間があるので、その先にある北海道へ視線が向くものの、季節はもう10月半ば。テント泊をしながら日本最北端を目指してバイクで走るのには寒すぎる。下手したら途中で雪が舞うことになるかもしれない・・・。
そうだ。青森には本州最北端の大間岬や恐山がある下北半島とは別に、もう一つ大きな津軽半島がある。その先端は竜飛岬。ここは最北端といった類ではないが、石川さゆりさんの大ヒット曲、津軽海峡冬景色の歌詞に出てくるなど、本州の北の端っことして十分に魅力を感じる場所だ。前回は大間岬を目指したが、今回は竜飛岬を目指してみようではないか。
更に魅力を付け加えよう。移動を楽しむバイク旅において、一番ワクワクすることは目的地にたどり着く過程になる。それをより楽しむには、まだ走ったことのない道を走ること。
今まで東北の日本海側は夜行列車でしか北上したことがない。国道7号線を通って、山形、秋田といった日本海側を北上してみよう。まだ見ぬ秘境といった感じで、なかなか魅力的だ。
ということで、今回の旅は東北の日本海側を観光しながら北上し、縄文遺跡と竜飛岬を目指す旅とすることにした。
22、東北ツーリング、庄内・男鹿(2006年10月17日)
出発は夜中。東京を出発し、国道17号を北上していき、まずは新潟へ。そして新潟から青森へ続く国道7号線を北上していった。
今回の旅の最初の目的地というか、旅の始まりの地としたのが、念珠関跡。新潟県と山形県の県境、鶴岡市にある古くからの関所で、江戸時代に整備されたようだ。こういった旅の要所から旅を始めると、気分が盛り上がる。
念珠関を通過し、東北の旅が始まった。最初に向かったのは出羽三山。霊験あらたかな山岳信仰の霊場で、月山・湯殿山・羽黒山の名を聞くと、格好いいとか、神秘的なイメージを持つ人が多いと思う。
出羽三山の中で最初に訪れたのは湯殿山。昔からこの山で見聞きしたことは、口出し禁止となっていて、かの松尾芭蕉も、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」と詠んでいる。
今でもその理は生きていて、御神体のある神域での写真撮影なんてもってのほか。ガイドブックにもこの山に何があるかは書かれていない。ここまでガードが堅いと、何があるのだろう?と、旅人として、いや、人として好奇心がもたげてくる。これはぜひ見ておかなければ・・・。
鳥居をくぐり、山道をワクワクしながら進んでいった先に何があったかは古くからの理に従って書けないが、何があるかを分かって確かめに行くのと、何があるのかわからないものを確かめに行くのとでは、やっぱり向かう足取りの軽さが違う。
実際に見たものが満足のいくものでも、満足のいかないものでも、ワクワク感を持って訪れる行為は楽しい。そういったことを改めて感じる場所だった。
湯殿山から山のふもとに下っている途中、茅葺屋根の立派な建物が目に入った。しかも屋根の葺き替えを行っている。近くまで行ってみることにした。
かつて養蚕を行いながら大所帯で暮らす地域ではこういった多層の大きな建物が使われていた。先週訪れた白川郷も同じような建物が使われていたが、少し趣きが違っている。雪の大小や、地域性により、微妙に屋根の形が異なっているようだ。
こういった古民家自体が珍しいうえに、屋根に上って茅葺をやっている場面に遭遇するとは、なんてついているのだろう。とても貴重な機会となった。湯殿山よりもこの地域の茅葺の建物や茅の葺き替えの様子が見られたことの方が満足感があったというのは、ここだけの話である。
次は羽黒山にある出羽三山神社を訪れた。羽黒山と聞けば山伏とか忍者とか、人間離れした存在を強く感じる。その修験場の中核をなしていたのがここになる。
立派な社殿や立派な杉林など境内全体で霊験あらたかな雰囲気を感じることができるが、ここで一番有名なのは五重塔。なんでも室町時代に平将門が建立したとか。とても歴史のある建物で、国宝に指定されていたりする。
もう一つの月山神社は、本殿が月山の山頂にあり、それなりに登らなければお参りできないようなので、今回はここ三山神社でのお参りで済ますことにした。
出羽三山神社を後にすると、酒田の町へ。酒田というと、都市名が表している通り庄内米を中心とした米どころであり、酒どころである。
その酒田で有名なのは、米の積出港として賑わった酒田の歴史を今に伝える米保管倉庫街。山居倉庫と言われ、明治26年旧藩主酒井家によって建てられた12棟の米保管倉庫が並んでいるのだが、この倉庫の一つ一つが巨大なので、12棟も並ぶ様子は圧巻だ。
今でも9棟は実際に米蔵として使われているといった生きた倉庫になっている。残りの3棟は資料館や物産店として使用されている。
倉庫の裏手には夏の強い日差しを少しでも遮ろうと欅並木が設けられているのだが、ちょうど紅葉時分。葉が色付き始めていて、素敵な雰囲気となっていた。いい時期に訪れたようだ。
酒田から北上し、吹浦漁港付近にある十六羅漢岩を訪れた。海岸沿いの岩場に十六羅漢、正確には22体の仏像が彫られているのだが、風化が進み判別が難しいものもある。
こういった羅漢像は山間の崖などに彫られているのをよく見かけるが、塩水や激しい波しぶきで風化の進みが早い海岸際にあるのは珍しい。というより、風化具合の激しさがいい塩梅となって、鬼気迫る感じ。まるで本物の人間が石化されたかのよう・・・。これはこれでありかもしれない。
この像は地元吹浦の海禅寺21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を祈願して造営したもの。明治元年に完成したと言われているので、海水のかかる過酷な環境で150年の月日を重ねていることになる。
十六羅漢岩のある吹浦から国道7号線を更に北上。すぐに秋田県に入った。この付近の7号線は海岸を並行して走り、左手には日本海、そして右手には鳥海山がよく見える。
鳥海山も出羽三山とともに修験場として歴史のある山となり、また活火山としても知られている。興味はあるがもう夕方。行くと時間がかかるので、夕日を浴びる鳥海山とバイクの写真を撮るだけで済ませた。
その後、暗くなって秋田市に到着。10月半ばにもなると、5時にはもう日が沈んでしまう。夕食を済ませると、男鹿半島に進み、海岸にある公園でテントを張ることにした。
秋田県の日本海側にポチっとボタンのように飛び出ているのが男鹿半島になる。ちなみに仙台の松島の東側に角のようにとんがっている半島は牡鹿半島になる。東北の土地勘がないと間違えやすく、地理のテストでは引っ掛け問題として出てくる。
秋田の男鹿半島は「なまはげ」でよく知られている。仙台の牡鹿半島は日本三景の松島のすぐそば。「なまはげ」=「男」、「松島(観光地)」=「鹿(動物のオス)」みたいな感じで覚えた記憶がある。或いは鹿の角のようなのが牡鹿半島だという覚え方もある。松島に宮島のように鹿がいるのかどうかはわからないが・・・。
男鹿半島を走ると、この地域の象徴である「なまはげ」の大きな立像があり、感動する。これがあのなまはげか・・・。地理のテストで覚えたんだよな・・・。早速、バイクとともに写真を撮った。
男鹿半島では鬼が積んだとされる長い石段を登って赤神神社の五社堂にお参りし、火山湖を眺められる八膨大からの眺めを楽しみ、半島の西北端にある入道崎を訪れた。
特に何があるわけではないが、こういった半島の一番端っこの象徴を訪れると、征服感というか、達成感というか、満足感が高い。まあそう思うのは旅人とか、バイクや自転車乗りぐらいかもしれないが・・・。
男鹿半島の北部に真山があり、その中腹に真山神社がある。なまはげゆかりの地として、毎年2月に「なまはげ柴灯まつり」が行われることで知られている。
訪れてみると古刹らしくうっそうとした杉林の中にある雰囲気が素敵だった。神社よりも印象的だったのが、万体仏。神社よりもふもとにあるお堂の中に入ると、壁から天井にまで木彫りのお地蔵様がびっしりと安置されていた。凄まじい光景で、足を踏み入れた瞬間、その様子に圧倒され、鳥肌がたった。
その数およそ1万2千だという。伝承では江戸中期に僧が彫ったと言われているが、定かではないそうだ。白い頬かむりをしているところが、珍しく感じるし、一層不気味にも感じる・・・。
男鹿半島といえばなまはげだが、地理のテスト的には八郎潟になる。国を挙げて日本第2の湖だった八郎湖を埋め立て、大規模な干拓事業が行われた。
その事業の大きさ。日本一の干拓地であること。その後の日米貿易自由化や減反政策とともに地理のテストに頻繁に出てきたので、印象深い土地になる。
男鹿半島の最高峰寒風山の展望台から八郎潟が一望できるということなので訪れてみたが、あいにくと霧雨が降ってきてしまい、遠くが靄っていてよく見えなかった。
男鹿半島を脱出し、北上していった。途中で雨宿りを兼ねて昼食をとった後、白神山地を訪れた。少し山に入ると霧雨の具合が強くなるといった感じで、今日のコンディションはよくない。
白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる広大な山岳地帯で、人為の影響をほとんど受けていない原生的なブナ天然林が東アジア最大級の規模で分布していることから、1993年12月に世界遺産に登録された。
世界遺産だ!とやって来たわけだが、少し古いガイドブックを持ってきたので、どこの部分が世界遺産なのかが書かれていなく、おまけに小雨が降っていることから、まあいいかと日本キャニオンと呼ばれている白い岩肌が美しい絶景ポイントで写真を撮っただけで、山を下ることにした。
五能線に沿いながら青森の日本海岸を北上。途中、日本一の大水車という看板が目に入り、これは・・・と立ち寄ってみた。
みちのく温泉旅館の大水車で木製の立派な水車があった。後で調べると、すぐ後に大きな水車が造られたので、日本一だった期間は短かったようである。
こういう大きな水車を見ると、思い出すことがある。海外の話だが、こういった大水車で度胸試しが行われていて、水車に捕まって観覧車のように一周するとヒーローになれたりする。
一見簡単そうにも思えるが、水でヌルッとしているのでつかまりにくく、上昇中、頂上部分、下降中と場所によって態勢を変えなければならないし、てっぺんまで行くと意外と高いしと、結構大変だったりする。日本でやる人はいないと思うが、危ないのでくれぐれも真似をしないように・・・。
五能線に木造駅がある。なんとこの駅の駅舎はでかい縄文時代の土偶。と書くと変だが、この駅の少し北部にある亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した遮光器土偶を模した巨大な像が設置されている。
なんでも「しゃこちゃん」と愛称が付けられているとか。縄文時代ファンとしてはぜひとも訪れておきたい場所。遺跡を訪れる前の下調べにもちょうどい。と訪れてみたのだが、想像以上にでかく、その迫力に圧倒されてしまった。
これを見たら博物館で小さな本物を見なくてもいいんじゃないの。大は小を兼ねるというし・・・。そう思ってしまうほどインパクトがあった。
もう夕暮れ。雨はやんだが、雲っているので暗くなるのが早い。少し北上し、今日は金木の芦野の公園付近でテントを張ることにした。
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