旅人とわんこの日々
世田谷編 2006年Page18
世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。
26、奥三河ツーリング(2006年11月5日)
昨日は、旧中山道の宿場町を順に訪れながら名古屋の後輩の家を目指してみた。宿場を訪れるごとに後輩の家が近づいていく感覚は、まるで江戸時代の旅のよう・・・と言いたいところだが、バイクで移動したので、圧倒的に楽な現代の旅であった。
とはいえ、一つ一つ進む地道な移動は、かつて青春18きっぷを使った各駅停車の旅に近い。旅の本質は移動を楽しむこと。作業的な移動ではなく、移動に意義があると、目的地に到着したときの喜びや達成感が大きくなる。
後輩宅を訪れるといった何気ない行為でも、こういった旅のスパイスを加えると、気分が盛り上がっていい。そして後輩に会った時の感動も大きくなる・・・、かもしれない。
その翌日は、泊めてもらった後輩とツーリングに出かけた。目的地は愛知県東部の奥三河地方。ちょうど紅葉の時期なので、彼が勧める紅葉スポットと、私が行きたいとリクエストした長篠古戦場を順に回っていった。
最初に訪れたのが、足助の香嵐渓。モミジの紅葉で知られ、紅葉時期にはライトアップもされるとか。「これから行く場所は名古屋でも一・二を争う紅葉スポットですよ!」と、自信満々の後輩に連れられて行くものの、到着してみると、今年は紅葉が遅いのか、まだモミジが青々とした状態だった。
当てが外れてしまい、「あれ、こんなはずでは・・・。紅葉しているとものすごくきれいなんですよ・・・。」と、ちょっと気まずい様子の後輩の態度が可愛らしかった。
紅葉は少々期待外れだったが、ここ足助の町並みはとても素敵だった。町をぶらっと散策してみると、白壁の蔵が並んでいたり、古い商家が並んでいたりと、とても趣きがある。昨日訪れた宿場町とはまた違った風情で、散策が楽しい。
歩いていると、ここは五平餅が名物になるようで、店先で売っていたり、目立つように幟を出している店が多くあった。
案内してくれる後輩が、「ここは五平餅が有名なんですよ。この店のが有名みたいです。あとは風外虎餅の和菓子もおいしいらしいですよ。お土産にもらったこともあります。」と教えてくれた。
どうやら事前に調べてくれていたようだ。その話しぶりから今回のツーリングを楽しみにしていたことを察することができ、私としてはちょっとうれしい。
次に訪れたのは、私の希望で四谷の千枚田。地図を見たら立派な棚田があるのを見つけ、そんなにルートからも外れていないので、立ち寄ってみることにした。
四谷の千枚田は、新城市にある鞍掛山の南西斜面に広がる棚田で、現在では約420枚、最盛期には1296枚の田があったそうだ。
開墾されたのは約400年前。だいたい標高220メートルから標高420メートルまで田が連なっているというので、標高差は200メートルある。長い年月と、多くの労力を費やし、この地の開墾が行われたということは容易に想像できる。
最初は下から見上げるように見て、その後はバイクで上の展望台へ。棚田は上から見るのが美しいのか、下から見るほうが美しいのか。ここの場合はどちらから見ても感動的で、その問いの答えは悩ましい。
棚田を見学していると、大きな声で日本人は勤勉だからこういった棚田を造れたんだとか、日本の農村風景は世界一だと言っている年配の方たちがいた。
日本人は勤勉だ。日本人は努力家だ。日本の技術は世界一だ。・・・などと、日本礼賛を刷り込まれて育った人たちは、そう信じて何も疑いを持たないのだろう。
でも、人口の多いアジアの国々の山間部の農村を訪れると、その価値観はあっけなく崩壊するはずだ。ビックリするような棚田を各地で見ることができる。
あちこち旅をすればよく分かる。人間って、国や人種が変われど、やっていることはそんなに大差ない。
日本の戦国時代に、ロマンや魅力を感じる人は多い。それは各地に個性的な大名や武将がいたからだろう。
本能寺の変で殺害された織田信長とその家臣団を筆頭に、ここ奥三河が出生の地となる徳川家康(松平家)とその家臣団、越後には上杉謙信、甲州には武田信玄、関東には北条氏康、西国には毛利元就、九州には島津家、東北には伊達政宗・・・とまあ上げればきりがないが、頻繁にこの時代の人物が大河ドラマや映画になっている。
私が中学生の頃だったと思うが、信長の野望全国版というゲームが登場した。戦国大名になって日本統一を目指すシミレーションゲームで、その続編の戦国群雄伝では、大名だけではなく、武将も登場し、駒として使えるようになった。
戦闘力が高い武将や内政の能力の高い武将や知名度のある武将、魅力的な逸話を持つ武将を手に入れたくて、夢中になってゲームをやったものだ。このゲームのおかげで戦国時代やこの時代の武将に詳しくなった人は多いと思う。実際、私の周りには多い。今日、一緒に行動している後輩もその一人だ。
このゲームでの話だが、戦に連れて行くのに有能な武将が多かったのが、甲府の武田家。風林火山の武田信玄を筆頭に、山縣、内藤、馬場、高坂という四天王と呼ばれる武将がいて、いずれも戦闘力が高く、まるで将棋の飛車角のような存在。武田家で始めると、序盤が楽に進められた。
ゲーム内で無敵のような武田の軍勢だったが、歴史では、信玄が亡き後、長篠の戦いで織田信長の鉄砲隊に完膚なきまでにやられ、多くの武将が討ち死にした。そして武田は滅亡していくことになる。
その歴史的な戦いが行われた長篠の地を訪れてみた。長篠の合戦は天正3(1575)年5月21日に行われ、通説では織田徳川連合軍が3万、武田軍が1万5000が対峙したとされている。
長篠の戦いと聞いてまず思い浮かぶのは、織田信長が3000挺の鉄砲を使い、戦国最強の武田騎馬隊を破ったということ。
この時代の鉄砲は火縄銃で、一度撃つと弾込めに時間がかかるし、命中精度も悪かった。なので音ばかり大きい兵器で、そこまで戦場では有用ではなかった。
その弱点を埋めるために信長が使った戦術は、大量の鉄砲を使った三段打ち。騎馬の侵入を防ぐ柵を設置し、そこに三段に分けた鉄砲隊を配置し、順に撃っていった。
この戦は歴史の教科書などでは大きく取り上げられ、これまでのチャンバラや騎馬戦主体の合戦から、鉄砲が中心の戦へと変わった戦、いわゆる戦争が中世から近世へ進化した転換点とされている。
実際に古戦場を訪れてみると、万単位の軍隊が対峙したにしては、狭い。もっと広い場所で合戦を行ったものとばかり思っていたので、驚いた。
こんな場所では武田家御自慢の騎馬隊が活躍することはないだろう。それにすぐに死者や負傷者で埋め尽くされて、足の踏み場がなくなるのではないだろうか。
本当に信長は3000挺もの鉄砲を用意したのか、本当に武田の騎馬隊は最強だったのか、本当に歴史的な戦いがここで行われたのだろうか。色々と疑問が湧き出てくる。
ただ武田の軍勢が敗れたのは確かで、四天王と呼ばれた武将も3人を筆頭に多くの家臣を失っている。古戦場の周辺には名を聞いたことのある武将の墓がいくつもある。
兵たちの夢が破れた跡とでも言うのだろうか。ゲーム内では無敵を誇り、よく駒として使っていた武将の墓を目の当たりにすると、思うところも複雑だった。
長篠古戦場には設楽原歴史資料館がある。ここの展示で圧巻だったのは壁一面にずらっと並んだ火縄銃の展示。種子島にでも火縄銃の博物館があるが、こっちの方が凄いかも・・・と思ったほどだ。
その資料館のすぐそばには信玄塚がある。この戦の時には信玄はもうこの世にはいない。なぜに信玄塚・・・。解説文を読むと、信玄のものではなく、武田軍戦死者の慰霊碑といった存在になるようだ。
古戦場から東へ2キロほどのところに長篠城がある。この城をめぐって何度も信玄と徳川が戦い、長篠の合戦の時もこの城を武田軍が包囲したことで始まった。現在では土塁跡しか残っていないが、長篠の合戦を語る上では外せない場所になる。
長篠を後にすると、後輩の案内で鳳来寺山へ向かった。ここも紅葉スポットとして知られているそうだ。
鳳来寺山には鳳来寺と鳳来寺東照宮がある。今年の元旦には静岡の久能山東照宮へ初詣に行ったのだが、1159段もの長い階段に苦しんだ。ここもまた長い階段があり、なんと1425段もある。その数を聞くとひっくり返りそうになるが、バイクである程度の高さまで登ることができたので、長い階段に苦しむことはなかった。
鳳来寺は1300年の歴史を重ねる名刹で、真言宗五智教団の寺院になる。鳳来寺と背後に聳える鳳来寺山の紅葉が美しいようだが、ここも微妙に早い。色付き始めといった感じだった。
鳳来寺山のすぐ下を流れるのが、宇連川。鳳来寺山から下っていき、宇連川の右岸に渡ろうと湯谷大橋を通った時、あまりの渓谷の美しさにバイクを停めた。どうやら先の方に見えるのは、湯谷温泉になるようだ。ちょっと行ってみよう。
湯谷温泉の方へ行ってみると、あまり流行っていない感じの温泉街だった。渡瀬橋の方へ降りてみると、川底が面白い。まるで板を敷き詰めたよう。流れる水でゆらゆらと揺れて見える様子は海藻がたなびいているようにも見える。
温泉街の中心付近では岩の起伏が激しく、滝もあるようなので、この付近の川は浸食による自然の造形がちょっと面白い。
最後は、だいぶん暗くなってしまったが、「ここは以前から一度行ってみたかったんですよ・・・」と後輩が言う、阿寺の七滝を訪れた。
この滝は七つ別々の滝があるというわけではなく、滝が七段の階段状になっていることから七滝の名がついている。美しい滝で、日本の滝100選に選ばれ、国の名勝および天然記念物にも指定されている。
陰陽師の安倍晴明が若年期に滝で修行したという伝説も残っているようだが、こういった伝説は話半分といったところ。でも薄暗くなった時間帯に訪れたので、滝の周辺は陰陽師が活躍しそうな感じの幽玄な雰囲気になっていた。
バイクに戻ろうとすると、もう真っ暗。森の中はあっという間に暗くなる。急ぎつつ、転ばないようにバイクに戻り、後輩の家に向かってバイクを走らせた。
今回は後輩の案内で色々回ってみた。いつもは自分の好みやその時々の気分で目的地を選び、旅をしている。それが今回は後輩任せの旅。他人の視点や好みで旅をしてみると、窮屈に感じる部分もあるが、新鮮に感じる部分も多かった。それと同時に、あれこれ調べたりする必要がないので、ツアーに参加しているみたいで楽チンだった。
また、他人の目線で旅することで、自分だったら・・・と考えるので、自分らしさを発見するいい機会にもなった。時々自分以外の人の目線で旅をしてみるのも、自分の旅を磨くためにもありかもしれないな。などと思うのだった。
世田谷編 2006年Page18 2006年Page19につづく