旅人とわんこの日々
世田谷編1 2003年 page14
ワンコのいる日常と旅についてつづった写真ブログです。
18、夏休み・九州へ(2003年8月上旬)
学生と社会人の大きな違いは?の問いに、「確たる夏休みが保障されているか、されてないか。」と、瞬時に答えてしまうのは、旅に出たくてしょうがない旅人ぐらいだろうか。
学生時代には、夏になると必ず一か月以上の夏休みがあり、しかもみんな一緒に休みになっていた。なので、友人をプールに行こうと誘えば、部活などで忙しくなければ、すんなりとOKの返事が返ってきた。
しかし、社会人になってみると、休めても一週間程度と短いし、交代で休みだったり、業種によっては夏は稼ぎ時となり、夏前や秋に休みをとる場合もある。
学生時代の夏休みって偉大だったな・・・。今振り返ると懐かしく思える。それと同時に、ダラダラと過ごすのではなく、一年一年もっと有意義に過ごせていれば・・・などと思ってしまう。
現在私が働いているのはサービス業で、正月以外は無休で営業している。休みはシフト制。従業員は土日祝日を含め、交代で休みを取っている。
6月のうちに、店長から「7月、8月の休みの希望を出してくれ」と言われた。同時にお盆の期間、休みたい人が多いようだから出てくれると助かるとも言われた。
家族や親せきの兼ね合いがあればお盆を休みたいと思うだろうが、私にはそういったしがらみがない。もらった休みの期間は旅をしたい。だったら道や観光地が大混雑するお盆を避けて休むのが得策。
とりわけこの時期は、日中、恐ろしく暑い。バイクで移動している時に何十キロにも及ぶ大渋滞にはまってしまうと、長時間灼熱地獄に耐えなければならない。それだけは絶対避けたい。
お盆は出社可とし、それ以外で休みを希望すると、8月上旬に1週間ほど夏休みをもらえることになった。
3月の終わりにガンの手術を行った父親は、順調に回復し、食べ物の制限だったり、細かい不自由はあるものの、今ではほぼ入院前と同じ生活をしている。私が家を1週間近く空けても問題ないだろう。もしなんかあったとしてもすぐに帰ってくればいいことだし。
よしっ、せっかくバイクを購入したんだ。どこか遠くへ行こう。できるだけ遠く。そう、地の果てまでも・・・。
と、威勢がいいが、夏休みは一週間しかないし、バイクを買ったばかりなので、懐事情も少し寂しい。
ガソリン代などはしょうがないが、宿泊費がかからない場所がいい・・・と考え、名古屋の後輩宅、広島の祖母宅を経由し、長崎に暮らす友人のところまで行くことにした。
旅行当日、世田谷の家を出発し、ひたすら国道246号を沼津方面に向けて走り続けた。
私の旅はなるべく高速道路を使わず、一般道を走る旅になる。高校時代に青春18きっぷで各駅停車の旅をし、ユーラシア大陸横断では香港からシンガポールまでバスを乗り継いで旅をした。
そこから学んだことは、連続してつながった移動をした方が、旅の情緒をより感じられ、楽しいということ。それが本来の旅というものだと思う。
もちろん休みが3日しかなかったら高速で一気に九州へ行くのだが、一週間もある。のんびりと国道を西に向かって旅をして行くことにした。もちろん高速代を使わずお金を節約できるというメリットも大きかったりする・・・。
沼津で国道1号線に合流。さらに西進していき、今回の最初の目的地、静岡市にある登呂遺跡に到着。
登呂遺跡は必ず教科書に載り、多くの人がその名を知るほど有名な弥生時代の遺跡になる。弥生時代に大陸から伝来した稲作文化が広まり、その象徴的な存在が登呂遺跡、と学校で習った覚えがある。今では縄文時代でも稲作をしていたとか何とか・・・。
ユーラシア大陸を横断行ったのは今から3年前。その際に遺跡が好きなので、各国の有名、無名の遺跡を多く見てきた。
日本を代表する遺跡も見ておかないとな・・・と思いここにやって来たのだが、海外の遺跡に比べると、日本の遺跡は地味だし、分かりにくいしと、見学していても物足りなく感じる。
もっとも海外は石の文化、日本は木の文化。石材の建物は崩れることはあっても、形は残る。木造の建物は、千年単位にもなると原型を残していることはほぼない。これは日本文化が云々ではなく、自然の摂理。しょうがない。
静岡市から西進していき、焼津港へ。帆船日本丸が停泊しているとのことだったので、ちょっと寄ってみた。
帆船を見ると、気分は大航海時代。冒険心がこみあげてきて、なにかワクワクしてくる。そして移動のモチベーションも上がる。
そのモチベーションを糧にここからは一気に名古屋へ。後輩の仕事が終わる時間に合わせて到着。この後輩は趣味でバイクレースをしているといった、なかなかの個性派。7月にも鈴鹿でレースがあり、友人たちと応援してきたばかり。夜は酒を飲みながらレースやバイクについて語り合った。
名古屋の後輩の家に一泊し、後輩の出社と同時に出発。広島に向けて西進していった。
ユーラシア大陸横断では、訪れた国々でその国の遺跡や立派な建造物を見てきた。そういった建築物を見ながら思ったのは、日本が誇る日本最古、いや世界最古の木造建築物と言われる法隆寺を改めて見てみたい。ということ。
中学だったか、高校だったかの修学旅行で訪れているが、行ったことぐらいしか覚えていない。何で世界遺産になるような建造物を覚えていないんだろう・・・。
その辺が引っかかっていたのだが、実際に訪れてみると、非常に地味な存在で、納得。金閣寺とか、清水寺みたいな分かりやすいインパクトはなく、あまり興味を持たずに訪れた学生時代の私が、どんな建物だったのか覚えていなかったのも無理もない。
ちなみに・・・、転校があったのもあるが、私は3度京都・奈良を修学旅行で訪れている。あまりこういう人はいないのではないかと思う・・・。
名古屋から広島へ。広島の祖母宅に二泊し、前々から行ってみたかった海軍の町、呉を訪れたり、原爆ドームを訪れた。ちなみにまだ市民球場だったので、ドームの後ろにナイターの照明が写っていたりする。
金曜日の早朝に広島を出発し、長崎へ。まずは岩国の錦帯橋へ。錦帯橋はとてもアーチの美しい木造橋で、海外に残る古い石橋に負けないほどの存在感がある。
ちょうど修繕を行っているようで、黒ずんだ古い部分と明るい新木の部分が混じりあっているのが印象的だった。
改めて思う。登呂遺跡、法隆寺、錦帯橋と見てきたが、やっぱり日本は木の文化なんだ。そして木の使い方、組み方などに関しては、とても素晴らしい伝統を持っていると。
山口県をひたすら西に走っていくと、下関の関門海峡に到着。本州の西の端になり、海峡を挟んだ先が九州になる。
関門海峡に立つと、東京から本州の西の端までやって来たんだな・・・と感慨深い。でも、ここはゴールではない。通過地点だ。先を急ごう。
関門海峡をバイクで九州に渡る方法は、高速道路の関門橋。国道の関門トンネル。そしてフェリーがある(現在は廃止)。
このどれを選ぶか。旅人なら迷うことはない。当然フェリー。ということで、小倉行きのフェリー乗り場となっている彦島へ行き、フェリーで関門海峡を渡って九州に上陸した。
無事に金曜日の夕方に長崎へ到着し、大学時代の友人と再会。友人のお勧めの店で酒を飲みながら語り合い、友人宅に泊めてもらった。
翌土曜日、勤めが休みの友人の案内で市内観光をした。長崎を訪れるのは三度目になる。主だった場所は訪れているので、友人のお勧めの場所へ車で連れて行ってもらったが、なかなかマニアックな場所ばかりだった。
長崎から一気に東京へ戻るのはしんどいので、一旦広島へ。夕方、無事に到着。ちょうど祖母の家の近くでお祭りをやっていた。ちょっとぶらついてみると、風船ワンコを連れた親子連れがいた。
家で犬を飼っていたら、風船のワンコが欲しいとはならない。きっと今は犬が飼えないけど、犬が好きなんだろうな。何年か先には、或いは自分が家庭を持った時に犬を飼うことになるのろうか。こういった光景を見ると思ってしまう。
そういえば我が家のワンコは元気かな。家で待っているチャーミーのことを思い出すと家に無性に帰りたくなる。愛犬とはそういうものだ。翌日、面倒なので、高速道路を使って一気に東京へ戻り、愛犬との再会を果たした。
10、花火大会の中止(2003年8月16日)
毎年8月、お盆明けの週末に、二子玉川付近の多摩川で世田谷区の花火大会が行われる(現在は10月に変更)。
交通規制や警備、臨時列車の関係で、川を挟んだ川崎市と同時開催になり、二子玉川の上流で世田谷区の花火大会、下流で川崎市の花火大会と、同時刻に2つの花火大会が行われるので、二子玉川界隈では多くの花火が短時間に打ち上がることになる。
よく散歩に訪れる砧公園から見えるのかわからないが、環八の東名インターにある歩道橋の上からだと、高く打ちあがった花火が少しだけだが見える。
今年は仕事が終わった後に仕事先の女性を誘って行こうともくろんでいたのだが、見事に雨男ぶりを発揮してしまい、雨で中止となってしまった。しかも、前日までの雨で川が増水していて、安全性に懸念があるといった理由で、翌日の延期分も中止というおまけ付き。
私にとってはせっかくのチャンスが・・・、といった最悪の雨となったのだが、我が家のチャーミーにしてみれば恵みの雨となった。
花火大会の日は大きな爆発音が我が家にまで響いてくる。そして、この犬は大きな音、特に雷や花火が苦手だ。
花火が鳴り始めると、たちまち部屋の隅っこ、テレビ台の後ろとか、家具の隙間とかに隠れるように逃げ、そこで震えてどうにもならない状態になる。
花火大会が厄介なのは、1時間以上(現在は1時間)ずっと大きな音が鳴りっぱなしだということ。犬が精神的に休める間がない。
1時間以上も怖い思いをすることになるので、花火が終わって「もう終わったから大丈夫だよ。」と体を撫でてあげても、しばらくは放心状態となったまま。見ていて気の毒に感じるが、どうしようもない。
現実問題としては、おしっこで床が酷いことになってしまうので、最近では犬用の紙パンツをはかせている。できれば耳栓もしてやりたいところだが、これはちょっと無理そうだ。
我が家に来てから10年弱。何度も花火大会を経験してきたが、音に対する恐怖は今のところ克服することができていない。
ただ、最初の頃よりは震え方が酷くなくなり、終わった後の回復も早くなってきたように感じる。とはいえ、この花火大会の日はチャーミーにとって一年で一番の厄日となっていることには変わりがない。
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