旅人とわんこの日々 タイトル

旅人とわんこの日々
世田谷編 2005年Page9

世田谷(砧公園)での犬との生活をつづった写真日記です。

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13、旅とレースの狭間 大井川ツーリング(2005年8月5日)

8月。夏休みだ。旅行の季節だ。今年の夏はどこへ行こう。昨年は夏前の6月だったが、2週間かけて鹿児島の南にある屋久島までバイクで行ってきた。今年は北・・・。そうだ。北海道がいいな。

友人のバイクと日本本土最北端宗谷岬の写真
友人のバイクと日本本土最北端宗谷岬

昨年の夏のことになるが、私が屋久島へ行ったのに対抗するかのように、友人が日本本土最北端となる宗谷岬までバイクで行ってきた。

北海道ツーリングは、バイク仲間の間では憧れとなっている。みんな、いつかは広大な北海道をバイクで颯爽と走りたい・・・と憧れるが、実際にやろうと思うと、それなりの時間と、お金と、体力が必要になる。

結局、行きたいと思うだけで、実行に移す人はほとんどいない。それを友人はみんなに先駆けて行ったので、飲み会の席では羨望のまなざしを受けていた。

自慢話のイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

私も北海道へはバイクで行ったことはない。二番煎じになるのは嫌だけど、せっかくなら2週間ぐらいかけて北海道を一周してみたい。

北海道というと最北端といったイメージが強いが、北海道の東、納沙布岬は日本本土最東端になる。こっちも同時に訪れたなら、二番煎じでも友人に勝てる・・・。そう、私はかなりの負けず嫌いなのだ。

北海道の地図(地理院の地図)

国土地理院地図を書き込んで使用

旅の構想は膨らむが、現実は厳しい。昨年は次の仕事が始まるまで時間の空きがあったので、長期でツーリングができた。

でも、今年はそうはいかない。まとめて休めてもせいぜい5日ほど。しかも8月の後半から父親が入院することになっていて、色々と家のことをやらなければならないので、旅行ばかりもしていられない。

頑張っても3日間の旅行が限界。3日あればそれなりに遠くへ行けるが、この暑い時期に張り切って遠出をすると、バテてしまいそう。今体調を壊してしまうと、母親に負担がのしかかるし・・・。さてどうするか。

悩むイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

一緒にレースをしている友人たちからは、サーキットの近くの宿に泊まり、夏合宿のような感じで練習走行会をしようといった誘いも受けている。

仲間とともに一生懸命に取り組むレース活動は、誰でも彼でも簡単にできることではないので、やりがいがある。人生の今しかできない感じもいい。とても充実した時間を過ごせているのだが、草野球とかサッカーみたいなお手軽さはなく、時間やお金が想像以上にかかっている。

今年の休日はレースの活動に時間をとられてばかり。レースもいいが、それよりも私にとって大事なのは旅ではないだろうか。旅をする気持ちを失っては自分のアイデンティティがなくなってしまう。そんな危機感も心の中に芽生えていた。

よしっ、短くても旅に出よう。旅をすればそういったモヤモヤも消えるはず。それにまた色々と新しい気が付きがあるかもしれない。走行会の方は断り、一人で手軽に一泊二日のツーリングに出かけることにした。

静岡の地図(地理院の地図)

国土地理院地図を書き込んで使用

今回の目的地は富士山の西側と、大井川流域。今年の元旦は御前崎へ初日の出を見に行く予定にしていたのだが、残念ながら雪で中止となってしまった。

せっかく御前崎に行くのなら、東京に戻りながらどこへ寄ろうかな・・・と、その下調べをしている時に、旧東海道のさった峠や由比の宿場町に古い情緒が残っているのを知り、行ってみたくなった。

また前々から日蓮宗の総本山身延山へも行ってみたいと思っていたし、大井川流域の茶畑のある風景や奥大井の美しい渓谷も行きたい候補地のリストに入っていた。

私の移動力ならこのエリアは日帰りが可能だが、宿泊があるのとないのとでは、旅をしているという実感が段違い。せっかく時間があるのだから旅気分を満喫しよう。のんびりとテント泊ツーリングをすることにした。

由比宿、由比本陣跡の写真
東海道由比宿、由比本陣跡

急ぐ旅ではないので、朝、ゆっくりと出発。国道246号で沼津まで行き、そこから国道1号へ。富士市を越えると、旧道へ。

最初の目的地は由比。ここ由比港はサクラエビの産地ということで、町中にはサクラエビ関係の看板やのぼりが多い。

まずは由比宿の象徴の本陣跡へ。立派な門があり、歴史的な建物に期待が高まるが、残念ながら建物は残っていなく、中は公園や美術館となっていた。ただ、この本陣付近の街道沿いには趣きのある建物が多く残っていて、旧東海道の情緒を感じることができた。

薩埵峠 (さった峠)の写真
東海道さった峠(薩埵峠)

由比本陣から西へバイクを走らせていくと、道が狭くなり、さった峠に向けて少し上り坂になる。

この付近、狭い道に古い日本家屋がずらっと並んでいて、とても美しい。バイクで走ると、ノスタルジックというか、少し時代を遡ったような感覚に陥る。なかなか感動的だった。

情緒のある旧道を登っていくと、家が途切れ、ミカン畑のある山道となる。更に登っていくと、旧東海道の難所、さった峠にたどり着く。

薩埵峠 (さった峠)の写真
東海道さった峠からの眺望

さった峠は、歌川広重の「東海道五十三次之内」にも描かれていて、ここから見える富士山の風景は絶景・・・、というよりは特徴的だ。現在では足元に国道や高速が通っているが、それでも当時の面影が強く残っている。

遥か先に富士山が見えれば「浮世絵と同じだ!」と感動することになるのだが、あいにくと今日は靄の中だった。

身延山久遠寺の写真
身延山久遠寺

さった峠を下ると、東海道の興津宿。こちら側は新しい町並みになっていた。ここで東海道とは別れ、52号線を北上し、身延へ。そして日蓮宗の総本山身延山久遠寺を訪れた。

ここは日蓮宗の総本山だけあって、その規模は広大。総門をくぐってから三門に至るまでが長い。道路脇には商店や食堂、宿場が並び、まるで一つの町が吸収されているかのよう。

三門からは一転して森に囲まれ、荘厳な雰囲気となる。この広大な伽藍は圧巻というしかない。ただ、歩いて回ろうと思うと階段がきつく、結構大変・・・。

テント泊の写真
テント泊

身延からは、山越えをして大井川上流へ。と思っていたのだが、先日の大雨で、土砂崩れが起きてしまったようで、道に通行止めの立札が設置されていた。

仕方なく再び国道1号まで戻って、西進。そして静岡市から大井川上流方面へ向かった。辺りが暗くなってきたので、途中で夕食を食べ、日帰り温泉に浸かって本日の行程は終了。最後に道の駅に向かい、テントを張って宿泊した。

茶畑のある風景の写真
茶畑のある風景

翌朝起きると、ちょっともやっていた。周囲を見ると、一面茶畑。なかなか気持ちがいい朝だ。遠くにはレトロな電車が走っていたりすると、郷愁という言葉が胸に響く。

人が起きてくる前に撤収。暗くなって現れ、明るくなったら痕跡を残さず去る。それが野宿旅のエチケットであり、のんびりできないのが辛いところ。逆に言えば、ダラダラせず、朝早くから精力的に活動できるというメリットもある。

寸又峡 夢のつり橋の写真
寸又峡 夢のつり橋

で、早速、大井川の上流の観光名勝、寸又峡へ。ここはエメラルドグリーンの水とつり橋が有名となっている。早朝の淡い光と、誰もいない静寂さがなかなか感動的。少し歩かなければならないが、その分感動も大きかった。

奥大井湖上駅の写真
奥大井湖上駅

寸又峡からはさらに上流へ。長島ダム、湖の上に浮かぶようにある奥大井湖上駅、接岨峡などを見て、少し早めに東京へ戻ることにした。

日本最北端みたいな辺境の地へ向かうような大きな旅ではなかったが、こうして自由な旅に出てみると、気分がリフレッシュする。そして気持ちも整理できる。

迷うイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

実のところ少し迷っていた。何を迷っていたのかというと、友人たちとのバイクのレース活動についてだ。先日耐久レースに助っ人として出場したものの、ズバズバ抜かれるし、転倒はするし、冴えない走りしかできなかった。

でも、タイム的には友人と比べても悪くなかったので、練習したり、実戦慣れすれば良くなるはず。私がしっかりと戦力になれば、チームとして上位を狙えるかも・・・。

その為にもつなぎなどの装備を買って、もっと練習をしよう・・・といった思いが湧き上がってきた。その一方、そこまでしてモータースポーツに打ち込みたいのか、本心からレースが好きなのかと、自問していた。

迷うイメージ(*イラスト:ちょこぴよさん)

(*イラスト:ちょこぴよさん 【イラストAC】

こうして一人で旅に出てみると、やっぱり旅こそが私のアイデンティティ。旅をしていないと自分が自分でなくなる・・・とまでは思わないが、旅している自分が好きだし、旅は捨てられない。なので、最初から結論はほぼ決まっていたのだが、今後、モータースポーツの方は少し距離を置くことにした。

えっ、両方やればいいじゃない。何を迷う必要がある。適度に、そしてうまく折り合いをつけてやればいいだけのことでは・・・。

人によってはそう思うかもしれないが、そう簡単な話ではない。モータースポーツというのは片手間でやれるほど容易な趣味ではないのだ。実際にレースに出たからこそ感じたそのへんの事情を次のページで少し書いてみよう。

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